いと大丼をぺろりと平げた私、――うまいかうまくないか、――たべない者は不幸で食べる者は幸福だらう。
今夜もだいぶ寝苦しい、寝苦しいのも肺炎の特徴らしい、読書でゴマカすより外ない。
毎晩寝苦しいのには閉口する、一時間ぐらゐとろ/\するとすぐ眼がさめる、あやしい夢(といつてヱロチツクぢやないが)をみるのである。
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・この笛、おかしいかさみしいか、また吹く(鶯笛)
・青葉あざやかな身ぬちへポリタミン
・明けてくる空へ燃やす
・とほく朝の郭公がなく待つものがある
シヤンがゐるので垣のかなめが赤いので
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五月十六日[#「五月十六日」に二重傍線]
日本晴、むしろ日本的晴朗とでもいふべきだらう。
外は夏、内は春、私の身心にふさはしい気候である。
今朝もむろん早過ぎるほど早かつた、六時過ぎにはもうちやんとすべてがとゝなうてゐた。
朝、西の方で郭公[#「郭公」に傍点]が啼いた、珍らしい、そして好きだ(昨日学校でも聞いたが)。
雀が来て遊んでゐる、これも珍らしい、そして親しい。
蜻蛉の飄逸、胡蝶の享楽、蜂の勤勉、どれもそれ/″\によろしい。
餅をたべる、餅もうまいな、餅はうまいな。
放下着、放下着、放下着と私は私に警告した、そして監視した。……
今日はとう/\郵便が来なかつた、一日のよろこびの大半をなくした訳である。
帰庵このかた、いつとなく昼酌[#「昼酌」に傍点](晩酌はない)がおきまりになつたが、さてこれがいつまで続くか、続けられるか?
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・柿の梢のいつか芽ぶいて若葉して窓ちかく
・ひつそりとおちついて蠅がいつぴき
・焼かれる虫の音たてていさぎよく
T子さんに
・雑草にほふや愚痴なんどきかされては(与樹君)
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五月十六日[#「五月十六日」に二重傍線][#「五月十六日[#「五月十六日」に二重傍線]」はママ]
曇、何となく身心重し、昨夜はねむれたが、変な夢に苦しんだけれど、十一時から四時までねむれたのだ。
だん/\晴れてきた、防府へ行かうかとも思つたが止める、さらに山口へ行かうかとも思つたが、また止める、元気もないし銭もないし。……
けさは郵便屋さんが、うれしい、ありがたいたよりを持つてきた。
独り者はなか/\忙しい、立つたり坐つたり、下りたり上つたり、炊いたり沸かしたり。……
もう茨の白い花がちらほら、セルを着て歩く若い女の姿は悪くない、初夏風景の一つ。
垣根にばら[#「ばら」に傍点]、道べりにはあざみ[#「あざみ」に傍点]が咲いてゐた、私はちつとも迷はないで後者を採つた、一輪ざしにさすために。
しづかなるよろこび[#「しづかなるよろこび」に傍点]。――
午後は湯屋へ、そしてうどん玉を買うて戻る。
初めて蚊帳を吊つた。
梟が啼きつゞける、根気のよい鳥だな。
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寝床までまともにうらから夕日
青葉からまともな陽となつて青葉へ
・これは母子草、父子草もあるだらう(述懐、子に)
夜ふけて餅を焼いて
ふくれて餅のあたたかさを味ふ
・麦畑へだてゝとんとん機音は村一番の金持で
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五月十八日[#「五月十八日」に二重傍線]
予期した通りの雨、しかしあまり降らない。
ありがたい手紙やら小包やら。
青蓋人君からは豊川稲荷の玉せんべい(たゞし実際は、せんべいの断片[#「せんべいの断片」に傍点]!)。
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今日の買物は、――味噌、酒、ふらん草、合して三十銭。
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放下着。
降らないで曇、曇つてゐたが晴となつた。
昼食後ふと大田行を思ひ立つた、敬君とゆつくりよい酒を飲みながら話したくなつたのである、学校に樹明君を訪ねて、念のために電話で都合を訊ねて貰つたら、出張で不在といふので止めた(かういふ場合、電話――文明の利器に感謝しないではゐられない)。
横臥読書。
蕗を摘んで、お菜をこしらへる、茎もうまいし葉もうまい。
入雲洞君から借りた「雲水は語る」を読む、前の著作と重複するところはあるが、面白く読ませるところに蓬州和尚の腕がある、大に飲んで大に書いて下さい(もう書きすぎてゐるから!)。
可愛らしい鼠がそこらをかけまはつてゐる(これは不思議、いつやつてきたのだらう、これで其中庵も家並の家になつた)、上手な鶯が窓ちかく啼く、なつめの若葉、桐の花、密[#「密」に「マヽ」の注記]柑の蕾。……
雑炊を味ふ、雑草を眺めつつ!
あやめを床に、いばらを机上に活ける、どちらもよい。
△業《ゴウ》が残つてゐる(死にそこなうた、死ねなかつた)、といふことは、仕事がある、成し遂げるべきものがある、といふことだらう。
△木曽路で句作のいとぐちがやうやくほぐれかけたが、飯田で病んでいけなくなつた、そして帰来少しづゝほぐれる。
△捨てるも捨てないもない[#「捨てるも捨てないもない」に傍点]、さういふ考へを捨ててしまへばそれでよいのだ、即今の這箇[#「即今の這箇」に傍点]に成りきればそれでよいのだ。
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・あさのみちの、落ちてゐる梅の青い実の
・あほげば青梅、ちよいともぐ
・病めば考へなほすことが、風鈴のしきりに鳴る
をさないふたりで、摘みきれない花で、なかよく
・ほんにしづかな草の生えては咲く
・ひらかうとする花がのぞいた草の中から
・芽ぶいて若葉して蓑虫は動かない
・いちはやく石垣の茨は咲いた校長さんのお宅
声をそろへて雨がほしい青蛙はうたふ
・打つ手を感じ逃げてゆく蚊の、寝苦しい
・灯火、虫はからだをぶつつける
・生えて伸びて咲いてゐる幸福
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五月十九日[#「五月十九日」に二重傍線]
頬白が晴々と囀つてゐる、誰かを、何物かを待つてゐる。
考へること、読むこと、書くこと、……歩くこと。
人生は五十からだ、少くとも東洋の、日本の芸術は!
曇つて降りだしさうになつたが、なか/\。
昼酌をやりながら、といふよりも、ほうれん草のおしたしを食べつゝ、味取[#「味取」に傍点]をおもひだした、H老人をおもひだして、彼の生死を案じた、味取在住一ヶ年あまり、よくH老人と飲んだ、そしておさかなはほうれん草のおしたしが多かつた。……
△私は毎日これだけ食べる(不幸にしてこれだけ飲みます!)。
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米 四合、三椀づゝ三回
酒 [#「 」に「マヽ」の注記]合、昼酌 壱回
朝、味噌汁 二杯
昼、野菜 一皿
晩、同 外に佃煮
時々
うどん玉
まんぢゆう
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これで食費一ヶ月まづ五円位。
△湯屋で感じた事、――
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男湯と女湯とを仕切るドアがあけつぱなしになつてゐたので、私は見るともなく、女の裸体を見た(山頭火はスケベイだぞ)、そしてちつとも魅力を感じなかつた、むしろ醜悪の念さへ感じた(これは必ずしも私がすでに性慾をなくしてゐるからばかりではない)、そこにうづくまつて、そして立つてゐた二人の女、一人は若い妻君で、ブヨ/\ふくれてゐた、もう一人は女給でもあらうか、顔には多少の若い美しさがあつたが、肉体そのものはかたくいぢけてゐた、若い女性がその裸体を以ても男性を動かし得ないとしたならば、彼女は女性として第一歩に於て落第してゐる、――私は気の毒に堪へなかつた、脱衣場の花瓶に※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]された芍薬の紅白二枝の方がどんなにより強く私を動かしたらう!(私はまだ雑草のよさを味ふと同様に、女の肉体を観ることが出来ない、修行未熟ですね)
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△俳人の夥多、そして俳句の貧困。
△ながいこと、ぶら/\うごいてゐた前歯(後歯はもうみんな抜けてしまつたが)がほろりと抜けた、抜けたことそのことはさびしいが、これでさつぱりした、物を食べるにもかへつて都合よくなつた(私自身が社会に於ける地位はその歯のやうではないかな)。
△ラツキヨウを食べつゝ考へる(私はラツキヨウが好きだ、帰庵して冬村君から壺に一杯貰つたが、もう残り少なくなつた)、人生はラツキヨウのやうなものだらう、一皮一皮剥いでゆくところに味がある、剥いでしまへば何もないのだ、といつてそれは空虚ではない、過程が目的なのだ、形式が内容なのだ、出発が究竟なのだ、それでよろしい、それが実人生だ、歩々到着[#「歩々到着」に傍点]、歩々を離れては何もないのが本当だ[#「歩々を離れては何もないのが本当だ」に傍点](ラツキヨウを人生に喩へることは悪い意味に使はれすぎた)。
たどんはありがたいかな、たどん一つのおかげで朝から夜まで暖かいものが食べられる、その火一つで、御飯もお湯もお菜も、そしてお燗も出来ます。……
今日の夕方はさみしかつた、人が恋しかつた、――誰か来ないかなあ、と叫びたかつた、いや、心の中では叫んだのである。
寝苦しかつた、一時から三時まで、やつとねむれた。
[#ここから2字下げ]
うちの藪よその藪みんなうごいてゆふべ
・空は初夏の、直線が直角にあつまつて変電所
・閉めて一人の障子を虫がきてたたく
・影もはつきりと若葉
・ほろりとぬけた歯は雑草へ
・たづねあてたがやつぱりお留守で桐の花
・きんぽうげも実となり薬は飲みつゞけてゐる
・くもりおもくてふらないでくろいてふてふ
この児ひとりこゝでクローバーを摘んでゐる
摘めば四ツ葉ぢやなかつたですかお嬢さん(途上即事)
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断想
生活感情をあらはすよりも生活そのものをうたふのだ。
人生は、少くとも私の生活は水を酒にするのではなくて、酒が水になるのだ。
生活事実、その中に、その奥に、その底に人生の真実、自然の真実がある。
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・誰もたづねて来ない若葉が虫に喰はれてゐるぞ
・ひよいと穴から、とかげかよ
・雑草が咲いて実つて窓の春は逝く
・ねむれない私とはいれない虫と夜がながいかな
・夜ふけてきた虫で、いそいで逃げる虫で
[#ここで字下げ終わり]
五月二十日[#「五月二十日」に二重傍線]
雨、よい雨、風、わるい風、身心すなほ、しづかな幸福。
時化になつた、米もなく石油もなくなつてゐるが、そしてそれを買ふだけの銭は持つてゐるが、とても出かけられない、ひとりしづかに寝床に横は[#「横は」に「マヽ」の注記]つて読書。
もう一週間ほど誰も来なかつた、私からはちよいちよい出かけたが。
夕方、樹明来、米持参、この米は今日の場合、とりわけ有難かつた、君は健康を害して酒が飲めないので、お茶をのんで閑談、幸に青蓋人おくるところの、せ、ん、べい、があつた。
といふやうなわけで、米代が浮いたので、――といつても五十銭だが――風雨を衝いて街へ、酒と石油を買うて戻つた、雨風でびつしよりになつた、いや御苦労、々々々。
酒はウチノアブラ、石油はソトノアブラ。
樹明がくれた胡瓜を膾にして飲む、胡瓜もうまいが、酒はとてもうまい、陶然悠然としてベツドへ。――
雨で水が出たので、そこらに水のたまり水の音、水はよい、断然よい、水と雑草との俳人として山頭火は生きる[#「水と雑草との俳人として山頭火は生きる」に傍点]、生きられるだけ生きる、そしてうたへるだけうたふのだ!
[#ここから2字下げ]
ひとりひつそり雑草の中
・雨の、風の、巣を持つ雲雀よ、暮れてもうたふか
・宵月のあかり、白いのはやつぱり花だつた
・よい雨のよい水音が草だらけ
活けられて開く花でかきつばた
[#ここで字下げ終わり]
五月廿一日[#「五月廿一日」に二重傍線]
細い雨、風は落ちた、頬白が機嫌よく囀るうちに、日が照りだしていよ/\初夏日和となつた、もう湯あがりに浴衣がほしい。
昨夜はよう寝た、九時から四時まで眠つた。
たよりいろ/\ありがたし、田中耕三君から心臓の薬、青蓋人君から静岡茶、黎々火君から豆腐の本、その他。
△よき本はよき水の如し、よき水はよき本に似たり。
佐藤吾一氏の豆腐を語る[#「豆腐を語る」に傍点]は面白い、著者に早速、葉書をだした
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