其中日記
(二)
種田山頭火

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)金《カネ》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)まざ/\と
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
−−

[#ここから1字下げ、39字詰め、ページの左右中央に]
其中日記は山頭火が山頭火によびかける言葉である。
日記は自画像である、描かれた日記[#「描かれた日記」に傍点]が自画像で、書かれた自画像[#「書かれた自画像」に傍点]が日記である。
日記は人間的記録として、最初の文字から最後の文字まで、肉のペンに血のインキをふくませて認められなければならない、そしてその人の生活様式を通じて、その人の生活感情がそのまゝまざ/\と写し出されるならば、そこには芸術的価値が十分にある。
現在の私は、宗教的には仏教の空観を把持し、芸術的には表現主義に立脚してゐることを書き添へて置かなければならない。
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[#改ページ]

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うららかにして
木の葉ちる
[#ここで字下げ終わり]


 一月一日[#「一月一日」に二重傍線]

私には私らしい、其中庵には其中庵らしいお正月が来た。
門松や輪飾はめんどうくさいので、裏の山からネコシダを五六本折つてきて壺に※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]した、これで十分だ、歯朶を活けて[#「活けて」に傍点]、二年生きのびた新年を迎へたのは妙だつた。
お屠蘇は緑平老が、数の子は元寛坊が、そして餅は樹明君が送つてくれた。
いはゆるお正月気分で、敬治君といつしよに飲みあるいた、そして踊りつゞけた、それはシヤレでもなければヂヨウダンでもない、シンケンきはまるシンケイおどりであつた!
踊れ、踊れ、踊れる間は踊れ!
芝川さんが上海からくれた手紙はまことにうれしいものであつた。
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・お地蔵さまもお正月のお花
・お正月のからすかあかあ
   樹明君和して曰く
  かあかあからすがふたつ
・シダ活けて五十二の春を迎へた
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 一月二日[#「一月二日」に二重傍線]

今夜は樹明君といつしよに飲みあるき踊りつゞけた、あゝ何と酒がうまくて、何と踊のかなしかつたこと!
山手閑居。

 一月三日[#「一月三日」に二重傍線]

今日は樹明君、敬治君と三人で遊んだ、遊びつかれて、夜おそく帰つてきた。
私はひとりで涙を流して笑つた、そしてこん/\として睡つた、天国の夢も地獄の夢も見なかつた。

 一月四日[#「一月四日」に二重傍線]

曇、お正月もすんだ、すべてが流れてゆく。
アルコールのない、同時にウソのない一日だつた。
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 茶の花やお正月の雨がしみ/″\
・お正月の鉄鉢を鳴らす
[#ここで字下げ終わり]
また/\人が来て金《カネ》の話をしていつた。

 一月五日[#「一月五日」に二重傍線]

雨、寒い、そして静かだ。
夕方、樹明君がきてくれた、そしておとなしく帰つていつた、大出来、々々々。
米がないから餅を食べる。
夜の雨はよかつた、閑寂そのものゝやうだつた。

 一月六日[#「一月六日」に二重傍線]

小寒入、時雨。
雨を聴きつゝ、完全に自分を取り戻した。
△乞食になつて、乞食になりきれないのはみじめだ。
餅もなくなつたから蕎麦の粉を食べる。
今日がほんとうの新年だつた、私にとつては。
しづかなよろこび。
△まづしくともすなほに、さみしくともあたゝかに。
自分に媚びない、だから他人にも媚びない。
気取るな、威張るな、角張るな、逆上せるな。
△腹を立てない事、嘘をいはない事、無駄をしない事。
私は執着を少くするために、まづ骨肉と絶縁する、そしてその最初の手段として音信不通にならう(賀状なんかもさういふ方面へは一切出さなかつた)。
私は私を理解してくれる、そして私が尊敬する友といつしよに、友に支へられて生きよう、生きられるかぎりは。
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・枯枝の空ふかい夕月があつた
 凩の火の番の唄
 雨のお正月の小鳥がやつてきて啼く
 空腹かかへて落葉ふんでゆく
・枯木ぱちぱち燃える燃える
 誰も来ない夜は遠く転轍の音も
 宵月に茶の花の白さはある
・三日月さん庵をあづけます
[#ここで字下げ終わり]

 一月七日[#「一月七日」に二重傍線]

寒の雨、考へさせる雨だ。
△一杯の酒は甘露だつた、百杯の酒は苦汁《ニガリ》となつた。
清貧に安んじて閑寂を楽しむ、さうなる外はない、それが時代おくれであらうと、何であらうと。
何のための出家ぞ、何のための庵居ぞ、落ちつけ、落ちつけ。
「身のまはり」
三日の夜から今朝まで考へつゞけた、そして或る程度の諦観を握ることが出来たので、掃いたり拭いたり、身辺を整理した。
あるのは命だけだ――まだ命だけは残つてゐる。
さびしい昼餉だつた、ソバノコだけだつた。
△やつぱり、昨日を思はず明日を考へず、今日は今日を生きる、これがやつぱり、私の真の生活である。
夕方ひよつこり樹明君来庵、私が落ちついてゐるので、それが彼にはさびしく、さびしすぎて感じられたのだらう、五十銭玉二つを机上に載せて置いて、さう/\と帰つていつた。
この壱円はほんとうにありがたかつた、私は樹明大菩薩を同じ道の友として持つてゐることを喜ぶ。
さつそく店まで出かけて、米を買ひ醤油を買ひ焼酎を買ひ、煙草を買つた、そしてすつかり楽天老人となつた、ノンキナ ヲヂサン バンザイ!
八日ぶりに飯を炊く、それは明けてから最初の御仏飯でもあつた。
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・ひとりで酔ふたら雨が降りだした
 雨がふる逢ひたうなる雨が
・酔へばいろ/\の声がきこえる冬雨
     (述懐)
   煙草のけむり
   五十年が見えたり消えたり
[#ここで字下げ終わり]

 一月八日[#「一月八日」に二重傍線]

晴、すこし胃が痛む、昨夜の飲みすぎ食べすぎのためだらう。
久しぶりに――八日ぶりに入浴した、二銭五厘の享楽である、からだもこゝろもさつぱりした。
△無理に垢をおとすな、無理におとさうとすると皮をむぐぞ。
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 楢の枯葉が声だして日をまねくやうだ
・風を、ぬかるみを、売りにゆく米二俵
 茶の花や蜂がいつぴき
 雑草伸びたまゝの紅葉となつてゐる
 虫がおしつぶされてゐる冷たいページ
・枝をはなれぬ枯れた葉と葉とささやく
・風がきて庭の落葉を掃いていつた
 泥足袋洗ふにぽつとりどんぐり
・落葉踏みにじりどうしようといふのか
[#ここで字下げ終わり]

 一月九日[#「一月九日」に二重傍線]

徹夜した、といふよりもあれこれ考へてゐるうちに夜が明けてしまつたのである。
盥に薄氷が張つてゐる、うらゝかな陽が射してゐる。
敬坊からの手紙はあまりにさびしくかなしくした、敬坊よ、しつかりしてくれ、しつかりやつてくれ。
麦飯を食べることにする、経済的理由よりも生理的、生理的よりも心理的理由から。
落葉の掃き寄せをふと見たら、水仙、私の好きな水仙がある、落葉の底から落葉を押し分けて伸び出たのである、生きるものゝ力、伸びるものゝ勢を見て、今更のやうに自然の前に頭がさがつた、私は落葉をのぞき雑草をひきぬいて、すまないけれど私の机上に匂うであらう水仙を祝福した。
夜、樹明、冬村の二君が酒肴持参で来訪、飲んで話した、こゝまではよかつたが、それからワヤになつた(もつとも私はあまりワヤにはならなかつた)、いふまでもなく赤い灯へ、彼女等のテーブルへ、泥酔乱舞の世界へ――。
更けて戻つてから、飯を炊き味噌汁をこしらへた、やれやれ、御苦労、々々々。
火鉢に火があり、米桶に米があり、そして酒徳利に酒があるとは、さてもほがらかな風景であるかな。
慾には銭入に銭があつてほしい!
[#ここから2字下げ]
・ここでわかれる月へいばりして
・霜の大根ぬいてきてお汁ができた
・たべきれないちしやの葉が雨をためてゐる
・落葉の、水仙の芽かよ
・曇つた寒空できりぼしきりつゞけてる娘さんで
・冬空、何をぶちこはす音か
・猿まはしが冬雨の軒から軒へ
・雨となつた夜の寒行の大[#「大」に「マヽ」の注記]皷が遠く
 考へてゐる電燈ともつた
・冬蠅よひとりごというてゐた
・楢の葉の枯れて落ちない声を聴け
[#ここで字下げ終わり]

 一月十日[#「一月十日」に二重傍線]

曇、それもよし、雨となつた、それもよし。
御飯のおいしい日であつた、ことに葱のお汁がおいしかつた。
△食べるうまさはたしかに生きてゐるよろこびの一つである。
樹明君が昨夜から行方不明となつてゐることを聞かされて、私は昨日敬治君の手紙を読んだ時のやうに、さびしくかなしかつた、樹明君、お互にしつかりしようぢやありませんか、ほんとうに生きようぢやありませんか、昨日までのやうでは、私たちはあまり下らないぢやありませんか、みじめすぎるぢやありませんか、酒を飲まないぢやない、うまい酒をうまく飲みませうよ。
夜の雨をついて寒行四人連れで来庵、御苦労さまでした。
寝られぬまゝに思ひついたこと二三、――
独酌酔中自楽といふ境界まで行きたいものだ。
健やかな、あまりに健やかな胃袋ではある!
私はたしかに私が不死身[#「不死身」に傍点]の一種であることを信じてゐる。
人生は割り切れるものぢやない、少くとも現実は。
もし人生が割り切れるものならば、それを割り切るものは恋[#「恋」に傍点]と麻酔[#「麻酔」に傍点]と、そして。――
底力のある生活を生活したい。
私から酒をのぞいたら何が残る!(と私はしば/\自問自答する)句が残るだらうか?
酒が何々させた……といふ言葉は何といふ卑劣だらう。
米がなくなつたから餅を食べてゐた、餅がなくなつたから蕎麦の粉を食べてゐた、蕎麦の粉がなくなつたら、さて何を食べようか、野菜でも食べるか、水でも飲むか、その時はその時、明日の事は明日の事にしてゐたら、彼氏が米をくれた、酒までくれた、それはまことに天来の賜物ともいふべきであつた。
水と空気とがタダだからありがたい。
私はだん/\アルコール中毒になりつゝあるらしい、すこし手がふるへだした、アルコールがきれると憂欝を感じる。
自然的自殺[#「自然的自殺」に傍点]、かういふ事実はザラにある、放哉の死もさうだつた、私もさうなりつゝあるらしい。
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・どこやらに水の音ある落葉
 水音をたづねて落葉のなかへ
・たたへて冬の水のすこし濁り
・太陽がのぞけば落葉する家や
 たんぽぽはまだ咲かない雨の水だまり
・けふは水がある川の何やかや流れる
 長い手紙をかけばしたしく虹がたち
・あれこれ食べる物はあつて風の一日
[#ここで字下げ終わり]



よい眼ざめであつた、しづかなよろこびがあふれた、私はひとり、ゆう/\として一日を暮らした、しかしお天気はよくなかつた、雨風だつた。
敬治君へ長い手紙を書いた、私の心はきつと通じる、お互にもうアルコールの繋縛から脱してもよい時節である。
うれしい酒をのむがよい、酒は涙でもなければ溜息でもない、天の美禄だ、おいしい酒をおいしく飲まなければ嘘だ。
風を聴く、風もよいかな。
今日も御詠歌組がやつてきた、二銭あげる、昨夜の二銭とこの二銭とでサイフはナイフになつてしまつた、此次やつてきたら何をあげようかな(もう米もない、紙でもあげるか)。
△敵は味方に似せてゐるときいたが、まつたくそのとほりだつた、今朝、ほうれんさうを摘む時、似而非ほうれんさうをたくさん見つけた、ほうれんさうらしい草がほうれんさうにまぢつて生えてゐた。
嵐の跡――といふ感じがする、とにかく嵐は過ぎた。
酔うて乱れる酒は断じて飲まないことを山頭火が山頭火に宣誓した。
△ホントウとアタ
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