陽のめぐみ[#「太陽のめぐみ」に傍点]を浴びる、私の庵は日当りのよいことは一等だ、朝日がまともに昇る、家いつぱいの光だ。
食慾減退の気味、今日はうどん玉を買うてきて食べた、昨日は餅、明日はパンにしようか。
今春発病このかた、とかく身心がすぐれない、しかし此程度の衰弱ならば却つて私のためには好都合であらう。
私はあばれたがる、砕けていへば酒癖がよろしくない、銭もないのにはしご[#「はしご」に傍点]酒である、猫[#「猫」に白三角傍点]である癖に虎[#「虎」に白三角傍点]になりたがるのである、しかも猫は猫であつて虎ではない、野良猫は日向ぼつこでもしてゐればよいのに[#「野良猫は日向ぼつこでもしてゐればよいのに」に傍点]!
読んだり考へたり作つたりしてゐるうちに夜が明けてしまつた。
不眠にも困つたものだ。
[#ここから2字下げ]
・冬夜さめてはおもひでの香煎をすゝります
 お粥のあたゝかさ味の素の一さじ二さじ
・噛みしめる味はひも抜けさうな歯で
・更けてひそかに竹の葉の鳴る
[#ここで字下げ終わり]

 十二月十五日[#「十二月十五日」に二重傍線] 晴、朝のよろこび。

今年も押迫つて、あと半ヶ月となつた、庵には節季もなく、随つて正月もないのであるが、年の改まるを機として、生活のくぎり[#「生活のくぎり」に傍点]をつけなければならないものが、私にもないことはない。
駅売の声がきこえる、夜はことによくきこえる、その声の調子に朝鮮人らしいのがまじつてゐる。
日々の安楽[#「日々の安楽」に傍点]、それがまことの安楽であらう[#「それがまことの安楽であらう」に傍点]、物そのものの味[#「物そのものの味」に傍点]、それがほんたうの味であるやうに[#「それがほんたうの味であるやうに」に傍点]。
私の最大の失敗は不幸は結婚[#「結婚」に白三角傍点]であつた!
昨夜の不眠で身心がすぐれない。
待つ、郵便を、敬坊を待つ。
運動がてら街のポストまで、途中海老雑魚を買ふ、これで晩飯はおいしく食べられるだらう。
閑静かぎりなし。
今夜もうまく寝つかれない、ぬくとさがとう/\雨になつた。
[#ここから2字下げ]
・枯草うごくと白い犬
・日ざしあたゝかな草の実の赤い
・さうぼうとしてゆふけむる月と人
・小春日和の幟立ててこの里はおまつり
・竹のよろしさは朝風のしづくしつつ
・あたたかくあるけば草の実くつつく
・このみちの雑草の中あたたかうたどる
   賀 元寛君新婚二句
・まことに小春日の、並んでゆくかげの
・山しづかにして咲いてるもの
[#ここで字下げ終わり]

 十二月十六日[#「十二月十六日」に二重傍線] からりと晴れて、とてもよいお天気である。

師走のいそがしい物音ものどかにきこえる。
家いつぱいの朝日影、ありがたし。
終日、閑を楽しむ[#「閑を楽しむ」に傍点]、有閑老人!
入浴、肉体の衰弱がはつきり解る。
蕪菜を煮る、やはらく[#「らく」に「マヽ」の注記]てまことに年寄向。
雑草をうたふ[#「雑草をうたふ」に白三角傍点]――これが私の当面のつとめだ。
毎夜よい月、今夜の月かげもよかつた。
今日で五日間、私は誰とも会話しなかつた、いはゞ独坐無言の五日間だつた、孤独は私の宿命であらう[#「孤独は私の宿命であらう」に傍点]、そしてそれは孤独の微笑でなければならない[#「そしてそれは孤独の微笑でなければならない」に傍点]。
畢竟、私の過去は私の煉獄[#「私の煉獄」に傍点]であつた、無論、善い意味に於て。
どうも眠れないで困る、長い夜がとても長かつた。
[#ここから1字下げ、折り返して2字下げ]
   「ぐうたら手記」素材
□凝心と放心[#「凝心と放心」に傍点]、求心力と遠心力、知る[#「知る」に傍点]ことと忘れる[#「忘れる」に傍点]こと。
□愚に返つて愚を守る[#「愚に返つて愚を守る」に傍点]、本来自然の生活。
□享楽[#「享楽」に傍点]から感謝[#「感謝」に傍点]へ。
□私は恋といふものを知らない男[#「恋といふものを知らない男」に傍点]である、かつて女を愛したこともなければ、女から愛されたこともない(少しも恋に似たものを感じなかつたとはいひきれないが)、私は何よりも酒が好きだ、恋の味は酒の味のやうなものではあるまいかと、時々考へては微苦笑を洩らす私である、酒は液体だが女は生き物だ、私には女よりも酒が向いてゐるのだらう!
[#ここから2字下げ]
女の肉体はよいと思ふことはあるが、女そのものはどうしても好きになれない。
女がゐなくても酒があれば、米があれば、炭があれば、石油があれば、本があれば、ペンがあれば、それで十分だ!
[#ここで字下げ終わり]

[#ここから1字下げ、折り返して8字下げ]
十二月十七日[#「十二月十七日」に二重傍線] 毎日、結構なお天気でございます、……と思うてゐるうちに、曇つて寒くなつた、近く雨か雪であらう、それでよろしい、今年もはや暮れようとしてゐる。
[#ここで字下げ終わり]

Fの家族が、馬まで連れて、前畑へきた、枯蔓燃やしたり、土を耕やしたり、何のかのと話したり、……その睦まじい協力労作を見聞して、私のふさぎの虫[#「ふさぎの虫」に傍点]がすこしやはらげられる。……
寂しがるのではないが、親しい友達といつしよに、湯豆腐ででもしんみり一杯やりたいなあと思ふ。
街へ出たついでに、石油代を掛にして貰つて、その金で、濁酒一杯ひつかけて例の虫[#「例の虫」に白三角傍点]をなぐさめ、うどん玉を買うて戻る、それが昼飯。
いつぞや見つけておいた路傍の水仙を採つてくる、まだ蕾はかたいけれどお正月までには開くだらう。
水仙は尊い花[#「水仙は尊い花」に傍点]である。
案外早く、暮れないうちから降りだした、そしてまた直ぐ止んだ、いやにぬくいことである。
今夜も寝苦しかつた、ヘンリライクロフトの手記をやうやく読みをへて、ワルデンを読みはじめる、どちらも私の愛読書として興味がふかい。
[#ここから2字下げ]
   「落葉抄」
 小春なごやかな屋根をつくらふ
・小春日和の豆腐屋の笛がもうおひるどき
・おしつこさせる陽がまとも
・人も藁塚もならんであたたか
・落葉が鳴るだらう足音を待つてゐる(敬坊に)
・建ていそぐ大工の音が遠く師走の月あかり
・冬ごもりの袂ぐさのこんなにも
・あのみちのどこへゆく冬山こえて(再録)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから1字下げ、折り返して2字下げ]
   「ぐうたら手記」素材
□したいことはいろ/\あるけれど、しなければならないことはあまりない、さてもノンキな年の暮ではある。
□性慾がなくなると、むなしいしづけさ[#「むなしいしづけさ」に傍点]がやつてくる、食慾がなくなると、はかないやすけさ[#「はかないやすけさ」に傍点]がやつてくる。
□後光[#「後光」に傍点]のさす人物、余韻余情のある生活。
□単純――率直――真実、それが私の生活でなければならない。
□私も私自身について[#「私自身について」に傍点]アケスケに話したり書いたりすることが出来るやうになつた、自他共に隠さず衒はず、佞らず飾らない私達でなければならない。
□朴念人――妙好人。
□物忘れ[#「物忘れ」に傍点]、それは老人の特権でもあり恩寵でもある。
□一鉢千家飯(行乞心理)。
□カネとゼニ(金と銭とは同意語のものだが)。
□南国の冬。
□自殺の方法いろ/\。
□風味[#「風味」に傍点]とは、風情[#「風情」に傍点]とは、風流、風韻、風光、風物。
   「ぐうたら手記」おぼえがき
□何でもない物の美しさ[#「何でもない物の美しさ」に傍点]!
□水を大切にせよ。
□物そのものの値打、殊に食物[#「食物」に傍点]について。
□倹約人、浪費者、命がけの遊蕩(私の過去)。
□私の鳥目と老祖母(鱧の肝のお汁)。
              ┌或る老婆
□矢足部落に於ける生死去来。│
              └盲女
          ┌霊台寺   ┌カリン
□菩提樹のおもひで。│      │
          └味取観音  └イクリ
□枯れた枇杷の木(其中庵)。
□椿に目白[#「椿に目白」に傍点](梅に鶯のやうに)。
□現実を味解せよ[#「現実を味解せよ」に傍点]。
□手紙風呂、日記風呂[#「日記風呂」に傍点]。
□私の生活はまづ私自身に真実なものでなければならない。
□充ち足れり、「放てば手に満つ。」
[#ここで字下げ終わり]

 十二月十八日[#「十二月十八日」に二重傍線] 雨。

冬雨といふよりも秋雨にちかい、何といふぬくさだらう、冬は冬らしくあれ、などゝ人間の勝手[#「人間の勝手」に傍点]をいひたくなるほどだ、そしていつのまにやら晴れてきた。
うれしいおくりもの、――黎々火君から鯛の壺雲丹、おかげでお昼食をおいしくいたゞいた。
一日二食にしたい、一食は米麦、一食は雑煮、それに添へて晩酌二合(ゼイタクをいふな)。
何を食べても、その味がえげつない[#「えげつない」に傍点]、――濃厚すぎるやうに感じるのは、私が急に[#「急に」に傍点]老衰したからばかりであらうか。
やうやく第三句集の後記を書きあげた、再考したので意外におくれた、そしてやつと湯銭だけはあるので、湯屋まで出かけた。
気分転換法としては酒[#「酒」に傍点]もよいし散歩[#「散歩」に傍点]もよいが、入浴もよろしい、熱い湯の中にのび/\とからだをよこたへてゐると、こゝろまでがとろけるやうである。
捨丸一行が来演するといふ、私は映画を観るよりもナンセンスを聴く方が好きであるが、昨年は山口へまで出かけて彼を聴いたが、此度は行けさうにもないし、あまり行きたくもない、戯れにざれうたを作つて自から独り笑ふ――
[#ここから2字下げ]
捨丸きこか
酒のもか
のめばきゝたい
きけばのみたい
どちらもやめて寝るとする
    □
・空のあをさへ枯れておちない葉のさわぐ
・仕事しまうて今年もをはりの柿をもぐなど
・昼月ほのかに一ひらの雲かげもとゞめない
・ゆふ闇のたゞよへば楢の枯葉のしきりに鳴れば
   不眠二句
・ねむれない夜の鶏はなけども明けない凩
・うと/\すれば健が見舞うてくれた夢(病中不眠)
       (健は離れて遠い私の独り子の名)
・お祥忌の鐘が鳴り耕やす手を休め
   飛行隊通過
・冬空ちかく爆音の脅威
   隣の娘
・けふはお嬢さんで白いシヨールで
     ×
「柿落葉[#「柿落葉」に白三角傍点]」
[#ここで字下げ終わり]

 十二月十九日[#「十二月十九日」に二重傍線] 晴、冬らしくなつて曇る。

悠々として酒を味ふ[#「悠々として酒を味ふ」に傍点]――かういふ境涯でありたい。
終日、第三句集山行水行[#「山行水行」に傍点]の草稿をまとめる。
夕方から、樹明君に招かれて学校の宿直室へ出かける、八日ぶりの会話[#「八日ぶりの会話」に傍点]であり(途上挨拶をのぞいて)八日ぶりの酒[#「八日ぶりの酒」に傍点]であつた(濁酒二三杯はひつかけたが)。
食べすぎて飲みすぎて、やつと帰庵して、そのまゝぐつすりと寝た、連夜の睡眠不足をとりかへした。
不眠の苦痛は不眠症にかゝつたものでないと、ほんたうには解らないだらう。
[#ここから1字下げ、折り返して2字下げ]
   「ぐうたら手記」
□このみちをゆく[#「このみちをゆく」に白三角傍点]――このみちをゆくより外ないから、このみちを行かずにはゐられないから――これが私の句作道[#「私の句作道」に白丸傍点]だ。
□芸術家の胸には悪魔がゐる、その悪魔が出現して、あばれた時に芸術家は飛躍する、悪魔がころんで神の姿となるのである、芸術的飛躍は悲劇である[#「芸術的飛躍は悲劇である」に傍点]、それは人生で最も深刻な、最も悲痛な行動の一つである。……
□捨てて捨てて、捨てても捨てても捨てきらないものが、それが物の本質であらう(さういふ核心はほんたうには存在してゐないのだらうが)。
□雲丹を味はひつつ物のヱツセンスについて考へた。
□大蘇鉄の話(旦浦時
前へ 次へ
全12ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
種田 山頭火 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング