酔ふ、虚無が酔ふ[#「虚無が酔ふ」に傍点]、踊らう[#「踊らう」に傍点]、踊らう。
肺炎再発の気味、生死去来は御意のまゝ!
何か食べたいな[#「何か食べたいな」に傍点]――これが人間の本音かも知れない。
[#ここから4字下げ]
生死去来
[#ここで字下げ終わり]

 七月十二日[#「七月十二日」に二重傍線]

曇、やつと雨になつた。……
慈雨、喜雨、生命の雨だ、降れ降れ、降つてくれ。
何とうれしい手紙が、それはNKから、そして地獄がすぐ極楽だ!
△食気と色気の二つが人間生活の根源だつた。
飯のあたゝかさ、うまさ、ありがたさ。
よく飲んでよく食べて、ぐつたりとしてゐるところへ黎々火君ひよつこり来庵、酒と米とを持つて、――はだかで、かやの中で飲んだり食べたり。
彼の憂欝はよく解る、私も老来かへつて惑ひ多し。
[#ここから4字下げ]
父と子との間
  ――(Kをおもふ)――
[#ここで字下げ終わり]

 七月十三日[#「七月十三日」に二重傍線]

雨、曇、晴。
朝の四時の汽車で黎々火君は出立出勤。
△過去一切の悪業を清算する時機が来たやうだ。
酒といふものは、飯といふものは、銭といふものは、句といふものは、人間といふものは。
今の今[#「今の今」に傍点]、こゝのこゝ[#「こゝのこゝ」に傍点]、私の私[#「私の私」に傍点]。――
ちよつと街まで、午前、ちよつと駅まで、午後、夜は読書。
無事平安の一日だつた、めでたし、めでたし。
[#ここから2字下げ]
・どうにもならない空から青柿
・若竹はほしいままに伸びる炎天
・雨を待つ風鈴のしきりに鳴る
・炎天のはてもなく蟻の行列
・身のまはり草の生えては咲いては実る(改作)
[#ここで字下げ終わり]

 七月十四日[#「七月十四日」に二重傍線]

曇、おかげでよいお盆が迎へられました。
鬼百合を活ける、力強い花である。
句稿をおくる、かなり句作するのだが、おくるとなれば、さても少ない、自信のある句が少ないのである。
あるだけの酒を飲む、街を歩いても、友を訪ねても、ちつとも慰まない、戻つて寝る、――まことにあぶない一歩だつた。
△父と子との間は山が山にかさなつてゐるやうなものだ(母と子との間は水がにじむやうなものだらう)、Kは炭塵にまみれて働らいてゐる、彼に幸福あれ。
雨乞が方々で行はれる、こゝでも今夜裏山で火を焚くさうな。
[#ここから2字下げ]
・空梅雨いちにち、どなられてぶたれて馬の溜息
・空は空梅雨の雨蛙なくとても
・その竹の子も竹になつた、さびしさにたへて
・もう死んでもよい草のそよぐや(帰庵病臥二句)
・死ねる薬はふところにある草の花
・灯すよりぶつかつてくる虫のいのちで(改作)
[#ここで字下げ終わり]

 七月十五日[#「七月十五日」に二重傍線]

今日も曇つてゐるが、降りさうでなか/\降らない。
酒に対する執着を放下しないかぎり、私の生活は安定しない。
△まづ、消極的禁酒[#「消極的禁酒」に傍点]を実行しなければならない(進んで呷らないこと、退いて味ふこと、具体的にいひかへれば、ありもせぬ金で買うて飲まないこと、貰ふたら飲むこと、御馳走酒しか飲まないこと)。
△個人的感情――社会的感情――人間的感情[#「人間的感情」に傍点]。
午後、樹明君が来て、ゆつくり昼寝して帰つた、私は今日の君にフイリスチンを感じた、多分、君も今日の私にミサンスロピストを感じたであらう。

 七月十六日[#「七月十六日」に二重傍線]

曇、だいぶ日が短かくなつた。
昨夜はよくねむれた、九時から四時までぐつすりだつた。
街のポストまで、ついでにちよいと一杯、つい破戒してしまつた!
[#ここから2字下げ]
・青田いちめんの送電塔かな
・虫が蔓草のぼりつめて炎天
・ひでり空、咲いて鬼百合の情熱は
・しげりふかく忘れられたるなつめの実
・きのふのいかりをおさへつけては田の草をとる
・炎天まうへにけふのつとめの汗のしたたる
[#ここで字下げ終わり]

 七月十七日[#「七月十七日」に二重傍線]

曇、今日こそは降りさうな。
たより、いろ/\のおもひ。
蓮華がひらいた、まことに仏の花。
今日の一杯[#「今日の一杯」に傍点]は昨日の百杯よりも明日の千杯よりもうれしい。
午過ぎ、ひよこりと周二さん来庵、暫らく話した。
油虫! この虫には閉口する、すまないけれど見つけしだいに殺す、百足と同様に。
昨日のやうに今日も寝ころんで漫読。
どうしても睡れないから、読んだり作つたりするうちに、やつと夜が明けた、身のつかれ、心のつかれ、かうなつては薬物の力で睡るより外はあるまい。……
[#ここから2字下げ]
・蝉の声はたえずしてきりぎりす
・むしあつく鴉の声は濁つてゐる
 窓へもからんで糸瓜がぶらりと
・風の雀がとまらうとする竹がゆらいで
・ゆふ風によみがへり草も虫も
・暮れると出てくる油虫だけ
[#ここで字下げ終わり]

 七月十八日[#「七月十八日」に二重傍線]

曇、朝から暑い、よその夕立。
彼は子を負うて田の草をとつてゐる。
豚小屋の豚を見るとき、嫌厭と憐愍とにうたれる。
彼の結婚について考へる、……私は。……
また一杯、サケ一杯では酒屋の前を素通りした位にしか感じないから、シヨウチユウにした、――破戒の破戒だ。
学校に樹明君を訪ねる、別状なし、どちらも酒が飲みたい顔色をしてゐたらう!
私のでかい胃の腑よ、呪はれてあれ、でかすぎる。
久しぶりに入浴、そして顔剃。
めづらしく犬がきた、猫もきた、鼠もきてゐるらしい。
夕暮、すこしセンチになつた、白髪のセンチメンタリストか。
[#ここから2字下げ]
・ひでりつづきの踊大[#「大」に「マヽ」の注記]皷の遠く近く
・風鈴すずしい雑草青い朝がきた
・いつまで降らない蕗の葉もやぶれ
・ぎいすはらめばはひあるくひでりばたけ
・百合咲けばお地蔵さまにも百合の花
   酒中酒尽
・よい酒だつた草に寝ころぶ(末後の一句)
[#ここで字下げ終わり]

 七月十九日[#「七月十九日」に二重傍線]

曇、思はせぶりなお天気ではある。
△裸礼讃[#「裸礼讃」に傍点]、むろん私は朝からハダカだ、お客にもすぐハダカになつてもらう、ハダカは其中風景のありがたい一景だ。
△感覚的なものが最も現実的である、だから、食慾と色慾とが生活の根本動力であり、ニヒリストが官能に走る所以である。
気分に[#「に」に「マヽ」の注記]沈静になつてくる、あまり好もしい状態ではない。
△今日の、招かないお客さんとして、とんぼ、とかげ、蜂、蠅、かまきり、きりぎりす、そしてあぶら虫は嫌な食客である。
何と糸瓜と糸瓜とが握手してゐる、その蔓が蔓にからんでござるのだ。
今夜も不眠苦[#「不眠苦」に傍点]、不眠は生理的には勿論、心理的にも、道徳的[#「道徳的」に傍点]にさへもよろしくない。
[#ここから2字下げ]
・胡瓜ばかりたべる胡瓜なんぼでもふとる
・炎天落ちる葉のいちまい
 炎天、がつがつ食べるは豚
 青田のなかの蓮の華のひらいた
・汲みあげた芥がおよげばいもりの子かよ
・バケツの水もゆたかにいもりの子はおよぐ
・からむものがない糸瓜が糸瓜に
・食べる物がない夜中のあぶら虫でやつてきた
[#ここで字下げ終わり]

 七月二十日[#「七月二十日」に二重傍線]

曇、――后晴か! と思つてゐたら降りだした!
△垣根から白い花[#「白い花」に傍点]が咲いてゐた、私はぢつと眺めてゐたが、たまらなくなつて、一枝下さいといつたら、若い妻君が、さあどうぞといつてナイフまで持つてきてくれた、彼女はおなじく白い花だつた。(白木槿の花)
彼のハズは幸福だらう、幸福でなくちやならない。
△一切は死に対する心がまへ、死についての身じまひではなからうか、もとより生や生の全機現[#「現」に「マヽ」の注記]、死や死の全機現ではあるが。
△うまい句とよい句[#「うまい句とよい句」に傍点]、――これが解らなければダメだ、私としてはうまい句を望まない、よい句を作りたい、それは真実の句[#「真実の句」に傍点]だ。
どうにもやりきれなくなつて、あの店この店とヤケで二三杯飲み歩いた、もしも人生に、いや私に酒といふものがなかつたら!
とにもかくにもよい雨だつた。
ねむれた、十時から五時まで、夢が夢につゞいたが。
[#ここから2字下げ]
・草にも風が出てきた豆腐も冷えただろ
・ゆふなぎを、とんでゐるてふねてゐるてふ
・田の草をとるせなかの子は陽にやかれ
・めつきり竹になつてしづくしてゆふ風に
・ここを死場所として草はしげるまゝに
・汲む水もかれがれに今日をむかへた
[#ここで字下げ終わり]

 七月廿一日[#「七月廿一日」に二重傍線]

曇、時々雨、よその夕立のこぼれだらう。
熊蝉最初の声、油蝉も鳴いた。
△芭蕉撰集を読む、それは碧巌録のやうである、私には。
△豚の如く[#「豚の如く」に傍点]――まつたく私は豚のやうに生活、いや、生存してゐる、異るところは、肉が食料として役立たないばかりか、焼却の手数を煩はすことだ!
△私はなるたけ虫類を殺さないやうにしてゐるが(雑草を茂るがまゝに茂らせておくとおなじく)、油虫[#「油虫」に傍点]だけは見あたりしだい殺さずにはゐられない、彼等は食器を汚して困る、物をいためて困る、本でさへかじる、――しかし、私はいつも私のヱゴイズを[#「ズを」に「マヽ」の注記]恥ぢる。
ねむれない、ねむれない、雨声を聴く、虫声に耳傾ける、そしてとろ/\とすれば、何といふ夢だ! 恥を知れ!
[#ここから2字下げ]
・百姓なれば石灰をまく石灰にまみれて炎天
・朝はすずしくお米とお花とさげてもどる
・夕立つや若竹のそよぎやう
・青田も人も濡れてゐる雨のあかるく
・こゝまでさくらが、窓あけておく
・あすはかへらうさくらがちるちつてくる(追加)
・病み臥してまことに信濃は山ばかり(飯田にて)
[#ここで字下げ終わり]

 七月廿二日[#「七月廿二日」に二重傍線]

曇、夕立、身心やゝよろし、豪雨こゝろよし。
柿が大きくなつた、葉からのぞいてきた。
死をおもふ。……
樹明来、サケとトウフとカルモチンとザツシとを持つて。
酔ふ(酔ひでもしなければやりきれなくなつてゐた私だつた)、そして山口へ、たゞ歩いた。
△酔如件[#「酔如件」に傍点]――これで何もかも解消!
[#ここから2字下げ]
・虫が火のなか声もろともに無くなつた
・そばの花もうてふてふきてゐる
・さびしさにたへて草の実や
・さびしい手が藪蚊をうつ
・月夜風呂たく麦わらもにぎやかに燃えて
・宵月ほつかりとある若竹のさき
[#ここで字下げ終わり]

 七月廿三日[#「七月廿三日」に二重傍線]

晴、シア[#「ア」に「マヽ」の注記]ヤ/\/\(これは蝉)ヒヨロ/\/\(これは私)。
朝酒三[#「三」に「マヽ」の注記]三杯ひつかける、これで先日来、不眠と疲労からくる、イラ/\クヨ/\がとんでしまつた、ほがらかな気分でラツキヨウを買うて戻つて漬けた。
やつぱり私は私だつたのだ、山頭火は山頭火以外の何物でもありえないのだ!
おもしろな[#「ろな」に「マヽ」の注記]、世の中は、人の身は。
うちのひよろ/\へちまも咲きだした。
待ちかまへてゐる敬坊も中原さんもやつてこない。
△壺の白木槿がしほれたので、鬼百合に活けかへる、前者はリフアインされたレデーのやうだつたが、後者は厚化粧した田舎娘に似てゐる。
胃痛、そして読書。
△自己忘却[#「自己忘却」に白三角傍点]! よろしい、酒を飲んで酔ふ場合ばかりでなく、任意自由にさうありたい。
ねむれた、ありがたかつた、カルモチンよりアルコールだ。
[#ここから2字下げ]
・うつ手を感じて街の蠅うまく逃げた
・うまく逃げた蠅めが壺の花のうへに(再録)
・モシモシよい雨ですねよい酒もある待つてゐる(樹明に)
・どしやぶりのそのおくで蠅のなく
・草にてふてふがきてあそぶ其中一人(本文に)
・ランプ消せば月夜の雨が草に地べたに
・ゆふぐれせつなくむしあつくうめくは豚か
[#ここで字下げ終わり]
前へ 次へ
全10ページ中9ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
種田 山頭火 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング