#「在るべき」に傍点]、或は在らずにはゐない[#「在らずにはゐない」に傍点]ものがある、――私を[#「を」に「マヽ」の注記]それを知る[#「知る」に傍点]といふよりも感じる[#「感じる」に傍点]、そしてそれを味はひつゝある。
私も破家散宅[#「破家散宅」に傍点]したけれど、それは形骸的[#「形骸的」に傍点]であるに過ぎなかつた、これから心そのものの放下着[#「放下着」に傍点]だ。
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   『旧道』
新道はうるさい、おもむきがない、歩くものには。
自動車が通らないだけでも旧道はよろしい。
旧道は荒れてゐる、滅びゆくもののうつくしさがある。
水がよい、飲むによろしいやうにしてある。
山の旧道、水がちろ/\流れるところなどはたまらなくよい。
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   或る農夫の悦び
・植ゑた田をまへにひろげて早少女の割子飯
・田植もすましてこれだけ売る米もあつて
・足音は子供らが草苺採りにきたので
・夕凪の水底からなんぼでも釣れる
・露けき紙札『この竹の子は竹にしたい』
・ほんとにひさしぶりのふるさとのちしやなます(改作再録)
   山口後河原風景
・おいとまして葉ざくらのかげがながくすずしく
 木かげがあれば飴屋がをれば人が寄つて
・ま夏ま昼の火があつて燃えさかる
 大橋小橋、最後のバスも通つてしまつて螢
・バスの※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]花の、白百合の花のすがれてはゐれど
   緑平老に
・あれからもう一年たつた棗《ナツメ》が咲いて
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 六月三十日[#「六月三十日」に二重傍線]

晴、曇、蒸暑いこと。
△水はともかく、ビールのやうな句も出来ない、出来るのは濁酒のやうな句だ、ウソはないけれど。
ごろ/\と寝たり起きたり、あゝ退屈だ、もつたいないが。
坐敷にぱたりと音を立てゝとかげ殿の散歩!
とんぼがあたまのてつぺんにとまりました。
蝉の声です、初耳です、もちろんみん/\蝉です。
今日も焼酎を呷ることを忘れなかつた、といふよりも、呷らずにはゐられなかつた、飲むときは胸が痛いほど苦しい、しかし飲んでしまへば何となくうれしくなる。……
ウソイツハリのない自殺的行為だ。
△歩けなくなつた山頭火、みじめな山頭火だ。
青紫蘇の香のよろしいこと。
△心境はかはる、気分はうつる、――生きたくも死にたくもなかつた、生きてゐてもよく死んでしまつてもわるくなかつた、――生きてゐたくなくなつた、――死んでしまひたくなつた、――それは自然的推移、必然的変化ではあるまいか。――
△事物の破壊から自己の破壊へ!
       ……………………………………………………………………
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・筍あんなに伸びて朝月のある空へ
・いつも鳴る風鈴で夏らしう鳴り
・晴れて朝から雀らのおしやべりも(改作)
・糸瓜の蔓がこゝまで筍があつた
・空ラ梅雨のゆふ風や筍はしづくして
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 七月一日[#「七月一日」に二重傍線]

晴、つゝましくすなほな生活[#「つゝましくすなほな生活」に傍点]を誓ふ。
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こゝろあらためて七月朔日の朝露を踏む
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△筍を観てゐると、それを押し出す土の力と、伸びあがるそれ自身の力とを感じる。
△ウソからホントウの自殺[#「ウソからホントウの自殺」に傍点]へ――彼は酔うて浪費つ[#「つ」に「マヽ」の注記]て、毒をのんだとウソをいつたが、とう/\ホントウに服毒しなければならなくなつた、そして死んだのである。……
移植した三本の桐苗がみんなつい[#「つい」に傍点]たらしい、二三年もたつたら青々として夕日をさえぎつてくるだらう。
樹明来庵、飯を食べたい、そして銭を三十銭貸してくれといふ、昨夜から飲んで帰らないのださうな、目前酔うてゐないのがうれしくて、飯を炊き銭入をはたいた。……
焼酎を呷る、焼酎が焼酎をよぶ、酔うた、泥酔した、しかし、庵にかへつてぐつすり寝た。
酔うても酔はないでも、悠然として変らない身心となりたい。
シヨウチユウよ、サヨナラ。
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 家いつぱいに昇る日をまともに郵便を待つ
・たづねてくれるみちの草だけは刈つておく
・郵便やさんがきてゆけばまた虫のなく
 すこし風が出て畳へちつてくるのは萱の穂
・ひとりひつび[#「び」に「マヽ」の注記]り竹の子竹になる
・うれしいこともかなしいことも草しげる
・生きたくもない雑草すずしくそよぐや
 あをあをと竹の子の皮ぬいでひかる
・竹の子竹となつた皮ぬいだ
・竹の子伸びるよとんぼがとまる
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 七月二日[#「七月二日」に二重傍線]

曇、酔覚のむなしさ、はかなさ、終日読書。
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さらにこゝろをあらためて七月二日の朝露をふむ
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 七月三日[#「七月三日」に二重傍線]

晴れきつて暑かつた、今日も終日読書。
水、水、水はうまいな、ありがたいな。
身心が弱くなつたことを痛感する。
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・雑草すゞしく人声ちかづく
・すくすくと筍のひたすら伸びる
・暮れるとひやつこい風がうら藪から
・けさは鶯がきてこうろぎも鳴く
・炎天、かぜふく
・おもくて暑くてねぎられてまけるのか
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 七月四日[#「七月四日」に二重傍線]

晴、夏の朝はよろし。
一天雲なくして暑い、まだ梅雨のうちだのに。
昨夜は寝苦しくて寝不足だつたので、ぐつすりと昼寝。
四日ぶりに街へ出かけてコツプ酒一杯借りた。
たいへん忘れつぽくなつた、忘れてならないことを忘れるやうになつた。
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 ここにも筍がとなりの藪から
・炎天、とんぼとぶかげ
・いま落ちる陽の、風鈴の鳴る
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 七月五日[#「七月五日」に二重傍線]

晴、とても暑くなるだらう、終日読書。
蝉が鳴きはじめた、まだ長く巧くは鳴けないが。
何といふ鳥か(雉子かとも思ふが)、迫るやうな鋭い声で裏山の奥の方で啼く。
よいたよりもよくないたよりもこないさびしさだつた。
うちの初茄子を味ふ。
野菜に水をやる、いかに私の身心が弱つてゐるかを知る。
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・けふも暑からの[#「の」に「マヽ」の注記]山の鴉のなくこゑも
・朝からはだかでとんぼがとまる
[#ここで字下げ終わり]

 七月六日[#「七月六日」に二重傍線]

好晴、身心清澄。
あれからもう一年たつた、緑平老をおもひ白船老をおもふ。
碧巌を読む、碧巌はいつ読んでもなんど読んでも興が深い、そこに禅の語録の味はひがある。
私に貧閑の記[#「貧閑の記」に傍点]があるべきだ、あらなくてはならない。
今日も郵便が来ない、さびしいなあ!
樹明徃訪。
何日ぶりかで新聞を読む、斉藤内閣が総辞職して大命が岡田大将に降下したことを知つた。
米がなくなつて思案してゐたら、米を与へられた、米、米、米、米なるかなです、日本人は米がなくては生きてゐられない。
暑い、暑い、ぢつとしてゐて、雑草の風がふくのにこんなに暑い、さぞや。……
さびしいけれどしづかで、貧しいが落ちついてをります、……と友へ書いた、私はやうやく落ちついた、過去の一切の罪障を清算しなければならない。……
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・かうしてながらへて蝉が鳴きだした
・藪を伸びあがり若竹の青空
・若竹ゆらゆらてふてふひらひら
・いつぴきとなりおちつかない蠅となつてゐる
・炎天の萱の穂のちるばかり
・ま昼ひそかに蜂がきては水あびる
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 七月七日[#「七月七日」に二重傍線]

晴、新暦では七夕、一年一回の逢瀬は文字通りに一刻千金だらう!
朝は涼しいよりも寒い、そして日中は土用よりも暑い。
一雨あつたら、人よりも草木がよろこぶだらう、田植の出来ない地方、田植しても枯渇する地方のみじめさ、気の毒さ。
身心ます/\平静、山頭火は山頭火であれ。
若竹のすなほさ、のびやかさ、したしさ。
やつと郵便がきた、北朗君がよく覚えてゐて鈴を送つてくれた、忘れてゐたゞけ嬉しかつた、「松」「地に坐る者」などそれ/″\ありがたい。
嫌な手紙を書いた、それは書きたくない、書いてはならない手紙だつた、生きてをれば、生きるために、かういふ手紙を書かなければならないのだ。
雨乞の声[#「雨乞の声」に傍点]が山野に満ちてゐる。
ちよつと街まで出かける、心臓の弱さがハツキリ解る、ぽつくり徃生こそ望ましい。
夕方、樹明君が来た、酒と下物とを持つて、――よろしくやつてゐるところへ、ひよこりと黎々火君がやつて来た。
黎々火君をそゝのかして街を歩く、持つてゐるだけ飲んでしまつた(といつてもみんなで一円五十銭位!)、酔ふ、とう/\野菜畑で一寝入した。……
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・すゞしい風のきりぎりすがないてとびます
・炎天、なんと長いものをかついでゆく
・父が母が、子もまねをして田草とる
・炎天、きりぎりすはうたふ
・朝の水があつて蜘蛛もきて水のむ
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 七月八日[#「七月八日」に二重傍線]

晴、とても暑い日だつた、百度近くだつたらう。
朝蝉が鳴く、朝酒がほしいな、昨夜の酒はだらし[#「だらし」に傍点]なかつたけれど、わるい酒ではなかつた、ざつくばらんな酒[#「ざつくばらんな酒」に傍点]だつた。
八時頃、約を履んで樹明来、釣竿、突網、釣道具、餌、そして辨当まで揃へて。
三人異様な粉[#「粉」に「マヽ」の注記]装で川へ行く、途中コツプ酒、与太話、沙魚は釣れなかつたが蝦をすくうた、裸体で水中を歩くのは愉快だつた、船のおかみさんが深切にも辨当を食べる用意をしてくれました。
帰途、酒と豆腐とを買つて(三人で買へるだけ、金九十五銭!)、ゆつくり飲んだ、それは「豆腐をたべる会[#「豆腐をたべる会」に傍点]」第一回でもあつた、とかうして七時解散。
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 とんぼふれても竹の皮のおちる
・とぶは萱の穂、おちるは竹の皮
・いつもの豆腐でみんなはだかで
 蝉なくやヤツコよう冷えてゐる
 したしさははだかでたべるヤツコ
・風はうらからさかなはヤツコで
・金借ることの手紙を書いて草の花
・朝蝉、何かほしいな
・夕蝉、かへつてゆくうしろすがた(黎々火君に)
・ともかくもけふまでは生きて夏草のなか
・ぽとりぽとり青柿が落ちるなり
[#ここで字下げ終わり]

 七月九日[#「七月九日」に二重傍線]

晴、降ればよいのに、降りさうにもない。
甘草、またの名は忘れ草を活ける、百合よりも野趣がある。
蟻地獄といふもの、何だか気味悪い存在だ。
ちよつと街のポストまで、そしてちよつと一杯!
夕蝉なけばまた一杯やりたいな!
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・風がふきぬけるころりと死んでゐる(自弔)
[#ここで字下げ終わり]

 七月十日[#「七月十日」に二重傍線]

晴、曇、夕立がきさうだつたが、バラ/\と落ちたゞけ。
昨日も今日も終日読書。
一杯やりたいが、それどころぢやない、一椀があやしくなつた!
周囲が(私自身も)コセ/\してゐるのが嫌になる、もつとユツタリとしたいものだ。
△……生きてをれば生きてをるがために、いひたくない事をいひ、したくない事をしなければならない、……生きてゐたくないと思ふ。
三八九復活の外はない、やつぱり謄写刷がよい。
肋膜の工合が変だ、うまく死ねないものか!
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・食べる物がない涼しい風がふく
・どうせもとのからだにはなれない大根ふとる
 生えて移されてみんな枯れてしまつたか
・酒と豆腐とたそがれてきて月がある
・青田風ふく、さげてもどるは豆腐と酒
・食べる物はあつて酔ふ物もあつて草の雨
[#ここで字下げ終わり]

 七月十一日[#「七月十一日」に二重傍線]

晴、曇、晴、そして待ちに待つ手紙は来ない。
今日は食べる物がないから砂糖湯を飲む、そして胡瓜を食べる。
米屋は米を貸してくれない、酒屋は酒を飲ましてくれた!

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