分を省みて考へてゐると、過去がまるで遠い悪夢のやうである、明日の事は考へない、私は今日の私を生かしきれば[#「今日の私を生かしきれば」に傍点]よいのである。
本日の郵便物は――
[#ここから1字下げ]
黎々火君から、十返花君から。
病秋兎死君から最初の来信、それはうれしいかなしいさびしいものだつた。
雄郎和尚からヱハガキと詩歌[#「詩歌」に傍点]八月号。
清臨句集、黎明[#「黎明」に傍点]、これは亡児記念としての句集で、用紙は大版[#「版」に「マヽ」の注記]若狭紙、りつぱなものであるが、誤植が比較的に多いのは惜しかつた。
[#ここで字下げ終わり]
夕方、庵のまはりをぶら/\歩いてゐると、蜘蛛の囲に大きな黒い蝶々がひつかゝつて、ばた/\あえいでゐた、よく大人も小供もかういふものを見つけると、悪戯心や惻隠心から、その蝶々を逃がしてやるものである、蝶々は助かるが蜘蛛は失望する、私はかういふ場合には傍観的態度[#「傍観的態度」に傍点]をとる、さういふ闘争は自然[#「闘争は自然」に傍点]だからである、蝶の不運[#「蝶の不運」に傍点]、そして蜘蛛の好運[#「蜘蛛の好運」に傍点]、所詮免かれがたい万物の運命である、……しかし後刻もう一度、その蝶々に近づいて、よく見ると蜘蛛はゐない、蝶々がいたづらに苦しんでゐるのである、私は手を借してやつた、蝶はすつと逃げた、雑草の中へひそんだ、思へば運命は奇しきものである、彼女の幸福はどんなだらう。
[#ここから1字下げ、折り返して2字下げ]
ぐうたら手記
□自然法爾[#「自然法爾」に傍点]――私が落ちつくところはやつぱりここだつた。
□身心清浄にして身心安泰なり、――これは私の実感である。
[#ここから5字下げ]
×
歯 (三八九、扉の言葉)
(めくら滅法 歯なしがむしやら)
鉄鉢と魚籃と (層雲へ)
――其中日記ところどころ――
×
酔心 (椿へ寄稿)
[#ここで字下げ終わり]
九月四日[#「九月四日」に二重傍線] 曇、――雨となる。
宵からぐつすり[#「ぐつすり」に傍点]寝たので早く眼が覚めて、夜の明けるのが待ち遠しかつた、これも老人の一得一失だらう。
桔梗の末花を徳利に※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]す、これが山桔梗だといいのだが。
蓮芋を壺に活ける、これも水芋だとうれしいのだけれど。
小雨がふる(まつたく秋雨だ)、今日の托鉢はダメかな、お客さんにあげる御飯がないのだが。
火を燃やしつつ、いつでも火といふものを考へる、乞食はよく火を焚くといふ、火はありがたい、焚火はたまらなくなつかしいものだ。
私には銭はなくなりがちだけれど、時間はいつもたつぷりある、両方あつては勿躰ない!
すなほにつつましく[#「すなほにつつましく」に白三角傍点]、――これが、これのみが私の生き方である、生き方でなければならない。
街の子が来て、なつめをもいだ。
大根を播く、今日はまことに種蒔日和だ。
暮近く、敬治君ひよつこり来庵、渋茶をすゝりながら暫時話す、暮れてから、誘はれて(あまり気はすゝまないが、敬治君にはすまないが)、いつしよにFへ行つて飲む、ほどよく酔うて、更けて戻つた。
「その矩を踰えない[#「その矩を踰えない」に傍点]」私であつたことは何よりもうれしい[#「私であつたことは何よりもうれしい」に傍点]、私はとうとう私自身に立ちかへることが出来たのだ[#「私はとうとう私自身に立ちかへることが出来たのだ」に傍点]、私はやうやう本然の私を取りかへしたのだ[#「私はやうやう本然の私を取りかへしたのだ」に傍点]。
山頭火が山頭火を祝福する[#「山頭火が山頭火を祝福する」に傍点]!
[#ここから2字下げ]
・もう枯れる草の葉の雨となり(丘関)
・萩が咲きだしてたまたま人のくる径へまで(楠)
・馬糞茸《クソダケ》も雑草の雨のしめやかな(門)
「死をうたふ」追加
・死がちかづけばおのれの体臭(楠)
[#ここで字下げ終わり]
九月五日[#「九月五日」に二重傍線] 雨――晴れてゆく。
東の空が白むのを待ちかねて起きる。
今日は大山さんが来てくれる日。
浴衣一枚では肌寒く、手がいつしか火鉢へいつてゐる。
待つ身はつらいな、立つたり坐つたり、そこらまで出て見たり、……正午のサイレンが鳴つた、すこしいらいらしてゐるところへ、酒屋さんが酒と酢とを持つてきた、そして間もなく大山君が、家嶋さんがにこ/\顔をあらはした、……五ヶ月ぶりだけれど、何だか遠く離れてゐたやうだつた。……
豆腐はいつものやうに大山さんみづからさげてきたけれど、実は其中庵裡無一物、米も醤油も味噌も茶も何もかも無くなつてゐることをぶちまける(大山さんなればこそである)、大山さん身軽に立ちあがつてまた街へ出かける、そして米と醤油とシヨウガと瓜と茄子と海苔とを買つてきてくれた、さつそくさかもり[#「さかもり」に傍点]がはじまる、うまい/\、ありがたい/\(家嶋さんは最初だから、多少呆れてゐるやうだつた)、酒はある、下物もある、話は話しても話しても尽きない、友情がその酒のやうにからだにしみわたり、室いつぱいにたゞよふ、まつたく幸福だ。
料理は文字通りの精進だつた、そしてとてもおいしかつた。
雑草の中へ筵をしいて、二人寝ころんだところを家嶋さんがパチンとカメラにおさめた。
家嶋さんからは、竹の葉の茶[#「竹の葉の茶」に傍点]のことを教へてもらつた(笹茶[#「笹茶」に傍点]と名づけたらよいと思ふ)。
間もなく夕暮となる、そこらまで見送る、わかれはやつぱりかなしい、わかれてかへるさびしさ。
かへつて、ざつとかたづけて、御飯を炊いて、また一本つけて、ひとりしみ/″\人生を味ふ[#「ひとりしみ/″\人生を味ふ」に傍点]、そしてぐつすりとねむつた。
大山さん心づくしの一瓶、それは醗酵させない葡萄液である、滋養豊富、元気回復の妙薬ださうである、この一瓶で山頭火はよみがへるだらうことに間違はない、日々好日だけれど、今日は好日の好日[#「好日の好日」に傍点]だつた、合掌。
もう一項附記して置きたいことがある、庵としての御馳走は何もなかつたが、雑草を見て貰つたこと、一鉢千家飯[#「一鉢千家飯」に傍点]を食べて貰つたことは、私としてまことにうれしいことであつたのである。
[#ここから2字下げ]
黎々火君に
・月へ、縞萱の穂の伸びやう
澄太君に
・待ちきれない雑草へあかるい雨
伸びあがつて露草咲いてゐる待つてゐる
そこまで送る夕焼ける空の晴れる
・あんたがちようど岩国あたりの虫を聴きつつ寝る
改作
・秋風の、水音の、石をみがく(丘)
・機関庫のしづもれば昼虫のなく
・これが山いちじくのつぶらなる実をもいではたべ(門)
・風ふく草の、鳴きつのる虫の、名は知らない
・つく/\ぼうしいらだゝしいゆふべのサイレン
・厄日あとさきの物みなうごく朝風
[#ここで字下げ終わり]
九月六日[#「九月六日」に二重傍線] 晴。
さびしいけれどしづやかで。――
午後は托鉢をやめて魚釣に行く、行くことは行つたが、なか/\釣れないし、餌もなくなつたし、労れてもゐるので、早々帰つた、そしてその雑魚を肴に昨日のおあまりを頂戴したことである。
[#ここから2字下げ]
小鮒三つ、句二つ。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから1字下げ、折り返して2字下げ]
ぐうたら手記
□拾ふに値するもの[#「拾ふに値するもの」に傍点]
行乞して、煙草がなくて、私はバツトの吸殻を拾うて喫んだ、そしてつく/″\自分を省みたことである、私は捨てられたものを拾うて生きてゆく人間であればよい!
□拒まれるに値するもの[#「拒まれるに値するもの」に傍点]
これも行乞中に感じたことであるが、すげなく断られるのがあたりまへだ[#「あたりまへだ」に傍点]、米でも銭でも与へられるのは、袈裟と法衣とに対してだ、私は拒まれるに相当する人間である。
[#ここで字下げ終わり]
九月七日[#「九月七日」に二重傍線] 晴――曇――風。
午前中読書。
午後は托鉢、嘉川を歩く、二時間余。
[#ここから2字下げ]
今日の功徳 米、一升三合 銭、十四銭。
[#ここで字下げ終わり]
今日の行乞相もよかつた、ぢやけん[#「ぢやけん」に傍点]に手をふる女もあれば、わざ/\自転車から下りて下さる男もある、世はさま/″\、人はいろ/\である、私は寂然不動[#「寂然不動」に傍点]であるが。
宵から寝た(石油が少ないからでもある)。
[#ここから2字下げ]
読んだものの中から
(木曽節) 月の出頃と約束したに
月は山端にわしやここに
(伊那節) 葉むら若い衆よう来てくれた
さぞや濡れつら豆の葉で
[#ここで字下げ終わり]
九月八日[#「九月八日」に二重傍線] 風、風、風。
しづかに読書しつつ、敬君を待つ。
ちよつと農学校へ行く、樹明君は出張不在、Oさんに、敬君来庵の約束を托言して、すぐ戻る、ついでに新聞を読ませて貰つた。
新聞[#「新聞」に傍点]といふものは現代生活からは離れないものになつてゐる、それからも私は離れてしまつてゐる、時々読みたくなるのは、――機会さへあれば、読まずにはゐられないのは、あまりにあたりまへ[#「あたりまへ」に傍点]だらう。
いつからとなく野鼠がやつて来てゐるらしいが、食べる物がないので、昨夜は新らしく供へた仏前のお花を食べてしまうてゐる、私は(そして仏さまも)微苦笑する外なかつた。
油虫だつて同様だ、食べる物がないものだから、マツチのペーパーを舐めてゐる、それには糊の臭があるとみえて。
待つても待つても、敬君は来ない、待ちくたびれて、洗濯したり、畑に肥料をやつたり。
夕食後、石油がないから、蚊帳の中に寝ころんでゐると、やつと、だしぬけに、敬君来庵、酒も罐詰も来た、私一人が飲んで食べて、敬君は話しつづけて、そしてだいぶおそくなつたけれど、またいつしよにFへ、――また飲んで饒舌つて、そして休み休みいつしよに戻つて来た、ぐつすり寝た、よい睡眠だつた。
[#ここから1字下げ、折り返して2字下げ]
ぐうたら手記
□法衣をきて釣竿をかついで出かけたら面白からうと樹明君がひやかしたが、私は鉄鉢を魚籃としたならばもつと面白いだらうと考へてゐる。
□私の生活を語れば――
[#ここから3字下げ]
雑炊、佃煮。
孤独、単純。
[#ここで字下げ終わり]
九月九日[#「九月九日」に二重傍線] 雨、さすがに厄日前後で雲行不穏。
よく飲んでよく寝た朝である、お天気は悪いが、私たちは快適であつた。
朝飯のうまさ、いや、朝酒のうまさ。
敬君の山口行を駅まで見送つて、それから買物たくさん、――菜葉、石油、煙草、ハガキ――此金高三十四銭也。
ああ、しづかだ、しづかな雨だ。
午後、Kの店員が、酒と豆腐と小鯛とを持つてきて、手紙をさしだした、樹明君が五時頃来庵するから仕度をしておいてくれとのことである、よしきたとばかり、豆腐はヤツコに、魚は焼いて、そしてチビリ/\やつてゐると、樹明君がすこし疲れたやうな顔をあらはした、さしつさゝれつ敬君を待つたが、とう/\駄目だつた、そして樹明君は暮れきらないうちに帰宅した。
めでたいわかれだつたけれど、少々淋しい別れでもあつた。
酒が、昨日の分と今日の分とを合せて、一升ばかり残つてゐる、さてもかはればかはるものであるわい!
[#ここから1字下げ、折り返して2字下げ]
ぐうたら手記
□独楽[#「独楽」に傍点]ではない、楽独[#「楽独」に傍点]である。
[#ここで字下げ終わり]
九月十日[#「九月十日」に二重傍線] 曇、をり/\雨、どうやら晴れさうな。
そゞろ寒い、或は読み、或は考へ、或は眺め、そして清閑を楽しむ。
耳を澄ますと、どこやらで鉦たたき(?)が鳴いてゐる。
晩酌をゆつくりやつてから近在散歩。
苅萱を手折つてきて活ける、苅萱は好きだ。
きたない、うるさい、小さな
前へ
次へ
全19ページ中15ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
種田 山頭火 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング