つてそのまゝ死んでしまう[#「う」に「マヽ」の注記]蝿
蝿、とんできて死んでゆく
[#ここで字下げ終わり]

 六月廿八日[#「六月廿八日」に二重傍線] 雨、とても降つた。

雨は天地がぬけるほど降つたし、私は身心が腐るほど寝た。……

 六月廿九日[#「六月廿九日」に二重傍線] 曇、また降りだした。

午後、敬君に招かれてFへ行く、蝙蝠傘事件をきつかけにHの狡猾を責めつけてやつた、日頃の溜飲はさがつたけれど不愉快だつた、早く切りあげて帰庵した。

 六月三十日[#「六月三十日」に二重傍線] よく降るものだ、降つた降つた。

樹明君、二日酔のからだを持てあまして来た、そして一日寝て帰つた。
濁流たう/\、非常を知らせるサイレンが陰にこもつて鳴りだした。……
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 晴れると暑い牛の乳房もたらり
・やたらにてふちよがとんでくる梅雨晴れ
・降りつづける水音が身のまはり
・身のまはりは草だらけマイナスだらけ
・いちにち風ふく風を聴きをり
「製材所とシネマ」

  新生の記[#「新生の記」に白三角傍点]
     ×
[#ここで字下げ終わり]
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   ぐうたら手記
薊には薊の花が咲く、薊には薊の花を咲かせておけ。(自嘲自讃の言葉)
[#ここから2字下げ]
     ×
・どうやら霽れさうな草の葉のそよぐそよぐ
・はれるよりてふてふは花のある方へ
・ぬれててふてふのさがす花はある
・はれるとてふちよがさかやさんがやつてきた
・しげるがままの草から筍のびあがる
・山のみどりの晴れゆく雲のうつりゆく
     ×
  なぜに涙がでるのだろ[#「なぜに涙がでるのだろ」に白三角傍点]
      ――(私の小唄)――
     ×
   梅雨出水
・さかまく水が送電塔へ降りしきる
 さみだれのむかうから人かげは酒やさん
     ×
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□藪蚊
□鼠
□油虫
[#ここで字下げ終わり]
      ×
・野心的、情熱[#「情熱」に傍点]、句作硬化症、感動[#「感動」に傍点]。
 いはゆる写生[#「写生」に傍点]といふもの。
 うたふものとうたはれるものとのつながり。
・腐つた鯛よりも生きた鰯。
 いき/\ ぴち/\ みづ/\しいもの。
・おいぼれ、既成作家。(現代的意義[#「現代的意義」に傍点])
 説明、描写、うたふ[#「うたふ」に傍点]といふこと。
・平凡と常套。
[#改ページ]

[#ここから2字下げ]
即時而真 当相即道

生々如々

春有百花秋有月
夏有涼風冬有雪
若無閑事挂心頭
便是人間好時節
[#ここで字下げ終わり]


 七月一日[#「七月一日」に二重傍線] 曇、また降りだした。

身心一新、さらに新らしい第一歩[#「新らしい第一歩」に傍点]から。
すなほな、とらはれない行持。
午前ちよつとしようことなしに街のポストまで、出水の跡がいたましい。
いつもの癖で、今日もなまけた、原稿も書かなかつたし、書債も償はなかつた、書くべき手紙も書かなかつた。……
二つの出来事があつた、それは私の不注意を示す好例だつた、質屋で誤算のままに利子を払ひすごしたこと、そしてうつかりしてゐて百足に螫されたこと。
注文しておいた酒をとうとう持つてきてくれなかつた、失念したためか、信用がないためか、……どちらでもよろしい、……酒に囚はれるな。
私がここに落ちついてから、そして行乞しなくなつてから、いつとなく私は横着[#「横着」に傍点]になつたやうだ、事物に対して謙虚な心がまへ[#「謙虚な心がまへ」に傍点]をなくしてしまつたやうである、あさましい事実だ、私は反省しつゝ、ひとり冷汗をかいた。
何となく寝苦しかつた、ペーターのルネツサンスに読みふけつた。

 七月二日[#「七月二日」に二重傍線] けふもまだ降つてゐる。

こころしづかにしておもひわずらふことなし[#「こころしづかにしておもひわずらふことなし」に傍点]。
雨は悪くない、しみ/″\としたものがある、風はよろしくない、いら/\させる。……
雨水がバケツにたまつて水を汲まなくてもすむ、汚れた鍋や茶碗や、みんな雨が洗つてくれる。
やつと書債文債をかたづける。
酔中漫言――
[#ここから2字下げ]
一杯東西なし
二杯古今なし
三杯自他なし……
[#ここで字下げ終わり]
酒がきた、樹明君を招く、それから、ほろ/\とろ/\どろ/\ぼろ/\ごろ/\。
       ………………………………………………………………………

 七月三日[#「七月三日」に二重傍線] 雨。

悪日、悪日の悪日。
愚劣な山頭火[#「愚劣な山頭火」に傍点]を通り越して醜悪な山頭火[#「醜悪な山頭火」に傍点]だつた。
恥を知れ、恥を知れ、恥を知れ、恥知らずめ、恥知らずめ、恥知らずめ。

 七月四日[#「七月四日」に二重傍線] 五日[#「五日」に二重傍線] 曇つたり、降つたり、晴れたり。

私自身もおなじく。
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・こゝろふかくも蝉が鳴きだした
   朝鮮飴 熊本をおもふ
・そのなつかしさもかみしめる歯がぬけてしまうて
・ゆふやみほつかりと咲いたか
[#ここで字下げ終わり]

 七月六日[#「七月六日」に二重傍線] 雨。

アルコールの逆流。
梅雨もどうやらあがりさうな雷鳴。

 七月七日[#「七月七日」に二重傍線] 八日 九日 晴、曇。

身心不調、蟄居乱読、反省思索。

 七月十日[#「七月十日」に二重傍線] 曇。

こゝろしづかにさびしく澄みわたる。
やまぐちの会[#「やまぐちの会」に傍線]へ出かける、途上、老乞食に逢ふ、彼と私とは五十歩百歩だ、いつものやうに湯田で入浴、ああ温泉はありがたい、Sさんのお宅でよばれる、うまかつた、それから句会、Kさん、Hさん、Aさんの青春をよろこぶ。
終列車には間にあはなかつた、飲む、飲みだしたら泥酔しなければおさまらない私の悪癖だ、とう/\Y旅館へころげこんだ。
[#ここから2字下げ]
・自動車まつしぐらに炎天
・木かげは涼しい風がある旅人どうし
 若葉の中からアンテナも夏めく
・それはそれとして草のしげりやうは
   湯田温泉
 夏山のかさなれば温泉《ユ》のわくところ
・おもひでの葉ざくらのせゝらぐ
・さびしがりやとしてブトにくはれてゐます
[#ここで字下げ終わり]

 七月十一日[#「七月十一日」に二重傍線] 曇、混沌として。

またSさんのお世話になつた、ああ。……
朝から夜まで、酒、シネマ、酒、シネマ。
やうやくにして終列車で帰庵。

 七月十二日[#「七月十二日」に二重傍線] 十三日[#「十三日」に二重傍線]

寝てゐるほかない、自分を罵るほかない。

 七月十四日[#「七月十四日」に二重傍線] 晴れたか、曇つたか。――

ぼんやりしてゐるところへ、黎々火君だしぬけに来庵、万事許して貰つて、そして、酒と肴とを奢つて貰ふ。
別れてからまた飲んだ、今夜の酒はほんとうに恥づかしい酒[#「恥づかしい酒」に傍点]、命がけの酒[#「命がけの酒」に傍点]だつた。
[#ここから1字下げ、折り返して2字下げ]
   ぐうたら手記
□現実――回光返照――境地的[#「境地的」に傍点]。
□芸術的野心、作家的情熱。
□物そのものを味はひ楽しむ心境[#「物そのものを味はひ楽しむ心境」に傍点]。
□事実と真実 actuality reality.
□実体――物質。
 作用――機能。
□人間性、社会性。
 思想性、芸術性
□俳句する[#「俳句する」に傍点]、そのことが私の場合では生活するのである[#「そのことが私の場合では生活するのである」に傍点]。
 俳句のための俳句[#「俳句のための俳句」に傍点](芸術至上主義である)、仏教のための仏教と同様に。
[#ここで字下げ終わり]

 七月十五日[#「七月十五日」に二重傍線] 十六日[#「十六日」に二重傍線] 十七日[#「十七日」に二重傍線] どうやら梅雨もあがつた。

私は毎日寝てゐた、……カルモチンかダイナマイトか。……
自己省察は、あゝ、哀しい。

 七月十八日[#「七月十八日」に二重傍線] 半晴半曇。

身辺整理、――掃除、洗濯、佃煮、等、等。
天地一切おだやかな風光[#「風光」に傍点]。――
蝉、きりぎりす、蛙、小鳥、草、木、雲、蝶、蟻、そして私。
酒はとうていやめられないとすれば、節酒[#「節酒」に傍点]して、そして生きてゆくより外ない私である。
くよくよするな、すなほにおほらかに、けちけちするな。
しづかな一歩、たしかな一歩、あせらずたゆまず一歩一歩、その一歩が私の生死であり、私の生活である。
[#ここから2字下げ]
   井手君に
・待ちきれないでそこらまで夕焼ける空
・柱いつぽんをのぼりつくだりつ蟻のまいにち
・ひるねの夢をよこぎつて青とかげのうつくしさ(松)
   改作
・ひとりとんでは赤蛙(松)
   改作
・暮れるとやもりが障子に恋のたはむれ
[#ここで字下げ終わり]

 七月十九日[#「七月十九日」に二重傍線] 晴曇。

身心安静――清浄といつてもよからう。
桔梗が一りん咲いた。
アルコールが私の身心をどんぞこへまで陥れた、私は起ち上つた、そして甦りつつあるのである。……
[#ここから2字下げ]
・蝉もわたしも時がながれてゆく風
・はなれてひとりみのむしもひとり
   それをくれた黎々火君に
・草はしげるがままの、かたすみの秋田蕗
・彼のこと彼女のこと蕗の佃煮を煮つつ
・月がいつしかあかるくなればきりぎりす(雑松)
・それからそれへ考へることの、ふくろうのなきうつる
 ゆふべいそがしく燃えてゐる火のなつかしく(途上)
[#ここで字下げ終わり]

 七月二十日[#「七月二十日」に二重傍線] 曇、しめやかな雨となつた。

夕方から、招かれて学校へ行く、樹明君宿直である、例によつて御馳走になる、六日ぶりの酒肴である、おそくなつたので、勧められるまゝに泊つた、食べすぎて寝苦しかつた。

歯のぬけた口で茹章魚を食べビフテキを食べるのだから自分ながら呆れる、むろん噛みしめることは出来ないからほんたうには味へない。
[#ここから2字下げ]
・蛙なく窓からは英語を習ふ声
・最後の一匹として殺される蝿として
 殺した藪蚊の、それはわたしの血
 しんみり風に吹かれてゐる風鈴は鳴る
・やつとはれてわたくしもけふはおせんたく(雑)
 どこかでラヂオが、ふくろうがうたふ
 豆腐やの笛がきこえる御飯にしよう
 おくれた薯を植えいそぐ母と子と濡れて
[#ここで字下げ終わり]

 七月廿一日[#「七月廿一日」に二重傍線] 曇、蒸暑い、雨。

早朝帰庵、身辺整理。
――米がなくなつた(銭は無論ない)、絶食もよからう(よくなくても詮方ない)、と観念してゐたら、樹明君から昨夜の言葉通りに少々送つてきた、これでしばらくは安心、そのうちにはKからの送金があるだらう。
即興詩人[#「即興詩人」に傍点]と梅干老爺[#「梅干老爺」に傍点]! それを考へてひとり苦笑する、それが事実であるだけそれだけ、笑ひたいやうで笑へない。
色慾から食慾へ[#「色慾から食慾へ」に傍点]――これが此頃の推移傾向である。
夢! 夢は自己を第二の自己[#「第二の自己」に傍点]として表現して見せてくれるものだ、私は近頃よく夢を見る、毎夜の夢が毎日の私を考へさせる。
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   ぐうたら手記
□故郷(老いては)(病みては)(うらぶれては)。
□旧友(ルンペンの感慨)。
□貨幣価値を超越したもの[#「貨幣価値を超越したもの」に傍点](焚火の如き)。
□「無くなる[#「無くなる」に傍点]」
 銭がなくなる、米がなくなる、生命がなくなる!
□過ぎゆくもの[#「過ぎゆくもの」に傍点](死を前に)。
□生活――
 帰依――感謝――合掌――報恩。
□業 carma ――
 私――酒――飲めば悪くなり、飲まなければ悪くなる。――
□遺書[#「遺書」に傍点]について。
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