″\抱壺のおもかげ
・日ざかりひなたで犬はつるんでゐる
・どなたもお留守の、日向草のうつくしさ
・日ざかりの牛がこんなに重い荷を
追加、行乞
・どこで泊らう暑苦しう犬がついてくる
螢、こゝからが湯の町(街)の大橋小橋(改作)
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八月廿八日[#「八月廿八日」に二重傍線] 曇、風、雨。
風がだん/\強くなる、どこかは暴風雨だらう。
夢にまで見た魚釣第一日[#「魚釣第一日」に傍点]の予定は狂つてしまつた、どこへも出かけないで読書。
酒屋の小僧さんが空瓶とりにきて、小さい不快事を残していつた。
風の中のきりぎりす、蝉、こほろぎがとぎれ/\に鳴く、私もその中の一匹だらう。
一日ながらへば一日の悔をます[#「一日ながらへば一日の悔をます」に傍点]、――八月十日までの私はたしかにさういふ生活気分だつた、今日此頃の私は生活感情を新たにすることが出来た。
油虫、油虫、昼も夜も、こゝにもそこにもぞろ/\、ぞろ/\、私は油虫を見るとぞつとする、強い油虫、そして弱い私!
山羊髯がだいぶ長くなつた、ユーモアたつぷりである、これが真白になつたらよからう、今では胡麻塩、何だか卑しい。
柚子を見つけて一つもぐ、香気ふくいくとして身にしみる、豆腐が欲しいな。
何としづかな、おちついた日。
夕焼の色が不穏だつた、厄日近しといふ天候。
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・風はほしいまゝに青柿ぽとりぽとり
・風がわたしを竹の葉をやすませない
・立ち寄れば昼ふかくごまの花ちる
・くづれる家のひそかにくづれるひぐらし(丘関)
・よしきりなく釣竿二つ三つはうごく
・暮れいそぐあかるさのなかで釣れだした
遊園地
・お猿はうららか食べるものなんぼでも(改作)
・ゆふべすずしく流れてきた絵が桃太郎(丘関)
・石を枕にしんじつ寝てゐる乞食
・誰かきたよな声は蜂だつたか
・ここにもじゆずだまの実のおもひで
・こころいれかへた唐辛いろづく
庭隅の芭蕉よみがへりあたらしい葉を
誰かを待つてゐる街が灯つた
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八月廿九日[#「八月廿九日」に二重傍線] 曇、微雨、そして晴。
雨はしみ/″\する、颶風がやつてこないでよかつた、どこも大したことはなかつたらしい、めでたし/\。
私自身でも釣に行くつもりだつたし、樹明君からも誘はれたので、正午のサイレンを聞いて出かける、椹野川尻の六丁といふ場所へ、そして樹明君とも出逢ふ、川は釣れないから沼へ行く、ぼつ/\釣れる、日が傾いて今から釣れるといふ頃、私だけ先きに帰る、途中で六時のサイレンが鳴つた、帰つてすぐ料理、ゆつくりと焼酎の残りを味ひ、たらふく麦飯を食べた。
釣場へ徃復二里あまり、四時間あまり釣つたので、ほどよく労れて睡ることが出来た。
今日の獲物(樹明君から半分は貰つたのだが)――
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中鮒三つ、小鮒八つ(中鮒は刺身にし小鮒は焼く)。
俳句二つ(今日は句作衝動をあまり感じなかつた)。
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釣は逃避行[#「逃避行」に傍点]の一種として申分ない、そして釣しつつある私は好々爺[#「好々爺」に傍点]になりつつあるやうだ、ありがたい。
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・なつかしい足音が秋草ふんでくる(樹明君に)
・壁の穴からのぞいて蔓草
敬治君に三句
逢へば黙つてゐればしめやかな雑草の雨
・秋めいた雨音も二人かうしてをれば
更けてかへるそのかげの涼しすぎる
追憶一句
・お祭の甘酒のあまいことも
追加一句
・草のあを/\はれ/″\として豚の仔が驚いてゐる
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八月三十日[#「八月三十日」に二重傍線] 曇、晴、そしてちよつと夕立。
朝早々とK店員御入来、酒代請求である、財布をさかさまにしてやつと支払ふ、彼は好人物で、当代の商人としてはあまりに好人物である。
昼虫のしづけさしめやかさ。
米田雄郎兄の青天人[#「青天人」に傍点]読後感を書きあげて送る。
親しい友へのたよりに――
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……卒倒以来頓に心地明快、節酒も出来るやうになつて、といふよりも酒への執着がうすくなつて、生き方に無理がなくなつた[#「生き方に無理がなくなつた」に傍点]ので、身心共にやすらかです(まだ、すこやかとはいひきれませんが)、とにかく、生きられるだけは生きて、死ぬるときは死ぬるのがよいではありませんか。……
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今日も午後は六丁釣場へ出かけた、先客一人、なか/\上手に釣つてゐる、私もゆつくり構へこんだが、痔が痛むし、暑苦しいし、その上、近在の河童小僧連が押し寄せてうるさいので、早々切りあげて戻つた。
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獲物は、――鮒二つ、鯊一つ、そして句二つ。
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これでも私の晩酌の下物としては足りる、私の営養不足を補うて余りあるだらう。
魚一皿、酒一本、それだけでまことにゆつたりとした気分である。
雨の音が私を一しほ落ちつかせてくれる、雨に心をうたせてゐると何ともいへない気持になる。
留守中に誰か来たやうだ、鏡が取りだしてあり、紙反古が捨てゝあり、そして障子が閉めかけてある(この障子が閉めかけてあることが、私を不快にし、その人を軽蔑せしめた!)、何とも書き残してはなかつた。
鈴虫が鳴きだした、お前はつゝましい歌手だよ。
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ぐうたら手記
詩制作
感動――言葉――韻律。
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八月三十一日[#「八月三十一日」に二重傍線] 曇、微雨。
朝が待遠かつた、ぐつすり寝て眼のさめたのが早過ぎた。
たよりいろ/\、しみ/″\ありがたし。
竹の葉にばら/\雨のよろしさ。
夜具整理、女の――主婦の心持が解つた。
このごろ、御飯のうつくしさ[#「御飯のうつくしさ」に傍点]、うまさ[#「うまさ」に傍点]、ありがたさ[#「ありがたさ」に傍点]。
駅のポストまで出かけた帰途で、念珠玉草を見つけて、一茎持つて戻つて、机上の徳利に※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]す、幼年時代の追憶が湧いた。
石蕗二三株を鉢植にする、私の好きな草の一つである、私の食卓を飾つてくれるだらう。
夕方になると晩酌の誘惑[#「晩酌の誘惑」に傍点]がくる、とう/\こらへきれないで、なけなしの銭で焼酎一合買うてきた。……
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ぐうたら手記
□考へると――
私の過去の悪行――乱酔も遊蕩も一切が現在の私を作りあげる捨石のやうなものだつた(といつたからとて、私は過去を是認しようとするのではないが)。
第一関を衝き破らなければ第二関に到り得ないのだ、第二関を突破しなければ第三関にぶつつからないのだ。
そして、第四関、第五関、第六関、第七関、……関門はいくつでもある。
それが人生なのだ。
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九月一日[#「九月一日」に二重傍線] 雨。
ひえ/″\として、単衣一枚ではうそ寒いので襦袢をかさねた、夜は蒲団をだして着た。
丸火鉢の灰の中でごそ/\動いてゐるものがある! よく観れば、いつぞや落ちこんだ油虫だつた、痩せて弱つてゐる、三原山の火坑に落ちて死ねない人間のやうだ、憎い油虫だけれど――私はどうしても油虫だけは嫌いだが――何だかいぢらしくて憎めなかつた。
大山君を昨日から待つてゐたのだが、仕事の都合で五日の朝訪ねるといふハガキがきたので、がつかりした、五日の朝よ、早く来れ、早く五日の朝となれ。
辛うじて質屋の利子を払ふ。
大根一本三銭也。
柚子の香気うれし。
何と賑やかな虫の合奏だらう。
よくない酒でも何でも泥酔するまで呷らずにはゐない私だつた、さういふ私が八月十日以後は、よい酒を微酔するだけ味へば十分足りるやうになつた、一升の酒が二合三合となつたのである、酔ひたい酒から味ふ酒へ転じたのである[#「酔ひたい酒から味ふ酒へ転じたのである」に傍点]、しみ/″\酒は味ふべきである[#「しみ/″\酒は味ふべきである」に傍点]。
嫌な、嫌な夢を二つも続けて見た、……寝苦しかつた、……醜い自分を自分で恥ぢた。……
△ △ △
今日は関東大震災の記念日である。
あの日のことを考へると、自分のだらしなさがはつきり解る。……
あの場合、私がほんたうにしつかりしてゐたならば、私は復活更生してゐなければならなかつたのである。
あれから十三年、私はいたづらに放浪し苦悩し浮沈してゐたに過ぎないではないか。
九月一日、私はこゝで、最後の正しい歩調[#「最後の正しい歩調」に傍点]を踏み出さなければならない。
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我昔所造諸惑業
皆由無始貪瞋癡
従身口意之所生
一切我今皆懺悔 合掌
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ぐうたら手記
□昼は働き夜は睡る[#「昼は働き夜は睡る」に傍点]。
これが人間の健全な情態であり、人生の幸福である。
□梅干[#「梅干」に傍点]はまことに尊いものだつた、日本人にとつては。
□西洋人は獣に近く、日本人は鳥に近い[#「日本人は鳥に近い」に傍点]。
□酒、友、句。
□不一不二の境地、空じ空じ空じてゆく心境。
□私は一心一向に一乗道に精進する、一乗道とは即ち句作道である。
ぐうたら手記
□句作は、私にあつては、解脱[#「解脱」に傍点]であるが、一般の句作者にあつても、その作品は解脱的でなければならないと思ふ。
ぐうたら手記
□私はいつも物を粗末にしないやうに心がけてゐるが、殊に、米[#「米」に傍点]、水[#「水」に傍点]、酒[#「酒」に傍点]については細心である、それらを粗末に取扱うてゐる人々を見ると腹が立つ(立てゝはならない腹が!)。
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九月二日[#「九月二日」に二重傍線] 曇、そして晴。
午後、あまり辛気くさいので出かける、ちよつと農学校に寄つて、樹明君と話したり新聞を読んだりする、それから上郷の釣場を偵察した、あまり恰好な場所でもない、水浴して帰庵、蓼数株を手折つたが、萎れて駄目だつた。
野の草花はうれしいものである。
夜はめづらしや、いつどこから来たのか、鼠が天井をあばれまはる、鼠もゐない草庵だつたが。
今日は二百十日だつた、まことにおだやかな厄日であつた、めでたいめでたい。
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ぐうたら手記
□回光返照[#「回光返照」に傍点]の徳。
□生死を超え好悪を絶す、善悪なく愛憎なし。
『物みな我れに可[#「物みな我れに可」に傍点]か[#「か」に「マヽ」の注記]らざるなし[#「らざるなし」に傍点]』
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九月三日[#「九月三日」に二重傍線] 曇、さすがに厄日前後らしい天候。
食べる物がなくなつた、今日は絶食して身心を浄化する[#「身心を浄化する」に傍点]つもりで、朝は梅茶三杯。
前栽の萩――一昨春、黎坊とふたりで山から移植したもの――が勢よく伸びて、ぽつ/\花をひらきはじめた、萩は好きな花、どこといつて見どころはないけれど、葉にも花にも枝ぶりにも捨てがたいもの、いや心をひかれるところがある。
露草の一りん二りん、それも私の机上にはふさはしい。
このごろの蚊の鋭さ、そして蝿のはかなさ。
午前は郵便やさんを待ちつつ読書。
午後は空腹に敗けて近在行乞、何となく左胸部が痛みだしたので、二時間あまりで止めた、米八合あまり頂戴したのはうれしい、さつそくその米を炊いて食べる、涙ぐましいほどおいしかつた、まことに一鉢千家飯、粒々辛苦実である、それを味はひつつ、感謝と反省とを新たにするところにも行乞の功徳[#「行乞の功徳」に傍点]がある(私は行乞しないでゐると、いつとなく我がまゝになる、今日しみ/″\行乞してよかつたと思つたことである)。
今日の行乞相[#「行乞相」に傍点]はすこし弱々しかつたが上々だつた、私としては満点に近かつた。
ぢつと自
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