のお土産)。
夜、樹明君来庵、まじめな、酔つぱらはない、なごやかな樹明を見せてくれたのでうれしかつた。
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・たどりきてからたちのはな
・からたちの咲いてゐる始業の鐘の鳴る
・何もかも過去となつてしまつた菜の花ざかり
今日がはじまるサイレンか
・ゆふべは豚のうめくさへ
・右からも左からも蛙ぴよんぴよん
[#ここで字下げ終わり]
四月廿五日[#「四月廿五日」に二重傍線]
曇、間もなく雨となつた、そして一日一夜降り通した。
のらりくらり、かういふ生活にはもう私自身がたへきれなくなつた。
敬君からの手紙は悲喜こも/″\であつた、君、君の家庭に平和あれ。
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朝ぐもりの草のなかからてふてふひらひら
・ここまではうてきた蔦の花で
[#ここで字下げ終わり]
四月廿六日[#「四月廿六日」に二重傍線]
ふと水音に眼がさめた、もう明けるらしいので起きる。
身も心もすべてが澄みわたる朝だつた。
正法眼蔵拝誦、道元禅師はほんたうにありがたい。
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・春雨の夜あけの水音が鳴りだした
・唱へをはれば明けてゐる
・朝の雨にぬれながらたがやす
・白さは朝のひかりの御飯
・ぬれてしつとり朝の水くむ
・水にそうて水をふんで春の水
・春はゆく水音に風がさわいで
・春の水のあふれるままの草と魚
・晴れて旗日や機械も休んでゐる(追加)
・蕗の皮がようむげる少年の夢
[#ここで字下げ終わり]
誰かきた声がする、出て見ると、嘉川の万福寺の御開帳で、御案内旁御詠歌連中を連れて来ましたといふ、私は困つた、私には差上げる銭も米もないのだ、何もありませんが、といふと、それではまた、といつて帰つていつた、まことにお気の毒だつた、すみませんでした。
敬治君へ手紙を書く、――何よりも先づ金銭の浪費をやめなければなりません、現代の社会組織下に於ては、我々にとつて、金銭の浪費は生命の浪費[#「金銭の浪費は生命の浪費」に傍点]です、これを宗教的芸術表現でいへば、それは仏陀の慧命の浪費[#「仏陀の慧命の浪費」に傍点]です。……
純情は尊いけれど、それを裏付ける強い意志が伴はないならばたゞそれだけにとゞまる、……よい酒[#「よい酒」に傍点]とは昨日を忘れ、明日を思はず、今日一日をホントウに生かしきることが出来るやうに役立つ酒でなければなりません、……とにかく、酒に求め[#「求め」に傍点]ないで、酒を味ふ[#「味ふ」に傍点]やうにならなければウソですね。
ちよいと出かけて、ちよいと一杯。
夕方、帰途、樹明来、さびしい顔で酒が飲みたい、飲まずにはゐられないと訴へる、が、私は今や八方塞がりのどうすることも出来ない、もじ/\してゐると、君が一筆書いた、それを持参して一升借りて戻る、――悪い酒ではなかつたが寂しい酒だつた、あゝ、三人でうれしい酒を飲みたい!
四月廿七日[#「四月廿七日」に二重傍線]
晴、冷、このあたりでは苗代風といふ。
昨夜も飲みすぎ食べすぎ、そしてまた朝酒。
雑木を雑草に活けかへる。
散歩、――新国道を嘉川まで、釈迦寺拝登、御開扉会、帰途は山越、白い花をつけた雑木がよかつた。
初めて燕を見、初めて蚊に喰はれた。
雀、蜂、蟻、庵をめぐつて賑やかなことである。
蕗のうまさ、ほろにがい味は何ともいへない。
樹明君来庵、春風微笑風景を展開した。
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・青空の筍を掘る
・春山の奥から重い荷を負うて鮮人
・蕗のうまさもふるさとの春ふかうなり
[#ここで字下げ終わり]
四月廿八日[#「四月廿八日」に二重傍線]
けふも晴れてつめたい、きのふのやうに一天雲なし。
ちよつと散歩したが――郵便局までハガキを出しにいつたが――一文なしではあまり興がのらない。
蕗はうまいなあ、まいにち食べても、なんぼ食べても。
午前は読書、午後は畑仕事、晴耕雨読でなくて、或読或耕だ、とにかく好日だつた。
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春空雲なくなまけものとしなまけてゐる
・春蝉もなきはじめ何でもない山で
・裏からすぐ山へ木の芽草の芽
・けふも摘む蕗がなんぼでも
・みんな芽ぶいてゐる三日月
・三日月さんには雲かげもなくて
[#ここで字下げ終わり]
四月廿九日[#「四月廿九日」に二重傍線]
天長節日和とでもいはうか、まことにのどかな日だつた。
前の竹藪の持主から筍を頂戴した、掘りたてのホヤ/\だ、ありがたかつた。
午前は山を歩いた、若葉のうつくしさ、若草のうつくしさ。
午後は青年団員の競技をしばらく見物したが、私にはスポーツのおもしろさが解らない(すべての勝負事に興味を感じない私だ)。
運動総務の一人として樹明さんは少しばかり興奮してゐるらしい。
さう/\戻つて畑地を耕した、この方が私には愉快でもありまた相当してゐるやうだ。
筍はうまかつた、蕗とはちがつたうまさがある、だが、私は歯がいけなくなつて、ほろ/\抜けるから来年はどうかな(鬼よ笑へ!)。
[#ここから2字下げ]
大空をわたりゆく鳥へ寝ころんでゐる
春たけた山の水を腹いつぱい
・晴れきつて旗日の新国道がまつすぐ
・けさも掘る音の筍持つてきてくれた
・摘めば散る花の昼ふかい草
・送電塔が山から山へかすむ山
[#ここで字下げ終わり]
四月三十日[#「四月三十日」に二重傍線]
曇、をり/\雨、夕方からどしやぶり。
晩春から初夏へうつる季節に於ける常套病――焦燥、憂欝、疲労、苦悩、――それを私もまだ持ちつゞけてゐる。
[#ここから2字下げ]
・春もどろどろの蓮を掘るとや
・春がゆくヱンジンが空腹へひびく
・くもりおもたい蛇の死骸をまたぐ
・食べるもの食べつくし雑草花ざかり
・春はうつろな胃袋を持ちあるく
・蕗をつみ蕗をたべ今日がすんだ
・菜の花よかくれんぼしたこともあつたよ
・闇が空腹
・死ぬよりほかない山がかすんでゐる
・これだけ残してをくお粥の泡
・米櫃をさかさまにして油虫
・それでも腹いつぱいの麦飯が畑うつ
・みんな嘘にして春は逃げてしまつた
どしやぶり、遠い遠い春の出来事
・晴れてのどかな、肥料壺くみほして(追加)
・楢の葉の若葉の雨となつてゐる
雨に茶の木のたゝかれてにぶい芽
・ゆふべのサイレンが誰も来なかつた
[#ここで字下げ終わり]
朝は、筍をたべてはお茶をのみ、晩は蕗をたべてはお茶をのんだ、昼御飯としては葱汁! 野菜デー[#「野菜デー」に傍点]だつた。
△米櫃に米があるならば、味噌桶に味噌があるならば、そして(ゼイタクをいつてすみませんが)煙草入に煙草があるならば、酒徳利に酒があるならば。――
△春があれば秋がある、満つれば缺げる、酔へば醒める、腹いつぱいも腹ぺこ/\も南無観世音、オンアリヨリカソワカ。
△飯の美味をたゝへ、胃の正直をほめよ。
夕方からどしやぶり、ふれ、ふれ、ふれ、ふれ、ふれ。
大降りの中を樹明君来庵、さつそく銀貨を投げだす、大降りの中を酒買ひにいつた、つゝましい酒だつた、樹明君が御飯をたべてくれたのはめづらしくもまたうれしいことであつた。
[#ここから2字下げ]
どしやぶりのいなびかり、酒持つて戻るに
・蛙とんできて、なんにもないよ
雨の水音のきこえだしてわかれる
わかれていつた夜なかの畳へ大きな百足
[#ここで字下げ終わり]
それは大きな百足だつた、五寸以上あつた、私はぞつとして打ち殺さうとして果さなかつた。
長虫――蛇、百足、いもり、とかげ、蚯蚓――はまつたく嫌だ。
今日の食事には嘘があつた、――といふのは、日記をつけてしまつてから、飯が食べたくて、そして煙草が吸ひたくてやりきれなかつたから、私一流の、窮余の策を弄して、酒と米と煙草とを捻出したのである、――それはかうである、――A店で一杯ひつかけて(此代金十一銭)その勢でB店で煙草一包(此代金四銭、抵当として端書三枚預けて置いた!)を手に入れ、さらにC店で白米二升(此代金四十六銭)を借りて来たのである。
何と酒がうまくて、煙草がうまくて、そして飯のうまかつたことよ、私は涙がこぼれさうだつた(この涙はどういふ涙ぞ)。
五月一日[#「五月一日」に二重傍線]
くもり、だん/\晴れて、さつきの微風が吹く、雨後の風景のみづ/\しさを見よ。
山蕗を採つて煮た、半日の仕事だつた。
何日ぶりの入浴か、身心さつさうとしてかへる。
樹明来(筍と卵とのお土産持参)、うち連れて、夕の街をあるく、夜の街を飲みまはる、――いつもとはちがつて、よい散歩、よい飲振、よい別れ方だつた。
飲食過多、それはやつぱり貪る心[#「貪る心」に傍点]だ、戒々々。
[#ここから2字下げ]
・酔ひざめの、どこかに月がある
・月の落ちる方へあるく
・落ちてまだ月あかりの寝床へかへる
[#ここで字下げ終わり]
五月二日[#「五月二日」に二重傍線]
曇、明るい雨となつた。
早朝、樹明来、ほがらか/\、素湯とわさび漬で、節食、どうやら過飲過食の重苦しさがなくなつた。
何だか泣きたいやうな気分になる、老いぼれセンチめ!
[#ここから2字下げ]
・柿若葉、あれはきつつきのめをと
・草をとりつつ何か考へつつ
・くもり、けふはわたしの草とりデー
・まこと雨ふる筍の伸びやう
・いつまでも話しつゞける地べたの春
・見るとなく見てをれば明るい雨
[#ここで字下げ終わり]
△すべての物品を酒[#「酒」に白三角傍点]に換算する私だつたのに、いつからとなく米[#「米」に白三角傍点]で換算するやうになつた、例へば、五十銭の品物は酒[#「酒」に白三角傍点]五合[#「合」に白三角傍点]だと考へてゐたのが、米[#「米」に白三角傍点]二升[#「升」に白三角傍点]だと考へるやうになつた、そして、酒さへあれば[#「酒さへあれば」に傍点]、といふ私が、米さへあれば[#「米さへあれば」に傍点]、の私となつてゐる。……
[#ここから2字下げ]
・さいてはちつてはきんぽうげのちかみち
・たれかきたよな雨だれのあかるくて
・もう暮れる火のよう燃える
・竹の子のたくましさの竹になりつつ
・によきによきならんで筍筍
・親子で掘る筍がある風景です
樹明君に
・なんとよいお日和の筍をもらつた
[#ここで字下げ終わり]
五月三日[#「五月三日」に二重傍線]
曇、風が出て寒かつた。
草取、入浴、散歩。……
樹明君が帰宅の途中を寄つてくれる、忠兵衛もどきで酒を捻出して飲む、精進料理のよい酒だつた。
句もなく苦もなし、楽もなく何物もなし、めでたし/\。
五月四日[#「五月四日」に二重傍線]
晴、なか/\つめたい。
待つてゐるものは来ない。
山の色がうつくしうなつた、苗代づくりがはじまつた。
敬君へ手紙を書いた、悪口を書いたけれど、私の友情はくんでもらへるだらう、敬君、しつかりしてくれたまへ、たのむ。
まじめな身心で畑仕事、蚯蚓の多いのには閉口した。
夜は樹明君を宿直室に訪ねる、よく話しよく飲みよく食べた、ずゐぶん酔ふたが、習慣と心構へとがはたらいて、おとなしく戻つて寝た(残つた酒を持つて!)。
[#ここから2字下げ]
・山は若葉の、そのなかの広告文字
山肌いろづき松蝉うたふ
・なんにもなくなつて水の音
・石にとんぼはかげをすえ
[#ここで字下げ終わり]
五月五日[#「五月五日」に二重傍線]
曇、端午、男の祝日、幸にして酒がある、朝から飲む、今日一日は好日であれ。
終日閑居、昼寝したり、読書したり、蕗を摘んだり、草をとつたり、空想したり、追憶したりして。
若葉の月はよかつた。
今日は一句も出来なかつた。
五月六日[#「五月六日」に二重傍線] 立夏。
早起すぎた、明けるのが待遠かつた。
晴、ネルセルシーズンだ。
入雲洞君の手紙はありがたかつた、黎々火君のはがきはうれしかつた、しげ子さんのたよりはかなしかつた。
暮春と貧乏との関係如何!
酒を借り、魚を借りて来て、樹明君を招待した、よい酒宴であり、よい月見であつた。
[#ここから2字下げ]
食べたものがそのまゝで出る春ふかし([#ここから割り注]何ときたない、そして何とまじめ
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