其中日記
(七)
種田山頭火
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)温泉《ユ》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)いよ/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
〔〕:アクセント分解された欧文をかこむ
(例)〔so:llen〕
アクセント分解についての詳細は下記URLを参照してください
http://aozora.gr.jp/accent_separation.html
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花開時蝶来
蝶来時花開
[#ここで字下げ終わり]
七月廿六日[#「七月廿六日」に二重傍線]
曇、雨、蒸暑かつた、山口行。
△心臓いよ/\弱り、酒がます/\飲める、――飲みたい、まことに困つたことである。
朝、学校の給仕さんがやつてきて、山口へ出張の樹明君からの電話を伝へる、――今日正午、師範学校の正門前で待つてゐる、是非おいでなさい、――そこでさつそく出かける、上郷駅まで歩いて、九時半の汽車で湯田へ。
千人風呂にはいつて髭を剃る、浴後一杯ひつかけることは忘れない、濡れて歩いて山口へ、予定通りに両人会合、二十銭の定食[#「二十銭の定食」に傍点]で腹をこしらへて、鈴木さん訪問、いつものやうに御馳走になる、冷し素麺がおいしかつた、それから、街をぶらついてゐると、幸か不幸か、伊東俊さんに邂逅、食堂から食堂へとうろついた、そしてさらに湯田で飲む、私たち二人は西村さんを尋ねあて、湯に入れて貰ひ、ビールを戴いた、むろん短冊や色紙は樹明君に煽動されて書きなぐつた、それからまた、祇園祭の人込を縫ひ歩き、最終のバスで帰庵、満月のうつくしさを賞する余裕もなく、ぐつすりと寝た、よくもあれだけ飲んだり食べたりしたものだ、そして無事におとなしく戻つてきたものだ、そのいづれも感心されてよい!
今日の印象、――今日の感想――
何となく心楽しい日(時々かういふ日がある、日々好日ではあるけれど)。
汽車がバスより高いとは(上郷から湯田まで、汽車賃十三銭、バスは十銭、このバスは安くて心地のよい道である、今日は満員つゞきで、とても乗れない)。
ガソリンカアの快さよ、逢ひにゆくにも飲みにゆくにも!
田舎の娘さんのハイカラぶりはあまりよくありませんね、ゼイタクは一しほみじめですよ。
マダムはシヤン、お嬢さんはスベタ、まことにお気の毒なことですが。
湯田はよいとこ。……
千人風呂五銭の享楽!
檻の猿[#「檻の猿」に傍点]、それをいつまでも見てゐる人々。
ボロ着て涼しく[#「ボロ着て涼しく」に傍点]、安らかで朗らかで。
湯あがりの肌へ雨のかゝるも悪くない。
さみだれて濁り湛へた水(といつても差支あるまい)からぼちやんと跳ねては大鯉のあそび。
梅雨のやうな土用、しかし鰻は、せめて鰌でも食べたいものですね。
糸米の山口が今日は殊によかつた、山口の山はうつくしい、含蓄[#「含蓄」に傍点]があつて親しみがある。
鱸のあらひ、鮒のあらひ、鮎の塩焼、いづれも結構だつたが、鮎はとりわけ有難かつた。
人の世に、死のさびしさ[#「死のさびしさ」に傍点]、生のなやみ[#「生のなやみ」に傍点]はなくなりません。
女よりも男、ビールよりも酒、海よりも山、樹よりも草、そして、――
N旅館の三助君、とても感じがよかつた、そして二人の仲居さん、あまり感じがよくなかつた。
Y子さんは女性としての媚態を持つてゐない、そこがよいと思つた、彼女自身のためにはよくあるまいけれど。
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・道がまつすぐ大きなものをころがしてくる
・よい雨が音たかくふる、これで十分
・かうして暮らして何もかも黴だらけ
・山のみどりを霧がはれたりつつんだり
・うれしい朝の、かぼちやの大きい花かな
赤い花が、墓場だつた
あつい温泉《ユ》が湧いてのうせんかつらの花が咲いて
おぢいさんは高声で、ふんどしのあとも
・濡れて歩いてしよんぼり昼顔
・けふは飲めるガソリンカアで行く
むしあつくやつとホームイン(対校試合)
・こんやの最終は満員でバスガールはうたひつつ
・月へうたふバスガールのネクタイの涼しく
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七月廿七日[#「七月廿七日」に二重傍線]
晴、土用だからしつかり照つてくれ。
蝉捕の児が三々五々やつてくる、うれしくもあればうるさくもある、私はやつぱり薄つぺらなヱゴイストだ。
午後、樹明来庵、魚と米とを持つて、そして昼寝して晩飯をたべて、おとなしく帰宅。
今日はアルコールなし。
△読書、思索、人間には自得の境地[#「自得の境地」に傍点]がなければならない、芸術は、殊に俳句はそこから生れる。
管絃祭第一夜、ぽん/\花火があがる。
哀しい夢だつた。……
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・しろいてふてふにいつうまれたかきいろいてふてふ
・蚊帳越しにまともに月が青葉のむかうから
・月の水鶏がせつなく啼いて遠ざかる
郵便やさんがばさりと朝日へ投げだしてくれた
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七月廿八日[#「七月廿八日」に二重傍線]
快晴、涼しい快い夏の朝を味ふ。
身辺整理。
桔梗が咲く、さつそく壺に※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]す、その姿、その色、すべてがたまらなくよい、山桔梗はことに。
M君の友情を味ふうちに、欝屈したふさぎの虫が反逆して[#「ふさぎの虫が反逆して」に傍点]、どろ/\になつてしまつた、そして樹明君の友情をも攪乱してしまつた。……
夕方、さうらうとして帰庵すると、待ちに待つた中原さんが来て待ちくたぶれて帰つたといふ置手紙がある、地団太踏んでも追つつかない、悔と恥と詫とを痛感しながら、そのお土産を戴く、酒、卵、さうめん、バナナ。……
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・くらがり風鈴の鳴りしきる
・炎天の鴉の声の濁つてゐる
・月あかり白い薬を飲むほどは
・草ふかくここに住みついて涼しく
・炎天の地しばり草の咲きつづく
・おそい月が出てきりぎりす
・ねむり薬もねさしてはくれない月かげ
・夜蝉よここにもねむれないものがゐる
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七月廿九日[#「七月廿九日」に二重傍線]
曇、こんな中日[#「中日」に「マヽ」の注記]だつた、何といふ情ない。……
樹明君から最後通牒[#「最後通牒」に傍点]みたいな葉書がきた、どうにも仕方がないから放任する。……
七月三十日[#「七月三十日」に二重傍線]
晴、昨日から寝つづけてゐる。
夜半、酔樹明君が来て寝る、彼も無言、私も無言、夜が明けると帰つていつた、彼も無言、私も無言、この無言はまことに千万無量のものだつた。
トマトを食べて、すこし心がなごんだ。
こん/\と睡つた。
節酒[#「節酒」に傍点]するより外に方法なし、とても禁酒[#「禁酒」に傍点]なんぞは出来ない。
七月三十一日[#「七月三十一日」に二重傍線]
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我昔所造諸悪業――
皆由無始貪瞋痴――
従身口意之所生――
一切我今皆懺悔――
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カルモチンのおかげで、やつとねむつた。
八月一日[#「八月一日」に二重傍線]
晴、転一歩、歩々新。
前後際断、たゞ即今の当念に生きろ!
身辺整理、整理しても整理しても片付かない。
沈欝たへがたし、自己に籠つて自己を罵る。
暑さきびし、はだかでよこたはる。
死の方へ、――死に面して、――一切我今皆懺悔。
知死期か致死期か。
ちよつと草刈りしてさへ溜息が出る、情ない肉体となつたものではある。
つく/\ぼうしが山から里へ。
老来ます/\惑ひ多く、悔いることばつかりなり。
八月二日[#「八月二日」に二重傍線]
朝ぐもり、今日も暑いことだらう。
とう/\徹夜だつた、あたまは冴えてゐるけれどからだが労れきつてゐる、この情態がつゞけば自滅の外はない。
カルモチンを飲んでも眠れないとはみじめだ、やつぱり。
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カルモチンよりアルコール
ちよいと一杯やりましよか
[#ここで字下げ終わり]
一杯やりたいな、やりたいなだ!
△或る時は死にたい人生[#「死にたい人生」に傍点]、或る時は死ねない人生[#「死ねない人生」に傍点]。
或る時は仏にちかく、或る時は鬼にひとしい。
自分のうちに動物を見出すことはかなしい。
やつと夜が明けた、朝日がよかつた。
油虫め、食べるものがないから、本をなめマツチをかぢる、そして花までたべる、気の毒と思はないではないけれど、食べ物を与へる気にはなれない、油虫よりも蝿や蚊の方がよい、蛇よりも嫌な油虫だ。
今日も身辺整理、いつ死んでもよい用意をして置かなければならない、遺書も書きかへなければならない。……
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・風がすゞしく吹きぬけるので蜂もてふてふも
・死ねる薬をまへにしてつく/\ぼうし
・草の青さをしみじみ生き伸びてゐる
・住みなれて草だらけ
・のぼる陽をまつ糸瓜の花とわたくしと
・さらりと明けてゐるへちまのはな
・朝月はすずしいいろの桔梗がひらく
炎天のヱンジンのまはるとゞろき
・なんとかかんとか蝿もつれてきて
・こゝろむなしくて糸瓜咲く
炎天、はてもなくさまよふ
・炎天、否定したり肯定したり
・右は海へ左は山へ木槿咲いてゐる
ひとりしんみりとゐてかびだらけ
・なんと朝酒はうまい糸瓜の花
・炎天ぶらりと糸瓜がならんで
・ゆく手とほく雲の峰とほく
・暑さ、この児はとても助かるまい(或る家にて)
・もう秋風のすゝき穂をそろへ
虫なくや投げだした私なれども
・しんみりあほぐ空のゆふ月があつた
・山のしたしさは水音をちこち
雑草ふかく見えかくれゆく馬のたてがみ
・炎天の鴉一羽で啼く
・こゝろあらためてつく/\ぼうし
・あきないひまなへちまなどぶらさがり(山口にて)
・ふときてあるくふるさとは草の花さかり
・炎天のレールまつすぐに
・炎天のかげはとびかふとんぼ
八月廿七日、故郷の妹の家を訪ねて
・せんだんもこんなにふとつたかげで汗ふく
・腹いつぱい飲んで寝るふるさとの水
[#ここで字下げ終わり]
九月六日[#「九月六日」に二重傍線]
曇、雨、晴、――私の心のやうだ。
昨夜も不眠、徹夜乱読するより外なかつた。
○まことに借金はサナダムシの如し。
身辺整理、いつでも死ねるやうに、いつ死んでもよいやうに。――
○なつめ[#「なつめ」に傍点]は誰にもかも[#「も」に「マヽ」の注記]はれなくて、なつてうれて落ちる、時代おくれとは人間のいふこと、なつめそれ自身のやすけさを見よ。
すつかり秋、あまりに早い秋、虫がいそがしく虫のいのちをひろげる。……
酒精中毒の徴候として、爪に筋があらはれた!
長い夜がいよ/\長い、あゝ。
○無理のない生活[#「無理のない生活」に傍点]、悔のない生活[#「悔のない生活」に傍点]、本然の生活[#「本然の生活」に傍点]。
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・空も秋がきた地しばり草の花も
・つくつくぼうしよ死ぬるばかりの私となつて
・死ねる薬が身ぬちをめぐるつくつくぼうし
・今が最後の、虫の声の遠ざかる
・家があつて墓があつて草が青くて
草の中ゆく私の死のかげ
[#ここで字下げ終わり]
九月七日[#「九月七日」に二重傍線]
曇つた空から雨が落ちる、まつたく秋だ。
恥知らずの手紙を二つ書く、恥はむしろ洒した方がホントウだらう。
○暗中在明、明中在暗、明暗雙々底。
樹明君を学校に徃訪する、数日ぶりに話した。
四日ぶりに、人間に会うて話し、酒を一杯飲んだのである。
沈黙は私をいら/\させ、そしてじめ/\させる。
○不幸な鰐[#「不幸な鰐」に傍点]! 古い文藝春秋で此一文を読んで、たいへん動かされた。
○門外不出、いや不能出。
○とても心臓が悪い、それはむしろ私のよろこびである、私は
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