らもどるそらまめの花
・誰か死にさうな鴉がカアとなくばかり
・穴から草の芽の空
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三月三十一日[#「三月三十一日」に二重傍線]
曇后晴。
敬坊起きるよりヨーヨー、春はのどかである、間もなく出立帰宅。
うれしいたより、とりわけて緑平老からのそれはうれしいものであつた。
友人知己へのかへしに、『老来春来[#「老来春来」に傍点]共によろしく』とも『春は春風に吹かれて』とも書いた。
いよ/\春のあたゝかさとなつた、あたゝかくなるほどプロは助かる、足袋を穿かないだけでも。
△バスのほこりも春らしい。
△酒が酒を飲む[#「酒が酒を飲む」に傍点]――むしろそれがよいではないか。
やうやくにして亡母の持越法事を営む、案内したのは樹明氏だけ、とてもしめやかな酒だつた。
樹明君が今晩ほど悲しい顔をしてゐたことはない(昨夜の酔興を自省して)、そして今晩ほど嬉しい色になつたこともない(今晩の酒によつて心機一転して)、友よ、道の友よ、お互にしつかりやりませう。
快い睡眠をめぐまれた。
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今日がはじまる日ざしを入れて
・一人が一人を見送るバスのほこり
常套的小唄一つ
声をそろへて エンヤラヤ
力をあはせて エンヤラヤ
さてものどかな地つきかな
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四月一日[#「四月一日」に二重傍線]
起きたのは五時前、何と身も心ものびやかな弥生のあけぼの!
霜がふつてゐる、なか/\つめたい。
三八九の仕事、倦けると畑いぢり、ほうれんさうはおしまひになつた。
花菜を水仙に活けかへる、水仙のつめたき[#「き」に「マヽ」の注記]もよいが花菜のあたゝかさもよい。
蛙がなき蟻がはひ蝶々がまふ、雑草の花ざかり(まだ早いが)。
白木蓮が咲いてゐた、その花のうつくしさよりも、その花にまつはるおもひでがさびしかつた。
学校からの帰途、樹明君が立ち寄る、待つても待つても敬治君は来ない、二人とも少し憤慨して、二三杯やつて別れる。
敬治君はとう/\来なかつた、何か事故が突発したのだらう、とにかく無事であつてくれ。
人間は人形ぢやない[#「人間は人形ぢやない」に傍点]、――これは大切な事だ、人間は人形ぢやないから、人間は人形には解らない。
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・こぼれ菜の花や霜どけ
春霜の菜葉を摘んでおつけの実
お花をきれば春霜のしたたり
仕事屑が捨ててあるそこら雪の下
やうやくたづねあてた家で牡丹の芽
・子供がねつしんに見てゐる機械がよう廻る
・あたたかさ野山にみち笹鳴うつる
・まつたく春風のまんなか
・身のまはりは草もそのまま咲いてゐる
・鳥かげのいりまじり草の青さも
・ちぎられた草の芽の霜
・干しものすぐ干せた木の芽草の芽
・音は朝から木の実をたべにきた鳥か
澄太さんに
わかれてからの韮の新芽のこんなに伸びた
敬治君に二句
けふはあんたがくるといふ菜の花を活けて
花菜活けてあんたを待つなんとうららかな
追加二句
・明けはなれて木の実うまからうつぐみの声
・いちにちだまつて小鳥の声のもろもろ
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△念ずれば酒も仏なり、仏も酒なり。
樽見て酔ふ境地はうらやまし。
権兵衛が飲めば田伍作が酔ふやうになりたし。
四月二日[#「四月二日」に二重傍線]
けさも早かつた、そして寒かつた、うらゝかな春日。
敬坊は脱線したらしい、何となく気にかゝつてゐた、そこへさうらうとして彼がやつてきた、うれしいやうな、かなしいやうな、そしてさみしいやうな気持だつた。
樹明君もやつてきた、三人で山へのぼつた、よかつた。
暮れてから、敬坊といつしよに湯屋へ、それからKへ、私だけ戻つた。
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敬君に
・菜の花を水仙に活けかへて待つ
敬坊をうたふ二句
費ひはたして日向ぼこしてゐる
酔ひしれた眼にもてふてふ
・伸びはうだいの南天の実の食べられてゐる
藪で赤いのは椿
・かすかに山が見える春の山
・寝ころべば昼月もある空
山のあなたは海といふほのかふくれてゐる
・花がひらいてゐて机の塵(酔後)
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四月三日[#「四月三日」に二重傍線]
くもり、花ぐもり、宿酔の気がある。
敬坊をKから連れて戻る、ちいちやんを借りて来る。
山のぼり会は雨となつたので、たゞの飲み会となつてしまつた、樹、敬、山、そしてちいちやんを加へて四重奏、其中庵はまさに春らんまんだつた。
それからがいけなかつた、いつしよに街へ出たのがいけなかつた、私だけは早く帰つたが、残つた二人はムチヤクチヤだつたといふ。
夜おそく敬治君が戻つてきた、さらにおそくなつて樹明君がやつてきた、ぼろ/\どろ/\だ、いつしよに寝る、私だけは早く起きてそこらを片附ける、さば/\した。
今後は酔後断じて、敬治君や樹明君といつしよに街へ出ないことを決心する、そして私一人に関する限りに於て、料理屋やカフヱーや、さういふ享楽境、遊蕩場所へ立ち寄らないことを誓約する、それぐらゐの覚悟を持つてゐなければ、とうてい真実の生活は出来ない、随つて真実の句も生れない。
不思善、不思悪、清濁併せ飲む境地へはまだ/\遠い、私はさしあたり私独りだけでも澄みきりたい。
四月四日[#「四月四日」に二重傍線]
雨、回光返照の雨。
樹明君は学校へ、敬治君は自宅へ、私は其中庵主として。――
閑寂のよろこび[#「閑寂のよろこび」に傍点]、自分の長短がはつきり解る。
何年ぶりかで牛乳を飲む(樹明君が敬治君のために持参)。
敬治君の顔は悲しかつた、樹明君の顔は痛ましかつた、私の顔は淋しかつたらう!
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・濁つた水で木かげ人かげ
・白木蓮があざやかな夕空
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四月五日[#「四月五日」に二重傍線]
曇、そして晴。
やうやくにしていよ/\自己革命の時節[#「自己革命の時節」に傍点]が到来した。
九時半の汽車で来庵の大前誠二さんを駅で迎へる、お土産として灘の生一本、茹章魚、干鰈。
灘の生一本は何ともいへない醇酒だつた、さつそく一本頂戴した、酔心地のこまやかさ。
ちよつと街へ出て、お酌をしてくれる酒二三杯。
夜は樹明、冬村の二君来庵、四人でおもしろく飲んで話した。
道をおなじうするもののよろこび。
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椿の花、お燗ができました
酒がどつさりある椿の花
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四月六日[#「四月六日」に二重傍線]
ごろ寝から覚めて、あれやこれやと忙しい(私の貧しい寝床は大前さんに提供したから)、冬村君が手伝つてくれる、樹明君もやつてくる。
其中庵の春、山頭火の春。
九時すぎ別れる、がつかりしてさみしかつた。
敬坊の手紙はかなしい。
夕方、樹明再来、つゝましく、といふよりも涙ぐましく対酌。
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・昼月へちぎれ雲
裏口からげんげたんぽぽすみれ草
・芽ぶく梢のうごいてゐる
・みんなかへつてしまつて春の展望
・このさみしさは蘭の花
・水をくむ影する水を
酔ひたい酒で、酔へない私で、落椿
・やりきれない草の芽ぶいてゐる
・出てあるいてもぺんぺん草
・昼月のあるだけ
・自分の手で春空の屋根を葺く
・水音、寝ころぶ
・石ころに日はさせども
・死をまへにして濁つた水の
・ひとりがよろしい雑草の花
春の夜のひとりで踊る
身にせまりやたらに芽ぶいてきた
なんぼでも虫がゐる夜のふかくして
・月と雲と、水をくむわたくし
摘んできて名は知らぬ花をみほとけに
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四月七日[#「四月七日」に二重傍線]
花ぐもり、雨となつた。
今朝はさすがの私も飲みたくない、飲めない、飲みすぎ食べすぎのたたりで気分がすぐれない、午前中は山野を逍遙した。
酒には溺れるべし、それ以上を求めるのは間違なり。
まづ、其中庵は其中庵臭を去れ、山頭火は山頭火臭を捨てろ、耽溺趣味、陶酔気分を解消せよ。
△宗教は阿片にあらず、現代の宗教は現代の人々を麻痺せしめるだけの魅力を持つてゐない。
ぐつすりと春のねむり。
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・笹鳴くや墓場へみちびくみちの
・がらくたを捨てるところ椿の落ちるところ
・咲くより剪られて香のたかい花
・酔ふたが雨の音
・忘れられて空へ木の実のゆれてゐる
・出て見れば雑草の雨
[#ここで字下げ終わり]
四月八日[#「四月八日」に二重傍線]
雨、花まつりの日。
句集半切代入手、払うて買うて、すぐまた無一文。
酔へばいら/\する、酔はなければぢつとしてゐられない、といつて!
△酒のために苦楽のどん底をきはめることができたのである、尊い悪魔[#「尊い悪魔」に傍点]であつたよ、酒は!
今日の身心は雨と酒とでぐつしよりだつた、だがあまり悔いるほどではなかつた、悔いたところで詮もないけれど。
[#ここから2字下げ]
・山に霧が、さびしがらせる霧が山に
追加一句
・日向ぽかぽかと歯がへやさんが歯がへしてゐる
[#ここで字下げ終わり]
四月九日[#「四月九日」に二重傍線]
まだ降つてゐる、書入れの日曜日が台なしになつて困つた人が多からう、まことに花時風雨多しである。
寝て暮らした、寝るより外になかつたから。
暮れてから、招かれて、樹明君を宿直室に訪ねる、気がすゝまなかつたのだが、そして遠慮してゐたのだが、逢へばやつぱり嬉しい。
ふくらうのさびしいうた! 百花春至為誰開!
△肉慾の奴隷[#「肉慾の奴隷」に傍点]に堕しつゝある自分を鞭つ。
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・月のはばかりへちつてきた木の葉いちまい
・なんとわるいみちのおぼろ月
・あれはうちの灯、ぬかるみをもどる
・しだれざくらがひつそりとお寺である
・釣瓶の水がこぼれるなつめの実(追加)
[#ここで字下げ終わり]
四月十日[#「四月十日」に二重傍線]
曇、やうやくにして晴、そこらから花見のぞめきがきこえる。
悪筆を揮うて送る、この悪筆が米代になるとは!
知足安分の一日[#「知足安分の一日」に傍点]。
△私の好きな着物はドテラとユカタ、浴衣に褞袍をかさねた快さ。
すべてが、よりよくなる[#「よりよくなる」に傍点]ためのものでなければならない、今日は昨日より、明日は今日よりよりよい生活[#「よりよい生活」に傍点]でなければならない、さて、よい[#「よい」に傍点]とは何か、よりよい生活[#「よりよい生活」に傍点]とは何か。――
△木を見て林を見ない人間[#「木を見て林を見ない人間」に傍点]! さういふ人間であつてはならない。
よく読み、よく考へた一夜だつた。
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・やたらに咲いててふてふにてふてふ
便所の窓まで芽ぶいたか
・雑草にうづもれてひとつやのひとり
・雑草ばかりで花見の唄のきこえるところ
・花のよな木の芽ゆれつつ暮れる家
春の夜を落ちたる音の虫
・気ままに伸んで香のたかい花つけて
・あれは木蓮の白いゆふざれがきた(改作)
かめば少年の日のなつめの実よ(追加)
遠く花見のさわぎを聞いてゐる
[#ここで字下げ終わり]
四月十一日[#「四月十一日」に二重傍線]
日本晴、春や春、春の春。
うらゝかな空腹[#「うらゝかな空腹」に傍点]だ(いやな行乞はやめとかう)。
天地荘厳、摂取不捨。
今日は絶食的断食[#「絶食的断食」に傍点]である、絶食は他力的、断食は自力的、具体的に説明すれば、米がなくなつた、それもよからう、米なしデーにしてをく、である。
溜池の杭の上に甲羅を干してゐる亀を見た。
公園へ花見連中が繰り込むのを見ても何とも感じないが、山あがり(田舎人のピクニツク)へ行く一家族を見ると、何となく心を動かされる、そして、私の生活のムリ[#「ムリ」に傍点]、といふよりもウソ[#「ウソ」に傍点]を解消しなければならない、と思ふ。
△しづかなよろこび[#「しづかなよろこび」に傍点]――空の、山の、草木の、土の、――流れる水にも、囀づる小鳥にも、吹き去る風にも。――
△近頃どうも心持がきたなくなつたことを感じる、あさましい事
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