庵、アイスキヤンデーをかぢりながら暫時雑談、今日は私の雑草哲学[#「雑草哲学」に傍点]を説く元気もなかつた。
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ぐうたら手記
□句作――自己脱却(自己超越)――一句は一皮。
その一句は古い一皮を脱いだのである。
一句は一句の身心脱落である[#「一句は一句の身心脱落である」に傍点]。
昨日の揚棄、今日の誕生。
□自己虐待[#「自己虐待」に傍点]、マゾヒズム。
近代人の不安焦燥動揺彷徨、虚無。
□俳句する――生活する――人生する。
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八月五日[#「八月五日」に二重傍線] 晴れてゐたか、曇つてゐたか。
かねて東京の斎藤さんから通知のあつた多根順子女史来庵、しばらく話した、お茶もあげないでお土産をいたゞいてすまなかつた、句集を買うて下さつたのは有難かつた、其中庵名物の雑草風景[#「雑草風景」に傍点]は観て下さつた、女史に敬意を表する。
どうもむしやくしや[#「むしやくしや」に傍点]していけない、夏羽織を質入して飲んだが、まだ足りないので、さらに飲みなほした、Yさんに立替へて貰つて、どろ/\の身心をやつと庵まで運んだ。……
恥知らずめ、罰あたりめ。
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ぐうたら手記
□捨身[#「捨身」に傍点]になれば不死身[#「不死身」に傍点]になる。
□不自然な貧乏[#「不自然な貧乏」に傍点]。
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一は社会的[#「社会的」に傍点]に、一は個人的[#「個人的」に傍点]に(これが私の場合)。
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八月六日[#「八月六日」に二重傍線]――九日[#「九日」に二重傍線]
晴れてよろし、降つてよろし、何もかもみなよろし。
八月十日[#「八月十日」は二重罫囲み] 第二誕生日[#「第二誕生日」に傍点]、回光返照[#「回光返照」に傍点]。
生死一如[#「生死一如」に傍点]、自然と自我との融合[#「自然と自我との融合」に傍点]。
……私はとうとう卒倒した、幸か不幸か、雨がふつてゐたので雨にうたれて、自然的に意識を回復したが、縁から転がり落ちて雑草の中へうつ伏せになつてゐた、顔も手も足も擦り剥いだ、さすが不死身に近い私も数日間動けなかつた、水ばかり飲んで、自業自得を痛感しつつ生死の境を彷徨した。……
これは知友に与へた報告書の一節である。
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正しくいへば、卒倒でなくして自殺未遂[#「自殺未遂」に傍点]であつた。
私はSへの手紙、Kへの手紙の中にウソを書いた、許してくれ、なんぼ私でも自殺する前に、不義理な借金の一部分だけなりとも私自身で清算したいから、よろしく送金を頼む、とは書きえなかつたのである。
とにかく生も死もなくなつた、多量過ぎたカルモチンに酔つぱらつて、私は無意識裡にあばれつつ、それを吐きだしたのである。
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断崖に衝きあたつた私だつた、そして手を撒[#「撒」に「マヽ」の注記]して絶後に蘇つた私だつた。
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死に直面して[#「死に直面して」は罫囲み]
「死をうたふ[#「死をうたふ」に傍点]」と題して前書を附し、第二日曜[#「第二日曜」に傍点]へ寄稿。
・死んでしまへば、雑草雨ふる
・死ぬる薬を掌に、かゞやく青葉
・死がせまつてくる炎天
・死をまへにして涼しい風
・風鈴の鳴るさへ死はしのびよる
・ふと死の誘惑が星がまたたく
・死のすがたのまざまざ見えて天の川
・傷《キズ》が癒えゆく秋めいた風となつて吹く
・おもひおくことはないゆふべ芋の葉ひらひら
・草によこたはる胸ふかく何か巣くうて鳴くやうな
・雨にうたれてよみがへつたか人も草も
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八月十五日[#「八月十五日」に二重傍線] 晴、涼しい、新秋来だ。
徹夜また徹夜、やうやくにして身辺整理をはじめることができた。
五十四才にして五十四年の非を知る[#「五十四才にして五十四年の非を知る」に傍点]。
憔悴枯槁せる自己を観る。
遠く蜩が鳴く。
風が吹く、蒼茫として暮れる。
くつわ虫が鳴きだした。
胸が切ない(肺炎の時は痛かつた)、狭心症の発作であるさうな、そして心臓痲痺の前兆でもあるさうな(私は脳溢血を欣求してゐるが、事実はなか/\皮肉である)。
灯すものはなくなつたが、月があかるい。
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徹夜不眠
・ほつと夜明けの風鈴が鳴りだした
ずつと青葉の暮れかゝる街の灯ともる
・遠く人のこひしうて夜蝉の鳴く
・踊大鼓も澄んでくる月のまんまるな
・月のあかるさがうらもおもてもきりぎりす
・月あかりが日のいろに蝉やきりぎりすや
米田雄郎氏に、病中一句
・一章読んでは腹《おなか》に伏せる「青天人」の感触
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八月十六日[#「八月十六日」に二重傍線] 晴れて涼しい。
今日も身辺整理、手紙を書きつづける。
昨夜もまた一睡もしなかつた、少し神経衰弱になつてゐるらしい、そんな弱さではいけない。
午後、樹明君、敬治君来庵、酒と汽車辨当を買うて、三人楽しく飲んで食べて話した、夕方からいつしよに街へ出かけてシネマを観た(トーキーでないので、せつかくのヱノケンも駄目だつた)、それから少し歩いて、めでたく別れた。
十一日ぶりのアルコール、いやサケはとてもうまかつた。
私にはもう性慾[#「性慾」に傍点]はない、食慾[#「食慾」に傍点]があるだけだ、味ふことが生きることだ[#「味ふことが生きることだ」に傍点]。
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・すずしく風が蜂も蝶々も通りぬける
・かたすみでうれてはおちるなつめです
・身のまはりいつからともなく枯れそめし草
ねむれなかつた朝月があるざくろの花
月夜干してあるものの白うゆらいで
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三月十七日[#「三月十七日」に二重傍線][#「三月十七日[#「三月十七日」に二重傍線]」はママ]
寝た、寝た、ぐつすりと睡れた。
樹明君に連れられて、椹野川尻で鮒釣見習。
八月十八日[#「八月十八日」に二重傍線] 新秋清明。
初めてつく/\ぼうしが鳴いた。
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青葉かげお地蔵さまと待つてゐる
蟻の行列をかぞへたりして待つ身は暑い
バスのほこりの風にふかれて昼顔の花
・炎天下の兵隊としてまつすぐな舗道
行軍の兵隊さんでちよつとさかなつり
・釣りあげられて涼しくひかる
・水底の太陽から釣りあげるひかり
・ゆふなぎおちついてまた釣れた
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八月十九日[#「八月十九日」に二重傍線] 晴、朝晩の涼しさよ、夜は冷える。
身辺整理。
今日も手紙を書きつゞける(遺書も改めて調製したくおもひをひそめる)、Kへの手紙は書きつつ涙が出た。
ちよつと学校へ、やうやくなでしこ一袋を手に入れる。
肉体がこんなに弱くては――精神はそんなに弱いとは思はないが――仕事は出来ない。
人生は味解である[#「人生は味解である」に傍点]、人生を味解すれば苦も楽となるのだ。
よき子[#「よき子」に傍点]であれ、よき夫[#「よき夫」に傍点](或は妻)であれ、よき父[#「よき父」に傍点]であれ、それ以外によき人間[#「よき人間」に傍点]となる常道はない。
先日からずゐぶん手紙を書いた、そのどれにも次の章句を書き添へることは忘れなかつた――
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余生いくばく、私は全身全心を句作にぶちこみ[#「全身全心を句作にぶちこみ」に傍点]ませう。
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これこそ私の本音である。
十七日ぶりに入浴、あゝ風呂はありがたい、それは保健と享楽[#「保健と享楽」に傍点]とを兼ねて、そして安くて手軽である。
純真に生きる[#「純真に生きる」に傍点]――さうするより外に私が生きてゆく道はなくなつた[#「さうするより外に私が生きてゆく道はなくなつた」に傍点]、――この一念を信受奉行せよ[#「この一念を信受奉行せよ」に傍点]。
からだがよろ/\する、しかしこゝろはしつかりしてゐるぞ、油虫め、おまへなんぞに神経を衰弱させられてたまるか、たゝき殺した、踏みつぶした。
また不眠症におそはれたやうだ、ねむくなるまで読んだり考へたりする、……明け方ちかくなつて、ちよつとまどろんだ。
× × ×
不眠症は罰である[#「不眠症は罰である」に傍点]、私はいつもその罰に悩まされてゐる、十六日の夜は三日ぶりにぐつすりと寝て、生きてゐることのよろこび[#「生きてゐることのよろこび」に傍点]を感じた、よき食慾[#「よき食慾」に傍点]はめぐまれてゐる私であるが、よき睡眠[#「よき睡眠」に傍点]は奪はれてゐる、生活に無理があるからだ、その無理をのぞかなければならない。
行乞は一種の労働だ[#「行乞は一種の労働だ」に傍点]、殊に私のやうな乞食坊主には堪へがたい苦悩だ、しかしそれは反省[#「反省」に傍点]と努力[#「努力」に傍点]とをもたらす、私は行乞しないでゐると、いつとなく知らず識らずの間に安易と放恣とに堕在する、肉体労働は虚無に傾き頽廃に陥る身心を建て直してくれる、――この意味に於て、私は再び行乞生活に立ちかへらうと決心したのである。
十七日は朝早くから嘉川行乞に出かけるつもりだつた(もうその日の米もなくなつてゐた)、そこへ学校の給仕さんが樹明君の手紙を持つて来た、――今日は托鉢なさるとのことでしたが、米は私が供養しますから、午後、川尻へいつしよに鮒釣に行きませう、――といふのである、そこで私は鉄鉢を魚籠《ビク》に持ちかへた、人生は時に応じ境に随うてこだはらないのがよろしい。
釣は逃避行の上々なるものだ[#「釣は逃避行の上々なるものだ」に傍点]、魚は釣れなくとも句は釣れる、句も釣れないでよい、一竿の風月は天地悠久の生々如々である[#「一竿の風月は天地悠久の生々如々である」に傍点]、空、水、風、太陽、草木、そして土石、虫魚、……人間もその間に在つて無我無心となるのである。
私は釣をはじめやうと思ふ、行乞と魚釣と句作との三昧境[#「行乞と魚釣と句作との三昧境」に傍点]に没入したいと思ふ。
しかし今日はその第一日の小手調べであつた、樹明君は魚を釣り私は句を釣つた、同時に米も釣つたのである。
山羊髯[#「山羊髯」に傍点]! その髯を私は立てはじめたのである、再生記念[#「再生記念」に傍点]、節酒記念[#「節酒記念」に傍点]、純真生活記念[#「純真生活記念」に傍点]として。
八月十日[#「八月十日」に傍点]を転機として、いよいよ節酒を実行する機縁が熟した(絶対禁酒は、私のやうなものには、生理的にも不可能である)、今度こそは酒に於ける私を私自身で清算することが出来るのである。
今が私には死に時かも知れない[#「今が私には死に時かも知れない」に傍点]、私は長生したくもないが、急いで死にたくもない、生きられるだけは生きて[#「生きられるだけは生きて」に傍点]、死ぬるときには死ぬる[#「死ぬるときには死ぬる」に傍点]、――それがよいではないか。
アルコール中毒、そして狭心症、どうもこれが私の死病らしい、脳溢血でころり徃生したいのが私の念願であるが、それを強要するのは我儘だ、あまり贅沢は申さぬものである。
颱風一過[#「颱風一過」に傍点]、万物寂然として存在す[#「万物寂然として存在す」に傍点]、それが今の私の心境である。
卒倒が私のデカダンを払ひのけてくれた、まことに卒倒菩薩[#「卒倒菩薩」に傍点]である。
ひとりはよろし、ひとりはさびし。
油虫よ、お前を憎んで殺さずにゐない私の得手勝手はあさましい、私はお前に対して恥ぢる。
× × ×
[#ここから2字下げ]
風ふく枝の、なんとせかせか蝉のなく
朝風の軒へのそりと蟇か
・朝風の野の花を活けて北朗の壺の水いろ
すゞしく鉄鉢をさゝげつつ午前六時のサイレン
・あるきたいだけあるいて頭陀袋ふくれた夕月
・草のそよげば何となく人を待つて
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