ぼつた(帰庵)
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 十一月廿五日[#「十一月廿五日」に二重傍線] 曇、雨となる。

誰か来さうな。……
うすら寒い、火鉢を抱いて漫読。
麦飯と松葉薬とが(消極的には酒を飲まずにゐたことが)胃の工合をほどよくしてくれた、こゝに改めてお百姓さんと源三郎君とに感謝を捧げる。
御飯を炊いてゐるところへ、ひよこりと樹明君、要件を持つて山口へ出かけるから、いつしよに行かうといふ、もう誰も来さうにないし、歩くのは好きだし、二人ではアブナイと思はないではなかつたが、一時の汽車で出かける、要件をすまして、周二居に誘はれて罷り出る、いろ/\御馳走を戴いた、酒もうんと戴いたことはいふまでもない、暮れてお暇乞する、さてそれからが例によつて例の如しだつた、遺憾なく梯子酒根性を発揮した、……カフヱーからカフヱーへ、おでんやから、おでんやへ、車動車から自動車へ、……どしやぶりの中を山口から小郡まで飲みあるいた、あまり銭は費はなかつたけれど、飲んだね、たしかに飲んだね……それでもTちやんに送られて、恙なく、ひよろ/\と帰庵した、一時を過ぎてゐたらう。
樹明君に銭を費はせたのは、Tちやんに後始末をさせたのは気の毒だつた、こらえて下さい。
久しぶりの酒だつた、めづらしい梯子酒だつた、暫らくは飲むまい、飲みたくもない。
今日の珍談は、湯田で大行司の御神酒を頂戴したことだつた、コツプ酒一杯、串肴一本。
周二君のよさがよく解つた、あの純真がいつまでも失はれないやうに、世間の荒んだ空気があの家庭にはいらないことを祈る。
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櫨がまつかで落葉をふんでちかづく音で
  偶作
ストーブもえる彼女は人妻
┌────────────────────┐
│山行水行                │
│  雑草の中              │
│ともかくも生かされてはゐる雑草の中   │
│  旅から旅へ             │
│燕とびかふ旅から旅へ草鞋をはく     │
└────────────────────┘
バスがまがつてゆれて明るいポスト
線がまつすぐにこゝにあつまる変電所の直角形
┌────────────┐
│   改作       │
│ 山あれば山を観る   │
│ 雨の日は雨を聴く   │
│ 春、夏、秋、冬    │
│ あしたもよろし    │
│ ゆふべもよろし    │
└────────────┘
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 十一月廿六日[#「十一月廿六日」に二重傍線] 曇、雨。

二時間も睡つたらうか、眼が覚めたのですぐ起きる、六時のサイレンが鳴つて、やうやく明るくなつた。
樹明君がふら/\しながら帰つて行く、その後姿を見送りながら、家庭といふもの、職業といふもの、酒と人生といふやうなものについて考へるともなく考へる、……私は不思議にしやん[#「しやん」に傍点]としてゐる。
樹が雫する、屋根が雫する、……庵はまたいつものしづけさにかへる、草の葉の濡れた色、国道を走る自動車の音、……しづかなるかな。
柚子味噌をこしらへる、去年の事を思ひだす、酔うて柚子釜を黒焦げにして井師に笑はれたが。
終日就床、読書反省。
しよう/\としてふりそゝぐ雨、その音はわびしすぎる。
あれだけ食べて、あれだけ飲んだ昨日の今日だから、さすがに胃の工合がよろしくない、自業自得、ぢつとしてゐる外ない。
昨日の麦飯をあたためて食べる、昨日の御馳走はむろんうまかつた、今日のぬくめ飯もありがたい。
△自己を欺く勿れ[#「自己を欺く勿れ」に傍点]、――自分に嘘をいはせな生[#「な生」に「マヽ」の注記]活、酒を愛し、酒を味はひ、酒を楽しむことは悪くないが、酒に溺れ、酒に淫することは許されない。
だらしなく飲みまはるくだらなさ!
△私が生かされてゐる恩寵[#「生かされてゐる恩寵」に傍点]を知つてゐるかぎり、私はそれに対して報謝の行動をしなければならないではないか。
△こゝにかうして寝てゐる私にも時代の風波[#「時代の風波」に傍点]はひし/\と押し寄せてくる、私は私があまりに退嬰的隠遁的[#「退嬰的隠遁的」に傍点]であることを恥ぢる、時としてはぢつとしてゐるに堪へないことがある、そして……あゝ。……
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   「酒と生活と貧乏」
私が若し破産しなかつたら、貧乏にならなかつたら、そして酒が安から[#「ら」に「マヽ」の注記]たら――
私は今日まで生き伸びてゐなかつたらう、そして酒の味も解らなかつたらうし、句も作れなかつたらうし、仏道にも入らなかつたらう。
幸不幸はもののうらおもて[#「もののうらおもて」に傍点]である、何が幸福で、何が不幸であるか、よいかわるいか、ほんたうかうそかは、なか/\に知り難い。
   小春日――(雑草点描)――
私は晩秋初冬が好きだ。
小春日のうらゝかさは春ののどけさ以上である。
草のうつくしさ、萠えいづる草の、茂りはびこる草の、そして枯れてゆく草のうつくしさ。
雑草! その中に私自身を見出す。
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 十一月廿七日[#「十一月廿七日」に二重傍線] けふも雨、おぼえず朝寝、午後は晴。

Kからの手紙が私の身心を熱くした。……
おだやかな、まことによい日であつた。
午後四時過ぎ、伊東さんが約の如く来庵、国森君へ電話する、酒と魚と豆腐とを買うてきて、三人で親しく話し合ひながら飲む、近頃めづらしいよい酒[#「よい酒」に傍点]であつた(街へいつしよに出て、わかれが何となくあきたらなかつたけれど)。
酔うてやつと帰庵、そのまゝ寝た、弱くなつたものだよ、山頭火も。――
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   友、銭、酒
友はありがたい、銭はほしい、酒はうまい。
友を持ち、銭があつて、酒があつてはよすぎる!
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 十一月廿八日[#「十一月廿八日」に二重傍線] 晴。

きれいさつぱりと昨日までの事は忘れてしまつて、新らしく生きよう!
寒い、冷える、――もう冬だなと思ふ。
やつぱり、からだのぐあいがよくないので入浴、かへりみち、うどん玉を買うてきて、それで夕飯にする。
風邪心地、早寝する。
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・とつぷり暮れて一人である
・雲がみな星となつて光る寒い空
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 十一月二十九日[#「十一月二十九日」に二重傍線] 大霜。

バケツの水が初氷となつてゐた、いはゆる霜日和、ふとんや何やかや干す。
近来、朝寝をするやうになつた、そして朝食がまづくなつた、これらの事実に徴しても身心の衰弱が解る。
うれしいたより。……
霜日和が雪もよい空となり寒い風が吹きだした、いよ/\冬ごもりである。
酒屋の店員、米屋の主人、来庵して閑談暫時、米と炭とを買ふた、ありがたし。
米屋の主人I氏から香仙粉一袋を頂戴した、日本的家庭の飲物としても食物としてもこよなき品である、そして私をして懐旧の感慨に耽らしめる。
ぐつすりとようねむれた、享楽情調を去つて感謝気分に入るとき、安眠は恵まれる。
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   雪中行乞(改作)
・雪ふりかゝる法衣おもうなる
   重雄君新婚
・霜晴れ、向きあうて食べること(改作)
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 十一月三十日[#「十一月三十日」に二重傍線] 快晴、降霜結氷。

友と本[#「友と本」に傍点]とを待つ。
待つてゐた本がきた、冬ごもりの読物として広島のGさんに頼んでおいたのである、Gさん、ほんとにありがたう。
街へ出かけて買物いろ/\――うどん、葱、豆腐、醤油、等々。
樹明君を学校に徃訪する、澄太君、黎々火君の来庵を伝へる、残念ながら宿直だから出られないといふ、その顔のほがらかなのはうれしかつた。
あれやこれやといそがしい、待つ身のつらさをあまり味はせないで、暮れないうちに、澄太君がきてくれた、酒と豆腐とを持つて。――
飲む、話す、食べる、笑ふ。
暮れて黎々火君もやつてきた、さらに飲む。
三人で豆腐七丁、うどん五玉、酒は五合ばかり。
炬燵をこしらへて、いつしよに寝た。
まことにうれしい一夜だつた。
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   友と本とを待つ日
・待つ日の炭火かさなつておこるなり
   哀悼一句、仙波さんに
・こゝろしづかに小鳥きてなく香をたく
 楢の枯葉の鳴るのも人を待つゆふべは
・明けはなれる山の線くつきりと送電塔
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 十二月一日[#「十二月一日」に二重傍線] 曇、后晴。

五時の汽車へ黎々君を送る、そして二人は湯田へ行く。
朝酒のうまさが朝酒[#「酒」に「マヽ」の注記]のあたゝかさで、とけて流れる、すぐ戻つてきて、何もかも雑炊にして腹いつぱい食べて、そして別れた、がつかりして炬燵をかゝえて寝る。
昨夜のにぎやかさ、今夜のしづけさ、それもよし、これもよし。
樹明君、夜警から来て泊る。
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   湯田温泉にて、澄太君に
・からだながしあふあつい湯がわいてあふれて
・しめやかに今日がはじまる煙ひろがる
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 十二月一日[#「十二月一日」に二重傍線][#「十二月一日[#「十二月一日」に二重傍線]」はママ] 晴、めつきり冬らしくなつた。

庵には春秋はあるけれど、節季はなく、随つて正月もない、あるといへば、毎日が節季でも正月でもある。……
寒い、寒い、また風邪をひいたやうだ、終日炬燵にしがみついて読書。
樹明君来庵、香煎をすゝり、白菜新漬でお茶を飲んで別れる、めでたし/\。
今日、漬物を刻み[#「刻み」に傍点]つゝ、独身者はとかく自分の好尚に執しやすいことを感じた。
□酒好きが酒そのものに執することに罪はない、笑つて許せる、しかし酒をのむ方法手段が卑しくなるのは彼といふ人間の堕落だ、断じて許せない。――(感ずるところありて)――
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 暮れいそぐ百舌鳥のするどく身にちかく
・冬がまたきてまた歯がぬけさうなことも
 たえず鳴る汽車のとほく夜のふかく
・酔ひざめのつめたい星がながれた
・わかれようとしてさらにホツトウヰスキー
・しんみりする日の身のまはりかたづける
   病中
・ほつかり覚めてまうへの月を感じてゐる
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 十二月三日[#「十二月三日」に二重傍線] 曇、雪もよひ。

第五十二回の誕生日[#「第五十二回の誕生日」に傍点]だ、一杯やらなければなるまい、自祝の、或は自弔の意味で!
濁酒はうまいな、冬はこれに限ります。
独酌一本、感慨無量。
樹明君招待、酒は亀齢、下物は茹葱と小鰕、ほうれん草のおひたし、鰯の甘漬。……
思ひがけなくT子さんがやつてきた、一升罎を抱へてゐる、酒はいよ/\豊富だ、酒さへあれば下物なんか何でもよい。
愉快に飲んで酔ふ、街へその愉快を延長して、鮨を食べたり、コリントゲームを遊んだり、例の女を相手に飲んだり、……ホツトウヰスキーでおわかれ。
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・つかれてもどつてひなたの寒菊
・いちにち風ふき誰もこない落葉する
・悔いるこゝろに日がてり小鳥きてなくか
・霜晴れ澄みわたるほどに散るは山茶花
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 十二月四日[#「十二月四日」に二重傍線] 冬ぐもり。

身心何となく快い。
しんみりする日だ。
夜はひとり出かけて飲んだ、そして泊つた、酒はよくなかつたが宿はよかつた。
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   多賀治第二世かさねて出生、そのよろこびを私もよろこびて
・霜あしたうまれたのは男の子
・お日さまのぞくとすやすや寝てゐる
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 十二月五日[#「十二月五日」に二重傍線] 晴、疲労、倦退、悔恨。

やつぱり昨夜の酒はよくなかつた、私はさういふ酒を飲んではならない。……
入浴して不快を洗ひ落す。
風のさわがしい一日だつた、私はしづかに落ちついてゐた。
ちしや苗を植ゑつける、ふるさとをたべる砂吐流[#「ふるさとをたべる砂吐流」に傍点]を思ひだして、ハガキを出す。
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・松葉ちる石に腰かける
・藪から出てくる冬
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