ほど好意が持てた。
小郡のやうな町でも、八百屋の店頭に苺や枇杷がならべられて、行人の食指を誘ふ。
△酒の量りのよさわるさが妙に神経にこたえる、これについては興味ふかい随筆が書けるよ。
入浴のついでに工場の冬村君を訪ねる、二三日前に父となつた[#「父となつた」に傍点]といふ、その娘は不幸な人間として生れてきたが、どうか不幸でないやうにと祈らずにはゐられない。
結婚はもう Adventure でなくて Business となつたのである、Business でなければならないのである。
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・金魚売る声も暑うなつたアスフアルト
 いやな薬も飲んではゐるが初夏の微風
・なんと[#「なんと」に「いかに」の注記]若葉のあざやかな、もう郵便がくる日かげ
 若葉めざましい枯枝をひらふ
・郵便もきてしまへば長い日かげ
・湯があふれる憂欝がとけてながれる(改作)
[#ここで字下げ終わり]

 五月廿二日[#「五月廿二日」に二重傍線]

とてもよいお天気、小鳥も草も人間もよろこぶ。
何とはなしに憂欝になる、病気のためか、銭がないためか、お天気があまりに好すぎるためか、……やつぱり把握すべきもの[#「把握すべきもの」に傍点]をしつかりと把握してゐないからだ、自己阿附が感傷的になるからだ、このセンチを解消しなければ、ほんたうの山頭火にはなれない、ほんたうの句は作れない。
野をよこぎつて街をあるいたが、カケで一杯ひつかけたが、そんなことでは駄目だつた、私の身心はなぐさまなかつた、咄。
昼飯最中だつた、誰だか来て案内を乞ふ、出て見て思ひだしたが、福日の恒屋匡介君だつた、まことに意外なお客さんだつた、白船君から私の近況を聞いて訪ねて来たといふ、閑談二時間あまり、後日を約して別れた。
あんまり虫が胡瓜の葉を喰ふから紙袋で囲うてやつた、もう花をつけてゐる、ちと早熟だな。
△煩悩執着を放下することが修行の目的である、しかも修行しつつ、煩悩執着を放下してしまうことが、惜しいやうな未練を感ずるのが人情である、言ひ換へると、煩悩執着が無くなつてしまへば、生活――人生――人間そのものが無くなつてしまうやうに感じて、放下したいやうな、したくないやうな弱い気を起すのである、こゝもまた透過しなければならない一関である(蓬州和尚の雲水は語る[#「雲水は語る」に傍点]、を読んで)。
△有仏のところ止まる勿れ[#「有仏のところ止まる勿れ」に傍点]、無仏のところ走過せよ[#「無仏のところ走過せよ」に傍点]、――私は今、この話頭に自から参じてゐる。
もううす暗くなつて、農学校の給仕さんが酒徳利をさげてきた、樹明来の予告である、間もなく樹明来、自分で飲みたいよりも私に飲ませる心いきはよく解る、よく解るだけ酔へない、胡瓜と酒とは食べて飲んだが。
干大根は煮そこなつた、伽羅蕗はうまくできるらしい。
蛙かやかやこやこや、ころころ、げろげろ。……
よう寝た、さすがにアルコール大明神の効験はいやちこ也。
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  (未定稿)(生みの苦しみ)
 (わたしの)窓へ糸瓜の蔓をみちびく
 (だん/\畠の)麦刈ればそこには豆が芽ぶいてる
 (夜の机の)これでも虫であつたか動いてる
・風の夜の虫がきて逃げない
・風鈴鳴ればたんぽぽ散ればとんぼ通りぬける
・触れると死んだまねして虫のいのち
・蜘蛛はほしいままに昼月のある空
 蜂もいそがしい野苺咲いた
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 五月廿三日[#「五月廿三日」に二重傍線]

今日はすばらしい好晴、清明の気が天地にあふれてゐる、身心ほがらかにしてかろし。
朝は、とりわけて初夏の朝はよろしいかな。
うれしいたよりが方々から、そして意外のよろこびがあつた!
山口へ行く、いつぞや見つけておいた食卓――それは私が食卓として用ひるので、安物の小机――を買ふために、そして湯田で入浴するために、しかしその机はもう無かつた、千人風呂はあつくあふれてゐたけれど。
酒一杯、うどん一杯、十五銭なり、これは昼食、見切本のお惣菜のこしらへ方十銭、菜葉弐把五銭なり、これはお土産。
もう戸外は暑い、今日は一日ゆつくり遊ぶつもりだつたが、三時には戻つてきた、バス代を倹約して半分は歩いた、途上、感じのよい若いマダムを見た、山口小郡間のバスが乗心地のよいやうに、気持がよかつたことです!
暮れるころになつて、約の如く樹明来庵、例の如く飲んで食べる(念のために断つておくが、食べて飲むのではない)それから両人共理髪、ちよいと、ちよいとしたところを見て[#「見て」に傍点]帰庵。
まだ酒が残つてゐる、その酒を飲んで、飯を食べて、そして寝る、樹明はいびき、わたしは眠れない。
もう一時過ぎてゐたらう、T子さんが来た(仕事がすむのは毎夜今頃ださうな)、樹明君は二時の汽車に乗るといふので、彼と彼女は同道して出て行つた、彼の旅に幸あれ、彼女の生活に幸あれ。
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・誰も来ない蕗の佃煮を煮る
・蕗つめば蕗のにほひのなつかしく
・蕗の香のしみ/″\指を染めた
・初夏の、宵月の、何か焦げるにほひの
・こゝまではあるけたところで熱い温泉《ユ》がある(山口へ)
・あかるくあつくあふれる湯にひたりおもひで(湯田入浴)
・惜しみなくあふるゝよながるゝよ(途上即事)
・街からついてきた蠅で打つ手は知つてゐる
 ゆふべおもむろに蠅は殺された
・打つ手を感じて蠅も私もおちつかない
 草が青うてどこかの豚が出て遊ぶ
・よい湯あがりのはだかであるく雑草の風(追加)
[#ここで字下げ終わり]

 五月廿四日[#「五月廿四日」に二重傍線]

すばらしいお天気のつゞくことである、すこし急いで歩けば汗ばむほどの暑さとなつた。
茄子の支へ竹を拾ふべく椹野河原へまで出かける(近所にもあるけれど個人所有の山へはいるのはうるさいから)、月見草がうつくしく咲いてゐた、土手の葉桜もうつくしかつた。
帰途、魚市場の前を通りかゝつて、鯖を一尾買うて戻つた(私が生魚を買つたのは、今年はこれが最初ではないか知ら)、下手糞に料理して食べたが、予期したほどうまくなかつた、私の嗜好はたしかに、腥いもの油濃いものから去つてしまつた、肉食よりも菜食が好きになつてゐる。
鯖の刺身でビール(このビールは昨夜T子さんが持つてきてくれたその一本だ)、ゼイタクだな。
畑の麦刈がはじまつた。
そこらの青梅を十個ばかり盗んで梅焼酎をこしらへた。
昨日植ゑたトマトへ支へ竹をして肥水を与へる、威勢よくそよいでゐる、これでこの夏もトマトのおいしいのが食べられる。
しづかな一日だつた、しづかな私自身でもあつた。
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 朝風の青梅をぬすむ五つ六つ
 家は青葉の中からアンテナ
・郵便がなぜ来ない朝から雀のおしやべり
・青葉あかるくげつそりと年とつた鏡の顔
・これが今日のをはりの一杯をいただく
[#ここで字下げ終わり]

 五月廿五日[#「五月廿五日」に二重傍線]

快晴、身心さわやかである。
途上、兎の仔の可愛いのを見た、豚も仔はさすがにいやらしくない、それはそれとして、彼等はすべて、殺されて食べられるために養はれてゐるのだ、平気で食べる人間はどんな人間か(さういふ人間は二種ある、一は菩薩[#「菩薩」に傍点]ともいふべく、他は禽獣ともいふべき人間)。
(肥育[#「肥育」に傍点]といふことも)
△君よ[#「君よ」に傍点]、みだりに愛を口にするなかれ[#「みだりに愛を口にするなかれ」に傍点]、慈悲を説くなかれ[#「慈悲を説くなかれ」に傍点]。
もう暑い、街まで出かけてもヱライ、弱くなつたものだ、こんなに弱くては。……
夕方、案外早く樹明君が帰つて来た、飲んで寝る。
よい月夜、ほろ酔の月のあかりはよろしいかな。
樹明君は夜の明けるのを待つて早く帰つていつた、よろしい。
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・青葉そよぐ風の、やぶれた肺の呼吸する
・夕風がでてあんたがくるころの風鈴の鳴る(樹明に)
・かたづけてまだ明るい茄子に肥水《コヱ》をやる
・月夜の、洗濯ですか、よいですな
                 (自問自答)
     せんたくはよろし
 月夜の蛙がなく米をとぐ
 厠のあかるさは月のさし入りて
[#ここで字下げ終わり]

 五月廿六日[#「五月廿六日」に二重傍線]

日本晴、頬白が囀り合うてゐる、私もうれしい、多分彼氏の来る日だ。
何とあたゝかい手紙が――澄太君をし[#「をし」に「マヽ」の注記]て迎田さんから――
ふと思ひ立つて山口へ行く、途上、冬村君に逢ふ、ニコ/\してゐる、その筈だ、今夜が婚礼だといふ、一天雲なし、めでたい/\。
大歳駅附近には芝居の掛小屋があつた、山口駅では旅芸人の群を見た、彼等に幸福あれ。
買物いろ/\――夕顔の苗、蕨、生干の小鰯、小さい食卓、等々――それだけで壱円あまり。
昼食は酒一杯とうどん一杯、むろん千人風呂には入つた、これが目的の大半だから、――温泉はほんたうによい。
九時で行つて三時には戻つた、戻つてみたら、やつぱり敬治君が来てゐた、いつしよに農学校へ、樹明君は婚礼の接待役を頼まれてゐて駄目、二人で駅のI旅館で夕飯、よく食べてよく飲んだ、うまかつた、近来の御馳走だつた、それからMでコーヒー一杯、そこで別れる、敬君は実家へ、私は庵へ戻つてぐつすりと寝た(コーヒー代五十銭はやつぱり惜しかつた、それは買はなければならない米二升代だつたではないか!)。
陰暦四月の十四日、月がよかつた。
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 ちつとも雲がない山のよろしさ
・おもひでは山越えてまた山のみどり
 刑務所の高い塀から青葉若葉
   千人風呂
 ま昼ひろくて私ひとりにあふれる湯
 ぞんぶんに湧いてあふれる湯をぞんぶんに
・ちんぽこもおそそも湧いてあふれる湯
   駅所見
 初夏の牛どもよ載せられてどこへ行く
・こんなに晴れた日の猫が捨てられて鳴く
[#ここで字下げ終わり]

 五月廿七日[#「五月廿七日」に二重傍線]

晴、午後は曇つて雨が近いらしい、満月も駄目になつた。
身心がすこし重い、昨夜の飲みすぎ食べすぎのむくいだ。
街へ石油《アブラ》買ひに、――砂土を貰つて戻る、昨日、わざ/\山口から買つてきた夕顔の苗を植ゑる、どうもあぶないらしい、どうか生きかへつてくれ、伸びてくれ、咲いてくれ、実つてくれ。……
今日は海軍記念日、町では記念会が催されたらしい、飛行機が通つていつた爆音も今日にふさはしかつた、非常時風景、軍国風景の一つだ。
敬治君来庵、庵の御飯はうまいといつて数椀食べてくれた。
△人間の気分といふものも面白いものだ、君は、医者のところで、うつかり父はゐないといつて、父を殺してしまつた[#「父を殺してしまつた」に傍点]さうな!
私だけ学校へ、鋸と鎌とを借りて、葵一茎、白薔薇一枝を貰つてくる。
やがて樹明君来庵(昨夜の冬村婚礼は朝の六時まで続いたさうだ)、ビール、酒、胡瓜も来庵!
飲んで食べて饒舌つて、夕方解散。
しづかなるかな[#「しづかなるかな」に傍点]、さびしくはない[#「さびしくはない」に傍点]、しづかなる一人だ[#「しづかなる一人だ」に傍点]。
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・雨ふる竹をきる濡れてゐる(追加)
・死んでもよい青葉風ふく(〃)
・雀こゝまで子を連れてきてだんだんばたけ
・大きな鋸が造作なく大きな木を炎天(追加)
   改作追加
・雨ふる生えてゐる木を植ゑかへる
・百姓も春がゆく股引のやぶれ
・たま/\髯剃れば何とふかい皺(病後)
・ひとり、たんぽぽのちる
・寝るとして白湯のあまさをすする
[#ここで字下げ終わり]

 五月廿八日[#「五月廿八日」に二重傍線]

曇、后晴、また持ち直したらしい、よく続くことだ。
ありがたい手紙をいたゞく(江畔老人から)。
うつかりして百足に螫された、大していたまなくてよかつた、見たらいつも殺すのだから一度ぐらゐ螫されたつて腹も立てられない。
街へ出かける、米買ひに(ついでに酒もうどんも)。
杉の下枝をおろす、茂りおろすや、と一句ありさうなものだが。
樹明君から白
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