其中日記
(三)
種田山頭火
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)黴《カビ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)春|時化《シケ》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)しゆう/\として
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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かうして 山頭火
ここにわたしのかげ
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昭和八年三月二十日ヨリ
同年七月十日マデ
[#ここで字下げ終わり]
三月二十日[#「三月二十日」に二重傍線] 初雷。
また雨だ、うそ寒い、何だか陰惨である、しかし庵は物資豊富だ。
春来、客来、物資来だ。
けふもよい手紙は来なかつた。
風がふいて煤がふる、さみしくないことはない。
ちしやにこやしをやる。
樹明君の事が何となく気にかゝる。
野韮、これは一年食べつゞけても食べきれないほど生えてゐる。
笹鳴、夕霧。……
よく寝られた、よすぎる食慾とよい睡眠。
三月廿一日[#「三月廿一日」に二重傍線] 彼岸の中日。
早く起きて星空を仰いだ。
入庵してから半周年(去年の秋の彼岸の中日に入庵したから)。
晴、朝月のある風景。
草餅が食べたいな。
澄太さんからペーパー頂戴。
樹明来、飲み歩いた、いけなかつた、おなじワヤでもタチのよくないワヤだつた、懺愧の冷汗。
白魚の吸物だけはおいしかつた、蓬餅も。
いつになつたら、ほんとうに酒が味はへるのだらう!
酔うて、そして淋しく戻つて寝た。
三月廿二日[#「三月廿二日」に二重傍線]
曇、冷たい雨となつた。
樹明君が昨日の事を心配してやつてきた。
すべての従来の悪念悪行を捨てさるべし。
終日終夜、寝てゐた、寝る外ないから。
嵐の前、死の前――そんな気持だつた。
サケとスシとを与へられた、ありがたや。
三月廿三日[#「三月廿三日」に二重傍線]
身心すこし軽くなる。
味噌汁をこしらへて、そればかり吸ふ、何といふうまさ。
昨日も今日も一句なし。
夜、樹明来、福神漬でお茶を飲んで、もうワヤはやるまいと誓約した。
時々ワヤをやつてもかまはないけれど、後悔するやうなワヤはいけない。
三月廿四日[#「三月廿四日」に二重傍線]
晴、春風しゆう/\として天地のどかであつた。
朝は塩昆布茶。
或る場所に或る人間を訪ね、たゞ不快を与へられて戻つた、おかげで近来とかく怠りがちの自己省察[#「自己省察」に傍点]が十分に出来た。
非家庭的、非社会的、非国家的な私である、私は非人情的[#「非人情的」に傍点]に生きる外ない。
晩には、味噌汁をこしらへて吸ふた、おいしかつた。
△空腹と鼠とシヤモジ[#「空腹と鼠とシヤモジ」に傍点]――何とユーモラスな事実の題材!
これを書きあげるだけのユーモアが私にあるかどうか!
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やうやく三句
・ゆんべの雨がたたへてゐる、春
・朝から小鳥が木の実たべにきてゐる雨あがり
・夜のふかうしてあついあついお茶がある
[#ここで字下げ終わり]
三月廿五日[#「三月廿五日」に二重傍線]
雨、春雨、終日独坐。
待つてゐる手紙は来ない、でも、柳は芽ぶいた、桜はふくらんだ、とつぶやいてゐる。
ナマケモノといふ動物を思ひ出さずにはゐられないほど、此頃はなまけてゐる、どうもグウタラから抜けきれない。
味噌漬をかぢりながら湯ばかり飲んでゐる。
少しばかり三八九仕事。
△労働と遊戯[#「労働と遊戯」に傍点]について考へる、人生は「あそび」にまで持ち来されねばならないと思ふ。
夜、寝床にはいつてゐる私を敬治君が起した(私の第六感はやつぱり正しかつたのである)。
お土産の鑵詰を下物にしてお土産の酒を飲んだ、そして二人いつしよに寝た(さうする外ないのだが)、うれしかつた。
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・林は朝のしづくしてゐる藪柑子
・ぬれて水くむ草の芽のなか
・石垣の日向のふきのとうひらいてゐる
とう/\寝られなかつた鼠の執着
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三月廿六日[#「三月廿六日」に二重傍線]
日本の春、小鳥の声、人間の声。
朝酒はよいかな、敬君はまだこのよさを解しない(解すれば不幸だが!)。
飯の白さも四日ぶり、敬君ありがたう。
俊和尚からうれしい手紙。
二人で歩いて二人で入浴、何日ぶりの入浴か、髯を剃る。
樹明君を学校に訪ねる、校庭の何とかいふ桜はもう咲いてゐた。
魚を買ふ、酒を借る、樹明君が七面鳥の肉をどつさり持つて来る、春は三重奏の酒宴のはじまりはじまり。
うまい肉だつた、よい酒だつた、今夜はおとなしく別れた、このところ樹明君大出来、あつぱれなおちつきぶりだつた、私と敬坊とはたしかに落第だつた。
ヨーヨーをやつてみる(樹明君が持つて来たので)、誰だかヨーヨーとひやかす。
出来るだけ借金を払ひ、出来るだけ買物をする、酒屋へ弐十弐銭、米屋へ弐十三銭、そして古本屋へ十銭払ふべく行つたら、彼はいつのまにやら夜逃してゐた、近頃ユーモラスな題材が多い。
落し物をした、――拾ふことあれば落すことあり、善哉々々。
一人となつて、千鳥が鳴くのを聞いた、やつぱりさびしい。
ねむれないから本を読む、本を読むからねむれない、今夜は少々興奮したのだらう、とかくしてまた雨となつたらしい。
鼠が天井を走る、さても辛棒強い鼠かな、庵主に食べる物がなくなつても、鼠には食べる物があるのか、不思議だな。
敬君がヒヨを一羽拾うてきた、打たれてまだ間がないと見えて、傷づいた胸がぬくかつた。
△西田天香さんの息子、本間俊平さんの息子、共に不良ださうなが、考へさせる人生の事実だ。
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あれは九州といふ春の山また山
・うららかな、なんでもないみち
・林も春の雨と水音の二重奏
・かろいつかれのあしもとのすみれぐさ
ママとよばれつつ蓬摘んでゐる
・藁塚ならんでゐる雑草の春
あれこれ咲いて桜も咲いてゐる
・春はまだ寒い焚火のそばでヨーヨー
・みんなかへつてしまつて遠千鳥
[#ここで字下げ終わり]
三月廿七日[#「三月廿七日」に二重傍線]
どうやら霽れさうだ。
ちよつと郵便局まで、冬村君の工場でしばらく話した、花見の約束をする、ハナ(花)ノシタより、ハナ(鼻)ノシタ!
すみれ、げんげ、なのはな、いろ/\の草花が咲きはじめた。
晩酌二合、甘露の甘露だつた。
しづかな一日、小鳥が啼いて、私が考へて、そして雨。
[#ここから2字下げ]
・工場のひゞきも雨となつた芍薬の芽
・ぬかるみ赤いのは落ちてゐる椿
雨あがり、なんと草の芽が出る出る
・けさはお粥を煮るとて春の黴《カビ》
・春さむく針の目へ糸がとほらない
春夜、どこからきたのか鼠の声
・わらやねふけてぬくい雨のしづくする
あすはお節句の蓬つむと乙女が来た
追加二句
・お彼岸まゐりの、おばあさんは乳母車
・春さむく小舟がいつさう
[#ここで字下げ終わり]
三月廿八日[#「三月廿八日」に二重傍線] 旧暦節句。
時化、霰さへ落ちた。
宵から朝まで、ぐつすり寝たので気分爽快、仕事が出来る。
鼠の悪戯には閉口する、よし持久戦だ、糧道を断つてやらう!
心のうちに雨がふる、――私もやつぱりまだセンチメンタリストだ!
糸菜――京菜を買ふ、一株一銭(小売値段が)とは安すぎる、何だか腹立たしくなつた、――が、煮てもうまい、漬けてもうまい。
滓酒一杯、それで虫をごまかす。
飯を食べないでも、嫌な行乞はしたくない、この気持は行乞の体験のない人には解らないらしい。
理智、理解、理論といふものが考へさせられる。
△摂取不捨[#「摂取不捨」に傍点]といふことも、同時に考へさせられる。
夜、冬村君来庵、お節句の蓬餅を貰つた、さつそく焼いて食べる、うまいうまい、つゞいて樹明君来庵、上機嫌だ、塩昆布茶をすゝりつゝ話す、そしておとなしく別れた、すこし淋しかつたが。
[#ここから2字下げ]
・春寒い鼠のいたづらのあと
・春がしける日のなにもかも雑炊にしてすする
・たたきだされて雨はれる百合の芽である
・春時化のせせらぎがきこえだした
・林も水があふれる木の芽
土のしじまの芽ぶいてきた雑草
草萠えるあちらからくる女がめくら
籠りをれば風音の煤がふる
暮れるまへの藪風の水仙の白さ
どこかで家が建つだいぶ日が長うなつた
・やつと山の端の三日月さん
追加一句
春|時化《シケ》、米がなくなつて餅がある
[#ここで字下げ終わり]
三月廿九日[#「三月廿九日」に二重傍線]
快晴、春霜、なか/\寒い。
近郊散策、七句拾ふ。
△アスフアルトプラント(新国道舗装用の)を観る、人間と機械、機械と自然、この関係をはつきり理解しなければならない。
さくらのつぼみがふくらんだ、春、春、春だ。
新聞所載の九星表を見たら、『うか/\と山路に入つて、踏み迷ふ如き日』とあつた、足元御用心。
午後、意外にも敬治君来庵、自宅からわざ/\酒と餅とを持つて!
なかよくおとなしく飲んだり食べたり、山へ登つたり野を歩いたりした。
山から蘭を三株持つて帰つて、茶瓶に植ゑた、やんがて咲くだらう。
△日あたりのよい隠れ場処[#「日あたりのよい隠れ場処」に傍点]といふ語句を思ひついた。
夜、敬治君機嫌よく実家に帰る、樹明君はとう/\来なかつた、宴会があると聞いたから、おそくなつて、――といふ次第だらう。
[#ここから2字下げ]
街をあるけば街のせつなさ
山へのぼれば山のさみしさ
ひとりかなしみ
ひとりなぐさむ
[#ここで字下げ終わり]
こんな小唄が出来るとは、私はどこまでも孤独な痴人だ!
[#ここから2字下げ]
・山羊もめをとで鳴くうららかな日ざし
・一つが鳴けばみんな鳴く春の野の牛
・落ちては落ちては藪椿いつまでも咲く
・工夫にレールが長いエンヤラヤ
春の野の汽鑵車がさかさまで走る
・春風のアスフアルトをしく
水をへだてて笹鳴くやうまくなつたな
・山の椿のひらいては落ちる
・春の山をのぼる何でもない山
・山ふところはいちはやく蘭に莟をもたせ
・枯木のてつぺんで啼いてゐるのは渡鳥
・いちりん※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]しの椿いちりん
・春山をのぼる下駄が割れて
[#ここで字下げ終わり]
三月三十日[#「三月三十日」に二重傍線]
昨日の今日だから、さすがに胃腸の工合がよろしくない、酒の飲みすぎ、餅の食べすぎ、――お粥をこしらへる。
こゝろたのしく、朝、昼、晩、お粥ですました。
朝、樹明来、やつぱり昨夜は酔中彷徨だつたさうな、顔色がよくない。
午前中は山中漫歩、句と躑躅と土筆とを得た。
△貧乏はかまはないが、借金のない貧乏[#「借金のない貧乏」に傍点]でありたい。
人間山頭火[#「人間山頭火」に傍点]を観て下さい、俳人とか禅宗坊主とかいはないで。
また米がなくなつた、餅もなくなつた、私も空腹、仏様も、また鼠も!
△酒はいつもうまいが、春の酒よりも秋の酒。
なまけた一日、たべること第一。
ちしやが萎れて枯れるのは、搾取のためでなくて立枯病であることを教へられたので、まづ安心、さつそく灰を与へた。
△遊ぶ日の朝酒、働らいた日の晩酌。
自然を出来るだけ自然のまゝで味ふべし。
夕方、樹明君を通して敬治君から呼び出し、すぐ出かける、第一窟から宿直室へ、――酒、むきみ貝、樹、敬、山の三重奏、ぢやない、キミチヤンを加へて四重奏。
戻つて寝てゐたら、敬坊ひよろりと御入来、例の如くいつしよにごろ寝、まあ/\この程度の脱線ならよか/\。
[#ここから2字下げ]
・鴉まつすぐに墓場まできてなく
伐られなければならない樹の影の水しづかにも
・ひなたの六地蔵どれも首がない
・によきによき土筆がなんぼうでもある
・つかれて街か
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