いへないものがある、さびしいとばかりはいひきれないものが。
午前は駅のポストへ、午後は街のポストへまで出かけた、そして歩々に肉体の秋[#「肉体の秋」に傍点]を痛感した、……人間は生活意力が盛んであれば十年に一歳しか年取らないが、生活意力が衰へると、一年に十歳ほど年取ることもある、……私は此一年間にたしかに十歳老いた!
△日本の秋[#「日本の秋」に傍点]はほんたうに美しいかな、今日途上で、水へめざましく紅葉してゐる山櫨を観賞した。
△句作は米の飯[#「句作は米の飯」に傍点]、いや麦飯だ[#「いや麦飯だ」に傍点]、私にありては。
△私にもし友達といふものがなかつたならば、私はかうした生活をつづけることが出来なかつたであらう、友情は人間愛情の最高なるものである、私はその友情にめぐまれすぎるほどめぐまれてゐる。
うどん玉三つ、此代金六銭也、これでやつと今日の食慾をそゝることができた、貨幣の六銭はともかくとして、三つのうどん玉はまことにありがたいものであつた。
食慾不振[#「食慾不振」に傍点]と睡眠不能[#「睡眠不能」に傍点]とは人間生活の最大不幸である、私は今、その二つの不幸に襲はれてゐる、すべてが自業自得で致し方もないが、甘んじて受納するけれど、不幸は不幸であることにかはりはない。
何を食べてもうまいといふ事と、何を食べてもまづいといふ事との間には、天と地との差、東と西との隔りがある。
私の意慾は日にましおとろへてゆく、この事実はうれしくもありかなしくもありさびしくもある。
変態的幸福[#「変態的幸福」に傍点]、私はそれを味はひつつある。
△病めば梅干の赤さ――たゞ梅干がよい、――梅干の味が病める身心にうれしいのである。
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・人のなつかしくかれくさみちをゆく
・出かけようとする月はもう出てゐる
 剃りおとして月の冴えたる野をもどる
[#ここで字下げ終わり]

 十一月二十日[#「十一月二十日」に二重傍線] 晴、うらゝかな小春日、鵯がなけばさらに。

日向でほころびを縫ふ、襦袢の襟のつけかへはなか/\むつかしい。
味噌買ひに街まで。
私の好きな寒菊がほつ/\ほころびそめた。
机上の壺に櫨の一枝を※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]す。
たよりいろ/\、緑平老の手紙は私を泣かせる。
緑平老から小遣を貰つたので、買へないでこらへてゐた品物を買ふ、煙草、マツチ、ハガキなど、そして一杯ひつかける酒を餅に代へる、十銭で七つ。
辛いものをやめてゐると甘いものが食べたくなる、今の私はアルコールよりも砂糖の方に心をひかれる!
人間の嗜好といふものも面白い。
餅を仏様に供へて回向、観音様も先祖様もめづらしい御馳走を召し上つて下さいまし。
△井戸の水が雨で増して濁つてゐる、濁れる水の色もさびしいことの一つだ。
私もさびしがりやにあともどりしつゝあるやうだ。
夜はあまりに月がよいので、田圃を歩き、そして街へまで出かけて、ついでに理髪、うれしかつた。
△貪る心[#「貪る心」に傍点](殊に酒に対して)驕る心[#「驕る心」に傍点](殊に自分に対して)が弱くなつた、そして怺へる心[#「怺へる心」に傍点](物に対して)堪へ忍ぶ心[#「堪へ忍ぶ心」に傍点](自他に対して)が強くなつた、病痾の賚賜である。
△死を待つ心[#「死を待つ心」に傍点]、それはまことに落ちついた、澄んで湛へた、しづかな、しんみりとした心である。
△一期一会の人生[#「一期一会の人生」に傍点]である、その時その場のその物をしみ/″\と味はへ、私は山を観るとき、空を仰ぐとき、草に触れるとき、人に接するとき、酒を飲むとき、飯を食べるとき、……すべてのものをしみ/″\と味ふ。
△太陽と水[#「太陽と水」に傍点]とは保護者であり導師であり、医者でもある。
水を飲んで日光を浴びてゐると、私の身心は蘇生する。
△いつも安いものは米[#「米」に白三角傍点]、いつも高いものは酒[#「酒」に白三角傍点]。
△私の生活になくてならない、一日も缺ぐことの出来ない、そしてあまりに安いものは食塩とマツチ[#「食塩とマツチ」に傍点]。
食塩は一ヶ年間に五銭宛四回、此代金弐十銭。
マツチは一年二函、これも二十銭。
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・野原をよこぎるおもひでの月がかたむいた
・櫨の一枝、机の上に秋がある
・うらの畑のとうがらし赤くてお留守
   改作追加一句
・ゆふべはやりきれない木蓮のしろさ
   行乞
・いつから笠に巣くうたる蜘蛛といつしよに
・枯れるものは枯れてゆく草の実の赤く
・枯れゆく草のうつくしさにすわる
[#ここで字下げ終わり]

 十一月廿一日[#「十一月廿一日」に二重傍線] 晴、朝の雲のうつくしさ、曇。

やゝ寒い、足のつまさきが冷たい、裏藪で鶲が啼く。
秋もをはりの冬ちかしといふ感じ。
身心の調子よろし。
△裏の菜畑は私の花園だ[#「裏の菜畑は私の花園だ」に傍点]。
△物を粗末にするな、大根のしつぽでも大切にせよ、物を殺すな、たとへ木切でも生かして使へ。
物を生かしてゆくところに生活の味[#「生活の味」に傍点]がある。
よいお天気になつた、宮市の天神祭万歳だ、よし、私も参詣しよう。
一時の汽車で出かける、宮市はお祭気分があふれてゐる。
そこの一木一石みなおもひでの種だ、宮市は私の故郷の故郷[#「故郷の故郷」に傍点]である。
裸坊――それは天神祭独特の、宮市名物――が右徃左徃する、しかし昔ほど盛んでない。
粟の岩[#「岩」に「マヽ」の注記]、焼栗、メリヤス、うどんそば、密[#「密」に「マヽ」の注記]柑、等々の店の間を人にもまれて歩く、天満宮に参拝して、いろ/\の見世物小屋の間をくゞつて、お山で休む、酒垂山は天然の公園だ、一歩一歩に少年時代の夢がよみがへる、あゝ時は過ぎ行く、過去はなつかしい、あの頃の私は……
霊台寺に詣でる、山茶花がうつくしい、饅頭を買うて食べる、これも少年時代の私をおもひださせる。
新橋の方へ行く、途中、大行司小行司の行列を観た、さびしい行列になつたものだと思ふ。
佐波川は昔ながらに流れてゐる。……
さけとさしみとすしとで四十四銭、腹いつぱいになつた、感慨無量で胸いつぱいだ。
再び街へ、人ごみの中へ。
労れた、労れた、とても御神幸までは待ち切れないので、八時の汽車で帰つてきた。
この世にこの庵ほどよいところはない[#「この世にこの庵ほどよいところはない」に傍点]、――これが今日のをはりの感想だつた。
ぐつたりしてぐつすり寝た、極楽々々浄土々々!
山手閑居の場[#「山手閑居の場」に傍点]、私の現在はかういつた様子。
胃の工合がよくなつて酒が少し飲めるやうになつた、そして晩酌は壱本にきまつた[#「晩酌は壱本にきまつた」に傍点](きめたのではない)。
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 小春ぶらぶらと卒塔婆を持つてゐる女
 刈田はれ/″\蓼の赤けれ
・あひびきまでは時間があるコリントゲーム
 お祭の人ごみをぬけて枯草山
・おまつりの桜紅葉のしづけさはある
 桜紅葉の残つた葉の赤さ
・落ちる陽をうかべて水のながれゆく
・枯草へながう影ひいてふるさとの
・濁酒あほることもふるさとはおまつり
・日の落ちる方へ水のながれる方へふるさとをあゆむ
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 十一月廿二日[#「十一月廿二日」に二重傍線] 曇つて寒い、雪でもふりだしさうな。

炬燵の用意はよろしいか。
△枯れてゆく草のうつくしさよ。
久しぶりに――十日ぶりに入浴。
裏の林でひよどりがしきりに啼きかはします。
シヤツがあたゝかい、黙壺君ありがたう、トンビがあたゝかい、井上さんありがたう、また冬がまはつてきて、感謝を新たにする。
ほんにしづかだなあ――と、今更のやうに今夜も感じたことである。
米と酒[#「米と酒」に傍点]、むろん米の方が大切だ、しかし私は金が手にはいると、何よりもまづ酒を買つた、それが此頃はどうだらう、第一に米、そして味噌、そして炭、第二第三として酒を買ふのである。
飯のうまさ[#「飯のうまさ」に傍点]、それは水のうまさ[#「水のうまさ」に傍点]とおなじだ、淡々として、そして滋々として尽きることのない味[#「尽きることのない味」に傍点]である。
△……酒はどうでもよくなつた、句はやらずにはゐられない……たゞ此一筋につながる[#「たゞ此一筋につながる」に傍点]、……私は此一筋をたどりつゝある、此一筋をたどるより外に私の生きる道はないのである。
△道を楽しむ[#「道を楽しむ」に傍点]――俳句道の根本はこゝにある、句作と鑑賞と、物と心と、彼と我と、渾然として一枚になつた境地である。
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・寒う曇ればみそさゞいが身のまはり
・大根あんなに土からおどりでてふとく
・早う寝るとして寒い薬を掌《テ》に
・ゆふべあかるくいろづいてきて柚子のありどころ
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 十一月廿三日[#「十一月廿三日」に二重傍線] 天地清明、澄んでうらゝかである。

白船君が山口行の途次、寄るかも知れないといふハガキを寄越したので、新菊を採り、ほうれん草を茹で、鰹節を削り、……そしてうどん玉を買ひに街へ出かけた。
身心脱落只真実[#「身心脱落只真実」に傍点]、私も、良寛和尚に頭を下げる。
午後、樹明君来庵、ぼうばくとしてゐる、かういふ情態にある彼を救ふものは、恐らくは、疾病しかないであらう、悲しい人間現実の一相である、すすめて休ませた、高鼾で寝たのはよかつた。
白船老はとう/\来てくれなかつた、「かも知れん」程度しか待たないつもりだつたけれど(あまり当にして当が外れると失望が大きい)、それでもやつぱり待つてゐたので、失望した、そして淋しかつた、といつても仕方はないが。
東北地方凶作の惨状は人から聞いたり新聞で読んで察してはゐたけれど、今朝、新潟の金井さんからの手紙で、直接知らされて、その窮境はまことにいたましいと思つた、そして自分を省みて、勿体ないと感じないではゐられなかつた、私は私としてあまり幸福である、私は幸福すぎるではないか。……
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・うらゝかにしてすがれた花にとまるてふちよも
 母子《オヤコ》で藷掘る暮れ早い百舌鳥の啼く
・うらゝかなれば一羽鴉のきてなけば
 日あたり水仙もう芽ぶいたか
・ことしもこゝに落葉しておなじ蓑虫
   白船君に
 あなたを待つてゐる火のよう燃える
[#ここで字下げ終わり]

 十一月廿四日[#「十一月廿四日」に二重傍線] けふもうらゝかな日。

朝から裏山でポン々々鉄砲を打つ音がする、せつかく小鳥は楽しく啼きかはして遊んでゐるのに。
うれしいたよりいろ/\、ことにK子さんのそれはうれしかつた、ありがたかつた、もつたいなかつた。
――かうしてゐて、こんなにされてゐて、よいものだらうか――この疑問が事にふれ折にふれて私を苦しめる、苦しむだけで、どうにもならない私ではあるけれど。――
あまりお天気がよいので、小遣も少々あるので、買物がてらふさぎの虫[#「ふさぎの虫」に傍点]を湯田の温泉に洗ひ流すつもりで出かける、ぽか/\とぬくすぎる小春日和である。
山がうつくしい、なだらかに波うつて雑木が紅葉してゐる、山口へ近づくにしたがつて、山なみに含蓄[#「含蓄」に傍点]がある、糸米あたりの山は殊によろしい、路傍の石に腰かけて飽かず眺め入つた。
買物いろ/\、小鍋、削節、なでしこ(これはやうやくその大袋を八木デパートで見つけた)、そして古本。
温泉はほんとによい、湯上りのよい気持で、例の安い安い定食で二本飲んで、七時の汽車で帰庵、めでたしめでたしであつた。
△いつ死んでもよいやうに身心をかたづけておけ[#「いつ死んでもよいやうに身心をかたづけておけ」に傍点]。
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・あたたかく折れるほど枝の柿が赤い
・山に山がもみづるところ放たれた馬
・ちよいと茶店があつて空瓶に※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]した菊
・もどつてうち[#「うち」に傍点]がよろしい月がの
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