ければならない。……
中外日報[#「中外日報」に傍点]を読んで、無塀さんを思ひだした、品のよい、おとなしい芸術家である彼はしづかな力[#「しづかな力」に傍点]を持つてゐられる。
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   断想
△心清浄、身清浄、 身清浄、心清浄
△山のすがた、水のすがた、人間のすがた。
△すがた即こころ、こころ即すがた。
△そのすがた[#「すがた」に傍点]をうたふ、それがこゝろの詩[#「こゝろの詩」に傍点]である、私の俳句である。
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 六月廿四日[#「六月廿四日」に二重傍線]

曇、梅雨らしく降りだした。
△私は平静である、清澄でさへあると自惚れてゐる、私は私にかへることが出来たから、私は私の場所[#「私の場所」に傍点]に坐つてゐるから。
一切が過ぎてしまつた[#「一切が過ぎてしまつた」に傍点]、といふやうに私は感じつゝある。
午後、樹明君が酒井教諭をひつぱつて来た(本当は酒井さんが樹明君に案内されて来庵したのださうなが)、無論、酒と肉とを御持参になりまして、――三人ほどよく酔うて暮れる前に解散、それから私は御飯を炊いて筍を煮て夕飯。
快眠、眼覚めたのが十二時頃、漫読してゐると、ゴム靴の音がする、樹明酔来、手のつけやうがないので、ほつたらかしておく、かういふ場合の彼は(必ずしも彼に限らないが)人間でなくて獣だ、鼾は大蛇の如く、そして野猪の如く振舞ふ、あゝ酒好きの酒飲みの亭主を持つた女房は不幸なるかな!(これは樹明君にのみ対して投げる言葉ぢやない)
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   酒についての覚書
△味うてゐるうちに(飲むのではない)酒のうまさがよい酔となるのでなければ嘘だ、酒はうまい、酔へばます/\うまい。……
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 六月廿五日[#「六月廿五日」に二重傍線]

曇、雨、梅雨らしくなつた、梅雨は梅雨らしいのがよい。
樹明君は朝になつてもまだ酔が醒めないらしい、それでも、ひよろ/\跛をひいて出勤した、樹明君よ、しつかりして下さい、あなたがしつかりしてゐてくれないと、私も倒れる(私にはそんな忠告を敢てする資格はないけれど)。
晴ならば山口へ行くつもりだつた、明日は澄太君、砂吐流君が来て下さるのに、もう米もない、醤油もないから、本でも売つていくらか拵らへるつもりだつたが。
自然生の桐苗を移し植ゑた、どうか枯れないでくれ。
窓に近く筍二本、これは竹にしたいと思ふ、留守にTさんが来て抜かれては惜しいと思つて、紙札をつけておく、『この竹の子は竹にしたいと思ひます 山頭火』
昨夜の酒は私にはよかつた、今日は昨日よりも落ちついて、そして幸福である。
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・ここでもそこでも馬を叱りつつ田植いそがしい
・叱つても叱られても動かない馬でさみだれる
・人がきて蠅がきて賑やかなゆふべ
・どうにもならない人間が雨を観る
・負うて曳いて抱いてそして魚を売りあるく(彼女を見よ)
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 六月廿六日[#「六月廿六日」に二重傍線]

梅雨曇、まづ玉葱と筍とを茹でて友を待つ。
昨夜もよく眠れたが、狂犬に追つかけまはされた夢を見た、その狂犬は煩悩だつたらう。
たよりいろ/\、なかんづく、緑平老からの手紙は涙がこぼれるほどうれしかつた。
晴れてきて蒸暑くなつた。
街へ、買物かず/\、米と醤油と買へたのが何よりも有難かつた。
友に与へた手紙のうちに、――
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老来なか/\に思ひ惑ふことが多くて、ます/\グウタラとなり、モノク[#「ク」に「マヽ」の注記]サとなりつゝあります、どうでも少し歩いて来なければなりません。……
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駅のポストへ行つて戻つたところへ、ひよこりと澄太君があらはれた、さつそく一杯やる、胡瓜がうまかつた、酒のうまさはいふまでもない、何もかも愉快々々。
六時の汽車で帰りたいといふので駅まで見送る、待つてゐる人のところへかへるとは、ちと癪にさわりますね。
月がよかつた、陰暦の五月十五夜だつた、一人で観るには惜しい景色であつた。
△月がこぼれる、月かげを拾ふ、といふやうな文句が思ひ浮べられた。
澄太君の友情はありがたい、水を汲んでくれ、そしてまた小遣までもおいてくれて、――私はこんなにして貰つてもよいだらうか!
螢がとぶ、すこしさびしい。
のう/\と蚊帳の中に横は[#「横は」に「マヽ」の注記]つてもなか/\に睡れなかつた、何だか少し興奮して。
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・山はひそかな朝の雨ふるくちなしの花
・子供が駈けてきて筍《カツポウ》によきりと抜いたぞ
 赤い花や白い花や梅雨あがり
 降つて降つていつせいに田植はじまつた
・花さげてくる蝶々ついてくる
   石鴨荘即事
 草山のしたしさは鶯のなくしきり(改作再録)
・酔へばはだしで歩けばふるさと
・さみだるるやはだしになりたい子がはだしとなつて
・なんとよい月のきりぎりす
・はだかで筍ほきとぬく
・竹にしたい竹の子がうれしい雨
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 六月廿七日[#「六月廿七日」に二重傍線]

曇、よく睡れないので明けきらないうちに起きた、水鶏(?)がしきりに啼く、あはれな声で。
草苺のうつくしさよ。
朝酒のよろしさ、一人のよろしさ。
ほろ酔機嫌で、床屋へ、湯屋へ、酒屋へ、質屋へ、仕立屋へ、そして防府へ行つた。
三田君の宅に泊めて貰ふ、E君にもI君にも逢ふことは逢ふたが、もう彼等と私との間には友情が残つてゐない、三田君は特別だ、彼は世間的には失敗した方だけれど、人間としてのあたゝかさを失つてゐない、彼のあたゝかさは沸かし[#「沸かし」に傍点]さ[#「さ」に「マヽ」の注記]あたゝかさ[#「あたゝかさ」に傍点]でなくして湧くあたゝかさ[#「湧くあたゝかさ」に傍点]だ。
月はよかつたが蒸暑い夜だつた、飲みすぎたので寝苦しかつた。
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・ならんで竹となる竹の子の伸びてゆく雨
・竹となりゆく竹の子のすなほなるかな
・山から山がのぞいて梅雨晴れ
 月夜の青葉の散るや一枚
・もう一めんの青田となつて蛙のコーラス
・がつがつ食べてゐるふとると殺される豚ども
・街はうるさい蠅がついてきた
 ついてきた蠅でたゝき殺された
・風ふくとんぼとまらないとんぼ
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 六月廿八日[#「六月廿八日」に二重傍線]

晴、いよ/\空梅雨だ、もう真夏の暑さである。
昨日の失敗を省みて、気短かと早合点とを戒める。――
朝、九時前にオヨリデキヌ一一ジ二〇ヱキデオアイシタシといふ電報が砂吐流君から来た、で、十時過ぎには駅へ出かけて、大社線十一時弐拾三分止の列車を待つた、が、車内にもプラツトにもどこにも砂君の姿は見えない、そこで気短かの私は早合点して、さては何かの事情で延引したのだらう、留守中に何とかいつてきてゐるかも知れないと考えたので、急いで帰庵したのである、そして念のために、学校に樹明君を訪ねたら、案の定(といふ風に感じたのである)、砂君が自動電報[#「報」に「マヽ」の注記]をかけて、私を探しても見当らないから、残念ながらこのまゝ帰京するといふことであつた、それは十一時三十分頃だつたといふ、私もその頃駅の附近にゐた、もうすこし待つて十一時四十分東上急行車の発着までゐればよかつたのだ(砂君は多分自動車でやつて来て、その列車に乗り込んだのである)、人生の事おほむね斯くの如し、ほんの五分か十分の現在が当来の十年二十年となるのである。
何ぞ塩の安きや[#「何ぞ塩の安きや」に傍点]、私は一ヶ年間に五銭づゝ三度しか塩を買はない、それで十分なのである、一年十五銭の塩代だ。

宮市はふるさとのふるさと[#「ふるさとのふるさと」に傍点]、一石一木も追懐をそゝらないものはない、そして微苦笑に値しないものはない。
天神様へ参詣した、通夜堂から見遙かす防府はだいぶ都会らしくなつてゐる、市となるのも時の問題だらう。
町役場で戸籍謄本を受ける、世間的に処理しなければならないことが私にもある!
駅前の菖蒲園を見た、日本的なのがうれしかつた。
十一時の汽車で帰庵、うちがいちばんよい(といふことは防府が私をひきとめるだけのものを持つてゐないといふことだ)。
△……足らで事足る生活[#「足らで事足る生活」に傍点]……それが私の現在の、そして将来の生活でなければならない。
日が傾いてくると、きゆつと一杯ひつかけたくなつて、もうたまらないので、わざ/\T店まで出かけて、焼酎一杯、息なしに飲む、だいたい焼酎を私は好かない、好かないけれど酒の一杯では酒屋の前を通つた位にしかこたえない、だから詮方なしに焼酎といふことになる、酒は味へるけれど、焼酎は味へない、たゞ酔を買ふ[#「酔を買ふ」に傍点]のである、その焼酎がいかに私の身心を害ふかは明々白々だ、だから、焼酎を呷ることは、まあ自殺――慢性的な――今の流行語めかしていへば slow suicide だ! それはむしろ私に相応してゐるではあるまいか!
△転ぜられるところが転ずるところ[#「転ぜられるところが転ずるところ」に傍点]、そこは物心一如[#「そこは物心一如」に傍点]、自他不二だ[#「自他不二だ」に傍点]。
△腐つた物をたべてもあたらない、――こゝまでくるとりつぱにルンペンの尊さ[#「ルンペンの尊さ」に傍点]を持つてゐる。
いはでもの事をいふ私、しなければならない事をしない私。
ふと眼がさめたら、とてもよい月夜、もう十二時を過ぎてゐた、近来稀な快眠熟睡だつた。
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   防府にて
・この家があつてあの家がなくなつてふる郷は青葉若葉
・青田はればれとまんなかの墓
・青草をふみ鳴らしつつ郵便やさん
   再録二句
・月からこぼれて草の葉の雨
・あほげば梅の実、ひよいともぐ
・ほろにがさもふるさとにしてふきのとう(追加)
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   故郷といふもの
故郷はなつかしい、そしていとはしい、それが人情だ。
故郷の人間には何の関心を持たなくても、故郷の風物には心を惹かれる。
一木一石、すべてが追想を強いる。
歩々の微苦笑[#「微苦笑」に傍点]だ、ニガワラヒ[#「ニガワラヒ」に傍点]といふやつだ。(防府にて)

[#ここから2字下げ]
・朝風のトマト畑でトマトを食べる(改作再録)
・うらへまはる私ととんぼとぶつかつた
[#ここで字下げ終わり]

 六月二十九日[#「六月二十九日」に二重傍線]

晴、昨日今日、梅雨には珍らしい青天、そして暑気だ。
九時の汽車へゆく、もう米もないし、米代もないから。
朝から失敗した、年はとりたくないもの、此頃は物忘れして困る、といふのは煙草代と汽車賃だけはある銭入を忘れて出立したのである、八百屋のおばさんに事情を説いて、時計を預けて、五十銭玉一つを借りる、おかげでバツトが吸へて、ガソリンカアに乗れた。
古本として多少の銭になりさうな弐冊、それが八十銭になつた、さつそく一杯、そしてS家を訪ねる、周二さんはまだ帰郷してゐない、赤の事で当局に油をしぼられてゐるらしい。
湯田の千人風呂で一浴、バスで上郷まで、新町で下車して、朝のマイナスを返す、やれ/\。
二時半帰庵、うちほど楽なものはない。
今日もまた焼酎を呷つた、それだけ寿命を縮めた。
何となく――それはウソぢやない――人心凝滞、世相険悪を感ぜざるを得ない、ダイナマイトはうづたかく盛られてある、まだ点火するほどの人間が出現しないのだ!
我儘を許されない身心――かうまで心臓が弱くなつてゐるとは思はなかつた、ああ。
△くちなしの花、その匂ひが(その色よりも姿よりも)私を追想の洞穴に押し込める。……
△アルコール中毒、ニコチン中毒、そして俳句中毒、酒と煙草と俳句とはとうてい止められない、止めようとも思はない。
△在る世界[#「在る世界」に傍点]から在るべき世界[#「在るべき世界」に傍点]へ、在らずにはゐない世界[#「在らずにはゐない世界」に傍点]へ、そして私はまた在る世界[#「在る世界」に傍点]へかへつて来た、在る[#「在る」に傍点]ところに在るべき[
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