病臥雑詠
 寝床から柿の若葉のかゞやく空を
 柿若葉、もう血痰ではなくなつた
 病んでしづかな白い花のちる
 蜂がにぎやかな山椒の花かよ
・ぶらぶらあるけるやうになつて葱坊主
・あけはなつやまづ風鈴の鳴る
・山ゆけば山のとんぼがきてとまり
・あれもこれもほうれん草も咲いてゐる(帰庵)
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 五月二日[#「五月二日」に二重傍線]

五時を待ちかねて起床、晴、五月の朝はよいかな。
子の事を考へるともなしに考へてゐる、私はやつぱり父だ!
うれしいたよりがいろ/\。
病人らしくないといつて樹明君に叱られるほど、私は不思議な病人[#「不思議な病人」に傍点]だ、生きのこつたといふよりも死にそこなつた山頭火か。
ちよつと街まで出かけても労れる、間違なく病人だ。
うどん二つ五銭、これが今日の昼食。
春蝉――松蝉――初夏だ。
天地人の悠久を感じる[#「天地人の悠久を感じる」に傍点]。
湿布する度に、ヱキシカを塗る毎に入雲洞をおもふ。
夕方、敬坊来、約の如く、樹明は手のひけないことがあるので二人だけでFへ行きうまいもの[#「うまいもの」に傍点]をどつさりたべて別れる、彼は東京へ、私は庵へ(彼は私と東京で出逢ふべく、無理に出張さしてもらつたのだが、私が中途で急に帰庵したので、がつかりしてゐた)。
しづかで、しづかで、そして、しづかで。
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  病臥雑詠
蛙とほく暗い風が吹きだした
病めば寝ざめがちなる蛙の合唱
五月の空をまうへに感じつつ寝床
死にそこなつたが雑草の真実
風は五月の寝床をふきぬける
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 五月三日[#「五月三日」に二重傍線]

五月の空は野は何ともいへない。
湿布とりかへるときなどは、もう一つ手がほしいな。
ぬかなければならない雑草だけぬく、衰弱した体力は雑草のそれにも及ばなかつた。
ありがたいたより(四有三さんから、桂子さんから)。
ちよつと街まで、たゞし、さうらうとして!
五月《サツキ》をはつきり感覚する。
歩けば汗ばむほどの暑さ、珍らしや雀どの、来たか。
おまんまにたまごをかけてたべる――老祖母のこと、母の自殺などが胸のいたいほどおもひだされる。……
友人からの送金で、ふとんを買ふ、それを冬村君に持つて来て貰ふ(夜、自転車で)。
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 ねむれない夜の百足が這うてきた
 這うてきて殺された虫の夜がふける
 日だまりの牛の乳房
 草の青さで牛をあそばせてゆふべ
・てふてふつるまうとするくもり
 暮れてふるさとのぬかるみをさまよふ
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 五月四日[#「五月四日」に二重傍線]

放下着、放下着。
やつぱり酒はうまい、雑草はうつくしい。
山口まで、湯田で一浴、廿日間の垢をおとす、おとなしく帰庵、ふとんのしきふをかゝへて(昨日から拾壱円ばかり買つた)。
山のみどり、鯉のぼりのへんぽん、蛙げろ/\。
粉末松葉を飲みつゝ、源三郎さんをおもふ。
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・向きあうて湯のあふるゝを(湯田温泉で澄太君と)
 風はうつろの、おちつけない若葉も
 やつと家が見えだした道でさかなのあたま
・おもひではそれからそれへ蕗をむぎつつ
 たどんも一つで事足るすべて
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 五月五日[#「五月五日」に二重傍線]

けさも早起、晴れて端午だ。
身辺整理、きれいさつぱり、針の穴に糸が通らないのはさびしかつた。
さみしくなるとうぐひすぶゑ[#「うぐひすぶゑ」に傍点](叡山土産の一つが残つてゐた)をふく、ずゐぶんヘタクソ鶯だね、そこが山頭火だよ。
放下着、死生の外に。――
T子さん来庵、白米を持つてきてくれたのはありがたいが。
寝苦しかつた、肺炎なんて、凡そ私にはふさはしくない。
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 雑草そのままに咲いた咲いた
 おもさは雨の花のあかさ
 けふも雨ふる病みほうけたる爪をきらう
・雨のゆふべの人がきたよな枯木であつたか
・どうやらあるけて見あげる雲が初夏
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 五月六日[#「五月六日」に二重傍線]

晴、朝は郵便を待つ、これあるがゆえの毎日でもある。
樹明来、胡瓜で一杯、さらに鯛で一杯、鯛は近来の美味だつた、さしみ、うしほ、そして焼いて、たらふく頂戴した、うまかつた、うまかつた。
寝苦しい、放下着。

 五月七日[#「五月七日」に二重傍線]

まさに五月だ。
同朋園の田中さんから、たくさん薬を送つてきた、ありがたし、さつそく服用する。
街で買物、――洗濯盥、たどん、火鉢、鎌、等々。
山へ枯枝拾ひに、それから風呂へ。
△粟餅屋の小父さん、彼とはもう三度目の邂逅だ、私は彼をよく記憶してゐるが、彼は私を覚えてゐないらしい(私がもう乞食坊主の服装をしてゐないから)、街角の彼等から一包を買うて追憶に耽つた。
健が持つてきてくれた饅頭もうまかつたがカステイラもおいしいなあ(ぬけさうな歯が少々邪魔になる)。
今夜はとう/\一睡もできなかつた、終夜読書した。

 五月八日[#「五月八日」に二重傍線]

曇、風(風はさみしくてやりきれない)。
弱い身心となつたものかな、あゝ。
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・山はひつそり暮れそめた霧のたちのぼる
・サイレンながう鳴りわたる今日のをはりの
・病みて一人の朝となり夕となる青葉
・雑草咲くや捨つべきものは捨てゝしまうて
・草や木や死にそこなうたわたしなれども
・五月の空の晴れて風吹く人間はなやむ
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 五月九日[#「五月九日」に二重傍線]

曇、昨夜は眠れた、何よりも睡眠である。
初夏の朝、よいたより。
ちよつと街へ出て戻ると、誰やら来てゐる、思ひがけなく澄太君だ、酒と豆腐とを持つて。
ちび/\やつてゐるところへ、呂竹さんが見舞に来られた、これまた茶を持つて。
さらに樹明来、T子さん来庵。
風が吹いて落ちつけない、風には困る。
澄太来のよろこびを湯田まで延長する、よい湯、よい酒、よい飯、よい話、よい別れでもあつた、澄太君ほんたうありがたう、ありがたう。
夕暮、帰庵すると、飲みつゝある樹明を発見する、彼はまことに酒好きだ、少々酒に飲まれる方だが。
労れた、よい意味で、――今夜はよくねむれるだらうと喜んでゐると、T子再来、詰らない事を話して時間を空しくする、しめやかな雨となつたが寝苦しかつた、困つた。
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・生きて戻つて五月の太陽
・けさは水音の[#「の」に「が」の注記]、よいことが[#「が」に「の」の注記]ありさうな
 葱坊主、わたしにもうれしいことがある
 湯あがりの、かきつばたまぶしいな(病後)
・竹の葉のうごく[#「うごく」に「そよぐ」の注記]ともなくしづかなり
・土は水はあかるく種をおろしたところ(苗代)
[#ここで字下げ終わり]

 五月十日[#「五月十日」に二重傍線]

雨、風、朝酒が残つてゐた、しめやかな一日だつた。
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・いつまで生きることのホヤをみがくこと
・ひとりをれば蟻のみちつづいてくる
・草の青さできりぎりすもう生れてゐたか
・胡瓜植ゑるより胡瓜の虫が暑い太陽
 風ふくゆふべのたどんで飯たく(追加)
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 五月十一日[#「五月十一日」に二重傍線]

雨、五時には起きておさんどんの仕事。
地下足袋はいて街へ、びつしよりになる。
放下着。
うろ/\する油虫をたゝきつぶしたほど、いら/\してねむれなかつた。

 五月十二日[#「五月十二日」に二重傍線]

まだ降つてゐる、どうやら霽れさうではあるが。
陽が照りだした、照るとなか/\暑い。
ヘビ、トカゲ、クモ、いろ/\さま/″\のものがうごいてゐる、私自身もぢつとしてはゐられないやうに。
鶯笛はなか/\よろしい、ピーピツ、ピヨピヨピーツ。
畑仕事、やうやく一畝だけ耕して大根を播いた。
春は逝く、夏近し、いよ/\晴れた、苗代作りが初まつた、それは感じのよい仕事だ。
風呂にはいり豆腐をたべた。
酒は内から、湯は外から、どちらもちよいと一杯、などゝ考へてゐたら樹明来庵、酒なかるべからずと酒を買つた、すこし酔うて、同道してF家へ押しかけて御馳走になる、それからまたSで飲む。
樹明は泥酔して行方不明になつてしまつた、私は酔へないで戻つて寝た、ふと眼がさめて、そこに酔樹明を見出した、彼がこゝへ倒れ込んだのは、まづ/\感心、すぐ寝せる、大蛇のやうな鼾声をあげて眠つた、私もいつしか睡つた。
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   断想二三
存在の世界[#「存在の世界」に傍点]、あるがまゝの世界、それを示現するものとして私の周囲に雑草がある。
雑草の花[#「雑草の花」に傍点]、それを私の第何集かの題名としたい。
生活の単純化[#「生活の単純化」に傍点]、そこから日本的なもの[#「日本的なもの」に傍点]がうまれる。
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 五月十三日[#「五月十三日」に二重傍線]

晴、好季節。
左股の注射のあとが痛い、起居が苦しい。
鶯笛、かなしい笛か、さびしい笛か、それを私が吹く。
樹明は酔がまださめきらないので、ふら/\してゐるけれど、講習があるとやらで、日曜日にもかゝはらず出勤、これも感心の一つたるを失はない。
予期したやうに、十時の汽車で黎々火が来てくれた、お土産は鮹壺雲丹、巻鮨(お手製だからひとしほうれしい)。
その雲丹を蛙堂老と青蓋人君とに贈つた、かういふハガキといつしよに、――
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下関名産の鮹壺雲丹を送ります、名物にうまいものなしといひますが、これはなか/\うまくて、初夏の食卓に磯の香が、いや玄海の波音が聞えるかも知れません、云々。
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T子さんが卵を持つて、樹明君が魚を持つて来た、四人で飲んだり食べたり、寝たり、饒舌つたり。
黎々火君が草をぬき土をうつてくれた、樹明君が苗を植ゑてくれた、これで茄子も胡瓜も十分だ。
暮れてみんな帰つていつた、まことによい一日だつた。
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   改作追加
・藪かげほのと藪蘭の花かな
・いつもつながれて吠えるほかない犬です
・木の芽草の芽いそがしい旅の雨ふる
・からりと晴れて枯木なんぼでもひろへるよ[#「よ」に「朝」の注記]
・もう秋風の、腹立つてゐるかまきり
   発表できない句!(或る時機がくるまでは)
・死ねる薬はふところにある日向ぼつこ(再録)
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 五月十四日[#「五月十四日」に二重傍線]

寝た、寝た、九時から四時までぐつすりと寝た。
申分のないお天気だ、うらむらくは私の身心がよくない。
風呂へ行く、五月野をよこぎつて。
トマトを植ゑる準備、草取、肥汲。
雑草のうつくしさよ、私は雑草をうたはずにはゐられない。
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・道がひろくて山のみどりへまつすぐ
・けふ播いた苗代へあかるい灯
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 五月十五日[#「五月十五日」に二重傍線]

今日も好いお天気。
街へ、豆腐買ひに、むろん酒も買ひに。
草も人もしづかなるかな。
播きおくれた山東菜を播く、芽が出ればよいが。
初夏の暑さだ、しかし私はまだ綿入を着てゐる、病人くさいな。
夕方から農学校へ行く、今晩は樹明宿直なので、一杯やらうといふ約束が一昨日ちやん[#「ちやん」に傍点]と成り立つてゐるのである、すこし早すぎたのでそこらを見てまはる、花草はうつくしいが、豚は、食べてゐる豚も寝てゐる豚も、仔豚も親豚もいやらしくつてたまらなかつた、これは必ずしも、ブルヂヨアイデオロギーのせいではあるまいて。
二人で飲んで(彼が飲まないので、殆んど私だけが飲んで)、いゝ機嫌になつて戻つて寝る、まだ十時前だつた。
樹明君は熱があるので、何を食べてもうまくないといふ、私は回復期でもあり粗食してもゐるので、何を食べてもうまいといふ、今夜の場合でも、この蒲鉾はまづいといつて二三片しか口にしない彼、これはうまいよと一枚食べつくした私、寄宿舎のライスカレーなんぞ閉口とばかり二口三口しか食べやうともしない彼、そんなにまづくはな
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