其中日記
(六)
種田山頭火
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)船窓《マド》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)とう/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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旅日記
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□東行記(友と遊ぶ)
□水を味ふ(道中記)
□病床雑記(飯田入院)
□帰庵独臥(雑感)
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三月廿一日[#「三月廿一日」に二重傍線] (東行記)
春季皇霊祭、お彼岸の中日、風ふく日。
樹明君から酒を寄越す、T子さんが下物を持つてくる、やがて樹明君もやつてくる。……
出立の因縁が熟し時節が到来した、私は出立しなければならない、いや、出立せずにはゐられなくなつたのだ。
酔歩まんさんとして出かける、岐陽君を訪ねる、酒、さらに呂竹さんを訪ねる、そしてFをSを訪ねて酒。
とう/\出立の時間が経過してしまつたので、庵に戻つて、さらに一夜の名残を惜しんだ。
三月廿二日[#「三月廿二日」に二重傍線] 徳山から室積へ。
晴、朝早く駅へかけつけて出立。
物みなよかれ、人みな幸なれ。
八時から一時まで白船居、おちついてしんみりと別盃を酌んだ、身心にしみ入る酒だつた。
駅の芽柳を印象ふかく味はつた。
白船君の歯がほろりと抜けた、私の歯はすでに抜けてしまつてゐる。
汽車からバスで室積へ、五時から十時まで、大前さん水田さんと飲みながら話す。
十二時の汽船(商船愛媛丸)で宇品へ、春雨の海上の別離だ。
船中雑然、日本人鮮人、男女、老人子供、酒、菓子、果実、――私は寝るより外なかつた。
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庵はこのまゝ萠えだした草にまかさう
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そして私は出て行く、山を観るために、水を味ふために、自己の真実を俳句として打出するために。
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・ふりかへる椿が赤い
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其中庵よ、其中庵よ。
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わかれて春の夜の長い橋で
木の実すつかり小鳥に食べられて木の芽
・こんやはこゝで涸れてゐる水
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三月廿三日[#「三月廿三日」に二重傍線]
おくれて九時ちかくなつて宇品着、会社に黙壺君を訪ねる、不在、さらに局に澄太君を訪ね、澄太居に落ちつく、夫妻の温情を今更のやうに感じる。
樹明、白船、せい二、清恵、澄太、等、等、等、春風いつもしゆう/\だ、ぬくい/\うれしい/\だ。
夜は親しい集り、黙壺、後藤、池田、蓮田の諸君。
近来にない気持のよい酒だつた、ぐつすりと眠れた。
三月廿四日[#「三月廿四日」に二重傍線]
おこされるまで睡つてゐた、夢は旅のそれだつた。
春雨、もう旅愁を覚える、どこへいつてもさびしいおもひは消えない。……
澄太君が描いてくれた旅のコースは原稿紙で七枚、それを見てゐると、前途千里のおもひにうたれる、よろしい[#「よろしい」に傍点]、歩きたいだけ歩けるだけ歩かう[#「歩きたいだけ歩けるだけ歩かう」に傍点]。
青天平歩人[#「青天平歩人」に傍点]――清水さんの詩の一句である。
しぜんに心がしづみこむ、捨てろ、捨てろ、捨てきらないからだ。
放下着[#「放下着」に傍点]――何と意味の深い言葉だらう。
澄太君の友情、いや友情といつてはいひつくせない友情以上のものが身心にしみる。……
夕方から、澄太君夫妻と共に黙壺居の客となる、みんないつしよに支那料理をよばれる、うまかつた、鶩の丸煮、鯉の丸煮、等、等、等(わざ/\支那料理人をよんで、家族一同食べたのは嬉しい)。
澄太居も黙壺居もあたゝかい、白船居も緑平居も、そして黎々火居も、星城子居も。……
私だけ泊る。
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春の波の照つたり曇つたりするこゝろ
・菜の花咲いた旅人として
日ざしうらゝなどこかで大砲が鳴る(澄太居)
・枯草あたゝかうつもる話がなんぼでも
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三月廿五日[#「三月廿五日」に二重傍線]
早く起きる、八時の汽船に乗り込まなければならない。
こゝでも黙壺君の友情以上のものが身心にしみる、私は私がそれに値しないことを痛感する。……
宇品から三原丸に乗る、海港風景、別離情調、旅情[#「旅情」に傍点]を覚える。
法衣姿の私、隣席にスマートな若い洋装の娘さん、――時代の距離いくばくぞ。
三原丸船中、――
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天気予報を裏切つて珍らしい凪、
ラヂオもある、ゆつたりとして、
人間は所詮、食べ[#「食べ」に傍点]ることゝ寝る[#「寝る」に傍点]ことゝの動物か[#「動物か」に傍点]、
高等学校の学生さんと漫談、
瀬戸内海はおだやか、
甲板は大衆的に、
兎の子を持つて乗つた男女
島から島へ、酒から酒へ!
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船中所見、――
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港について売子の売声、
インチキ賭博、
上陸して乗りおくれた人、
修学旅行の中学生、私も追憶の感慨にふける、
春風の甲板を遊歩する、
団参連中のうるさいことは、
船から陸へ、水から土へ、
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四時神戸上陸、待合室で六時半まで。
自動車、自動車、自動車がうづまいてゐました。
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・兵営、柳が柳へ芽ぶいてゐる
・旅も何となくさびしい花の咲いてゐる
しつとりと降りだして春雨らしい旅で
お寺の銀杏も芽ぐんでしんかん
・そここゝ播いて食べるほどはある菜葉
・水に影あれば春めいて
・春寒い朝の水をわたる
・船窓《マド》から二つ、をとことをなごの顔である
なんぼでも荷物のみこむやうらゝかな船
島にも家が墓が見える春風
銭と銭入と貰つて春風の旅から旅へ(黙壺君に)
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三月廿六日[#「三月廿六日」に二重傍線]
歩いて兵庫へ、めいろ居へ。
神戸は国際都市であることに間違はなかつた。
ビルデイングにビルデイング、電車に自動車、東洋人に西洋人、ブルヂヨアにプロレタリヤ。……
めいろ居はめいろ君のやうに、めいろ君が営んでゐた、意外だつたのは、ピヤノのあつたこと。――
わざ/\出迎へて下さつたのに、出迎への甲斐がなくて、めいろ君にも詩外楼にもすまなかつた、それもかへつて悪くなかつたが。
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ぽつかり島が、島も春風
島はいたゞきまで菜ばたけ麦ばたけ
・ここが船長室で、シクラメンの赤いの白いの(三原丸)
[#ここで字下げ終わり]
四月十四日[#「四月十四日」に二重傍線] 坂下から清内路へ。
曇、やがて晴、そゞろ寒い、春がおそい今年で、さらに春がおそいこのあたりで。
四月十五日 清内路から飯田町へ。
四月十五日[#「四月十五日」に二重傍線] 蛙堂居。
〃 十六日
〃 十七日
〃 十八日
〃 十九日
〃 廿日
四月廿一日[#「四月廿一日」に二重傍線] 川島病院。
〃 廿二日
〃 廿三日
〃 廿四日
〃 廿五日
〃 廿六日
〃 廿七日
四月廿八日[#「四月廿八日」に二重傍線]
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大死一番 天地一枚
莫妄想
無常迅速
時不待人
光陰可惜
慎勿放逸
裁断前念後念
大事了畢
身心脱落
断命根
己平究明
大我爆発
三昧発得
天地同根 万物一体
□
山はしづかにして性を養ひ、水は動いて情をなぐさむ
諸行無常、無常迅速、
諸法常示寂滅相、
眼前景致、口頭語。
[#ここで字下げ終わり]
四月廿九日[#「四月廿九日」に二重傍線]
四月廿九日、暮れて八時過ぎ、やうやく小郡に着いた、いろ/\の都合で時間がおくれたから、樹明君も出迎へてゐない、労[#「労」に「マヽ」の注記]れた足をひきずつて、弱いからだを歩かせて、庵に辿りついた、夜目にも雑草風景のすばらしさが見える。……
風鈴が鳴る、梟が啼く、やれ/\戻つた、戻つた、風は吹いてもさびしうない、一人でも気楽だ、身心がやつと落ちついた。
すぐ寝床をのべて寝た、ぐつすりとゆつくりと寝た!
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ふるさとはすつかり葉桜のまぶしさ
・やつと戻つてきてうちの水音
・わらやしづくするうちにもどつてる
・雑草、気永日永に寝てゐませう(病中)
[#ここで字下げ終わり]
四月三十日[#「四月三十日」に二重傍線]
久しぶりにようねむれた、山頭火は其中庵でなければ落ちつけないのだ[#「山頭火は其中庵でなければ落ちつけないのだ」に傍点]、こゝならば生死去来がおのづからにして生死去来だ、ありがたし、かたじけなし。
降つたり照つたり、雑草、雑草。
起きるより掃除(樹明君が掃除してくれてはゐたが)、数十日間の塵を払ふ。
学校に樹明君を訪ねる、君は私が途中、どこかに下車したと思つて、昨日も白船君と交渉したさうな、感謝々々。
街へ出かけて買物、米、炭、味噌、等々(うれしいことにはそれらを買ふだけのゲルトは残つてゐた)。
御飯を炊き味噌汁を拵らへて、ゆう/\と食べる、あまり食べられないけれどおいしかつた。
つかれた、つかれた、……うれしい、うれしい。
とんぼがとまる、てふてふがとまる、……雲雀がなく蛙がとぶ、……たんぽぽ、たんぽぽ、きんぽうげ、きんぽうげ。……
柿若葉がうつくしい、食べたらおいしからう!
方々へ無事帰庵のハガキを書く、身心がぼーつとしてまとまらない、気永日永に養生する外ない。
午後、樹明君来庵、酒と肉とを持つて、――もう酒が飲めるのだからありがたい。
樹明君を送つてそこらまで、何と赤い月がのぼつた。
蛙のコーラス、しづかな一人としてゆうぜんと月を観る。
今夜はすこし寝苦しかつた、歩きすぎたからだらう、飲みすぎたからでもあらうよ。
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・いかにぺんぺん草のひよろながく実をむすんだ
・藪かげ藪蘭のひらいてはしぼみ
みんな去んでしまへば赤い月
改作二句
乞ひあるく道がつゞいて春めいてきた
藪かげほつと藪蘭の咲いてゐた
木の実ころころつながれてゐる犬へ
まんぢゆう、ふるさとから子が持つてきてくれた
雑草やはつらつとして踏みわける
[#ここで字下げ終わり]
五月一日[#「五月一日」に二重傍線]
早く起きた、うす寒い、鐘の音、小鳥の唄、すが/\しくてせい/″\する。
雑草を壺に投げ※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]す、いゝなあ。
身辺整理、その一つとして郵便局へ投函に。
私の身心はやぶれてゐるけれどからり[#「からり」に傍点]としてゐる、胸中何とはなしに廓落たるものを感じる。
北国はまだ春であつたのに、こちらはもう、麦の穂が出揃うて菜種が咲き揃うて、さすがに南国だ。
ありがたいたより、今日は作郎老からのそれ。
食べることは食べるが、味へない。
△誰か通知したと見えて、健が国森君といつしよにやつてくるのにでくはした、二人連れ立つて戻る、何年ぶりの対面だらう、親子らしく感じられないで、若い友達と話してゐるやうだつたが、酒や鑵[#「鑵」に「マヽ」の注記]詰や果実や何や彼や買うてくれた時はさすがにオヤヂニコニコ[#「オヤヂニコニコ」に傍点]だつた(庵には寝具の用意がないので、事情報告かた/″\、夕方からS子の家へいつてもらつた、健よ、平安であれ)。
午後、樹明君がまた鈴木周二君と同行して来庵(周二君は徴兵検査で帰省中、私の帰庵を知つて見舞はれたのである)、飲む食べる饒舌る、暮れて駅まで送る。
今日はよい日だつた、よい夜でもあつた。
[#ここから2字下げ]
・肌に湿布がぴつたりと生きてゐる五月
草からとんぼがつるみとんぼで
五月、いつもつながれて犬は吠えるばかりで
こんなところに筍がこんなに大きく
・おててをふつておいでもできますさつきばれ
・雑草につつまれて弱い心臓で
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