涼しい。
夕飯は茶粥、大根がうまくなつた。
今夜もNさん来庵、とりとめもない雑談しばらく。
どうやら風邪をひいたらしい、胸の中が何だか変である、痛みさへしなければ、起居が不自由にさへならなければ、軽い疾病は私にとつて救ひの神[#「救ひの神」に傍点]だらう!
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◎今日の太陽[#「今日の太陽」に白三角傍点]
最も古くして、そして、最も新らしいもの。
私の幸福は昨日の太陽[#「昨日の太陽」に傍点]ではなく、また、明日の太陽[#「明日の太陽」に傍点]でもない。
私の句集の題名にしたい。
◎道中記[#「道中記」に傍点]
北陸道中記、東海道中記
春の道中記、夏の道中記
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十月十八日[#「十月十八日」に二重傍線] 曇。
野分、裏藪が騒々しい。
眼が覚めると寝てはゐられなかつた、今日はうれしい日だ、緑平老が訪ねて来てくれる日だ!
お茶が沸いて御飯が炊けて、何もかも済んでもまだ夜は明けきらなかつた、ずゐぶん早起きしたものだ。
石蕗を活け代へる、いゝなあ。
ちよいと学校まで、樹明君に逢ひ、新聞(昨日の分、今日は休刊)を読み、そして一先づ帰庵。
駅へ出迎へる扮装といつぱ――地下足袋で尻からげ、ヘルメツトにステツキ、まさに田舎の好々爺で、典型的庵主様だらう!
緑平老は約の如く十一時の列車で御入来、駅辨と一升罎とを買つて貰ふ。
よろしいな、うれしいな、飲む、食べる、饒舌る、笑ふ、とかくするうちに、樹明君もやつてくる、焼松茸、ちり[#「ちり」に傍点]、追加一升、柿、等々々。……
彼が飲めば私が酔ふ[#「彼が飲めば私が酔ふ」に傍点]、私が酔へば彼が踊る[#「私が酔へば彼が踊る」に傍点]。
六時の汽車へ見送る、尽きない名残がいつもの二人を彷徨させる、乱酔させる。……
ダツドサンでいつしよに帰庵、そして解散。
――米代も油代も炭代も煙草代もみんな飲んでしまつたが、それでよろしい、私は後悔しない!
十月十九日[#「十月十九日」に二重傍線] 曇、降りさうで、なか/\降らない。
朝酒あり、ありがたし。
昨日の今日はさびしい、そのさびしさをまぎらすために散歩、入浴、それでもまぎらしかねて、また飲みはじめる、A屋、Y屋、暮れてからKさんから少々借りてB屋で飲む、なぐさまない、ぶら/\かへる、そして寝る、夢中にしぐれを聴いたやうだつたが。
ハガキ酒、キツテ酒! ヂゴク、ゴクラク! あはれ、あはれ!
S子から来信、かういふ文句を読んでゐると年甲斐もなく涙ぐましくなる、血は水よも[#「よも」に「マヽ」の注記]濃く、そして切ない!
十月二十日[#「十月二十日」に二重傍線] 晴。
身心何となく痛い、すべて自因自果、自業自得也。
この澄みやうは、――我、秋天の如く秋水に似たり、おちついてしめやかな一日だつた。
柿の落葉の色彩の美しさは拾ひあげて凝視しないではゐられないほどだ。
午後、Nさんが親切にも婦人公論十月号を持つて来てくれた。
夕方、酒と雑魚と菜葉と到来、間もなく樹明君来庵、気持よく飲んで、それから散歩。
Jさんから訴へられ叱られ責められた、一言もなし、非は私にある、今更のやうに自分の愚劣を恥ぢた。
今夜の樹明君は良い方だつた(私も良かつた)。
新しい下駄五十銭を樹明君が奮発してくれた、これで地下足袋を穿いてうろ/\しないですむ。
十月廿一日[#「十月廿一日」に二重傍線] 晴、よくつゞくことだ。
まづはめでたや。――
反省、自己検討。――
ほうれん草のおひたしがうまい。
山野逍遙、ああ天地が美しい。
終日読書。
もうつくつくぼうしは鳴かなくなつたが、まだがちやがちやは鳴いてゐる、何だかそこにも私自身の陰影が残つてゐるやうな気がする。……
十月廿三日[#「十月廿三日」に二重傍線][#「十月廿三日[#「十月廿三日」に二重傍線]」はママ] 晴。
風邪気分、咳が出て困る、六時のサイレンが鳴つても寝床にゐた、私としてはめづらしい朝寝だ。
平静、――身辺整理。
食べる物がない! 今日の食卓には貰つたほうれん草と盗んだ熟柿とあるだけだつた。
郵便もたうとう来なかつた。
午後、Nさん来庵、いつしよに学校の樹明君を訪ねる、酒と魚とを貰つて、またいつしよに帰庵、樹明君もやつてきて、愉快に飲んでほろ酔うた、いつしよに街へ出かけて、無事にめでたく解散。
私は一人になつて、Y屋で食べH屋で飲んで、理髪し入浴して帰つた、そしてぐつすりと寝た。
今日は嫌な言葉[#「嫌な言葉」に傍点]――それが誰の言葉であるかは書かないでもよい、――を樹明君及Nさんを通して聞いた。
今夜の良かつたことは、――樹明君といつしよに飲み歩かなかつたこと(これは彼が避けたのかも知れない)、そしてNさんに無理なゲルトを出させなかつたこと。
とにかく世の中はうるさい[#「とにかく世の中はうるさい」に傍点]、人間の接触はわずらはしい[#「人間の接触はわずらはしい」に傍点]、私は一人で飲まう[#「私は一人で飲まう」に傍点]、そして酔はう[#「そして酔はう」に傍点]、そして唄はう踊らう[#「そして唄はう踊らう」に傍点]!
十月廿三日[#「十月廿三日」に二重傍線] 好晴。
昨夜、一人で飲んで酔うたので、今朝はさつぱりと身心が軽い、酒はほんによろしい。
早朝、財布をさま[#「ま」に「マヽ」の注記]さまにして、前のF家で白米一升ほど分けて戴く。
飯! 飯といふもののうまさありがたさが身にしみる、心にこたえる、私は貧乏だ[#「私は貧乏だ」に傍点]、そして幸福だ[#「そして幸福だ」に傍点]。
秋寒を感じさせる風、水、雲。
昨日も今日も毎日、とても好い日和、秋のよろしさが泌みわたり澄みとほる。……
落ちついて読書。――
純真で[#「純真で」に傍点]、そして愚鈍で[#「そして愚鈍で」に傍点]、それでよろしい。
酒なしデー[#「酒なしデー」に傍点]、煙草なしデー[#「煙草なしデー」に傍点]だつた。
よき食慾[#「よき食慾」に傍点]とよき睡眠[#「よき睡眠」に傍点]とがあつた。
方便として、禁酒節酒の仮面[#「禁酒節酒の仮面」に傍点]を被らうかとも思ふ、私は勿論、酒からは離れ得ないが、人から離れたいのである、人間(私のやうな人間でも)全然は孤独ではあり得ないけれど、孤独でありたいと願ひ、また、孤独であることの出来る時機がある、私は今、さういふ時機に直面してゐるやうである、……なほよく考ふべし。
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省みて疚しくない生活
恥ぢない生活
かげひなたのない生活
雲のやうな、風のやうな
水のやうな生活
何物をも恐れない
誰をも憚らない生活
すなほにつつましく
あたたかい、やさしい生活
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十月廿四日[#「十月廿四日」に二重傍線] 晴、申分のない晴。
寒い、水がつめたい、火がなつかしくなつた。
酒[#「酒」に白三角傍点]もよい、煙草[#「煙草」に白三角傍点]もよいが、本[#「本」に白三角傍点]もよいな。
Kから来信、ありがたう/\/\。
午後、街へ出かけて、払へるだけ払ふ、飲めるだけ飲む、歩けるだけ歩く、……半日半夜彷徨、どろ/\になつて戻つたが、留守中たいへんだつたらしい。――
黎君が来る、樹明君が来る、敬君が来る、いつしよに或るフアンを連れて、そして中村君も魚を持つて来る。……
苦しかつた、のたうちまはつた、酒は悪魔だ、何と可愛い悪魔だらう!
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自然観照――自己観照――自然観照。
自己表現――自然表現。
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十月廿五日[#「十月廿五日」に二重傍線] 晴、行楽日和だ。
迎へ酒のにがさよ(朝酒そのものはうまいのだが)。
農業校の運動会見物、樹明君はもう酔うてゐる、いや、昨夜からの延長らしい、お辨当を貰ふ、特別にナイシヨウで酒を貰ふ。……
私はスポーツに興味を持たない、引留められるのをふりきつて(Y屋で五十銭借りて)、宮市へ行く、花御子の行列[#「花御子の行列」に傍点]をちよつと見物した、そしてI家で御馳走になつた、昔話がはづんだ、S子の親切がうれしかつた。……
十時の汽車で帰庵、月はよかつたが、気持もおちついてはゐたけれど、やつぱりさびしかつた。
留守中、樹明君やら敬治君やらやつて来て待ちあぐんだらしい、すまなかつた。
労れてよくねむれたが、夢はヘンテコなものだつた。
十月廿六日[#「十月廿六日」に二重傍線] 曇。
――酒をつつしみませう[#「酒をつつしみませう」に傍点]――、と自問自答した。
炭屋の小父さんが炭を持つて来て、しばらく話した。
いよ/\酒をやめる機縁[#「酒をやめる機縁」に傍点]が熟したらしい、肉体的にも精神的にも、経済的にも生活的にも(といつて全然アルコールと絶縁することは不可能だらうが)、これはまことに大事出来だ、自己革命[#「自己革命」に傍点]の最たるものだ。
午後、樹明君来庵、ちり[#「ちり」に傍点]でほどよく飲んだ、そして六時のサイレンを聞いて、おとなしく別れた。
ばら/\雨、山川草木いよ/\うつくしい。
まづしささびしさにたへて[#「まづしささびしさにたへて」に傍点]、――月、虫、時雨。
石油が切れてゐるので宵から寝る。
おつとりとして生きたいな。
十月廿七日[#「十月廿七日」に二重傍線] 曇――晴。
しぐれの声で眼ざめた、めつきり寒うなつた、火鉢に火がないと坐つてゐられなくなつた。
とかく弱者の溜息[#「弱者の溜息」に傍点]らしいものが出る、情ないかな。
そこらで鶲がひそかに啼く、百舌鳥も孤独だが、これはまた寂しい鳥[#「寂しい鳥」に傍点]だ。
身辺整理、畑仕事もその一つ。
街へちよいと、油買ひに、米買ひに、なくてはすまない二つの物。
夜、Nさん来庵、いつものやうに、金がない、金がほしい話!
良い月夜だつた、十三夜ぐらゐだらう。
咳き入つて困つた、ち[#「ち」に「マヽ」の注記]ゞむさいこと。
十月廿八日[#「十月廿八日」に二重傍線] まことに日本の秋晴[#「日本の秋晴」に傍点]。
いよ/\寒くなつた、シヤツがほしくタビがほしくなつた、いそいで冬の仕度をしなければならなくなつた。
ひよどり[#「ひよどり」に傍点]が出て来て啼く、好きな鳥[#「好きな鳥」に傍点]だ。
紫蘇の実[#「紫蘇の実」に傍点]を採る、いゝにほひだ、日本的香気[#「日本的香気」に傍点]といふべきだらう。
大根を間引いてコヤシをやる、大根こそは日本蔬菜の第一位である。
――ああ、君、君、申訳がない、申訳がない、すみません、すみません、――遠方の友に向つて、私は平身低頭した、――彼は誰、何処にゐる。――
此頃の農家は忙しいが、寸閑をぬすんで、老人も子供もうち連れて柿をもいだり茸をさがしたりする、まことに美しい田園風景だ。
稲扱の音響も美しい調べといふべきだらう。
白菜がおいしい、漬けて一等だ。
みそさざいもなつかしい、おまへもまた寂しい鳥だ。
目白はおほぜいでやつてくる、貴族的だ。
午後、ぶら/\歩きたくなつて山口へ、一片の雲影もない秋日和である。
一人はよろしいなと思ふ、そしてまた、一人はさびしいなと思ふ、人間は我儘な動物だなと思ふ。
湯田温泉に浸る、……それから……それから……バカ、バカ、……バカ、バカ……Sさんには申訳がない、Yさんにも恥づかしい、……とうたう湯田の安宿に泊つた。
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「旅草紙」
過去清算。
身心整理[#「身心整理」に傍点]。
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十月廿九日[#「十月廿九日」に二重傍線] 晴。
空は明るく私は暗い、私は爛れてゐる!
一浴二浴して身心を洗ふ。
朝のバスにて帰庵、直ぐ臥床。
夜、嘉川のI老人来庵、たゞしやべつた、心中の苦しまぎれに。――
私が変人なら彼も変人だらう。
当地方の変人物語を聞く。
十月三十日[#「十月三十日」に二重傍線] 晴。
身心やゝかろし。
節酒か禁酒か、死か狂か。
百舌鳥が刺すやうに啼く、私の愚劣を叱※[#「口+它」、第3水準1−14−88]するやうに。
長大息す
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