実である、銭をほしがるのは貧乏のせいだが、物をむさぼるのは心の卑しさがのぞけないからである。
[#ここから2字下げ]
・芽ぶかうとする柿の老木のいかめしく
・芽ぐむ梨の、やつとこやしをあたへられた
・おばあさんは草とるだけの地べたをはうて
・蕗の葉のひろがるやかたすみの春は
 花が咲いたといふ腹が空つてゐる
・機械がうなる雲のない空(アスフアルトプラント)
 亀がどんぶりと春の水
・月へならんで尿するあたたか
・花見のうたもきこえなくなり蛙のうた
・春の夜を夜もすがら音させて虫
[#ここで字下げ終わり]
よい月だつた(陰暦三月十七日)、寝るには惜しい月だつたが、寝床で読書してゐると、樹明酔来、私を街へ引張り出して、飲ましてくれたが、どうしても酔へなかつた。
△私にはもう春もない、花もない、大きい強い胃袋[#「大きい強い胃袋」に傍点]があるだけだ。
ルンペンの自由と不自由とをおもひだした。
△酒は女に酌してもらふより、山を相手に飲め。

 四月十二日[#「四月十二日」に二重傍線]

うら/\と春景色である。
ぢつとしてゐられなくなつたから、こゝで一杯、そこで一杯と借りて飲んだ、そして米を少しばかり借りて来た、あはれといふもおろかである。
銭を持たないために、いひかへれば、私はズボラのために、他から軽蔑され、自分で軽蔑した。
酔うて倒れてゐるところへ、樹明君が来た、酔うても愚痴を捨て切らない私といふ人間はさぞみじめだつたらうよ。
[#ここから2字下げ]
・借せといふ貸さぬといふ落椿
・ここに花が咲いてゐる赤さ
・これが御飯である
[#ここで字下げ終わり]

 四月十三日[#「四月十三日」に二重傍線]

春にそむいて寝てゐた。――
[#ここから2字下げ]
・夫婦で筍を掘る朝の音
・桜の句を拾ふ吸殼を拾ふ(自嘲)
[#ここで字下げ終わり]

 四月十四日[#「四月十四日」に二重傍線]

くもり、しづかにふりだした。
身辺整理、まづ書くべき手紙を書いてだす、それから、それから。
雀が、めつたにおとづれもしない雀が二三羽きてくれた。
昨日の夜明け方にはたしかにホトトギスの初声もきいた。
樹明来、もう夜が明ける一升罎[#「罎」に「マヽ」の注記]を持つて!
[#ここから3字下げ]
したしや雀がやつてきてないてゐる雨
[#ここで字下げ終わり]

 四月十五日[#「四月十五日」に二重傍線]

どうやら晴れるらしい。
さびしいかな、樹明君の酔態。
酒だけはあるから酒だけ飲む、飲めば酔ふからおもしろい。
ワヤに大小なし、高下なし。
ぐでん/\に酔つぱらつて戻つて、そして寝ましたよ。
[#ここから3字下げ]
小鳥よ啼くなよ桜が散る
蠅がなく、それだけか
さくらまつさかりのひとりで寝てゐる
[#ここで字下げ終わり]

 四月十六日[#「四月十六日」に二重傍線]

寝てゐる、夢と現実とがカクテール。
飲む酒はまだあるけれど、食べる飯は一粒もない。
[#ここから2字下げ]
・いつもみんなで働らく声の花がちる
 さくらちるさくらちるばかり
・伸びた草へ伸びた草で
・街へ春風の荷物がおもい
[#ここで字下げ終わり]

 四月十七日[#「四月十七日」に二重傍線]

残つてゐた酒をあほつたら、ほろ/\になつた、ふら/\と出かけて樹明君から米代を借りた(といふよりも奪つた)。
△飯をたべたら身心が落ちついてきた、――私は今更のやうに、食べることについて考へさせられた、米の飯と日本人[#「米の飯と日本人」に傍点]!
しつかりしろ[#「しつかりしろ」に傍点]、と私は私によびかける、いや私をどなりつけた。
[#ここから2字下げ]
 鴉が啼いて椿が赤くて
 あるきまはれば木の芽のひかり
・街はまだ陽がさしてゐる山の広告文字
・暮れのこる色は木の芽の白さ
[#ここで字下げ終わり]
私はずぼらでありすぎた、あんまりだらしがなかつた、いはゆる衣架飯袋にすぎなかつた。……

 四月十八日[#「四月十八日」に二重傍線]

晴れ晴れとした、うれしい手紙も来た、そして。――
私には財布の必要はない、郵便局で小為替の金を受けて、その足で、払ふ、買ふ、すぐまた無一文だ、さつぱりしてよろしい!
コツプ酒に酔うてゐたら、樹明君がきた、いつもとちがつて大真面目だつた。
電燈がどうしてもつかない、故障だらうと思つて電気局へ行つたら、電燈料の滞納(二ヶ月分)だから、点燈差止との事、なるほど無理もない、仕方がないから蝋燭を買つてきて御飯にする、そして寝た、寝たがえゝ、寝たがえゝ。
私の貧乏もいよ/\本格的[#「本格的」に傍点]になつてきた。
[#ここから2字下げ]
 晴れてつめたい朝の洗濯赤いもの
・よいお天気の葱坊主
[#ここで字下げ終わり]

 四月十九日[#「四月十九日」に二重傍線]

曇、雨となつて、花見もおしまひ。
△まつたく泣笑の人生[#「泣笑の人生」に傍点]だ、泣くやうな笑ふやうな顔だ、いや、笑ふことが泣くこと、泣くことが笑ふことになつてしまつたのだから。
夜は早く寝た、灯がなくては読書も出来ないから。
[#ここから2字下げ]
・考へる人に遠く機械のうなる空
・筍を掘るひそかな筍
[#ここで字下げ終わり]

 四月二十日[#「四月二十日」に二重傍線]

雨、曇、そして晴、私の気分もその通り。
やつと古道具屋でランプを探しだして手に入れることができた、古風な新鮮味[#「古風な新鮮味」に傍点]といつたやうなものを感じる、私には電燈よりもランプが相応してゐる。
呪ふべき焼酎よ、お前と私とはほんとにくされ縁だねえ。
夜おそく樹明君来庵、何か胸に痞えるものがあるらしく、頻りに街へ行かう、大に飲まうとすゝめたけれど、私は頑として応じなかつた、とう/\諦めて寝てしまつた、善哉々々。
[#ここから2字下げ]
・街の雑音のそらまめの花
 せり売の石楠花のうつくしさよ
・シクラメン、女の子がうまれてゐる
・花がちる朝空の爆音
・草から草へ伸びる草
・せゝらぎ、何やら咲いてゐる
[#ここで字下げ終わり]

 四月二十一日[#「四月二十一日」に二重傍線]

曇、平静な身心、晴。
樹明君がきまりわるさうな顔をしてゐる、昨夜は脱線しないでよかつた、酔うて苦しみをごまかすのは卑怯だ。
小鳥の声がいらゞたしくなつた、恋、交接、繁殖。
蕗がだいぶ伸びたので摘む、蛇がのろ/\して驚かす。
雑草を活けかへる、いゝなあとばかり見惚れる。
山東菜を播いた。
ランプのあかりで読書。
[#ここから2字下げ]
・梨の花の明けてくる
・咲いてゐる白げんげも摘んだこともあつたが
・竹藪のしづもりを咲いてゐるもの
・蕗をつみ蕗を煮てけさは
 麦笛ふく子もほがらかな里
 雑草ゆたかな春が来て逝く
・播いてあたゝかな土にだかせる
・おもひではあまずつぱいなつめの実
・いらだたしい小鳥のうたの暮れてゆく
・ぬいてもぬいても草の執着をぬく
[#ここで字下げ終わり]
昨夜はとう/\徹夜、それだのに今夜も睡れさうにない。
△性慾をなくしたノンキなおぢいさん[#「性慾をなくしたノンキなおぢいさん」に傍点]! 私もどうやらそこまで来たやうだ(去年は性慾整理で時々苦しんだが)。

 四月廿二日[#「四月廿二日」に二重傍線]

快晴、しかし何となく気が欝ぐ、この年になつて春愁でもあるまい、もつとも私は性来感傷的だから、今でも白髪のセンチメンタリストかな。
山へのぼつた、つつじの花ざかりだ、ぜんまいはたくさんあるが、わらびはなか/\見つからない、やつと五本ほど摘んだ(これだけでも私一人のお汁の実にはなるからおもしろい)、そしてつゝじ一株を盗んできて植ゑて置いた。
柿が芽ぶいた、棗はまだ/\、山萩がほのかに芽ぶかうとしてゐた、藤はもう若葉らしくなつてゐた。
昨日は蕗、今日は蕨、明日は三つ葉。
雀がきた、雀よ雀よ、鼠がゐた、鼠よ鼠よ。
みみづをあやまつて踏み殺し、むかでをわざと踏み殺した。
山で虻か何かに刺された。
持つてゐる花へてふてふ、腕へとんぼがとまつた。
すばらしい歌手、名なし小鳥がうたつてゐた。
今日は敬坊が、そして樹明君も来庵する筈なので、御馳走をこしらへて待つてゐる、――大根の浅漬、若布の酸物、ちしやなます、等々!
春は芽ぶき秋は散る、木の芽、草の芽、木の実、草の実――自然の姿を観てゐると、何ともいへない純真な、そして厳粛な気持になる、万物生成、万象流転はあたりまへといへばそれまでだけれど、私はやつぱり驚く。――
夕方、電燈工夫が来て、電燈器具をはづして持ちかへつた、彼は好人物、といふよりも苦労人らしかつた、いかにも気の毒さうに、そして心安げにしてくれた。
それにしても待つてる友は来ないで、待たない人が来たものである。
こゝで敬坊と樹明君との人物について、我観論を書き添へて置くのも悪くあるまい、両君とも純情の人である、そしてそれは我儘な人であり、弱い人であることを示してゐる、純なるが故に苦しみ我儘なる故に悩む、君よ、強い人[#「強い人」に傍点]となれ、私も。
[#ここから2字下げ]
   濫作一聯如件
・みほとけに供へる花のしつとりと露
・朝風のうららかな木の葉が落ちる
 仏間いつぱいに朝日を入れてかしこまりました
・山へのぼれば山すみれ藪をあるけば藪柑子
・山ふところはほの白い花が咲いて
・によきによきぜんまいのひあたりよろし
・山かげ、しめやかなるかな蘭の花
 うつろなこゝろへ晴れて風ふく
・雲のうごきのいつ消えた
 燃えぬ火をふくいよ/\むなし
 まひるのかまどがくづれた
 いちにち風ふいて何事もなし
 椿ぽとりとゆれてゐる
・鳥かけが見つめてゐる地べた
・墓場あたたかい花の咲いてゐる
 ほそいみちがみちびいてきて水たまり
・春ふかい石に字がある南無阿弥陀仏
 春たけなはの草をとりつつ待つてゐる
・ようさえづる鳥が梢のてつぺん
 親子むつまじく筍を掘つてをり
・筍も安いといひつつ掘つてゐる
 木の芽へポスターの夕日
[#ここで字下げ終わり]
暮れてもまだ敬坊は来ない、樹明君も来ない、いら/\してゐるところへやつとやつて来た、御持参の酒を飲みつゝ話してゐると、樹明君もやつてきた、三人とも酔ふた、酔うて。――
樹明君近来の口癖はブチコワスゾである、何カヲブチコワサズニハヰラレナイホド、君は悩み苦しみ焦立つてゐる、そこで、私が先づ茶碗をぶちこはす、樹明君喜んで皿を投げつける、ガチヤンガラガラ、どうやら胸がすいたらしい。
酔つぱらつた三人は必然的に街へ出かけた、そしてまた飲んでさらに酔ふた、私と敬坊とは腕を組んで、さうらうまんさんとして駅前の宿屋に泊つた。
今夜は文字通りにどろ/\になつた、泥田を這ひまはつたのだから、からだは泥まみれだつた(こゝろはあまり汚れなかつたが)。

 四月廿三日[#「四月廿三日」に二重傍線]

明けて飲み、暮れて別れた、とにかく忘れることのできない一日一夜だつた、めでたくもありめでたくもなし、喝。
戻つて来て、室内を掃除し、茶を沸かし飯を食べる。
敬坊よ、夫婦喧嘩も時々はよからう、それはほがらかでなければならない、陰惨であつてはならない。
私には喧嘩する相手もない、独相撲[#「独相撲」に傍点]でもとるか!
[#ここから2字下げ]
・こころ澄めば蛙なく
[#ここで字下げ終わり]
昨日の二十二句は此一句に及ばない。

 四月廿四日[#「四月廿四日」に二重傍線]

晴、すべてが過ぎてしまつた! といふ気持、しかし昨夜は労[#「労」に「マヽ」の注記]れてぐつすりねむれたので悪い気持ではない。
身のまはりを片づける。
出来るだけの買物をする、――米、醤油、石油、そして焼酎一杯。
初めて春蝉をきいた、だるくてねむくなる、五日ぶりに入浴、さつぱりした、しづかに読書。
酒もよいが茶もわるくありませんね[#「酒もよいが茶もわるくありませんね」に傍点]。
F家のおばさんから、例のブチコハシをひやかされた、あゝいふ気分はとても彼女等には理解できぬらしい、喧嘩でもしたのだらうと思つてる。
三ツ葉のおしたし、葉わさびをふつて貯蔵する(敬坊
前へ 次へ
全5ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
種田 山頭火 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング