不健康をよろこぶほど不健康になつてゐるのである、そして私の不健康を救ふものはたゞ不健康そのものである。
○四十にして惑はず、五十にして惑ふ、老来ます/\惑うて、悩みいよ/\ふかし。
[#ここから2字下げ]
・誰にあげよう糸瓜の水をとります
改作
・猿と人間と金網と炎天と(湯田)
誰か来さうな糸瓜がぶらりと曇天
・夕焼ふかく何かを待つてゐる
・しぐれて遠くラヂオがうたひだした
[#ここで字下げ終わり]
九月八日[#「九月八日」に二重傍線]
雨、風、身心沈静。
○コン畜生、オイボレセンチめ、時々あたまをもたげる!
樹明から層雲九月号を借りて来て読む、今月はもう来さうな雑誌が来ない、これもさびしいことの一つだ。
○説いて詠ふのでなくて描いて詠はなければ[#「描いて詠はなければ」に傍点]ならない。
夜、樹明来、連れ立つて、どしや降りの中を街へ、そしてそれからそれへ飲みあるく、とろ/\がどろ/\になつて帰庵、御苦労々々々。
[#ここから2字下げ]
・つゆ草のさけばとて雨ふるふるさとは
・誰もこないでちら/\するのは萱の穂で
ずんぶりと湯の中の手足いとほしや
[#ここで字下げ終わり]
九月九日[#「九月九日」に二重傍線]
雨、そして晴、さすがに今日は胃がいたみ頭がおもい。
短冊や半切を書いて書債を果たす。
終日落ちついて読書。
[#ここから3字下げ]
質草一つ出したり入れたりして秋
また質入する時計ちくたく
蝿が打つ手のかげが秋風
[#ここで字下げ終わり]
九月十日[#「九月十日」に二重傍線]
晴れたり曇つたり、しかし身心清澄、やつと不眠も去つたやうだ、いはゞ狂風一過の境地、しかしいつまた再来するかも計り難い。
○最後の危機、最後の転換期、五十惑[#「五十惑」に傍点]ともいふべきものだらう。
秋の水ひえ/″\と澄んで湛へてゐる。
○生に即して生を離れる、――こゝだ、こゝだ。
近郊散策、それから戻つて畑仕事。
○耽る溺れる、から、味ふ楽しむ、へ。――
[#ここから2字下げ]
めうがのこそれもふるさとのにほひをさぐる
・おもひでのみち尾花墓場まで
・ポプラに風も秋めいてきた坑木の堆積
・こゝにわたしがつく/\ぼうしがいちにち
・月のへちまの水がいつぱい
・いつでも死ねる草の枯るゝや
[#ここで字下げ終わり]
九月十一日[#「九月十一日」に二重傍線]
晴、安眠熟睡の幸福をめぐまれた。
まことに好季節、百舌鳥が啼く、萩が蕾んだ、曼珠沙華が咲きだした。
九月十二日[#「九月十二日」に二重傍線]
Kさんから手紙、清丸さんから本、どちらも好意そのものゝやうでうれしかつた。
黙壺来、黙壺君はフアンのフアンだ、酒、牛肉、豆腐、※[#「飲のへん+乍」、138−14][#「※[#「飲のへん+乍」、138−14]」に「マヽ」の注記]、そして銭――それらはすべて彼が私に投げかける温情の断[#「断」に「マヽ」の注記]だつた。
樹明来、めづらしくまじめで、彼らしくない彼であつた、さびしい彼だつた。
払へるだけ払つて、飲めるだけ飲んだ、とう/\※[#「飲のへん+乍」、139−3]代を交番に行つて借りた、いや保證して貰つた!
[#ここから2字下げ]
・がちやがちやよ鳴きたいだけ鳴け
・お彼岸のお彼岸花をみ仏に
・何だか腹の立つ秋雨のふる
・秋雨の一人で踊る
・雨がふるので柿がおちるので
[#ここで字下げ終わり]
九月十三日[#「九月十三日」に二重傍線]
雨、よく降つた、井戸がいつぱいになつてあふれたほど。
ひとりひっそり、読んだり考へたり、寝たり起きたり。
九月十四日[#「九月十四日」に二重傍線]
曇、よいたより、ありがたかつた。
鴉が啼いて私を淋しがらせる、終日読書。
九月十五日[#「九月十五日」に二重傍線]
曇、雨、秋祭。
田舎祭の追憶はかなしくもなつかしい。
○酒が飲みたくなくなつた、そして飲まずにはゐられない、地獄である。
今夜も地獄の亡者として、酔うて歩いた、辛うじて戻つて寝た。……
○味ふ酒[#「味ふ酒」に傍点]でなければならないのに酔ひたい酒[#「酔ひたい酒」に傍点]なのだ、それはまつたく致命的な酒[#「致命的な酒」に傍点]である。
九月十六日[#「九月十六日」に二重傍線]
曇、晴れてお祭日和となつた、お宮の大[#「大」に「マヽ」の注記]鼓が鳴つてゐる、私は門外不出。
樹明来、行商の話に花が咲いた、それはまことに小つぽけな花だが、私の花でなければならない。
[#ここから2字下げ]
・枯れそめて赤いのは曼珠沙華
庵もすつかり秋のけしきの韮の花
[#ここで字下げ終わり]
九月十七日[#「九月十七日」に二重傍線]
曇、また雨になつた、身心沈静、あれこれ整理する。
畑仕事、大根と蕪とを播く。
何を食べてもうまかつた私が、何を食べてもうまくない私となつた、横着な私となつたのだ、ニヒリストとなつたのだ。
ちよつとポストまで、ちよつと一杯ひつかけたが苦しかつた、何とニガイアルコールだらう。
[#ここから2字下げ]
・わらやしづくする朝の虫のなく
・しんかんとして熟柿はおちる
・つく/\ぼうしもをはりの声の雨となり
・夜のふかくこほろぎがたたみのうへに
・灯火一つ虫がとんできては死ぬる
・彼岸花さくふるさとは墓のあるばかり
[#ここで字下げ終わり]
九月十八日[#「九月十八日」に二重傍線]
晴、まつたく秋だ。
久しぶりに入浴、髯など剃つて、ゆつたりした気分で、寝ころんでゐると、夕方、約の如く敬治君来庵、間もなく、樹明君も来庵、お土産の酒と蒲鉾とで一杯ひつかけて街へ。
そして待望の街の灯[#「街の灯」に傍点]を観た、やつぱりよかつた、チヤツプリンの本質に触れたやうな思ひがした、日本映画は新派悲劇的で興がなかつた。
おとなしく敬君といつしよに帰庵、今夜もよくはねむれなかつた、一時間ばかりはぐつすりねむつたが。
[#ここから2字下げ]
・あさつゆのしそのはなこぼれては
・藪のなか曼珠沙華のしづか
なんぼでも落ちる柿の木のしづくして
・汲みあげた水の澄む雲かげ
・水は透きとほる秋空
・秋空のどこかそこらで何か鳴く
・おちついて柿もうれてくる
[#ここで字下げ終わり]
九月十九日[#「九月十九日」に二重傍線]
曇、五時前に起きて朝飯の支度。
酒があまつてゐたので朝酒、いつものやうにうまくない、呪はれた山頭火[#「呪はれた山頭火」に傍点]!
敬君は下関へ出張、駅まで見送る、戻つてから、預つた愛犬Sと遊ぶ。……
ハガキが来たので鯖山の禅昌寺へ、大山君に会ふために。
○犬と遊ぶ[#「犬と遊ぶ」に傍点]、――随筆一篇書けます。
○単調と単純、――それはすなはち、世間生活と私の生活。
ヤキムスビ、――犬に十分与へておいて残飯をそれに。
澄太君からのハガキで、同君が鯖山の禅昌寺に出張してゐて、そしてとても訪ねてくれる余裕がないといふので、こちらから出かけて、逢うてくるつもりで、田舎道を歩きだしたが、いやはや濡れた/\困つた/\、『雨はふります、傘はなし』と子供にひやかされたりして、――とうてい、行きおほせないので、湯田の温泉で、冷えたからだをあたゝめてから、また濡れて戻つた、はだしであるいて。
ひそかに心配してゐたSはおとなしく留守番をしてゐた(最初はやりきれないらしかつたと見えて、座敷の障子をつきやぶつて室内にとびこんだらしい、その障子のやぶれも何となく微笑ましいものだつたが)、彼にも食べさせ、私も食べた。
○何といふおとなしい犬だらう、上品で無口で、人懐かしい、犬小屋は樹明君がいつか持つてきた兎箱、二つに仕切つてあるから一つは寝室で、一つは食堂、そこには碗一個と古筵一枚、――それで万事OKだ!
水音がどこかにある、虫の声が流れるやうだ、溢れてこぼれるやうだ、寝覚はさびしい、しかしわるくない。
○物の音[#「音」に傍点]が声[#「声」に傍点]に、そして物のかたち[#「かたち」に傍点]がすがた[#「すがた」に傍点]にならなければウソだ、それがホントウの存在の世界[#「存在の世界」に傍点]だ。
○酔ひたい、うまいものがたべたい、――呪はれてあれ。
[#ここから2字下げ]
水のながるるに葦の花さく
・てふてふとべばそこここ残る花はある
・あひびきは秋暑い街が長く
・あすはおまつりの蓮をほるぬくいくもり
・掃きよせて焚くけむりしづかなるかな
・はれたりふつたりあひたうていそぐ
・まよふたみちで、もう秋季収穫《アキ》がはじまつてゐる音
・出来秋ぬれてはたらく
・夜あけの雨が柿をおとして晴れました
・十字街はバスが人間がさん/\な秋雨
・濡れて越える秋山のうつくしさよ
・ぬれてきてくみあげる水や秋のいろ
はだしであるく花草のもう枯れそめて
・ヱスもひとりで風をみてゐるか
・秋雨の夜がふける犬に話しかける
[#ここで字下げ終わり]
九月二十日
雨、うんざりする雨だ、終日読書。
朝酒があつた、やゝよろしい。
○昨日の出来事が遠い昔の夢のやうな!
街のポストまでちよつと出掛ける、ヱスがついてくる。
降る降る、どしやぶりだ。
いそぎの手紙を四本書いた、行乞から行商へかはるについての問合だ、それを持つてまた郵便局へ、むろんヱスはついてきた、そして途中その姿を見失つてしまつた、仕方がないからそのまゝ戻る、多分ひとりでかへつてくると信じて、――果して彼女は帰つてきた、彼女もうれしがつてゐる、私もうれしかつた。
ヱスはほんたうにおとなしい犬だ。
夕暮から暴風雨となつた、風は何よりも淋しい。
九月廿一日[#「九月廿一日」に二重傍線]
やうやく風雨がおさまつて晴れてきた。
菜園手入、ホウレン草と新菊とを播きつけた、これで播きたいものだけは播いた、大根、蕪、菜はもう芽生えてゐる、風で倒された蕃椒や茄子をおこしてやる。
嵐の跡、野分の名残も寂しいものである。
街のポストへ、酒屋で一杯ひつかけて、新聞を読んでゐる間に、ついてきたSが見えなくなつた、生き物は厄介だな、探しても見当らないから戻る、Sよ、早く戻つてこい。
大根一本四銭は高いな、田舎味噌百匁八銭。
あれこれ、そそくさして夜が明け日が暮れる。――
昨日もさうだつた、今日もさうだ、明日もさうだらう。……
背広をきて、ステツキをついて、犬をつれて、山頭火も歩いたらどうです!
庵の周囲は曼珠沙華の花ざかり、毒々しい花だけれど、捨てがたい野性味がある、人がかへりみないだけ私は心をひかれる。
うすら寒い、ソデナシをきて頭巾をかぶつて、さて――
だいぶおそくなつてSが戻つてきた、何だかすまなさうにしよんぼりしてゐる、飯を与へると、いそいで食べて、ぐつたりと寝てしまつた、やれ/\これで私は安心。
[#ここから2字下げ]
・けさの水音の、ゆふべがおもひだされる雨
・サイレン鳴れば犬がほえる秋雨
嵐のかげのしろ/″\と韮の花
・日向ごろりとヱスもわたしも秋草に
・あらしのあとの水音が身のまはり
・月へ汲みあげる水のあかるさ
・月のさやけさ酒は身ぬちをめぐる
・月が酒が私ひとりの秋かよ
[#ここで字下げ終わり]
九月廿二日[#「九月廿二日」に二重傍線]
秋日和、天高く雲遊ぶ、身心不調、沈欝せんすべなし。
Sを連れて近郊散歩、彼は私よりもさびしがりやだ、途中でまた行方不明になつてしまつた、何しろ誘惑物が多いから、田舎者の彼はきよろ/\して、ちつとも落ちついてゐない、……どうしても見つからない、困つたことになつた、……夕方また街へ出かけて探したが駄目だつたので、がつかりして帰庵、……と、彼はけろりとして戻つてきて、がつ/\飯を食べてゐる。……
ふけるほどよい月になつた、よくねむれた。
[#ここから2字下げ]
・秋風の腹たててゐるかまきりで(再録)
・かまきりよいつ秋のいろがはりした
・糸瓜ゆつたりと朝のしづくしてゐる
・重荷を負うて盲目である
・家いつぱいの朝日がうらの藪までも
・風に眼ざめてよりそふ犬の表情で
・這うてきたのはこうろぎでぢつとしてゐる
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