る外ない。
樹明君に催促されて、揮毫十数枚、悪筆の乱筆がいよ/\ます/\あさましい、夕方、それを持参して、酒と魚とを持ち帰つて、樹明君の来庵を待ち受けて。――
それからまた、いつしよに出かけて飲み歩いた、べろ/\になつて、いつしよに帰つて来た。
月がよかつた、酒もわるくはなかつた。
十月三十一日[#「十月三十一日」に二重傍線] 晴。
やれ、やれ、――やれやれ、――やれやれ。
樹明君を送り出す、山頭火をあざ笑ふ!
午前は断食寮の青年二人来訪、午後はNさん来訪。
昨夜、樹明君から頂戴した餅を味ふ。
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酔中うけた傷に醒めて秋風を感じたことである。(廿九日)
樹明君も多分さうだつたらう!(三十一日)
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十一月一日[#「十一月一日」に二重傍線] 曇。
一雨ほしいな。
月が改まつた、今年も後二ヶ月だけだ、しつかりせよ。
身心整理が出来るまでは[#「身心整理が出来るまでは」に傍点]、どうでもかうでも酒をつつしまなければならない[#「どうでもかうでも酒をつつしまなければならない」に傍点]。
真実一路[#「真実一路」に傍点]、句作三昧[#「句作三昧」に傍点]。
台湾の田中君からありがたい手紙とたくさんな龍眼肉、うれしかつた。
午後、樹明君来庵、例の揮毫料で飲むことにする、私は酒買ひに、君は魚こしらへ。
暮れてから、さよなら/\、よかつた/\。
夜は寝苦しかつた、ちよつとまどろんだゞけだつた。
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朝寝もよからう、昼寝もわるくなからう、夜更かしもかまはない。
飲んでもよからう、酔うてもよからう、無理さへなければ[#「無理さへなければ」に傍点]。――
水のながれるやうに、おのづからなる生き方[#「おのづからなる生き方」に傍点]、そして、すなほな心がまへ[#「すなほな心がまへ」に傍点]。
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十一月二日[#「十一月二日」に二重傍線] 晴、時雨。
おちついて身のまはりをかたづける。
櫨紅葉を活ける、めざましいうつくしさ。
無理をするな[#「無理をするな」に傍点]、あせるな[#「あせるな」に傍点]、いら/\するな[#「いら/\するな」に傍点]、なるやうになれ[#「なるやうになれ」に傍点]、ばた/\するな[#「ばた/\するな」に傍点]、流れるまゝに流れてゆけ[#「流れるまゝに流れてゆけ」に傍点]。
昨日の酒が少々残つてゐる、ちびり/\飲む、ほんのり酔ふ、その元気でポストへ、ついでに湯屋へ。
秋ふかい顔[#「秋ふかい顔」に傍点]を剃つた、野の花を摘んで御仏に供へた。
途上、Tさんの親切な挨拶を受けて、私は私を叱つたことである、――恥を知れ、自分を知れ、老を知れ、自然を知れ。――
雲も私もしづかに暮れる、誰も来なかつた、郵便やさんも来なかつた。
今夜も寝苦しいとは、……徹夜推敲、……月がおもてからうらへまはつた。
咳が出て困る、夜ふけて独り咳き入つてゐるときは、ひし/\と老境をさまようてゐる自分[#「老境をさまようてゐる自分」に傍点]を見出すのである。
洟水も出る、これも老を告げるものだ[#「老を告げるものだ」に傍点]。
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自己即自然[#「自己即自然」に傍点]。
自然発見即自己発見[#「自然発見即自己発見」に傍点]。
自己の生命、自然の生命。
いのち[#「いのち」に傍点]、いのちのしらべ[#「いのちのしらべ」に傍点]。
自然律。
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十一月三日[#「十一月三日」に二重傍線] 晴――曇。
明治節[#「明治節」に傍点]、菊花節[#「菊花節」に傍点]、むしろ日本節[#「日本節」に傍点]とよぶべきだらう。
今朝はずゐぶん寒かつた、触れる物が冷たかつた、澄んで明るい日[#「澄んで明るい日」に傍点]だつた。
揮毫、木郎君に送る、龍眼肉少々Sさんへお裾分する、先日のお詑とお礼とを申上げる。
うまい昼飯だつた、たとへそれがシヨウユウライスであつても、感謝々々。
午後、Nさん来庵、文藝春秋と婦人公論とを持つて来て貸して下さつた、感謝々々、いつしよに郵便局へ行き油屋へ行き、それからまたいつしよに帰庵して、龍眼肉を咬みお茶を飲んで話した。
途上で聖護院大根一本を拾ふ、いびつだから捨てゝあつたのである、その一本が今晩の私のお菜として余りあるものであつた、感謝々々。
しづかだな、さびしいな、と時々思ふことである。
今夜はうれしい、石油があつて、読物があつて。
夜が更けて、腹が空つたので、夜食を食べる、ゼイタクだな、とも思うたことである。
曇、こんどは降りさうだ、降つてもよい頃だ。
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婦人公論十一月号所載
父と娘との記事[#「父と娘との記事」に傍点]を読みて
[#ここで字下げ終わり]
十一月四日[#「十一月四日」に二重傍線] 曇、時雨。
なか/\降らない、降りさうなものだ、降つてもらひたい、と空を眺めてゐるうちに、ぽつり/\しぐれてきた、よい雨だ、何十日ぶりかの、雨らしい雨だ、刈入には気の毒でないでもないが、畑の物は助かつた。
うまい朝飯、いはゆるうまいものは何もないけれど、飯だけでもうまい/\。
昼飯にも夕飯にも塩雑魚をあぶつて食べる、なか/\よい味である、それにつけても、噛み砕く歯が欲しい。
今日は酒なしデー、しめやかな日だつた。
鈴虫が一匹、そこらに生き残つて鳴きつゞけてゐる、生きものの悲壮な声[#「生きものの悲壮な声」に傍点]である(俳句もさういふ声でありたい)。
――書きたくてたまらない手紙、書かなければすまない手紙、その手紙が書けないのである、書いても出せないのである、――過去の放縦、不始末が口惜しい、――憂愁懊悩たへがたし。――
醜怪な夢を見た。……
[#天から4字下げ]二人の無用人[#「二人の無用人」に傍点](私とNさん)
十一月五日[#「十一月五日」に二重傍線] 晴。
私としては朝寝だつた、六時のサイレンを聞いてから起床、夜が長く日が短かくなつたものだ。
秋も老いた、私も老いた。
いよ/\三八九[#「三八九」に傍点]を復活することにきめた、身心を整理するにはさうするより外に方法がないことが分つた。
過去を清算せよ[#「過去を清算せよ」に傍点]、一切を整理せよ[#「一切を整理せよ」に傍点]。
午前、I酒店の主人が空罎をあつめに寄つて、しばらく世間話、彼はよい娘を持つてゐる、のんべいだ、いろ/\の苦労をしたらしい。
しみ/″\食べること[#「しみ/″\食べること」に傍点]、――味ふこと[#「味ふこと」に傍点]。
今日も酒なし、飯はある!
風が初冬らしく吹きはじめた。
[#ここから1字下げ]
生死はもとより一大事なり、されば飲食一大事なり、男女のまじはりも一大事なり。
風は風なり、水は水なり、雲は雲なり、花は花なり、そして風は水なり、雲なり、花なり。
人は人なり、草は草なり、虫は虫なり、犬は犬なり、そして人は草なり、虫なり、犬なり。
百舌鳥よ、こほろぎよ、がちやがちやよ。
草よ、柿よ、石よ。
雲よ、水よ。……
[#ここで字下げ終わり]
十一月六日[#「十一月六日」に二重傍線] 晴、――曇、――雨。
冬が来た、冬ごもり[#「冬ごもり」に傍点]の季節が近寄つた。
今日も酒なし、明日は米なし、いつも銭なし!
午後、ポストへ、ついでに湯屋へ。
野菊を床に、龍膽を机に飾る、これだけでも今日の私は幸福だ。
朝は晴れ、夕は曇り、夜はしめやかな雨となつた。
[#ここから1字下げ]
自然無尽蔵[#「自然無尽蔵」に傍点]。――
観よ、観よ、観よ。
作れ、作れ、作れ。
それだけで[#「それだけで」に傍点]、私は十分だ[#「私は十分だ」に傍点]。
[#ここで字下げ終わり]
十一月七日[#「十一月七日」に二重傍線] 時雨。
しぐれはまことによろし、枯れてゆく草のまことにうつくし。
あるだけの御飯を食べて、そこはかとなくそこらをかたづける。
眼鏡が合はないのか、視力が弱つて、あたりがぼうつとしてゐる。
正午の汽車で遠足で西下する魚眠洞さんに逢ふべく出かけようとしてゐるところへ、おもひがけなくTさんとMさんとが来庵、Tさんはあいかはらずやりつぱなしで、Mさんはいつものやうにおとなしい、うれしかつた、ありがたかつた、大阪に於ける旅中のあれこれをおもひだして、何となくさびしくもあつたが、ちよつと話して、すぐいつしよに駅へ出かけた、樹明君を待ちあはせて、二人でプラツトに魚眠洞さんを迎へ、そして別れた、うれしくもありかなしくもあつた。
私はTさんMさんに誘はれて湯田へ、いろ/\御馳走になりつゝ明るいうちから更けるまで歓談した、そして名残は尽きないけれど零時の汽車で見送つた。
今日はほんたうにうれしいありがたい日だつた、そしてさびしいかなしい日でもあつた。……
どうにもならないかなしさは竹原のKさんからの手紙だつた、Kさんの心情、奥さんの心情がひし/\と胸にしみいつた、Kさん、かなしいことをいはないで、早く快くなつて庵を訪ねて来て下さい、私は待つてゐます。
Tさん、そしてKさん、おかげで私は助かりました、ありがたう、ありがたう。……
何という私の弱さ、あさましさ、だらしなさ、……私は私を罵り鞭打ちつゝ泣いた。……
[#ここから1字下げ]
婦人公論十一月号所載の、三浦環女史の自叙伝を読んで、彼女の芸術に対する情熱と自信とにうたれた。
自分の道[#「自分の道」に傍点]を精進するだけの情熱と自信[#「情熱と自信」に傍点]とはいつも持つてゐたい、万一それを失ふならば、彼が本当の芸術家であるならば、狂か死[#「狂か死」に傍点]があるばかりである。
[#ここで字下げ終わり]
十一月七日[#「十一月七日」に二重傍線] 八日[#「八日」に二重傍線] 九日[#「九日」に二重傍線] 十日[#「十日」に二重傍線] 十一日[#「十一日」に二重傍線]
ぼう/\たり、ばく/\たり、空々寂々。
十一月十二日[#「十一月十二日」に二重傍線]
飲まず、食はず、私はぢつと寝てゐた。
夜、樹明君とSさん来訪、酒と牛肉と、そして私の我儘と。――
A君に送らなければならなかつた手紙を送ることが出来たのは、何ともいへない安心だつた、これだけがこの数日間のせめてものなぐさめだつた、それはTさんのおかげだ、そしてやうやく眼鏡を買ふことが出来たのも近来にないよろこびだつた、それもKさんのおかげだ。……
[#ここから1字下げ]
どうすればよいのか。
どうにもならないではないか。
自我分裂[#「自我分裂」に傍点]といふのか。
自己破壊とでもいふのか。
[#ここで字下げ終わり]
十一月十三日[#「十一月十三日」に二重傍線] 曇。
寝てゐる、覚めると冷酒を呷る、そして寝てゐる。
十一月十四日[#「十一月十四日」に二重傍線] 晴。
昨日の通りの今日だ。
Nさんが来られて、そつと帰られた(後から書置きを見て知つた)。
十一月十五日[#「十一月十五日」に二重傍線] 曇。
附近で演習がある、それを観るべく出かけられたらしいKさんNさん来訪。
何もかもなくなつた、水まで涸れてしまつた!
悪夢がはてしもなくつゞく。
十一月十六日[#「十一月十六日」に二重傍線] 曇。
澄太君には逢へなかつた、とても山口へは出かけられし[#「れし」に「マヽ」の注記]、返事も出せなかつたので留守だと思はれたのだらう、あゝすまないすまない、ほんたうにすまない。
夕ちかく俊和尚は知らせの通り来庵、数日寝たきりの私も誘はれて、駅前の宿まで出かけた、そこでいろ/\御馳走になつた。
秋ふかうして人のなさけのあたたかさ、友の温情が身心にしみこむ、何[#「何」に「マヽ」の注記]は幸福だ、幸福すぎる。
睡れない、睡れないのが本当だ。……
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――とにかく生きてゐたくなくなつた、といふよりも生きてはゐられなくなつた、とすれば、死ぬるより外ない、死んで、これ以上の恥と悩みとから免がれるより外ない。
酒、句、そして何がある、それ以外に。
酒は私を狂はしめ
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