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九月十八日[#「九月十八日」に二重傍線] 晴。
秋空一碧、風はまさに秋風。
防空演習の日。
托鉢しなければならないのであるが、どうも気がすゝまない、M店でコツプ酒一杯ひつかけて、H店で稲荷鮨十ばかり借りて来て休養、読書、思索。
飛行機の爆音が迫る、砲声がとゞろく、非常報知のサイレンが長う鳴る……非常時風景の一断面だ。
午後、畑を耕やす、つく/″\自分の俯[#「俯」に「マヽ」の注記]甲斐なさが解る、青唐辛を採つて佃煮にする。
今夜も昨夜のやうに蚊帳を吊らなかつた、肌寒い、燈火管制で点燈しない。
うつくしい有明月夜だつた、狐が鳴いた。
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・晴れきつて青さ防空のサイレンうなる
しきりに撃ちまくる星がぴかぴか
・燈火管制の、風が出て虫が鳴きつのる
燈火管制
・まつくらやみで煮えてる音は佃煮
・ぴつたりけさも明星がそこに
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九月十九日[#「九月十九日」に二重傍線] 快晴。
子規忌[#「子規忌」に傍点]、子規逝いてから三十四年の今日である、俳壇の推移展開を考へる。――
やうやく酔心[#「酔心」に傍点]を書きあげて椿[#「椿」に傍点]へ送つた、安心。
Hさんからうれしい手紙が来た、般若湯代が入れてあつた、さつそく湯田へ行く、山口を歩く、飲む食べる、……友のありがたさ、湯のありがたさ、酒のありがたさ、飯のありがたさ……何もかもありがたかつた、そして買物いろいろさまざま、それを肩にして、帰途、農学校へ寄つて、今日は私が一升買つた、ちようど宿直の樹明君とI君と三人で畜舎の宿直室で飲んだが、ちり[#「ちり」に傍点]がうまかつた、帰庵したのは十時頃か、少々飲みすぎて苦しかつた。
過ぎる[#「過ぎる」に傍点]は足らない[#「足らない」に傍点]よりもいけない。
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・ばさりと柿の葉のしづけさ
つめたい雨のふりそゝぐ水音となり
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九月二十日[#「九月二十日」に二重傍線] 曇、雨となる。
昨夜の今朝だから腹工合がよろしくない、自業自得、観念する外はない。
斬れば血が出る[#「斬れば血が出る」に傍点]、――涙は出なくなつても、血は出るものである、生きてゐるかぎりは、――これは昨夜、酔中下駄の緒をすげるとて足を過つて傷けたときの感想である。
神湊の惣参居士が、わざ/\私のために般若心経講義(高神覚升[#「升」に「マヽ」の注記]師)を取寄せて、送つて下さつた、感謝以上のものである。
こほろぎの声がだん/\鋭くなる。……
午後、街へ出て、種物、染粉、柿渋などを買ふ。
今日もY酒屋のSちやんがやつてきた(昨日も留守中に来たさうである)、若い人には若い人としてのよさがある、しつかりやりたまへ。
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其中漫筆
必然性(歴史的)
現実 文学
可能性(社会科学的)
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九月廿一日[#「九月廿一日」に二重傍線] 雨、彼岸。
見わたすと、柿がだいぶ色づいた、柿がうれてくるほど秋はふかくなるのだ。
秋蝿の、いや、私の神経過敏に微苦笑する。
つくつくぼうしの声も弱々しくなつて、いつともなく遠ざかつてゆく。
今日の買物は、――鯖一尾十銭、胡瓜一つ三銭、そして焼酎一合十銭也。
今日の幸福[#「今日の幸福」に傍点]二つ、――般若心経講義を読んだこと、晩酌がうまかつたこと。
夕方、見馴れない人が来たと思つたら、国勢調査の下調査だつた、私のやうなものでも、現代日本人の一人であるに相違ない。
かまきりが、きり/″\すが、座敷へあがつてくる、やがてこうろぎもあがつてくるだらう。
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其中漫筆
独酌の味。
対酌の味。
母、――盗癖、――裸――梨の木。
子、――一銭、――嘘――真実。
田舎をまはる昔ながらの琵琶法師[#「琵琶法師」に傍点]。
村のデパート[#「村のデパート」に傍点]。
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九月廿二日[#「九月廿二日」に二重傍線] 曇。
二百三[#「三」に「マヽ」の注記]十日もまづ無事で珍重々々。
百舌鳥の声が耳につくやうになつた。
子供が竹刀を揮つて曼珠沙華をばさり/\と撫斬りしてゐる、私にもさういふ追憶がある、振舞はちと残酷だけれど、彼等の心持にはほゝゑましいものがある。
ゴム長靴を穿いて、バケツを提げて、豆腐買ひに出かける、自分ながら好々爺[#「好々爺」に傍点]らしく感じる。
今晩は晩酌なし、やりたくないのぢやない、やりたいのだけれどやれないのだ、むりにやるには及ばない。
やうやく雲がきれて夕日が射してきた。
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其中漫筆
何をたべてもおいしく[#「何をたべてもおいしく」に傍点]、何を為てもおもしろく[#「何を為てもおもしろく」に傍点]、何を見てもたのしく[#「何を見てもたのしく」に傍点]、何を聞いてもたのしく[#「何を聞いてもたのしく」に傍点]。
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九月廿三日[#「九月廿三日」に二重傍線] 曇、秋冷、野分らしく吹く。
朝から寝ころんで漫読とはゼイタクな!
午後は魚釣とはまたゼイタクな。
小沙魚六つ、ゴリ五つ、いつものやうにあまり釣れない、あまり釣らうとも思はないが。
早々帰庵して、不運な彼等を火焙りにして(私としては荼毘に附して、といつた方がよからう)、一杯やつた。
今日はうれしや晩酌がある[#「今日はうれしや晩酌がある」に傍点]、――何と其中庵の山頭火にふさはしい幸福ではないか。
それから(このそれから[#「それから」に傍点]がちつとばかりよくなかつたが)、駅のポストまで、それからY屋へ、M店へ、F屋へ、等々で飲み過ぎた(つまり、多々楼君の温情を飲んだ訳である、貨幣として八十銭!)。
飲み過ぎて歩けないから、無賃ホテル(駅の待合室)のベンチで休息した、戻つたのは夜明近かつた。
山頭火万歳!
九月廿四日[#「九月廿四日」に二重傍線] 暴風雨。
今日は彼岸の中日だが、これではお寺参りも出来まい、鐘の音はちぎれて鳴るが。
昨日、魚釣の帰途、採つて戻つた紫苑男[#「男」に「マヽ」の注記]郎花を活ける、やつぱり秋の草花[#「秋の草花」に傍点]だな。
午後、風雨の中をSさん来訪、酒持参で、つゞいて樹明君来庵、豆腐と野菜と魚とを持参して、御馳走、御馳走、ちり[#「ちり」に傍点]はうまいな、ほどよく酔うて夕方解散。
少々飲み過ぎ食べ過ぎたやうだ。
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・風ふく萩はゆれつつ咲いて
・藪風ふきつのる窓の明暗(関)
・風を聴く鳴きやめない虫はゐる
雨ふるなんぼ障子をたゝいてもはゐ[#「ゐ」に「マヽ」の注記]れない虫で
病中
そこらまできて鉦たゝき
[#ここで字下げ終わり]
九月廿五日[#「九月廿五日」に二重傍線] 曇、雨、晴。
ありがたや朝酒がある(昨日のおあまり)。
ほろ酔の眼に、咲きこぼれた萩が殊にうつくしい。
買物いろ/\――
米(これは借)、石油十銭、餅十銭、魚十銭。
やうやくにして晴れた空を仰ぎ、身心のおとろへを覚えた、これでは行乞の旅も覚束ない。
夕方、Nさんといふ青年来訪、しばらく漫談した、いつぞや酔中F喫茶店で出逢つた人である。
寝苦しかつた、妙な夢を見た。
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・花のこぼるゝ萩をおこしてやる
・野分あしたどこかで家を建てる音
・からりと晴れて韮の花にもてふてふ
・歩けるだけ歩く水音の遠く近く
・燃えつくしたるこゝろさびしく曼珠沙華
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九月廿六日[#「九月廿六日」に二重傍線] 晴、時々曇つてはしぐれる。
朝寝した、寝床から出ないうちに六時のサイレンが鳴つた。
午後、近在を散歩する、三里ぐらゐは歩いたらう、途中で、軽い狭心症的発作が起つた。
帰つてくると、誰やら来てゐる、昨日の中村君だ、縁側で文芸談、等々。
花めうが[#「花めうが」に傍点](?)が最初の花をつけた、まことに清楚なすがたである、これをわざ/\持つてきて植ゑてくれた黎坊に報告して喜ばせなければなるまい(一昨春)。
気取るな[#「気取るな」に傍点]、気構へを捨てろ[#「気構へを捨てろ」に傍点]!
夜中、行李から冬物をとりだすとき、油虫七匹ほどたゝき殺した、そしてそれが気になつて、とりとめもない事を考へつゞけた、何といふ弱虫だ、私は油虫よりも弱い。
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・咲きつづく彼岸花みんな首を斬られてゐる
うつくしい着物を干しならべ秋晴れ
・百舌鳥が鋭くなつてアンテナのてつぺん
・風のつめたくうらがへる草の葉
・秋晴れて草の葉のかげ
[#ここで字下げ終わり]
九月廿七日[#「九月廿七日」に二重傍線] 晴。
朝寒、米磨ぐ水がやゝつめたく、汲みあげる水がほのかにあたゝかい。
夏物をしまうて冬物をだす、といつたところでボロ二三枚だが。
今日も午後は近在散策。
過去をして過去を葬らしめる[#「過去をして過去を葬らしめる」に傍点]、――それが観念としてでなく体験としてあらはれてきた[#「それが観念としてでなく体験としてあらはれてきた」に傍点]。
夕方、樹明君が酒と肴とを奢ることになつて用意してゐると、敬君がまた酒と肴とを持つて来た、三人楽しく飲み且つ語る、過去の物語が賑つた、十時近くなつて快く散会、近来うれしい会合だつた、ぐつすり前後不覚の睡眠がめぐまれた。
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其中漫筆
□こんにやく[#「こんにやく」に傍点]といふもの
(豆腐に対比して)
□物事をアテにすることは、あんまりよくないが、アテがなくては生活は出来ないが、アテが外れても困らない心がまへ[#「アテが外れても困らない心がまへ」に傍点]は持つてゐなければなるまい。
[#ここで字下げ終わり]
九月二十八日[#「九月二十八日」に二重傍線] まことに秋晴。
昨夜の今朝でも身心ほがらか。
油虫め、弱々しくなつてゐる、よろ/\してゐる、見つかり次第、たゝき殺す私はじつさい暴君だ。
待つているKからの手紙が来ない、湯田行乞と心をきめて、九時頃から出かける。
椹野川土手づたひにぼつり/\と歩く、山の色も水の音もすべて秋。
湯田競馬へいそぐ慾張連中がぞろ/\。
湯田行乞四時間。
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今日の功徳、 米、一升八合
銭、四十四銭
句、七章
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行乞は省みて恥づかしいけれど、インチキ商買をするよりもよいと思ふ(私はインチキはやらうと思つたつてやれないけれど)。
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昼飯の代りとして、焼酎半杯、六銭
焼饅頭三つ、五銭
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それから千人湯[#「千人湯」に傍点]にずんぶり、ああありがたい。
四時過ぎて周二居訪問、いつものやうに本を借り御馳走になる、そして句会。
まことによい一夜であつた、S夫人のへだてなさ、K君の若さ、H嬢のつゝましさ。
散会したのは十時すぎ、いつもの癖でおでんやで飲み足す(鈴木さん、すみません)、そしてもう汽車もバスもなくなつたので、駅のベンチで寝る。
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其中漫談
九[#「九」に「マヽ」の注記]月廿八日の行乞中の特種――
□西村のお嬢さんに句会の事を話さうと思つて立寄つたら、女中さんがあはてゝ皿に米を盛つてくれた。
□大歳の或る家で、斎藤さんの宅とは知らず立つて、奥さんに名乗りをあげた。
□アイスキヤンデーの店でアイスキヤンデーの青いのを一本供養してくれた。
□或る結髪処で、そこにゐた老妓がつと立つてきて、十銭白銅貨を鉄鉢へ入れた。
□女郎屋の老主人が間違つて五十銭銀貨をくれた、それを返すと喜んで改めて一銭銅貨二枚くれた。
[#ここで字下げ終わり]
九月廿九日[#「九月廿九日」に二重傍線] 晴、いよ/\秋。
東の空が白むのを待つて湯田へ、朝湯はよろしいなあ、何とゆたかな温泉。
バスで上郷まで、無事
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