米を貰ふ、ありがたし。
敬治君は予想した通りに来ない、山口から大田へだつたらう、それがよろしい。
昨日も今日も句なし、それもよろしい。
何といふ鳥か、夕まぐれを切なさうに啼く。
虫が、いろんな虫がいそがしく動いてゐる。
山頭火の胃袋は何とデカイかな(その実例)。
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朝食―お茶漬さら/\三杯、手製の新菜漬で。
昼食―小鰯を焼いて独酌一本(二合入)、温飯四杯。
夕食―うどん三杯、飯二杯、蕗の佃煮で。
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 五月廿九日[#「五月廿九日」に二重傍線]

よい月夜、寝苦しい寝返りを繰り返してゐるうちに、いつとなく夜が明けてしまつた、けさは早起の中の早起だつた。
しかし、二時頃だつたらう、二声三声、ほとゝぎすが啼いたのはよかつた、私には初音だつた。
今日も好天気、歩きたいな、行きあたりばつたりの旅がしたい。
たよりいろ/\、澄太君の温情、ありがたしともありがたし。
学校に樹明君を訪ねる、それから街を歩いてゐるうちに、ガソリンカーに乗つて山口へ、――小人、銭を持つて罪あり、――酔うて歩けばすつかり夏だ。
鈴木の奥さんを訪ねてビールをよばれる、湯田の湯はよいな、外郎はうまいな。
とにかく、愉快で、そして憂欝で、妙な一日一夜だつた。
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・白うつづいてどこかに月のある夜みち
・寝苦しい月夜で啼いたはほととぎす
・てふてふとまるなそこは肥壺
・悔いることばかり夏となる
・いつでも死ねる草が咲いたり実つたり
[#ここで字下げ終わり]

 五月三十日[#「五月三十日」に二重傍線]

晴、いよ/\夏が来た。
独臥漫読、出て歩くのもよいが、かうしてゐるのも悪くない。
放下着、放下着の外に何物もない、何物もないのが放下着だ。
夜、樹明来庵、酒はやめて飯をあげる。……
更けてT子さん来庵、庵にも珍風景なきにしもあらず!
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 おたがひにからだがわるくていたはる雑草
・胡瓜の蔓のもうからんでゐるゆふべ
・とんぼついてきてそこらあるけば
   改作追加
・前田も植ゑて涼しい風の吹いてくる
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 五月三十一日[#「五月三十一日」に二重傍線]

曇、一雨ほしい、草も木も人間も。
胡瓜に棚をこしらへてやる、伸びよ、伸びよ、実れ、実れ。
駅のポストまで、戻つてビール、これはT子さんが昨夜のお土産。
柿の花はおもしろい。
蛇には親しめない、により[#「により」に傍点]と出てきてぎよつ[#「ぎよつ」に傍点]とさせる。
遊びすぎた、ちと勉強しよう。
夕方樹明来、今日はどうしても飲ましてくれといふ、からだのぐあいがわるくて酒でものまなければやりきれないといふ、すこし買うてきて飲む、彼もうまくないといふ、私もうまくない、何といつても健康第一ですよ。
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   寒山の路、拾得の箒
△酒も水もない世界、善悪、彼我、是非、利害のない世界、個も全もない世界。
それが極楽であり浄土である、いはゆる彼岸である。
水を酒とするのでなくて、酒が水となつた境地だ、酒は酒、水は水だけれど、酒と水とにとらへられない境涯、酒と水とに執しない生活だ。
こゝから、俳句、私の欣求する俳句は出てくる、私はさういふ俳句を作らうと念じてゐる。
個から出発して全に到達する道である、個を窮めて全を発見する道である。
我心如秋月――と寒山拾得は月を見て笑つてゐる。
[#ここで字下げ終わり]

 六月一日[#「六月一日」に二重傍線]

曇、糸瓜を植ゑる、おもての入口に、うらの窓の下に。
入浴、髯を剃る。
△放下着の放下――放下着を放下せよ。
△清貧清閑、竹葉微風。
三時頃、ヱプロン姿でT子さんがやつてきた、今日は酒と肴とを持参して、樹明君にも来て貰つて、ゆつくり飲むつもりだつたが、仕事が忙しくて手がひけないので、お断りにきたといふ、そして酒屋の方へまはらなかつたからといつて、五十銭銀貨一つを机に載せて帰つていつた、彼女もずゐぶん変り者だ、女としては殊に変つてゐる、夫もあり子もあり、そして料理屋兼業の旅館Mの仲居さんだが、ヒス的であることに間違はない(樹明君も妙な人間を其中庵訪問者として紹介したものである)、句作でもすると面白いのだが、まあ、文学好きの程度、或る意味では求道者といつてもよからう。
夕暮はいろ/\の鳥が啼くかな。
つゝましい一日だつた。

 六月二日[#「六月二日」に二重傍線]

曇、こんどこそ雨だらう、風が吹きだした。
草花を活ける、草花はどれもいつもよいなあ。
風、風、いやな風がふく、風ふく日の一人はいろ/\の事を考へる、――今日は自殺[#「自殺」に傍点]について考へた。
簡素[#「簡素」に傍点]、禅的生活、俳句生活は此の二字に尽きる。
純情[#「純情」に傍点]と熱意[#「熱意」に傍点]とを失ふ勿れ。
すなほに受ける、そしてすなほに現はす。
やうやく雨になつた、よい雨だが、風が落ちるとよいのだが。
△在るところの世界[#「在るところの世界」に傍点]について考察する、在るべき[#「在るべき」に傍点]、在りたい[#「在りたい」に傍点]、在らねばならない世界[#「在らねばならない世界」に傍点]、在らずにはゐない世界[#「在らずにはゐない世界」に傍点]。
夜は碧巌録を読む、いつ読んでもおもしろい本である、宗教的語録として、そして文芸的表現として。
趙州三転語[#「趙州三転語」に傍点]、彼は好きな和尚だ。
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・すでに虫がきてゐる胡瓜の花
・さつそくしつかとからみついたな胡瓜
・麦がうれたよ嫁をとつたよ
・なにがなしあるけばいちじくの青い実
・子を負うて魚《さかな》を売つて暑い坂かな
・茂るだけ茂つて雨を待つそよぎ
・蜂がてふてふが花草なんぼでもある
・風のふくにしいろい花のこぼるるに
・風の中の蟻の道どこまでつづく
・風ふくてふてふはなかよく草に
・風ふく山の鴉はないてゐる
・いちにち風ふいて永い日が暮れた
 暮れてふきつのる風を聴いてゐる

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   自[#「自」に白三角傍点]殺に[#「に」に白三角傍点]ついて[#「て」に白三角傍点]   (安心決定とは)
自殺は人間の特徴だといふ、同時に特権[#「特権」に傍点]でもあると思ふ。
自殺者は必ずしも生死透脱底の人ぢやない、否、寧ろ生死の奴隷が多い、しかし自殺は一大事であるには相違ない。
死にたくて死ぬる人もあらう、死にたくなくて死ぬる人もあらう、死にたくもなく、死にたくなくもなくて死ぬる人もないことはなからう。
ほがらかな自殺、幸福な自殺者、それは第三者には到底理解されない心境であり体験であると、私は考へる。
自殺の方法、それは自殺者に任したがよい。
自殺者の手記、それは最も下手糞な文芸作品だらう。
天も白く地も白く、そして人も白く光る、白光は死である、死の生[#「死の生」に傍点]である(死の生[#「死の生」に傍点]ではあるが、生の死[#「生の死」に傍点]ではない)。

      ┌存在
    生命│生存
      └生活

    生死去来
     行│遊行
     乞│苦行
     句│難行
     作│易行
     独り遊ぶ
      いつしよにあそぶ
[#ここで字下げ終わり]

 六月三日[#「六月三日」に二重傍線]

霽れてゆく空や野や、雨後の朝景色はさわやかである。
野菜畑がいき/\としてきた。……
とても好い、そして暑いお天気になつた。
めうが一茎をぬすんできてたべる、めうがのかをりはよい。
T子さんがメカシて来た、今から掛取にゆくといふ、料理屋のカケがうまくとれるやうになれば、立派な一人前だ。
淡々君を待つ、今日来庵の通知があつたので、――もう、日が暮れるのに来てくれない、待ちきれなくなつて、学校に樹明君を訪れる(今日は宿直なのだ)、病状すぐれないと見えて欠勤、Cへ行つて酒一杯(四日目のアルコール注入だ)、ほろ/\として帰つてくると来客、来客――淡々君、そして耕三君。
暫らく会談、それから街へ、淡々君と私とはバスで湯田へ、耕三君は庵へ(どちらがお客だかわからない、そこが其中庵の其中庵たるところかもわからない!)。
湯田では飲んだ、飲んだばかりでなくフラウといつしよに寝た、しかし幸にして、或は不幸にして一夜だけの童貞であり、処女でありました!

 六月四日[#「六月四日」に二重傍線]

朝早く一杯浴びて一杯ひつかける、湯町の朝酒はまことにまことによろし。
淡々君の財布が軽くなつたらしい(私は財布を持つてゐないし、持つてゐても重い日のあつたことなし)、十時のバスで小郡駅まで、そこで私は眠り、君は去つた。
耕三さんは昨夜よく庵で寝てくれたらしい、酒と米とが置いてあつた、ありがたすぎて、あまりにすまなくて。……
さつそく飲む、食べる、そして寝る、あゝ、庵中極楽。
寝た、寝た、ぐつすりねむれた、労れて、ぐつたりして。
酒と女、人間と性慾――こんな問題が考へられてならなかつた。
女よりも酒[#「女よりも酒」に傍点]、酒よりも本[#「酒よりも本」に傍点]、――それが本音だ、私の、今の。
[#ここから2字下げ]
・風をおきあがる草の蛇いちご
・鳴きつつ呑まれつつ蛙が蛇に
・雨をたたへてあふるるにういて柿の花
・霽れててふてふ二つとなり三つとなり
・いつでも植ゑられる水田蛙なく
・夏めいた空がはつきりとあふれる水

[#ここから1字下げ]
   『性[#「性」に白三角傍点]慾と[#「と」に白三角傍点]いふ[#「ふ」に白三角傍点]もの[#「の」に白三角傍点]』
性慾といふものは怪物である。
人間が生きてゐるかぎり、それはどこかにひそんでゐる。
若いときにはあまりに顕在的に、老いてはあまりに潜在的に。
生存力、それは性慾の力といつてもいいかも知れない。
食慾は充たされなければならない、これと同じ意味で、性慾も充たされなければならない、それが要求する場合に於ては。
┌個体維持
└種族保存
性は生なり[#「性は生なり」に傍点]、といつても過言だとは必ずしもいへないだらう。
生活と交接とは不可離不可別である。
性慾は常に変装して舞踏する、それが変形変態すれば性慾でないかのやうでさへあるが、性慾の力はそのうちに動いてゐる。
[#ここで字下げ終わり]

 六月五日[#「六月五日」に二重傍線]

曇、反省して顔を蔽ふ、なんぼ淡々君といつしよであつても、湯田に於けるプチブルくさい遊蕩ぶりは恥づかしい。
身心すぐれず、罰をうける、当然だ、必然だ。
裏の藪に――よその藪からうちの藪へ――によろりと筍が伸びてゐた、さつそく草をわけて抜く、お汁の実として食べる。
まだ酒があり米がある日。
夕方、樹明君に招かれて学校へ行く、宿直室で酒と飯とをよばれる、かういふ酒、かういふ飯がホンモノだ。
早く戻つて読書、それから安眠。

 六月六日[#「六月六日」に二重傍線]

晴、勉強しよう、一切放下着、クヨ/\するな。
入浴、さつぱりする、清風こゝろよし。
うれしいたよりがあつた、砂吐流君から、安六君から。
△一は一だけしか、一は一として、黒いものは黒く、黒いなりに、――それ以外の何物でもない、それはそれでよろしいではないか。
夕、樹明君が痛む足をひきずつてやつてきて泊めてくれといふ、OK、酒はないが飯はある、蚊帳の中で大の字に寝そべつて漫談数刻、いつのまにやら寝入つてしまつた。
庵中無事、事々妙好である。
[#ここから2字下げ]
   其中庵二句
・しろい蝶くろい蝶あかい蝶々もとぶところ
・花がさいて蜂がきてゐる朝
 この木のどこか病んでゐる日向水やらう
・てふてふあそばせてあざみあさのいろ
・ここにもてふてふがぢやがいものはな
・うぐひすよ、もとのからだにはなれないで夏
[#ここで字下げ終わり]

 六月七日[#「六月七日」に二重傍線]

晴、すこし寒くて、なか/\忙しい。
薊を活ける、老鶯が啼く。
「松」「雑草」到着。
山へ行く、山はよいかな。
よく眠れた。
[#ここから2字下げ]
   こんな句は
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