のおもひで
   追加一句
 ふくろうないてこゝが私の生れたところ
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 二月七日[#「二月七日」に二重傍線] 雪、雪、雪、晴れていよ/\うつくしい。

雪をふんで雪ふる街へ、――その買物は醤油三合十五銭、鰯十銭十四尾、酒は幸に余つて[#「余つて」に傍点]ゐる!
雪、酒、魚、火、飯、……しづかな幸福[#「づかな幸福」に傍点]、片隅の幸福[#「片隅の幸福」に傍点]。
今日は雪の句が二十ばかり出来た、出来すぎたやうだけれど出来るものはそれでよからう、水の流れるやうなものだから、尾籠だけれど、屁のやうな糞のやうなものだから!
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   ぐうたら手記
□或る日の私[#「或る日の私」に傍点]。
□酒(私もやつと酒について語れるやうになつた)。
□自殺は二十代に多く、そして五十代に多いと或る社会学者が説いてゐた、この五十代[#「五十代」に傍点]については考へさせられる。
※[#二重四角、280−4]素人と玄人との問題[#「素人と玄人との問題」に傍点]。
 芸術制作に於ける、殊に句作に於ける
※[#二重四角、280−6]自然には矛盾はない[#「自然には矛盾はない」に傍点]、あると考へるのは矛盾だらけの人間である[#「あると考へるのは矛盾だらけの人間である」に傍点]。
□「遊ぶ[#「遊ぶ」に傍点]」と「怠ける[#「怠ける」に傍点]」
□出来た句――生れた句、作つた句、拵らへた句。
□人生――生活は、長い短かいが問題ではない、深いか浅いか[#「深いか浅いか」に傍点]に価値がある。
※[#二重四角、280−10]五十知命[#「五十知命」に傍点]、いひかへれば冷暖自知[#「冷暖自知」に傍点]ではあるまいか。
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・雪へ雪ふる小鳥なきつれてくる
・雪がふるふる火種たやすまいとする
・雪のなか高声あげてゆきき
・枯木の雪を蹴ちらしては百舌鳥
・雪ふるゆふべのゆたかな麦飯の湯気
・雪、街の雑音の身にちかく
 雪の大根ぬいてきておろし
 雪をふんで郵便やさんがうれしいたよりを
・雪をかぶつて枯枝も蓑虫も
・雪ふれば雪のつんではおちるだけ
・あなたの事を、あなたの餅をやきつつ(樹明君に)
 雪のふりつもるお粥をあたためる
・いちにち胸が鳴る音へ雪のしづくして
・ぶらりとさがつて雪ふるみのむし
・雪つまんでは子も親も食べ
 朝のひかりのちりあくたうつすりと雪
・春がちかよるすかんぽの赤い葉で
・雪をたべつつしづかなものが身ぬちをめぐり
・をとことをんご[#「ご」に「マヽ」の注記]といつたりきたりして雪
・雪のあかるさの死ねないからだ
   井師筆の額を凝視して
 雪あかりの「其中一人」があるいてゐるやうな
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 二月八日[#「二月八日」に二重傍線] 曇、消え残る雪の寒さ。

少々風邪気味で、咳が出て洟水が出るけれど、約束通り山口へ行く、先づ湯田の温泉に浸る、それから市中を散歩する、本屋を素見したり、山を観たりして、夕方、周二居を訪ねる、おとなしい句会であつた、三輪さん、山廷さん、そして奥さん、人数は少ないけれど熱心があつた、終列車で帰庵、十二時近かつた、それから火をおこし炬燵をあたゝめ、湯を沸かし餅を焼いて、食べて、そしてゆつくり寝た、独身者はなか/\忙しかつた。
今日は寒かつた、坐つてゐても歩いてゐても冬を感じた、多分此季節中では、今日が厳寒であらう。
真夜中――二時頃にけたゝましく警察のサイレンが鳴りだした、蒸気ポンプの疾走する音も聞える、火事だらうと思つたが(小郡としては珍らしい)、労れてゐるので起きて見る元気もなく、そのまゝ睡りつゞけた。
今日はまことによい日[#「よい日」に傍点]であつた。
山口で外郎[#「外郎」に傍点]一包を買つた、明日徃訪する白船老への土産として。
S奥さんの温情にうたれた、尊敬と信頼とに値する女性として。
今日もしみ/″\感じたことであるが、私もたうとう『此一筋』につながれてしまつた、私の中で人と句とが一つになつてゐる[#「私の中で人と句とが一つになつてゐる」に傍点]、私が生活するといふことは句作することである、句を離れて私は存在しないのである。
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   ぐうたら手記
※[#二重四角、283−3]私にも三楽[#「三楽」に傍点]といふやうなものがないこともない、――三楽といふよりも三福[#「三福」に傍点]といつた方が適切かも知れない。――
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一、わがままであること、
二、ぐうたらであること、
三、やくざであること、
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いひかへれば、私が無能無力にして独身であり俳人であることに外ならない!
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□鰒について[#「鰒について」に白三角傍点]――
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鰒はうまい[#「鰒はうまい」に傍点]――これには誰も文句はない。
さしみ[#「さしみ」に傍点]もうまいがちり[#「ちり」に傍点]もうまい、あつさり[#「あつさり」に傍点]して、そしてコク[#「コク」に傍点]がある。
ヒレ酒[#「ヒレ酒」に傍点]なんかは問題ぢやない。
酒の酔と鰒の熱とがからだいつぱい[#「からだいつぱい」に傍点]になつてとろ/\する心地はまさに羽化登仙である、生命なんか惜しくない、ほかに生命なんかないぢやないか!
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 二月九日[#「二月九日」に二重傍線] 曇。

天気模様もよくないし、からだのぐあいもよくないけれど、思ひ立つては思ひ返さない私だから、時計を曲げて汽車賃をこしらへ、徳山へ行く。
福川で下車して歩るく、途中富田で青海苔を買ふ、降りだしたのでバスに乗る。
白船君とは殆んど一年ぶりの対談。
夜は雑草句会、例によつて例の如し。
白船居は娘さんが孫を連れて同居してゐられるので、或る宿屋へ案内して泊めて貰ふ、すまなかつた、何もかも人絹のピカ/\するなかで寝る。
今夜はよく食べた、自分ながら胃袋の大きいのに呆れた。……
友はよいかな、旧友はことによいかな。
奥さんに嫁の事を頼んで、さんざヒヤカされた。
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・雪ふれば雪を観てゐる私です
・ひとりで事足るふきのとうをやく
・孤独であることが、くしやみがやたらにでる
・雪がふるふる鉄をうつうつ
・火の番そこからひきかへせば恋猫
・更けて竹の葉の鳴るを、餅の焼けてふくれるを
   改作一句追加
・焼いてしまへばこれだけの灰が半生の記録
   木郎第二世の誕生をよろこぶ
 雪あかりの、すこやかな呼吸
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 二月十日[#「二月十日」に二重傍線] 雨。

よく寝た、雨で八代の鶴見物は駄目。
十時の汽車で帰ることにする、白船君に切符まで買うて貰つて気の毒だつた。
十二時帰庵、樹明君がやつてくる、酒井さんがやつてくる、磯部さんがやつてくる。……
酒四升、鰒大皿、飲めや唄へや、踊れや。…………
とろ/\どろ/\、よろめきまはるほどに、とう/\動けなくなつて宿屋に泊つた。
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・芽麥の寒さもそこらで雲雀さえづれば
・冬ざれの山がせまると長いトンネル
 冬ぐもりの波にたゞようて何の船
 ここにも住む人々があつて墓場
・家があれば田があれば子供や犬や
・雪もよひ雪にならない工場地帯のけむり
 ひさしぶり話せば、ぬくい雨となつた(白船老に)
 あれもこれもおもひでの雨がふりかゝるバスで通る
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 二月十一日[#「二月十一日」に二重傍線] 晴、紀元節、建国祭。

こゝろよい睡眠から覚めて、おいしい朝飯を食べて、戻つてきて、昨夜の跡片付をする。
午後、樹明君と磯部君とを招いて残肴残酒でうかれる、うかれすぎてあぶなかつたが、やつと散歩だけですました、めでたし/\。
月もおぼろの、何となく春めいた。

 二月十二日[#「二月十二日」に二重傍線] 曇。

門外不出、独臥読書。

 二月十三日[#「二月十三日」に二重傍線]

おなじく、おなじく。

 二月十四日[#「二月十四日」に二重傍線] 曇。

今日も門外不出、終日読書。
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・花ぐもりの、ぬけさうな歯のぬけないなやみ
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 二月十五日[#「二月十五日」に二重傍線] 曇、ばら/\雨。

身辺整理。
四日ぶりに街へ出かける、そして七日ぶりに入浴する。

 二月十六日[#「二月十六日」に二重傍線] 時雨、春が来てゐる。……

めづらしくも、乞食がきた。……
夕方、樹明君来庵。……
春琴抄[#「春琴抄」に傍点]を読む。……
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・春めいた朝はやうから乞食
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 二月十七日[#「二月十七日」に二重傍線] 晴、降霜結氷、春寒。

三日ぶりに街へ出て、酒一罎借りる、酒でも飲まなければやりきれなくなつたほど、身心が労れて弱つてゐるのである。
アルコールのおかげで宵の間はぐつすり寝た、夜中に眼覚めて、茶の本[#「茶の本」に傍点]を一年ぶりに読みなほす、よい本はいつ読んでもいくど読んでもおもしろい。
夜の雨、それは冬がいそいで逃げてゆくやうな、春がいそいでくるやうな音を立てゝ降つた。
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・霜晴れほのかに匂ふは水仙
   或る夜の感懐
・死にたいときに死ぬるがよろしい水仙匂ふ
・寝るとしてもう春の水を腹いつぱい
・月夜雨ふるその音は春
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 二月十八日[#「二月十八日」に二重傍線] 春ぐもり、雨。

日照雨、春が降るやうな雨、ひよどりがうれしさうに啼いて飛ぶ。
あるだけの米と麦とを炊く、炭も石油もなくなつた、なくなるときには何もかもいつしよになくなる、人生とはこんなものだなと思ふ。
読むものだけはある、片隅の幸福[#「片隅の幸福」に傍点]は残つてゐる。
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・いちにち雨ふり春めいて草も私も
 めつきり春めいて百舌鳥が啼くのも
 ゆふ凪の雑魚など焼いて一人
・寝床へまでまんまるい月がまともに
・かうして生きてゐる湯豆腐ふいた
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 二月十九日[#「二月十九日」に二重傍線] 晴、晴、春、春。

やうやく米と炭と油とを工面した、窮すれば通ずるといふが、私の内外の生活はいつもさうである。
今宵は十六夜の月のよろしさ。

 二月二十日[#「二月二十日」に二重傍線] 晴、霜も氷も春。

独り者の朝寝はよろしいな。
午後、湯屋へ出かけて、ユフウツを洗ひ流してくる。
帰途、農学校に立ち寄つて樹明君と話す、君も此頃は明朗で愉快だ。
私は酒も好きだが、菓子も好きになつた(何もかも好きになりつつある、といつた方がよいかも知れない)、辛いものには辛いもののよさが、甘いものには甘いもののよさがある、右も左も甘党辛党万々歳である。
苦労は人間を磨く[#「苦労は人間を磨く」に傍点]、用心すべきは悪擦れしないことである[#「用心すべきは悪擦れしないことである」に傍点]。
私の日記も書く事書きたい事がだん/\少くなつた、ここにも私の近来の生活気力があらはれてゐるといへるだらう。
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・こどもはなかよく椿の花をひらうては
・せんだんの実や春めいた雲のうごくともなく
・椿ぽとり豆腐やの笛がちかづく
・人間がなつかしい空にはよい月
 やつぱり出てゐる蕗のとうのおもひで(改作)
   井師筆額字を凝視しつつ
・「其中一人」があるくよな春がやつてきた(改作)
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 二月二十一日[#「二月二十一日」に二重傍線]

なか/\寒い、霜がつめたい、捨てた水がすぐ凍るほどであるが、晴れてうらゝかで、春、春、春、午後は曇つて、夜はぬくたらしい雨となつた。
おいしい雑魚を焼いてゆつくり昼飯を食べてから近在を散歩する、春寒い風が胸にこたえるので、長くは歩けなかつたが、蕗のとうと句とを拾つて戻つた。
けふもまた誰も来なかつた、誰も来ないでよろしいけれども、淋しいなと
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