百姓家だつたけれど、朝顔の蔓を垣根に這はすことは忘れてゐない。
夜が更けると雲が散つて月がさやけく照つた、虫の合唱が澄んでくる、私の心も澄んでくる。
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郵便も来ない日のつくつくぼうし
・風が雨となる案山子を肩に出かける
・電線とほく山ふかく越えてゆく青葉
・竹の葉のすなほにそよぐこゝろを見つめる
昼ふかく虫なく草の枯れやうとして
・てふてふもつれつつかげひなた(楠)
・風鈴しきり鳴る誰か来るやうな
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九月十一日[#「九月十一日」に二重傍線] 秋晴、久しぶりの青空だつた。
あれやこれやと旅仕度をする(来月来々月の旅を予想して)、旅をおもひつつ、旅の用意をととのへることはまことに楽しいものである、他人には解らないで、自分一人の味ふ気分である。
昨日漬けた菜漬のうまさ、貧しい食卓がいきいきとする。
やつと郵便やさんが来てくれた、いろ/\あつたが、とりわけてうれしかつたのは――
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澄太君の手紙(切手と先日の写真とが封入してあつた)。
陶房日記(著者無坪その人に会つたやうな感じ)。
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ゆふべ、駅のポストまで。
ちらほら彼岸花が咲きだしてゐる、なるほど彼岸が近づいてきた。
百舌鳥も出てきた、彼の声もまだ鋭くない。
身心おちついてほがらか[#「身心おちついてほがらか」に傍点]である、法衣の肩に釣竿をのせても、その矛盾を感じないほどである。
十四日の月がうつくしかつた、寝床でまともにその光を浴びつつ睡つた。
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其中漫筆
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其中一人として、漫然として考へ、漫然として書き流したものである。
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人間は人間です、神様でもなければ悪魔でもありません、天にも昇れないし、地にも潜れません、天と地との間で、泣いたり笑つたりする動物です。……
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九月十二日[#「九月十二日」に二重傍線] 晴、曇、仲秋、二百二十日。
いつものやうに早起きする、そしていつものやうに水を汲んだり、御飯を炊いたり、掃除したり、本を読んだり、寝たり起きたり。……
大空のうつくしさよ、竹の葉を透いて見える空の青さよ、ちぎれ雲がいう/\として遊ぶ。
陶房日記[#「陶房日記」に傍点]を読む、その味は無坪その人の味だ。
句稿整理、書かねばならない原稿を書く。
――絶後蘇へる――といふ禅語がある、私の卒倒は私を復活させたのである。
午後、蜆貝でも掘るつもりで川尻へ行く(魚釣しようにも鉤がないし蚯蚓も買へないから)、一時間ばかり水中にしやがんで五合ばかり掘つた、これ以上は入用がないので、土手の青草をしいて、渡場風景を眺める、ノンビリしたものである。
蜆貝といふものはとても沢山あるものだと思ふ、商買[#「買」に「マヽ」の注記]人が二人、金網道具ですくうてゐたが、半日で三斗位の獲物があるさうだ、いづれどこか貝類をめづらしがる地方へ送るのだらう、帰途、かねて見ておいたみぞはぎ[#「みぞはぎ」に傍点]を持つてかへつて活ける、野の花はうつくしい。
一日留守にしておいても何一つ変つてゐない、出たときのまゝである、今日は柿の葉が一枚散り込んでゐるだけ!
蜆貝汁をこしらへつゝ、私は私の冷酷、いや、人間の残忍といふことを考へずにはゐられなかつた。
仲秋無月ではあるまいけれど、雲が多いのは残念だ、思はず晩酌を過して、ほんたうに久しぶりに、夜の街を逍遙する、例の如くYさんから少し借りる、あちらで一杯、こちらで一杯、涼台に腰をかけさせて貰つて与太話に興じたりする、そのうちに幸か不幸かH君に会ふ、M食堂へ誘はれて這入る、女給よりも刺身がうまかつた! 酔歩まんさんとして戻つたのは三時頃か、アルコールのおかげで前後不覚。
……酔うても乱れない[#「酔うても乱れない」に傍点]……山頭火万歳!
雲がいつしかなくなつて月が冴えてゐたことは見逃さなかつた、仲秋らしい月光に照らされて、私は労れてゐたけれど幸福だつた。
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・とうふやさんの笛が、もう郵便やさんがくるころの秋草
・すすきすこしほほけたる虫のしめやかな
砂掘れば水澄めばなんぼでも蜆貝
食べやうとする蜆貝みんな口あけてゐるか
秋の蚊のするどくさみしくうたれた
徳利から徳利へ秋の夜の酒を
・ひとりいちにち大きい木を挽く
いつとなく手が火鉢へ蝿もきてゐる
ゆふべのそりとやつてきた犬で食べるものがない
・秋雨ふけて処女をなくした顔がうたふ
・何がこんなにねむらせない月夜の蕎麦の花
・こゝろ澄ませばみんな鳴きかはしてゐる虫
・おのれにこもればまへもうしろもまんぢゆさけ
出れば引く戻れば引く鳴子がらがら
・ひとりとひとりで虫は裏藪で鉦たたく
風が肌寒い新国道のアイスキヤンデーの旗
・人のつとめは果したくらしの、いちじくたくさんならせてゐる
いちめんの稲穂波だつお祭の鐘がきこえる
厄日あとさきの雲のゆききの、塵芥《ゴミ》をたくけむり
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九月十三日[#「九月十三日」に二重傍線] 晴、曇、雨。
少々頭が重い、胃も悪い、昨夜の今朝[#「昨夜の今朝」に傍点]だから仕方がない、やめておくれよコツプ酒だけは、――と自分で自分にいひきかせて微苦笑する。
山の先生か、山の鴉か、これも微苦笑物だ。
夕立がさつときて気持を一新してくれた、涼風といふよりも冷気が身にしみる。
新秋の風物は、木も草も山も空も人もすが/\しい。
今月に入つてから初めて生魚を買ふ、雑魚十銭(先月は一度塩鱒の切身を十一銭で買つたゞけだつた)。
障子をあけてはゐられないほど秋風が吹く、蓮の葉の裏返つた色にも秋の思ひが濃くゆらぐ。
前のWさんから鶏頭数株を貰つてきて、前庭のこゝそこに植ゑる、こゝにも秋が色濃くあらはれるだらう。
夜おそく、酔樹明君がやつてきた、煙草二三服吸うて帰つていつた、君の心持は解る、酒を飲まずにはゐられない心持、飲めば酔はずにはゐられない心持、そして酔へば乱れずにはゐない心持――その心持は解りすぎるほど解る、それだけ私は君を悲しく思ひ、みじめに感じる。
有仏処勿住[#「有仏処勿住」に傍点]、無仏処走過[#「無仏処走過」に傍点]、である、樹明君。
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・わかれて遠い瞳が夜あけの明星
・草ふかく韮が咲いてゐるつつましい花
植ゑるより蜂が蝶々がきてとまる花
・日向ぼつこは蝿もとんぼもみんないつしよに
・更けると澄みわたる月の狐鳴く
・朝月あかるい水で米とぐ
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九月十四日[#「九月十四日」に二重傍線] 曇、ひやゝか。
朝は大急ぎで、原稿を書きあげて、層雲社へ送つた、駅のポストまで行つた。
尻からげ[#「尻からげ」に傍点]! 私はいつからとなく、尻からげする癖を持つやうになつた、尻をからげることはよろしい、尻をまくること[#「尻をまくること」に傍点]はよろしくないが。
曼珠沙華を机上に活ける、うつくしいことはうつくしいけれど、何だか妖婦に対してゐるやうな。
午後は近郊散策、これからはぶらりぶらりとあてなく歩くのが楽しみだ。
今明日は上郷八幡宮の御祭礼、明日明後日はまた中領八幡様のお祭、提灯を吊り旗をかゝげ、御馳走をこしらへ、よい着物をきて、――秋祭風景はけつかう/\。
戻ると、あけておいた障子がしめてある、さては昨夜の樹明再来だなと、はいつてみると案の定、ぐうぐう寝てゐる、昨日から御飯を食べないからと鮨をたくさん持参してゐる、私もお招[#「招」に「マヽ」の注記]伴した、暮れかけてから、おとなしく別れる。……
焼酎一合と鮨六つとで腹いつぱい心いつぱいになつて、蚊帳も吊らないで眠つてしまつた、夜中に眼覚めて月を観た。
食べたい時に食べ[#「食べたい時に食べ」に傍点]、寝たい時に寝る[#「寝たい時に寝る」に傍点]、これが其中庵に於ける山頭火の行持だ。
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・日向はあたたかくて芋虫も散歩する
・朝は露草の花のさかりで
・身にちかく鴉のなけばなんとなく
・くもりしづけく柿の葉のちる音も
・萩さいてではいりのみんな触れてゆく
聟をとるとて家建てるとて石を運ぶや秋
秋空ふかく爆音が、飛行機は見つからない
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九月十五日[#「九月十五日」に二重傍線] 晴、まこと天高し。
身辺整理、整理しても、整理しても整理しつくせないものがある。
待つともなく待つてゐたコクトオ詩抄[#「コクトオ詩抄」に傍点]が岔水居からやつて来た、キング九月号を連れて。
午後は近郊散策。
このあたりはすべてお祭である、家々人々それ/″\にふさはしい御馳走をこしらへて食べあふ、うれしいではないか。
ゆふべ何となくさびしいので街へ出かけた、山田屋でコツプ酒二杯二十銭、見切屋で古典二冊二十銭、酒は安くないが、本はあまりに安かつた。
コツプ酒のおかげで、帰庵すると直ぐ極楽へ行くやうに熟睡に落ちたが、覚めて胃がよくないのは是非もない、やめておくれよコツプ酒――と、どこやらで呟く声が聞えるやうだつた。
病んでもクヨ/\しない[#「病んでもクヨ/\しない」に傍点]、貧乏してもケチ/\しない[#「貧乏してもケチ/\しない」に傍点]、さういふ境涯に私は入りたいのだ。
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・食べるものはあるトマト畑のトマトが赤い
・水のゆたかにうごめくもののかげ
・空の青さが樹の青さへ石地蔵尊
・秋晴れのみのむしが道のまんなかに
市井事[#「市井事」に傍点]をうたふ
・彼氏花を持ち彼女も持つ曼珠沙華
秋の夜ふけて処女をなくした顔がうたふ(改作)
・なんと大きな腹がアスフアルトの暑さ
[#ここで字下げ終わり]
九月十六日[#「九月十六日」に二重傍線] 朝は秋晴秋冷だつたが、それから曇。
今朝の御飯は申分のない出来だつた(目下端境期だから、米そのものはあまりよくない)、身心が落ちつくほど御飯もほどよく炊ける[#「身心が落ちつくほど御飯もほどよく炊ける」に傍点]。
もう米がなくなつたから(銭はむろん無い)、今日は托鉢しなければならないのだけれど、どうも気がすゝまない、といふ訳で、早目に昼飯をしまうて椹野川尻に魚釣と出かける、釣る人も網打つ人もずゐぶん多い、自転車がそこにもこゝにも乗り捨てゝある、私の釣は短かい、二時間ばかりで帰つて来た、運動がてらの、趣味興味以上でも以外でもないのだから。
[#ここから2字下げ]
今日の獲物は、小鮒二、小鯊五。
[#ここで字下げ終わり]
途中、捨猫の仔がまつはり鳴くには閉口した、私が旅しないのだつたら、連れて戻つて飼ふのだけれど。
宵からぐつすりと寝た、ランプも点けなかつた。
夜中に眼が覚めて、雨声虫声の階[#「階」に「マヽ」の注記]調を傾聴した。
[#ここから2字下げ]
・をさない瞳がぢつと見てゐる虫のうごかない
・くもりつめたく山の鴉の出てきてさわぐ
・てふてふひらひらとんできて萩の咲いてゐる
・いちにち雨ふる土に種子を抱かせる
[#ここから1字下げ]
其中漫筆
行乞と魚釣、鉄鉢を魚籃として。
殺活一如[#「殺活一如」に傍点] 与奪一体。
酒徳利に酒があるならば、米櫃に米があるならば。
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九月十七日[#「九月十七日」に二重傍線] 雨、一日降り通した。
雨漏りはわびしいものである、秋雨はまたよく漏るものだと思ふ。
夜が長くなつて日が短かくなつた、朝晩のサイレンを聞く時さう感じる。
雨はほんたうに私を落ちつかせる、明日の米はないけれど、しづかに読書。
終夜ほとんど不眠、夜明け前にとろ/\とした。
二十日月が明るかつた。
露命をつなぐ[#「露命をつなぐ」に傍点]――それで私はけつかうだ。
[#ここから1字下げ]
其中漫筆
芸術は熟してくると、
さび[#「さび」に傍点]が出てくる、冴え[#「冴え」に傍点]が出てくる、
凄さ[#「凄さ」に傍点]も出てくる、
そこまでゆかなければウソだ、
日本の芸術では、殊に私たちの文芸では。
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