値を併せ有する作品としては芭蕉、啄木、前者の例は乙二、牧水、後者のそれは子規等。
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六月九日[#「六月九日」に二重傍線] 快晴。
食べること少くして思ふこと深し。
学校に樹明君を訪ねて、米と煙草銭とを貰うてくる、その十銭白銅貨二つをいかに有効に費つたか――
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九銭 ハガキ六枚
四銭 なでしこ一袋 残金四銭は明日の煙草代として
三銭 風呂銭
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独奏[#「独奏」に傍点]――今日はこんな気分だつた、私自身も、蝶々も雑草も。
六月十日[#「六月十日」に二重傍線] 晴。
何となく雨の近いことを感じる、梅雨の前の大気とでもいふのであらう。
しづかなるかな、山の鴉があはれつぽい声で啼く、――ヤアマアノカアラスウモタアダヒトリ。
身辺整理、といふよりも身内整理。
清閑貧楽[#「清閑貧楽」に傍点]ともいふべき一日だつた。
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松笠風鈴を聴きつつ
・風鈴鳴ればはるかなるかな抱壺のすがた
・やもりが障子に暮れると恋の場面をゑがく
・たたへた水のをり/\は魚がはねて
・柿の若葉に雲のない昼月を添へて
・うたうとするその手へとまらうとする蝿で(雑)
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六月十一日[#「六月十一日」に二重傍線] 晴。
飲む酒はないが読む本はある、ぢつとしてゐられるだけの食べる物もある。……
梅雨入前らしく少し曇つて降つた。
在るものを味ふ[#「在るものを味ふ」に傍点]。
六月十二日[#「六月十二日」に二重傍線] 晴、入梅。
よき食慾、よき睡眠(そしてよき性慾)、――これが人生の幸福を基礎づける。
とても好いお天気、すこし風はあるが、一天雲なしで、青空の澄んだ深い色は何ともいへないうつくしさである。
読書にも倦んでそこらを散歩、Iさんから在金全部十九銭借りる、さつそく酒一杯ひつかける、煙草を買うたことはいふまでもない。
いやな風がふく、風はほんたうにさびしいものである。
らしい生活[#「らしい生活」に傍点]、それは無論第二義的第三義的なものであるが、それを持続してゆくうちに第一義的に向上することが出来るのではあるまいか。
老人は老人らしく[#「老人は老人らしく」に傍点]、貧乏人は貧乏人らしくせよ、いひかへれば、気取らずに生活せよ、すなほに正直に振舞へ。
貧乏はよろしい、けちけちするな、真面目は結構、くよくよしてはいけないが。
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・柿の若葉が、食べるものがなくなつた
・空腹、けふのサイレンのいつまでも鳴り
・うつてもうたれても蝿は膳のそば(雑)
・かついでおもいうれしい春の穂
・焼かれる虫の音たてて死ぬる
・暮れるとしぼむ花草でてふてふの夢
・花に花が、てふちよがてふちよに
・梅雨めく雲でぬけさうなぬけない歯で
・雑草ほしいまゝなる花にして
雑草しげり借金ふえるばかり
・ゆふ風ゆうぜんとして蜘蛛は待つ
・若葉から若葉へゆふべの蜘蛛はいそがしく
・ふと眼がさめて風ふく
改作
・ひよつこり筍ぽつきりぬかれた
[#ここで字下げ終わり]
六月十三日[#「六月十三日」に二重傍線] 晴、空[#(ラ)]梅雨らしい。
早起[#「早起」に傍点]、これも老の特徴だらう、こんなに早起しようとは思はないけれど、眼が覚めると寝てはゐられないのである。
朝御飯を食べてゐるとき、ほろりと歯がぬけた、ぬけさうでぬけなかつた歯である、ぶら/\うごいて私の神経をいら/\させてゐた歯である、もう最後のそれにちかい歯である、その歯がぬけたのだからさつぱりした、さつぱりしたと同時に、何となくさびしく感じる、一種の空虚を感じるのである。
午前中読書、しづかなるよろこび。
午後散歩、帰庵すると珍客が待つてゐた、詩外楼君が突然来庵してくれたのである、樹明君を招いて飲む、酔うて歩く、そしてとろとろどろどろ、連れて戻つて貰うて、いつしよに寝る、近来めづらしいへべれけぶりだつた、それだけ嬉しくのんびりしたのでもある!
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・空[#(ラ)]梅雨の風のふく歯がぬけた
ぬけた歯を投げ捨てて雑草の風
・ぬけるだけはぬけてしまうて歯のない初夏
・花がひらいて日が照つてあそぶてふてふ
・めづらしく誰かくる雑草の見えがくれ
・おもふことなく萱の穂のちる
・こゝも墓らしい筍が生えて
・歯のぬけた日の、空ふかい昼月
[#ここで字下げ終わり]
六月十四日[#「六月十四日」に二重傍線] 晴。
とても早く起きる。
詩外楼君と同道して徳山へ、久しぶりに白船君と会談、そして東へ西へお別れ。
私は一時の汽車に乗つた、途中三田尻下車、伊藤君を訪ね、それから三田君を訪ねてまた飲んだ、鯛の刺身のあたらしさ、うまさは素敵だつた、それと同様に三田君の人間のよさも(家人一同のよさも)素敵だつた、暮れてお暇乞して、散歩して、シネマを観て、酒垂山の月を賞して、夜明けの汽車でやつと帰庵した。
めづらしく裏山で狐が鳴いてゐた。
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・雑草に夜明けの月があるしづけさ
・笹のそよぎも梅雨らしい雨がふりだした
あたゝかく日がさすところよい石がある
・五月の海は満ちて湛へて大きな船
故郷にて
・螢ちらほらおもひだすことも
[#ここで字下げ終わり]
六月十五日[#「六月十五日」に二重傍線] 晴れたり曇つたり、梅雨らしく。
遊びすぎたのでがつかりした、自戒をやぶつて冷酒をあほつたので、破戒の罰はてきめんで身心がうづくやうである。
湯田へ出かけて熱い温泉に浸る、あゝ極楽、夕方帰庵して一杯飲んですぐ寝た、熟睡、夢も見なかつた安らかさだつた。
――危機はたしかに過ぎ去つた[#「危機はたしかに過ぎ去つた」に傍点]――
アイスキヤンデー流行には驚嘆する、通行人の立ち寄り易いやうな場所には二軒も三軒も並んで店を張つて競争してゐる、駄菓子屋、氷屋は大恐慌だ、いや彼等はアイスキヤンデー売りに転業しつゝある、先日、私もすゝめられて食べてみたが、流行するだけの値打ちはあると思つた、何しろ安いから、そして割合にうまいから、取扱が簡単だから、等、々、々。
今日、途上で、とても美しいお嬢さん[#「美しいお嬢さん」に傍点]を見た、さつそうとして洋装の長身がアスフアルトを踏んでゐる、そして同時に、とても醜い娘さん[#「醜い娘さん」に傍点]を見た、彼女は日傘で顔を隠して、追はれて逃げるやうに、隅の方を通る。……
私はあんぜんとして溜息をついた。
[#ここから2字下げ]
・朝風そよげばひかるは青葉から青葉へ蜘蛛のいとなみ
・水をあびてはつるみとんぼの情熱
・晴れてけさはすつかり青田で
・萩がもう、ここに住みついて四年
・さみだるゝやわが体臭のたゞよふ
[#ここで字下げ終わり]
六月十六日[#「六月十六日」に二重傍線] 晴、風、雨。
風、風、風、風ほどいやなものはない。
夕方、樹明君来庵、すぐ帰宅。
風に敗けて飛びだした、手には念珠を握つてゐる、それをあづけてTさんから少し借りる、そして酔ひつぶれて、I館に泊る。……
[#ここから4字下げ]
×
生家の跡[#「生家の跡」に白三角傍点]
――(十四日の夜)――
[#ここで字下げ終わり]
六月十七日[#「六月十七日」に二重傍線] 曇。
昨夜の豪雨も今日の晴曇も解らないほど飲んで飲んで、そして倒れた。
六月十八日[#「六月十八日」に二重傍線] 晴。
六月十九日 曇。
六月廿日 雨。
ぢつとして読書。
ぼう/\ばく/\!
もう虫が鳴く、虫の声は身にしみる、虫のいのち、虫のうた。……
[#ここから3字下げ]
×
私の詩[#「私の詩」に白三角傍点]
[#ここで字下げ終わり]
六月二十一日[#「六月二十一日」に二重傍線] 雨、梅雨らしく。
早起きして身辺整理。
けふもぢつとして読書したり句作したり。
何といふ嫌な夢[#「嫌な夢」に傍点]だつたらう、それはヱロでもグロでもなく、あまりになま/\しく現実的だつた。
私はがくぜんとして自分を省みた、そして恥ぢた、何といふ醜い私[#「醜い私」に傍点]だつたらう。
[#ここから2字下げ]
・水かげも野苺のひそかなるいろ
・おちてしまへば蟻地獄の蟻である
・雑草につつまれてくちなしの花は
・赤いのはざくろの花のさみだるる
・とても上手な頬白が松のてつぺん
・草を咲かせてさうしててふちよをあそばせて
赤蛙さびしくとんで(改)
酔ひざめの風がふく筍(その翌朝)
酔ひざめは、南天の花がこぼれるこぼれる
[#ここで字下げ終わり]
六月廿二日[#「六月廿二日」に二重傍線] 曇。
田植のいそがしい風景。
……蝿を殺す、油虫を殺す、百足を殺す、蜘蛛を殺す、……そしておしまひには私自身を殺すだらう!……
あまり予期してゐなかつた酒が魚が持ち来された(一昨日、幸便に托して、山田屋主人に酒と魚を借りたいといふ手紙をあげてをいたのであるが)、さつそく飲んだ(五日ぶりの酒であり魚であつた)、快い気分になつて、学校に樹明君を訪ねて来庵を促した(そして米と野菜とを貰つて)、それからまた飲んだ、飲んで街へ出た、ひよろひよろになるまで飲んだ、ちようど私の不在中訪ねて来て、私を探し歩いてゐる敬君に逢うて。……
二時すぎて、やつと戻つた、すぐ寝た。
六月廿三日[#「六月廿三日」に二重傍線] くもり。
快い宿酔! そこらをしばらく散歩。
樹明、百円札で山頭火をおどす!
これは昨日の出来事であつた、近来にない明々朗々たる珍現象であつた!
Y屋のMさんが例の如くやつてきて話す、郵便物を托送する。
終日待つた、待ちぼけだつた、敬君も来なければ樹君も来なかつた。
[#ここから2字下げ]
・雑草のしたしさは一人たのしく
・梅雨の水嵩のあふれるところどぜうとこどもら
・ほのかに梅雨明りして竹の子の肌
・へんぽんとして託児所の旗が、オルガンがうたふ
枇杷のうつくしさ彼女は笑はない
・あれから一年の草がしげるばかり
[#ここで字下げ終わり]
六月二十四日[#「六月二十四日」に二重傍線] 降る、降る、降れ、降れ。
終日閉居、読書三昧。
今日もMさんが来た、そして句作を初めた。
酒を飲んで酔ふことは悪くないが、酔ひたい気分で酒を呷ることはよろしくない。
酒を尊重せよ、自分の生命を尊重するよりも!
[#ここから1字下げ、折り返して2字下げ]
ぐうたら手記
すなほに[#「すなほに」に傍点]。――
行住坐臥、いつでも、どこでもすなほに。
善悪、生死、すべてに対してすなほに。
純なる熱情[#「純なる熱情」に傍点]、唯一念[#「唯一念」に傍点]を持して。
芸道[#「芸道」に傍点]といふことについて。――
執着[#「執着」に傍点]を去れ、酒から作句から、私自身から。
すなほに受け入れる心[#「受け入れる心」に傍点]から強く働らきかける力が出てくる。
あるときは澄み[#「あるときは澄み」に傍点]、あるときは濁る[#「あるときは濁る」に傍点]、そして流れ動かないではゐられない――これが私の性情だ。
湛へて澄む――行ひすますことは、私には不可能だ。
[#ここで字下げ終わり]
六月二十五日[#「六月二十五日」に二重傍線] 晴。
畑仕事。――
大根ふとれ、トマトなれ、蓮芋伸びよ、唐辛よ辛くなれ。
三つ植ゑつけて置いた馬鈴薯が三十ばかりに殖えてゐた。
土の抱擁と日光の愛撫[#「土の抱擁と日光の愛撫」に傍点]。
寝た、寝た、宵から朝までぐつすり寝た、ランプもともすことなしに。
六月廿六日[#「六月廿六日」に二重傍線] 晴、そして曇、雨。
拝受、々々、々々!
……最後の晩餐[#「最後の晩餐」に傍点]! 酒、酒、酒、酒。
六月廿七日[#「六月廿七日」に二重傍線] 曇、それから雨。
ぼうぜん、あんぜん、そしてゆうぜん、とうぜん。
[#ここから3字下げ]
蠅捕紙(連作風に)
蝿は蝿の死屍をつらね
死にきれない蝿の鳴いてもがけども
やつと立ちあがつたが、脚がぬけない蝿で鳴く
ひよいととま
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