るさと
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 三月二十四日[#「三月二十四日」に二重傍線] 雨、だん/\晴れてきた。

私は友情で生きてゐる、いや友情で生かされてゐる。
私は私を祝福する、祝福せずにはゐられない。
樹明来庵、酒余の痴呆状態で! そして酒よりも飯が欲しいといふ。
樹明君を送つて別れてから、一人で飲む、ほろ/\とろ/\酔ふ、そしていつもの宿に泊つた、ぐつすり眠れた。
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・あなたとフリイヂヤとそしてわたくしと(或る女友に)
・さえづりつつのぼりつつ雲雀の青空
 朝月が、いちはやくひよ鳥が
・酔へばさみしがる木の芽草の芽
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 三月二十五日[#「三月二十五日」に二重傍線] 日本晴。

日本の春だ[#「日本の春だ」に傍点]、日本人の歓喜だ。
過去をして過去を葬らしめよ、昨日は昨日、明日は明日、今日は今日の生命を呼吸せよ[#「今日の生命を呼吸せよ」に傍点]。
小鳥のやうに[#「小鳥のやうに」に傍点]、あゝ小鳥のやうにうたへ、そしてをどれ。
もう蟻が出て来て歩いてゐる。
ありがたい手紙、ほんたうにありがたい手紙。
街を歩く、酒がある、女がゐる。……
伊東さんがやつてくる、国森君にでくわす、どろ/\になつて帰庵、いつしよに寝る。
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  述懐
たつた一本の歯がいたみます
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 三月二十六日[#「三月二十六日」に二重傍線] 晴。

朝酒のよろしさ、伊東君を見送る。
暴風一過、自己清算にいそがしかつた!

 三月二十七日[#「三月二十七日」に二重傍線] 曇。

サクラがぼつ/\咲きだした。
あさましい自分、みじめな自分をさらけだした。
自分が自分を信頼することができないとは何といふ情なさだらう。
最後の自分の姿をまざ/\と見た。
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・考へることがある窓ちかくきてなくは鴉
・日向おもたくうなだれて花はちる
・うららかにして鏡の中の顔
・雨の、風の、芽をふく枝のやすけさは
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 三月二十八日[#「三月二十八日」に二重傍線] 花時風雨多し。

こん/\としてねむつた。

 三月二十九日[#「三月二十九日」に二重傍線] 晴。

前後際断。
恥知らずの自分が恥づかしい。
緑平句集、松の木[#「松の木」に傍点]は尊い。
村上名物、堆朱の香入は有難い。
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   (改作一句)
・月夜の筍を掘る
   或る日或る家にて
 やたらにしやべればシクラメンの赤いの白いの
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 三月三十日[#「三月三十日」に二重傍線] 晴れてうららか。

ゆうぜんとして、だうぜんとして、或はぼうぜんとして、無為にして無余[#「無為にして無余」に傍点]、いろ/\の意味で。
はる/″\信州からそば粉到来、さつそく賞味した。
敗残者[#「敗残者」に傍点]としてさん/″\やつつけられる夢を見た、それはまつたく私自身の醜態だつた、私自身しか知らない、私自身にしか解らない私の正体[#「私の正体」に傍点]だつた。
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・窓から花ぐもりの煙突一本
・電線に鳥がならんですつかり春
・わかれたくないネオンライトの明滅で
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 三月三十一日[#「三月三十一日」に二重傍線] 曇、やがて晴。

身心整理[#「身心整理」に傍点]。――
転身一路、しつかりした足取でゆつくり歩め。
一転語――
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春風秋雨  五十四年
            喝
一起一伏  総山頭火
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とう/\徹夜してしまつた。
年をとるほど、生きてゐることのむつかしさを感じる、本来の面目に徹しえないからである。
親しい友に――
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……私はとかく物事にこだはりすぎて困ります、そしてクヨ/\したり、ケチ/\したりしてゐます、私のやうなものは生きてゐるかぎり、この苦悩から脱しきれないでせうが、とにかく全心全身を句作にぶちこまなければなりません。……
・なんとけさの鶯のへたくそうた
・あるだけの酒をたべ風を聴き
・悔いることばかりひよどりはないてくれても
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   ――(このみち)――
このみちをゆく――このみちをゆくよりほかない私である。
それは苦しい、そして楽しい道である、はるかな、そしてたしかな、細い険しい道である。
白道である、それは凄い道である、冷たい道ではない。
私はうたふ、私をうたふ[#「私をうたふ」に傍点]、自然をうたふ、人間をうたふ。
俳句は悲鳴ではない、むろん怒号ではない、溜息でもない、欠伸であつてはならない、むしろ深呼吸[#「深呼吸」に傍点]である。
詩はいきづき、しらべである、さけびであつてもうめきであつてはいけない、時として涙がでても汗がながれても。
噛みしめて味ふ、こだはりなく遊ぶ。
ゆたかに、のびやかに、すなほに。
さびしけれどもあたたかに。――(序に代へて)
[#ここで字下げ終わり]

 四月一日[#「四月一日」に二重傍線] 晴、April fool といはれる日。

人生といふものは、結果から観ると、April fool みたいなことが多からう。
友情に甘えるな[#「友情に甘えるな」に傍点]、自分を甘やかすな[#「自分を甘やかすな」に傍点]。
天地明朗、身心清澄。
午後、近郊を散歩する、出かけるとき何の気もなくステツキ、いやステツキといつてはいけない、杖をついたのである、山頭火も老いたるかなと思へば微苦笑物だ。
まだ風は寒いので、四時間ばかり山から野をぶらついて、途中、一杯ひつかけて戻つた。
旧街道の松並木が伐り倒されてゐる、往来の邪魔になるからだらうけれど、いたましく感じた。
酒はどうしてもやめられないから飲む、飲めば飲みすぎる、そして酒乱[#「酒乱」に傍点]になる、だらしなくなる、一種のマニヤだ、つつしまなければならないなどと考へてゐるうちに、ぐつすりとねむつた。

 四月二日[#「四月二日」に二重傍線] 晴、春風しゆう/\。

ありがたいかな、うれしいかな、たよりを貰ひ、たよりをあげる。
善哉々々、鰯で一杯。
大山君に信州のそば粉と浜松の納豆をお裾分けする、かういふ到来物は私一人で私すべきものではない、みんないつしよにその友情を味ふべきである、大山君はそれを味うてくれる人、味ふに値する人だ。
何よりもわざとらしいこと[#「わざとらしいこと」に傍点]はいけない、私たちは動物的興奮[#「動物的興奮」に傍点]を捨てゝ自然的平静[#「自然的平静」に傍点]を持してゐなければいけない、しかし、……
水のやうに[#「水のやうに」に傍点]、水の流れるやうに[#「水の流れるやうに」に傍点]。
すぽりと過去をぬいだ[#「すぽりと過去をぬいだ」に傍点]、未来を忘れた[#「未来を忘れた」に傍点]、今日のここ[#「今日のここ」に傍点]、この身のこのまま極楽浄土だ[#「この身のこのまま極楽浄土だ」に傍点]。
ナムカラタンノウトラヤヤ。……
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・藪かげ椿いちりんの赤さ
・いつも貧乏でふきのとうやたらに出てくる
 引越して来て木蓮咲いた
・ゆらぐ枝の芽ぶかうとして
・水音の山ざくら散るばかり
   出征兵士の家
・日の丸がへんぽんと咲いてゐるもの
   松並木よ
 伐り倒されて松並木は子供らを遊ばせて
   改作
 花ぐもりの、ぬけさうな歯のぬけないなやみ
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 四月三日[#「四月三日」に二重傍線] 花見日和。

小鳥がとてもよく啼く、四十雀がとくに浮調子で啼いてゐる、恋の唄だ!
緑平老へ愚痴をいはせて貰ふ。――
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……私は此頃痛切に世のあぢきなさ身のやるせなさを感じます、それはオイボレセンチに過ぎないとばかりいつてしまへないものがあります。……
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十二時のサイレンが鳴つて間もなく樹明君来庵、まづ一杯、ほろ/\として山を歩く、そして公園へ下りる、そこここ花見の酒宴が開かれてゐる、私たちも草にすわつて花見をする、ビール三本、酒一本、辨当一つ、――それで十分だつた、おとなしく別れる、私はすぐ帰庵して、お茶漬を食べて寝た。
今日の樹明君はよかつた、彼にくらべて私は私の心を恥ぢた、どうも酒に敗ける、酔ふとぢつとしてゐられなくなる、そして、……今日はわるくなかつたが。
人生はリズミカルに、大井川は流れ渡りだ。
花見辨当をたべてゐるうちに、ほろりと歯がぬけた、ぬけさうな歯であり、ぬければよいと考へてゐた歯であつた、何だかさつぱりした。
ぬけさうでぬけなかつた歯がぬけた、これだけでも解脱の気分[#「解脱の気分」に傍点]を味ふことが出来た。
自己検討[#「自己検討」に傍点]、愚劣を発見するばかりであるが、その愚劣が近来やゝ自在[#「自在」に傍点]になつたことはうれしいと思ふ。
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   ぐうたら手記
□私はうたふ、自然を通して私を[#「自然を通して私を」に傍点]うたふ。
□私の句は私の微笑[#「微笑」に傍点]である、時として苦笑めいたものがないでもあるまいが。
□くりかえしていふ、私の行く道は『此一筋』の外にはないのである。
□俳句性を一言でつくせば、ぐつと掴んでぱつと放つ[#「ぐつと掴んでぱつと放つ」に傍点]、といふところにあると思ふ。
□私の傾能[#「能」に「マヽ」の注記]は老境に入るにしたがつて、色の世界[#「色の世界」に傍点]から音の世界[#「音の世界」に傍点]――声の世界[#「声の世界」に傍点]へはいつてゆく。
□俳句のリズムは、はねあがつてたゞよふリズム[#「はねあがつてたゞよふリズム」に傍点]であると思ふ。
 (井師は、短歌をながれてとほるリズム[#「短歌をながれてとほるリズム」に傍点]、俳句をあとにかへるリズム[#「あとにかへるリズム」に傍点]と説いてゐる。)
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 四月四日[#「四月四日」に二重傍線] 雨、花が散つて葉が繁る雨だ。

身辺整理、しづかに読書。
雨の音は私の神経をやはらげやすめてくれる、雨を聴いてゐると、何かしんみりしたものが身ぬちをめぐつてひろがる。……
死をおもふ日だ[#「死をおもふ日だ」に傍点]、疲労と休息とを求める日だ。
夕方、どてらでゴム靴をはいて、まるで山賊のやうないでたちで駅のポストまで出かけた。
酒三合、飯三杯、おいしくいたゞいて寝る。
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   ぐうたら手記
□現代の俳句は生活感情[#「生活感情」に傍点]、社会感情[#「社会感情」に傍点]を表現しなければならないことは勿論だが、それは意識的[#「意識的」に傍点]に作為的[#「作為的」に傍点]に成し遂げらるべきものではない、俳句が単に生活の断片的記録[#「生活の断片的記録」に傍点]になつたり、煩瑣な事件の報告[#「事件の報告」に傍点]に過ぎなかつたりする源因はそこにある、思想を思想のままに、観念を観念として現はすならば、それは説明[#「説明」に傍点]であり叙述である、俳句は現象――自然現象でも人事現象でも――を通して思想なり観念なりを描き写さなければならないのである、自然人事の現象を刹那的に摂取した感動が俳句的律動として表現されなければならないのである、この境地を説いて、私は自然を通して私をうたふ[#「私は自然を通して私をうたふ」に傍点]、といふのである。
□感覚[#「感覚」に傍点]なくして芸術――少くとも俳句は生れない。
□俳人が道学的[#「道学的」に傍点]になつた時が月並的[#「月並的」に傍点]になつた時である。
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 四月五日[#「四月五日」に二重傍線] 晴、初めて蛇を見る。

ありがたいたよりいろ/\、ありがたし。
さびしいけれどおちついた日、久しぶりの入浴。
午後、樹明来、Oさんも来庵、つゞいて敬坊来、二升ほど飲んでほろ/\とろ/\、それから出かけてぼろ/\どろ/\、わかれ/\になつて、私だけはI旅館をたゝきお
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