を忘れたほど、あはてゝいそいだ(これは禅坊主として完全に落第だ!)。
峠はよいかな、よいかな、昔の面影が十分に残つてゐる、松並木がよい、水音がよい、風もわるくない。……
風は吹いても寒くはなかつた、昼飯はヌキにして酒一杯と饅頭五つ、下手な両刀つかひだ!
厚狭まで歩いて、それから汽車で長府まで、そしてまた歩いて、黎々火居に地下足袋をぬいだ、君はまだ帰宅してゐない、日記をつけたり本を読んだりして待つ、黎々火居の第一印象はほんとによかつた、家も人も何もかも。
今日は何故だか労[#「労」に「マヽ」の注記]れた(六里強しか歩いてゐないのに)、老のおとろへもあらう、なまけ癖もあらう、出発がおくれたためもあらう、風がふくからでもあらう(風は孤独者には禁物だ)、待ちきれなくて、勧められるまゝに、ひとりで酒をいたゞき餅をいたゞく、酒もうまく餅もうまい、ありがたいありがたい。
やうやくにして黎君帰来、しんみり飲んで話しつゞける、酔うて労れて、ぐつすり寝る。……
返事をしない男[#「返事をしない男」に傍点]! 厚狭駅の待合室で、新聞を読んでゐる男に読まして下さいといつたら、彼は黙つてゐた、物をいふことが惜し
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