・けさから春立つといふぺんぺん草
                (追加)
・札をつけられて桜ひらかうとして
[#ここで字下げ終わり]

 三月四日[#「三月四日」に二重傍線]

けさはすこし早く起きる、曇つて寒い。
よい手紙――わるい手紙も来ない。
樹明来、おかげで三八九、一部発送。
ぬくうて雨となつた、明日から行乞に出かけるつもりなのに。
[#ここから2字下げ]
・水わけば水に生きるもの
・落葉ふかしも巌のすがた
 暮れるより降りだして街の雑音も
・なげやりの萱の穂もあたゝかい雨
・森かげかそけく枯れてゐる葉に雨がきて
 ぬくとくはうてきて百足は殺された
[#ここで字下げ終わり]

 三月五日[#「三月五日」に二重傍線]

夜来の雨がはれてすが/\しくなつた、どれ出かけよう。
征坊からなつかしいありがたい手紙がきた、感謝々々。
おかげで三八九全部発送済となる、安心々々。
晴れて風がふく、かういふ日は警戒を要する。
夕方から宿直室へ、例の如く食べる、飲む、饒舌る。
そして少し泳いだ、久しぶりに。
それでも戻つて寝た、さうするより外ないのだけれど。
[#ここから2字下げ]
・みんなしづくしてはれるそら
 風ふく餅をたべてはひとり遊ぶ児
 大きな松がある、そこが警察です
・どこかに月がある街から街へ
・月がまうへのかげをふむ
 燈火管制の月夜をさまよふ
 南無地蔵尊、こどもらがあげる藪椿
[#ここで字下げ終わり]

 三月六日[#「三月六日」に二重傍線]

晴、よい朝ではじまつてわるい夜で終つた。
酔うて乱れて、何が母の忌日だ、地下の母は泣いたらう。
樹明君を案内して置いて、このざまはどうだ。
ふと仏前を見たら、――御供物料、樹明――の一封がある、恥を知れ、々々。
ぶら/\歩いたら、だいぶ気分がよくなつた。

 三月七日[#「三月七日」に二重傍線]

独りを慎しみ独りを楽しんだ。
考へる事も書く事も、何もない一日だつた。
あるだけの米を炊いて食べた。
[#ここから2字下げ]
  今日の買物を見よ
一、五銭   醤油二合
一、弐十弐銭 白米壱升
一、十銭   酒一合
一、三銭   端書二枚
一、五銭   煙草一袋
一、六銭   焼酎五勺
  (これがやめてよいものなり)
・住みなれてふきのとう(改作)
[#ここで字下げ終わり]

 三月八日[#「三月八日」に二重傍線]

晴、なか/\つめたい、淡雪よろし。
防空デー、燈火管制の日、朝からサイレンが鳴りひゞく。
悪い、といふよりも恥づかしい夢を見た、それを洗ひ落すべく湯屋へまで出かけた、帰途、樹明君を訪ねたかつたが、キマリがわるいので止めにした。
夜、樹明君来庵、ほがらかな顔を見てほつとした。
社会人として、電燈を消して寝る。……

 三月九日[#「三月九日」に二重傍線]

春寒、午後はポカ/\日和だつた。
あてもなく山から野を歩きまはつた、墓地逍遙[#「墓地逍遙」に傍点]もよかつた。
けふはじめてやうやく、ふきのとうをみつけた(たゞしよそで)。
△蕗の薹、蕗の薹、お前は春の使者だよ。
畑を打つて根肥をしてをく。
△肉体労働にはまことに、まことに尊いものがある。
樹明君ひよつこりとやつてくる、酒を持つて、――ハムとちしやの下物で飲む、うまい、うまい、うますぎてとう/\前後不覚になつてしまつた(それでも、するだけの事はして、寝るべき処に寝てゐた)。
[#ここから2字下げ]
・もうみそつちよがきてないてゐるあわゆき
・杉の葉に雪がちらつくうすい日ざしの
・石から草の葉の淡雪
・早春の晴れて風ふくサイレンのいつまでも
・こゝろなぐさまない春雪やあるいてもあるいても
・藪椿ひらいてはおちる水の音
   防空デー、燈火管制の夜
・爆音、月は暈きてまうへ
・街はあかりをなくしたおぼろ夜となつた
・月夜いつぱいサイレンならしつゞける
・月をかすめて飛行機はとをざかるおぼろ
[#ここで字下げ終わり]

 三月十日[#「三月十日」に二重傍線]

雨、春寒なか/\きびしい、袢纒を一枚かさねる。
終日独坐。
小鳥、殊に眼白が此頃興奮してきたやうだ、椿の木にあつまつて、朝から晩まで、恋の合唱をつゞけてゐる。
茫然として、私はそれにも聞き入るのである。
[#ここから2字下げ]
   樹明君に
・月あかりのしたしい足音がやつてくる
   自分自身に
 椿が咲いたり落ちたり道は庵まで
   春雪二句追加
・雪すこし石の上
・ぶら/\あるけば淡雪ところ/″\
・霜どけの道をまがると焼場で
・墓場したしうて鴉なく
・早春の曇り日の墓のかたむき
 春の野が長い長い汽車を走らせる
[#ここで字下げ終わり]

 三月十一日[#「三月十一日」に二重傍線]

何もかも食べつくしてしまつた、朝は干大根をかんでは砂糖湯をすゝつた。
手答へのある手紙は来ない、行乞にもお天気がきまらないので出たくない。
やうやくにして白米一升だけ工面した、これでもやつぱり世帯の遣繰といふべきだらう。
身のまはり、家のまはりをかたづける、おだやかな気分で。
やつと、うちの、ふきのとうを見つけた、二つ、しよんぼりとのぞいてゐた、それでもうれしかつた。
よい月夜、おだやかな月夜だつた。
[#ここから2字下げ]
・朝からふりとほして杉の実の雨
・雨の椿の花が花へしづくして
・こゝにふきのとうがふたつ
   亡母忌日二句追加
・おもひでは菜の花のなつかしさ供へる
・ひさびさ袈裟かけて母の子として
[#ここで字下げ終わり]

 三月十二日[#「三月十二日」に二重傍線]

まことに春寒である、霜がふつて氷が張つてゐる、小雨さへふりだした。
よい手紙が来た、うれしいな、さつそく酒を買ふ。
樹明来、ふたりで飲んで街を歩いてゐると、ひよつこり敬坊にぶつつかつた、三人でまた飲んだ。
戻つてきて、飯を炊いて食べる、残つた酒を飲む。
夜、敬坊来、ふたりいつしよに寝る、おもしい[#「い」に「マヽ」の注記]ろいな。
[#ここから2字下げ]
・雪の茶の木へ雪の南天
 あんたが泊つてくれて春の雪
・雑草はうつくしい淡雪
・雪へ雪ふる春の雪
・雪のしづけさのつもる
・晴れて雪ふる春の雪
 春の雪をあるく
・春の雪ふるふたりであるく
 雪の水仙つんであげる
・わらやねしづくするあわゆき
[#ここで字下げ終わり]

 三月十三日[#「三月十三日」に二重傍線]

雪がつんでゐる、そして雪がふる、敬坊と二人で雪をしみじみ観た。
△今日は今日だ、昨日は昨日、明日は明日だ。
△雪そのものを味ふた、雪そのものを詠ひたい。
よいかな、雪の水仙、雪の小鳥、よいかな。
しづかにしてさみしからず[#「しづかにしてさみしからず」に傍点]、まづしうしてあたゝかなり[#「まづしうしてあたゝかなり」に傍点]、いちにち雪がふつたりやんだり、そしてよい一日だつた。
若い遊猟家がやつてきて、むちやくちやにポン/\やられるには閉口した、小鳥も脅やかされるし、私も妨げられる、雪のしづけさが破られる。
よくない手紙が来た。
敬坊と別れてから、ずゐぶんさみしかつた。
さみしい夕餉だつた、――素湯に干大根だけだつた。
△私は物を感じる[#「感じる」に白三角傍点]よりも物を観る[#「観る」に白三角傍点]ことに心が傾いてきた、物の相《すがた》、そこに今まで観なかつたものを観るやうになつた、物の色、香、音といふものから離れて、物のかたち[#「物のかたち」に傍点]、物のすがた[#「物のすがた」に傍点]、そのものに没入しようとしてゐる、多分こゝから、私の句境に一転向――それは一つの飛躍でなければならない――が出て来るであらう。
△描く、写す、そして述べる、詠ずるのである、正しい認識[#「正しい認識」に傍点]、それがなければ、まことの芸術はない。
[#ここから2字下げ]
・茶の木の雪のもうとけた
・雪の小鳥よとんできたかよ
   敬坊に
 ごつちやに寝てゐる月あかり
・月がのぼればふくらううたひはじめた
・雪空、わすれられたざくろが一つ(改作再録)
・笹原の笹の葉のちらつく雪
・雪ふりつもる水仙のほのかにも
・かすかな音がつめたいかたすみ
・茶の木の雪のおのがすがた
・投げだしてこのからだの日向
・どうすることもできない矛盾を風が吹く
・つい嘘をいつてしまつて寒いぬかるみ
[#ここで字下げ終わり]

 三月十四日[#「三月十四日」に二重傍線]

まつたく春だ、うらゝかな日かげ、霜はつめたいが。
もう食べるものがなくなつた、でも身心はやすらかだ。
昨日の夕方、敬坊と約した手紙を受取るべく駅まで出かけたが、その手紙はまだ届いてゐなかつた、で、今朝はわざ/\嘉川まで出かけたのだが、その人に逢へなかつた、失望落膽、急に空腹を感じたことである。
一天雲なく腹裡一物なし、そして途上二句だけ拾つた。
瓶の水仙を椿(もちろん藪椿)に代へた、仏壇は水仙の盛花、花はよいなあと花を眺めては思ふ。
食べすぎの後は食べたらないのがホントウだらう!
暮のサイレンが鳴つても電燈がつかない、つかない筈だ、電球がきれてゐる、そしてそれをかへて貰ふ拾銭もない、――今夜は早くから寝て考へよう!
日中来書の約を履んで、樹明君バリカン持参で来庵、理髪どころぢやない、会話にも興が乗らない、やうやく名案を思ひついた、――焚火で理髪して貰つたのである。
今夜の其中庵風景はまことに異色あるものであつた、私は、恐らくは樹明君も、一生忘れないであらう。
街あかり星あかりだけでも、室内はほんのり明るい、そして今、十九夜の月が昇つた、その光をまともにうけて、明るい、明るい。
樹明君がお土産の牡蠣はうまかつた、殼をたゝき割つて、そのまゝ食べる、かんばしい、久しぶりに磯の香をかいだ。
[#ここから2字下げ]
・水音もあたらしい橋ができてゐる
・新国道まつすぐに春の風
・うらゝかにして腹がへつてゐる
・送電塔に風がある雲雀のうた
・麦田風はれ/″\として藁塚や
・裏口からたんぽゝにたんぽゝ
・春風のお地蔵さんは無一物
・あれが変電所でうらゝか
・こんなに虫が死んでゐる、たゞあかるくて
 春夜の虫のもう死んでゐる
 もだえつゝ死んでゆく春の夜の虫
 春の夜の火事の鐘をきいてゐる
・何だか物足らない別れで、どこかの鐘が鳴る
・春寒のシヤツのボタンを見つけてつけた
[#ここで字下げ終わり]

 三月十五日[#「三月十五日」に二重傍線]

来信いろ/\、しみ/″\読む。
やつと米一升(二十二銭)となでしこ一袋(四銭)とを捻出した、かういふ場合でないと、飯のうまさ、煙草のうまさが全身心に味へない。
十日ぶりに入浴、剃刀がないので髯が剃れなかつたのは残念、それよりも残念なのは電球をかへることが出来ない事だ、今夜もくらがりで考へるか!
春曇らしく曇つて、多少の風、遠山は霞。
いつのまにやら、鼠がやつて来てゐるらしい、そこらをごそごそやつてゐる、食べるものがなくて気の毒千万、とても同居はむつかしからう。
ちしや、ひともじ、ほうれんさうを食べる、うれしい味だ。
夕ぐれ、ぢつとしてゐると、裏戸があいた、樹明君だ、電球を持つてきてくれた、そしてバツト、そして五十銭玉一つ、さつそく酒を買うてくる、……感泣々々。
野鼠だつた、家鼠ではなかつた、野鼠でなくては、こんなところには我慢出来ない。
虫が多くなつた、明るすぎる電燈の下で、たくさん死んでゐる、こゝにも生死去来の厳粛な相[#「生死去来の厳粛な相」に傍点]がある。
樹明君のおかげで、明るく、安らかに寝た。
[#ここから2字下げ]
・あたゝかい雨の木の実のしづくする
・ぱつとあかるく水仙がにほふ私の机
・草の芽、釣瓶縄をすげかへる
 霽れるより風が出て遠く号外の鈴の音
・裏山へしづかな陽が落ちてゆく
・落ちる陽をまへにして虹の一すぢ
[#ここで字下げ終わり]

 三月十六日[#「三月十六日」に二重傍線]

ぬくすぎたが、はたして雨だ、この雨が木の芽草の芽を育てるのである。
サイレンと共に起きた、何となく心楽しい朝だ。
降つたり止んだり、照つたり曇つたり、まこと
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