七月廿二日[#「七月廿二日」に二重傍線] 曇。

山の枯木を拾ふ、心臓の弱くなつてゐるのに驚いた、弱い心臓を持ちながら。……
油虫だけは好きになれない。
午後、樹明君来庵、午睡、これから湯田の慰労会へ行くといふ、ちよつと羨ましいな。
――煙草がなくなつた、しばらく絶煙するもよからう、――よか、よか。
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・夏草から人声のなつかしく通りすぎてしまう[#「う」に「マヽ」の注記](松)
・けさは何となく萱の穂のちるさへ
・日ざかりちよろちよろとかげの散歩(松)
・すずしさ竹の葉風の風鈴のよろしさ(雑)
・風音の蚊をやく
・風がでたどこかで踊る大[#「大」に「マヽ」の注記]鼓のひゞきくる
   樹明君に
・あなたがきてくれるころの風鈴しきり鳴る
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 七月廿三日[#「七月廿三日」に二重傍線] 曇――晴。

とてもよく寝た、宵から朝まで、ランプもつけないで、障子もあけはなつたまゝで、――これで連夜の不眠をとりもどした。
前隣のSさんの息子が来て草を刈つてくれた、水を汲むことが、おかげで、楽《ラク》になりました。
晴れて土用らしく照りつける、今年最初の、最高の暑さだつた。
やうやく北海道から句集代着金、さつそく街へ出かけて買物――
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二十銭 ハガキ切手
三十銭 酒三合
三十二銭 なでしこ
十銭 鯖一尾
二十銭 茶
八銭 味噌
十八銭 イリコ
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財布にはまだ米代が残してある、何と沢山買うたことよ、有効に費うたことよ。
午後、樹明君来庵、酒と豆腐とトマト持参、飲んだり食べたりしたが、いや暑い暑い、暑くてあんまりやれなかつた。
安全々々、安心々々。
今日は街へ三度出かけた、郵便局へ、駅のポストへ、瑜伽祭へ、――めづらしく落ちついて、――万歳※[#感嘆符三つ、15−13]
当分謹慎、身心整理をしなければならない、過去を清算しなければならない、そして――そしてそれからである。
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   □酔ひどれはうたふ
   ――(アル中患者の句帖から)――
・酔ひざめの花がこぼれるこぼれる
 彼が彼女にだまされた星のまたたくよ
・さうろうとして酔ひどれはうたふ炎天
・ふと酔ひざめの顔があるバケツの水
 アルコールがユウウツがわたしがさまよふ
・ぐつたりよこたはるアスフアルトのほとぼりも
 いつしかあかるくちかづいてくる太陽
・酔ひきれない雲の峰くづれてしまへ
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 七月二十四日[#「七月二十四日」に二重傍線] 晴、曇[#「曇」に「マヽ」の注記]かつた。

また徹夜だ、人間として(彼が出来てゐる人間[#「出来てゐる人間」に傍点]ならば)、食べるものがまづいとか、夜眠れないとかいふことがあるべき筈はない、私は罰せられ[#「罰せられ」に傍点]てゐるのだ。
冬村君を久しぶりに工場に訪ねる、夫婦共稼ぎの光景である、彼等は父母と仲違ひして別居してゐる、こゝにも人生悲劇の場面が展開されてゐるのである。
昨日の酒があつまつてゐるので、朝酒昼酒そして晩酌、ありがたいことだ。
人のなさけ[#「人のなさけ」に傍点]を感じること二度。
番茶[#「番茶」に傍点]を味ふ、トマトを味ふ。
今日は土用丑の日、とうとう鰻には縁がなかつた、鰻よりも鮎を食べたいのだが。
秋茄子三本、秋胡瓜三本を植ゑる、この価五銭、あんまり安すぎる。
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   ぐうたら手記
□求めない生活[#「求めない生活」に傍点]――私の生活[#「私の生活」に傍点]について。
□貧しければこそ[#「貧しければこそ」に傍点]――
 ほどよい貧乏。
 私が今日まで生きてきたのは貧乏のおかげ[#「乏のおかげ」に傍点]だ。
□疾病[#「疾病」に傍点]。
 ほどよい疾病[#「ほどよい疾病」に傍点](私の場合には)
□歯[#「歯」に白三角傍点]のあるとないと――
 白船老との会食、酢鮹の話。
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 七月二十五日[#「七月二十五日」に二重傍線] 快晴、土用日和。

かん/\照りつけるので稲が喜んでゐる、百姓が喜んでゐる、私も喜んでゐる、みんな喜んでゐる。
今日も酒があつた、茄子があつた、トマトがあつた、私にはありがたすぎるありがたさである。
茶の本[#「茶の本」に傍点](岡倉天心)を読みかへした、片々たる小冊子だけれど内容豊富で、教へられることが極めて多い本である。
即興詩人[#「即興詩人」に傍点](森鴎外訳)も面白い、クラシツクのよさが、アンデルゼンのよさが、鴎外のよさが私を興奮せしめる。
私は空想家[#「空想家」に傍点]だ、いや妄想家[#「妄想家」に傍点]だと思つたことである、今日にはじまつたことではないが。
遠く蜩が鳴いた、うれしかつた、油虫が私を神経衰弱にする、憎らしい。
また徹夜してしまつた、心臓が痛くなつて、このまゝ死ぬるのではないかと思ふたが、大したことはなかつた、そして私の覚悟[#「私の覚悟」に傍点]は十分でない、私といふ人間は出来てゐないことを考へさせられた。……
人生[#「人生」に傍点]――生死[#「生死」に傍点]――運命或は宿命[#「運命或は宿命」に傍点]について思索しつゞけたが、今の私にはまだ解決がない!
午後、四時四十分の上りで佐野へ。――
故郷の故郷、肉縁の肉縁、そこによいところもあればよくないところもある、いはゞあたゝかいおもさ[#「あたゝかいおもさ」に傍点]!
山家の御馳走になる、故郷の蚊[#「故郷の蚊」に傍点]といへば何だか皮肉だけれど、それも御馳走の一つだらう。
酔うて管を巻く、安易な気持だ。
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   悼(厳父を失へる白雲兄に)
・ゆふ風の夏草のそよぐさへ
   (父を死なせた友に)  山頭火合掌

・ゆふべすゞしくうたふは警察署のラヂオ
・炎天の蓑虫は死んでゐた
・蛙よわたしも寝ないで考へてゐる
・いつまで生きる竹の子を竹に(改作)
・炎天、変電所の鉄骨ががつちり直角形(改作)
・さういふ時代もあるにはあつた蝉とる児のぬきあしさしあし
・暑さきはまり蝉澄みわたる一人
・ゆふべはよみがへる葉に水をやる
・山はゆふなぎの街は陽のさす方へ
・炎天まつしぐらにパンクした(自動車)
   逸郎君に
・百合を桔梗に活けかへて待つ朝風
・ちつともねむれなかつた朝月のとがりやう
・夜あけの風のひえ/″\として月草ひらく
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 七月二十七日[#「七月二十七日」に二重傍線] 曇。

早起、朝酒、九時の下りで九州へ。――
初めて汽車の食堂にてビール一本さかな一皿。
門司駅一二等待合室にて黎々火君を待ち合せ、岔水君をよびよせてもらつて、アイスクリームを食べつゝ会談。
関門風景[#「関門風景」に傍点]はいつもわく[#「く」に「マヽ」の注記]るくない。
それから八幡へ、――鏡子君、井上さん、星城子君といつしよに、食べたり飲んだり、話したり。
入浴、私の体重十四〆弐百、折から安売の玉葱に換算すればまさに壱円四十弐銭の市価(二等品で一〆十銭だから!)。
丸久食堂の隣席はきつと結婚見合、この結婚不成立と観たは僻目か、女の方が男よりもづう/\しかつた。
をなごや[#「をなごや」に傍点]の鏡子居にをなごと寝ずにひとり泊る。
八幡は煙突が多い、食べものやが多い、女が多い、ウソもカネも多いだらう!
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   小郡駅待合室
 汽車がいつたりきたりぢつとしてゐない子の暑いこと
・ふるさとの或る日は山蟹とあそぶこともして
 飲めるだけ飲んでふるさと
・酔うてふるさとで覚めてふるさとで
・ふるさとや茄子も胡瓜も茗荷もトマトも
・急行はとまりません日まはりの花がある駅
・風は海から冷たい飲みものをなかに
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 七月二十八日[#「七月二十八日」に二重傍線] 晴れて暑い。

温柔郷[#「温柔郷」に傍点]の朝はおそい、十一時近くなつて四人連れでバスで松の寺へ。――
私は井上さんの奥さんから頂戴した黒絽の夏羽織をりゆう[#「りゆう」に傍点]と着流してゐる、それが俊和尚を驚喜せしめた。
もつたいなくも本堂の広い涼しいところで会食、酒、ビール、てんぷら、さしみ、お釈迦さんもびつくりなすつたらう、観音さまはいつもやさしい。
かいめ、くさびといふ魚、水桃もおいしかつた。
海水浴風景、さういふ風景と私とはもはや縁遠くなつた。
浜万年青、一名いかりおもと、それを愛して俊和尚が植えひろげてゐる。
私の句碑(松はみな枝たれて南無観世音)の前で撮影、私も久しぶりに法衣をも[#「も」に「マヽ」の注記]とうた。
私一人滞在、寺の夜はしづかだつた。
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   ぐうたら手記
□世間体や慾で営まれる世界はあまりに薄つぺらだ。
 義理や人情で動く世界もまだ/\駄目だ、人間のほんたうの世界はその奥にある、そこから、ほんたうの芸術が溢れ流れてくるのである。
□金持の君は、金さへあれば買はれるものを買ふのもわるくあるまい、貧乏な私は金では買へないものを求めるのもよからうではないか。
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 七月二十九日[#「七月二十九日」に二重傍線] 晴。

朝酒、それから和尚さん飯野さん、清丸さんたちに送られて、バスを乗り換へ乗り換へ飯塚へ。
今日はバスからバスへ、トクリからトクリの一日だつた。
Hで健と会飲、だいぶ痩せて元気がないから叱つてやつた、一年一度の父子情調だ。
待つた芸者と仲居とが口をそろへて曰く、親子で遊ばれる方は飯塚にもめつたにございません、――これはいつたい褒められたのか貶されたのか。
駅前の宿屋へ自動車で押し込められてしまつた、こゝの印象はよくなかつた。
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・真夏の真昼のボタ山のあるところ
 炎天のボタ山がならんでゐる
   改作一句
 枯れたすゝきに日が照れば誰か来てくれさうな
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 七月三十日[#「七月三十日」に二重傍線] 暑いこと、暑いこと。

緑平居へ、うれしいな、友の中の友。
温情、御馳走、涼風、ラヂオ。……
[#ここから2字下げ]
   緑平居
・葉ざくらがひさ/″\逢はせてくれたかげ
・みんないつしよにちやぶ台へまたてふてふ
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 七月三十一日[#「七月三十一日」に二重傍線] 晴れやかに。

八幡で星城子君のニコニコ顔に逢ひ、別れてからシネマ見物、夜は戸畑の多々楼君と同伴して若松の荒瀬さんを徃訪、このあたりの夜景はうつくしい、製鉄所の礦滓はことにうつくしかつた。

 八月一日[#「八月一日」に二重傍線]

再び関門へ。――
黎々火君と共に岔水居で会談会飲。
黎君に若い日本人としての情趣があり、岔君に近代都会人らしいデリカシーがある。
岔水居泊、琴の音、蛙の声、港の灯。
今日観たシネマは面白かつた、サトウハチローの裏街の交響楽[#「裏街の交響楽」に傍点]には新味はないが持味があつた。
暑苦しく寝苦しかつた。
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   岔水居
 したしく逢うてビール泡立つ
   或る旧友と会して
・寝顔なつかしいをさな顔がある
 朝ぐもり海へ出てゆく暑い雲
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 八月二日[#「八月二日」に二重傍線]

朝酒はありがたい、もつたいない。
岔水君に送られて下関へ。――
私が使用する送られて[#「送られて」に傍点]といふ言葉は食事、切符、等々を与へられることをも意味してゐる、あゝもつたいない。
下関では飲み歩いた、饒舌り散らした、とう/\黎々火君の厄介になつた。
シネマは面白かつた。
小遣も興味もなくなつたので、駅の待合室で一夜を明かした。

 八月三日[#「八月三日」に二重傍線]

早朝帰庵。
愉快な旅の一週間だつた、友はなつかしい、酒はおいしい、ビールもよろしい、鮎も好き、……労れて、だらけて、こんとんとして眠つた。

 八月四日[#「八月四日」に二重傍線]

ぼう/\ばく/\。
関日の波多君が小学校の先生二人を同伴して来
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