のはからすうり
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 十一月十四日[#「十一月十四日」に二重傍線]

好晴、身辺整理。
私の心は今日の大空のやうに澄みわたる、そしてをり/\木の葉を散らす風が吹くやうに、私の心も動いて流れる。
うれしいたよりがいろ/\きた。
酒屋の店員Sさんが来て話して帰る。
絶対的境地には自他もなければ善悪もない、第一義的立場に於ては俳句も短歌もない、詩が在るのみだ、たゞ実際の問題として、作者の素質傾向才能によつて、俳句的表現があり短歌的表現がある。
私はほんとに幸福だ、しんみりとしづかなよろこびを味ふ。
酒はかならずあたためてしづかにすするべし[#「酒はかならずあたためてしづかにすするべし」に傍点]。
○芸術的飛躍[#「芸術的飛躍」に傍点]、それは宗教的飛躍と通ずるものがある、その飛躍が私にもやつてきてくれた!
私はとかく普通の世間人から undervalue せられるやうに、いはゆるインテリには overvalue されがちである、人は――私は買被られるよりも見下げられる心易さをよろこぶ。
――死ぬる時には死ぬるがよろしく候、と良寛和尚は或る人への手紙の中に書いてゐる、私はそれを思ひ出す毎に、私の修養の到らないのを恥ぢないではゐられない、私はかうしかいへない、――殺すべき[#「べき」に傍点]時には殺すがよろしく候、――このべく[#「べく」に傍点]がいけない、それは嘘ではないけれど、小主観の言葉だ、自殺、自決、自裁といふやうなことを考へないで、さういふ独善的な潔癖を抛擲して、死ぬるまで死なないでゐる、生きられるだけ生きたい、生も死も忘却して是非を超越した心境にまで磨きあげなければならないと思ふ。
酒と句と、句と酒と。……
○私は遂に木の実をほんたうに味はひ得なかつた、もう歯がぬけてなくなつてしまつた、どうすることも出来ない、もつとも、耳で[#「耳で」に傍点]、眼で[#「眼で」に傍点]、手で木の実を味ふ[#「手で木の実を味ふ」に傍点]ことは出来るけれど。……
夜は斎藤さんから今朝頂戴した『はてしなく歩む』に読みふけつた、私は当然必然、今春の私の旅、そして来春の私の旅を考へながら。
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・落葉ふかく水くめば水の澄みやう(雑)
・雨の落葉の足音は郵便やさんか
   病中
・寝たり起きたり落葉する(松)
・煮えるにほひの、焼けるにほひの、野良がへりのゆふ闇ただよふ
 すつかり柿の葉は落ちて遠く灯つた
   病中さらに一句
・ひとり寝てゐるわらやしたしくしづくする(松)
 身のまはりかたづけてすわる私もよい人であらう
・柿をもぐ父と子とうへしたでよびかはし
・水たたへたればいちはやく櫨はもみづりて
・実ばかりの柿の木のなんとほがらかな空
・雑草みのつて枯れてゆくその中に住む
 めづらしく人のけはひは木の実ひらふこゑ
・やつと汲みあげる水の秋ふかく
・ひよいと手がでて木の実をつかんだ
 大根いつぽんぬいてきてたべてそれでおしまい

  (改作)
山あれば山を観る
雨の日は雨を聴く
春夏秋冬
物みなよろし
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 十一月十五日[#「十一月十五日」に二重傍線] まことによいお天気、しつかり冷たくなつた。

日向で読書[#「日向で読書」に傍点]、もつたいないなあと思ふ。
酒――句――死、この三つが私の昨日までの生活を織り成してゐた。
――酒亦酒哉茶亦茶[#「酒亦酒哉茶亦茶」に傍点]――といふ語句が足利時代の酒茶論といふ本にあるさうな。
新菊第二回播種。
Sさん母子が乳母車を押して柿もぎに来た、柿は日本家庭的なものを持つ木の実である。
時計が米ともなり煙草ともなり酒ともなる、さても便利な世の中、重宝な時計である(今日は質入しないでぢつと我慢したが)。

 十一月十六日[#「十一月十六日」に二重傍線] まつたく雲がない――とは今朝の空だつた。

樹明君を学校に訪ねたが、乱酒のため憔悴した相貌を見るに堪へないで、早々別れて戻つた、あゝ。
△鰹節をけづりつつ、これを贈つてくれた友の温情を思ふ、そして感謝と懺悔と織り交ぜた気分になる。……
夕方、駅のポストまでいつてきたが、途中二度も三度も休まなければならなかつた、それほど私のからだは弱つてゐるのである、しかしその弱さが同時に心の平静を持続せしめてゐることも事実だ(私は猫である癖に虎になりたがるのだ、からだにアルコールがまはるとぢつとしてはゐられないのだ)。
△半身不随[#「半身不随」に傍点]ならば、どうかかうか生きてゆける、おとなしくつましい生活をつづけることが出来る、全身随意[#「全身随意」に傍点]ならば多分自[#「自」に傍点]※[#「滅」の「さんずい」に代えて「火」、192−7][#「※[#「滅」の「さんずい」に代えて「火」、192−7]」に「マヽ」の注記]するだらう、石火せめぐほどの自己闘争が身をも心をも焼きつくすだらう、そして全身不随となつたならば自殺[#「自殺」に傍点]あるのみである、それで自他共に助かるのである(これが私の覚悟の一面である)。
△性慾をなくした安けさ、アルコールが遠ざかりゆく静けさ(すこしは何となくさみしいな)。
夜はねむれないのでおそくまで読書。
牧句人句集「木の端集[#「木の端集」に傍点]」を読み直して、君の熱意と巧妙とにうたれた。
詩歌新人の「屋上の旗[#「屋上の旗」に傍点]」も興味を以て読んだ。
十月十日の月がさえ/″\とうつくしかつた。
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 明けるより小鳥の挨拶でよいお天気で
・残された二つ三つが熟柿となる雲のゆきき
・時計を米にかへもう冬めくみちすぢ
   ―(こんな句もある)―
 ま夜中ふと覚めてかきをきかきなほす
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 十一月十七日[#「十一月十七日」に二重傍線] 晴、曇、肌寒い。

あれやこれやとすればすることはいくらでもある、今日だつて、草取、窓張、洗濯。……
△友よ[#「友よ」に傍点]、私を買ひかぶる勿れ[#「私を買ひかぶる勿れ」に傍点]――と今日も私は私に向つて叫んだ、彼は私を買ひ被つてゐる、私に善意を持ちすぎてゐる、君は私の一面を見て他の一面を見ないやうにしてゐる、君は私の病所弱点缺陥を剔抉し指摘して、私を鞭撻しなければならない、私は買ひ被られてゐるに堪へない、私は君の笑顔よりも君の鞭を望んでゐる、――これは澄太君に対する私の抗議――といふ外あるまい――である。
△私がどんなに醜い夢を見るか、私が酔うた場合にどんなに愚劣であるか、私が或る日或る場合、或る事件或る人に対して、どんなに卑怯であり利己的であるか、――それをあなたは知らなければなりません、私はあなたに対して、あなたが私を正しく批判して下さることを熱望してゐるのです(これも澄太君に)。
山田酒店のSさんがやつてきて、しばらく話した。
終日就床、読書思索。
樹明遂に来らず、約束が守れないほど酔ひしれた彼でないことを祈る。
△慾望がうすらぐといふことが――具体的にいへば、性慾は勿論、酒も煙草もこらへられるし、三度の食事すらもあまり欲しくない――私をして事物――自然、人生、私自身――を正視直視[#「正視直視」に傍点]せしめる、生活意力の沈潜[#「生活意力の沈潜」に傍点]とでもいはうか。
△こゝにふたゝび私の身のふりかたについて書きそへておかう――
……私がもし健康ならば、私はとうていここには落ちついてゐないだらう、そして私がもし疾病にとりつかれるならば、私はおそらく自殺しなければなるまい、……私がもし病むでもなく病まぬでもなく、いはゆる元気[#「元気」に傍点]がなくなつて、ぼんやりした気分であるならば、私は多分ここに落ちついて、生きられるだけ生きるだらう。……
半病人の生活[#「半病人の生活」に傍点]、それが私には最もふさわしい、それがこゝに私に実現しつゝある! しかし果して私の運命はどんな姿で私の上にあらはれるか、私には解らない、誰も知るまい、それでよいのだ、それでよいのだ。
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・ほほけすすきもそよがないゆふべの感傷が月
・或る予感、はだか木に百舌鳥のさけぶや
・灯のとゞく草の枯れてゐる
   Sよさようなら
・ああいへばかうなる朝がきて別れる
   (改作)石鴨荘
 草山のしたしさを鶯もなき
・月のあかるい水くんでおく
・窓からいつも見える木のいつかもみづれる月あかり
・月のひかりの、はだか木の、虫のなくや
・ひとりで朝からけぶらしてゐる、冬
・もう冬空の、忘れられてあるざくろの実
・糸瓜からから冬がきた
・おちついてゐる月夜雨降る
・月の落ちた山から鳴きだしたもの
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 十一月十八日[#「十一月十八日」に二重傍線] 雨はれて曇、ぬくい日だ、また雨。

時計を質入れして食料品を買ふ、これで当分は餓えないですむ、ありがたい。
菜葉に麦飯、それで十分、それが私には最もふさわしいし、また最もうまいと思ふ。
午後、樹明来庵、玄米茶をのんで話す外なかつたけれど、明るい顔を見てうれしかつた、知足安分、この平凡事を君にすゝめる、すゝめなければならない。
△飲みたい酒を飲まないのではない(さういふ事は私には出来さうもない)、飲みたくないから飲まないのである(私はこれまで、いかにしば/\飲みたくない酒を飲んだか、飲まねばならなかつたか!)。まことにこれは自然的断酒[#「自然的断酒」に傍点]である。
△雑木雑草の秋色のよろしさ。
△枯れゆく草にふりそゝぐ雨の姿、声。
楢の葉がいつとなく黄ばんで、さら/\と鳴る。
小鳥が山から里ちかく出てきて囀づる。
△秋から冬へ――晩秋初冬は私の最も好きな季節であるが、庵もこの季節に於てそのよさを最もよくあらはす、清閑とは其中庵の今日此頃の風趣である。
こんなにからだぐあいが悪いのは、一生の酒[#「一生の酒」に傍点]を飲みすごしたからだらう。
△流転する永遠の相[#「流転する永遠の相」に傍点]、永遠が流転する相[#「永遠が流転する相」に傍点]。
私は身辺風景をうたふ、雑草を心ゆくばかりうたひたい。
今夜も不眠で、詮方なしに徹宵句作。
△いはゆる枯淡にはその奥がまだある、水のやうに流れるものは常に新らしい。
△「生死は仏の御命なり」何といふ尊い言葉であらう、生も死も去も来も仏のはたらき[#「仏のはたらき」に傍点]である、それは人間の真実である、人間の真実は仏作仏行である。
△生活の句とは[#「生活の句とは」に傍点]――
句は無論生活から遊離[#「遊離」に傍点]して作られたものであつてはならない、生活に即して、否、生活からにじみでた句[#「生活からにじみでた句」に傍点]でなければならない、生活の表皮や生活断片そのままの叙述は句ではない、日記の一節であり、感想の一端に過ぎない、生活そのものの直接表現[#「生活そのものの直接表現」に傍点]、自然現象を通して盛りあがる生活感情[#「自然現象を通して盛りあがる生活感情」に傍点]、そのどちらも生活の句[#「生活の句」に傍点]である。
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   質入して
・けふから時計を持たないゆふべがしぐれる
・ちよつとポストまで落ちる葉や落ちた葉や
   父子対面―飯塚に健を訪ねて―
・このみちまつすぐな、逢へるよろこびをいそぐ
・煤煙、騷音、坑口《マブ》からあがる姿を待つてゐる
・話しては食べるものの湯気たつ
・分けた髪もだまりがちな大人《オトナ》となつてくれたか
   (山田君の父となれるを賀して昌子嬢の誕生を祝して)
 パパとママとまんなかはベビちやんのベツド
 山々もみづるはじめて父となり
・けさは郵便も来ない風が出てきて葉をちらす
   病中
・食べるものはあつて食べられない寒い風ふく
 秋風の競売がちつともはづまない人数
   祖母追懐
・おもひではかなしい熟柿が落ちてつぶれた
   星城子君に
 その鰹節をけづりつつあなたのことを考へつつ
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 十一月十九日[#「十一月十九日」に二重傍線] 晴、雨後のあざやかさ。

風が出てきた、風には何とも
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