リマヘとはシノニムである。
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・耳垢を掌《て》にのせて夜のふかく
・ふつと挙げた手で空しい手で
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一月十二日[#「一月十二日」に二重傍線]
眠れないから考へる、考へるから眠れない、とやかくするうちに朝が来た。
――諸法常示寂滅相――
どうやら晴れさう、そして冬らしく寒らしくなつた。
そばだんご汁をこしらへる、御苦労様、御馳走様。
△とき/″\貧乏になることは、いろ/\の意味に於て悪くない、いつも貧乏では困るけれど。
樹明君が帰宅の途次ちよつと立寄つた、あの夜の経過を聞くまでもなく、※[#「宀/婁」、268−7]れた顔色が万事を雄辯に語つてゐる、私は私の友情が足らなかつたことを恥ぢる、樹明君よ、お互に酒の奴隷はやめませう。
寒い、寒い、何もかもみんな寒い、こんな夜は早くから寝るに限る、ことに昨夜は寝なかつたから。
△私たちの生活は雑草にも及ばないではないか(と草取をしながら私は考へた)見よ、雑草は見すぼらしいけれど、しかもおごらずおそれずに伸びてゆくではないか、私たちはいたづらにイライラしたり、ビクビクしたり、ケチケチしたり、ニヤニヤしたりしてばかりゐるではないか、雑草に恥ぢろ、頭を下げろ。
△恥のない、悔のない生活、ムリのない、ムラのない生活。
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落葉するだけ落葉して濡れてゐる
・よごれものは雨があらつてくれた
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一月十三日[#「一月十三日」に二重傍線]
ぐつすり寝た、大安眠だつた、これならば大往生も疑ない。
しづかな、あたゝかい寝床を持つてゐるといふことは何といふ幸福であらう(こゝで改めてまた樹明君に感謝する)。
小雪ちらほら、寒くて冷たいが、お天気はよくなりさうだ。
幸雄さんからあたゝかい手紙、あたゝかすぎる手紙がきた。
するめをちぎつてはしようちゆういつぱい、人間ほどヱゴの動物はないと思ふ。
それから街へ出かけてワヤ、たゞし小ワヤ。
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今日の買物
一金九銭 ハガキ六枚
┌バツト一
一金十一銭 タバコ│
└なでしこ一
一金七銭 醤油二合
一金弐十弐銭 焼酎二合
一金四十八銭 白米二升
合計金九拾七銭也
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一月十四日[#「一月十四日」に二重傍線]
曇、后晴、小雪、――私の心は明朗。
梅花一枝を裏の畑から盗んで来て瓶に※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]した、多過ぎるほど花がついてゐる、これで仏間の春がとゝのふた。
敬治君からうれしい返事が来た、彼の平安が長続きするやうに祈つてやまない。
昼も夜もコツコツと三八九の原稿を書いた、火鉢に火のないのが(木炭がないので)さびしかつた、燗瓶に酒があつたら賑やかすぎるだらう。
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・落葉ふんでどこまでも落葉
・雑草もみづりやすらかなけふ
・木枯の身を責めてなく鴉であるか
・冬の夜ふかく煙らしてゐる
・寒うをれば鴉やたらにないて
・けさは雪ふる油虫死んでゐた
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一月十五日[#「一月十五日」に二重傍線]
霜、晴れたり曇つたり、寒《カン》らしい冷たさ。
終日、三八九の原稿を書いた、邪念なしに、慾望なしに。
夜はよく寝られた、平凡にして安静、貧乏にして閑寂。
一月十六日[#「一月十六日」に二重傍線]
薄雪がまだらにつんでゐて晴、明けてから最初のお天気らしいお天気である。
うらゝかで、あたゝかで、日向ぼつこしてゐねむりするにはもつてこいの日だ。
けさの御飯は上出来だつた、仏様も喜んで下さるだらう、まだ雪をかぶつてゐる大根一本ぬいてきておろしにする。
「松」がきた、待つともなく待つてゐる手紙は来ない、まもなく新聞がくる、これでもう来る人も物もないわけだ。
それにつけても、樹明さんはどうしたのだらう、こんなに長く、といつても五日ばかりだが、やつてこないことは、今までにはなかつた、禁足か、自重か、それとも家事多忙か、身辺不穏か、とにかく気にかゝるけれど、此場合、訪ねてゆきたくない、行くべきでないと思ふ、いろ/\の理由から。――
三八九の原稿を書きつゞける、煙草のなくなつたのが残念だ、一服やりたいなあ、と灰の中の吸殻をさがしてみる。
午は菜葉を煮て食べる、寒いからラードを少し入れる。
火を焚きつゝ、私はいつも火について考へる、火、ひとりの火。
この火床《クド》も火吹竹も私がこしらへたものである。
水仙は莟がだいぶ大きくなつた、裏の梅二株は見頃だ。
晩にはすいとん汁[#「すいとん汁」に傍点]をこしらへた、御飯が足らないらしいから。
夜、やうやく三八九の原稿を書きあげた、安心して寝る。
よろこびがしづかにわく、そのよろこびを味ふ、しづかな雨がふる、その雨を味ふ。
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・冬ぐもり、いやな手紙をだしてきたぬかるみ
・あたたかし火を焚いて古人をおもふ
・芥うかべて寒の水の澄まうとする雲かげ
・寒い朝の土をもりあげてもぐらもち
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一月十七日[#「一月十七日」に二重傍線]
けさはゆつくり朝寝した、寝床のなかで六時のサイレンをきいた。
雨がふつてゐる、おちついて何かと仕事をする。
あるだけの米を粥にした、大根の浅漬がおいしい。
忘れてゐた※[#「魚+昜」、273−5]をかみつゝ、三八九印刷、紙があるだけ。
三八九、何から何まで私一人の仕事である、書く、刷る、綴ぢる、送る、等、等。
△おだやかに、けちけち[#「けちけち」に傍点]せずに、つつましく、くよくよ[#「くよくよ」に傍点]せずに。
一月十八日[#「一月十八日」に二重傍線]
くもり、はれる、そしてまたくもる。
きのふ一通、けふ一通、いやな手紙をかいてだす。
五厘銅貨でなでしこの小袋を買ふ、村のデパートで、そして、そこのおかみさんが五厘銅貨を歓迎してくれた!(豆腐油揚が弐銭五厘なので釣銭として五厘銅貨がほしいといつた)
古木を焚いて湯を沸かして砂糖湯を飲む、うまい。
酒はこらえられるが、煙草はなか/\こらえにくいものである、その煙草を三日ぶりに喫ふたのである。
△身貧しくして道貧しからず、――負け惜みでもなく、諦めでもなく、それは今日の私の実感であつた。
木がある水がある、塩がある、砂糖がある、……しかし、古木を焚いて(炭がないから)砂糖湯を啜る(米がないから)といふ事実はさみしくないこともない、さみしくてもありがたい、湯がたぎる、りん/\とたぎる、その音はよいかな、ぱち/\と燃える音はいはでもがな。
かうして生きてゐる、それは生活といふべくあまりにはかないであらうけれど、死ねないあがきではない、やすらかである。
△水仙のきよらかさ、藪柑子のつゝましさ、雑草のやすけさよ。
けふも鴉が身にせまつて啼く。
晩には食べるものがないから、大根を三本(大根三本の命ともいへる)ひきぬいて、それを煮て食べた、それで十分だつた、大根は元来うまいものだが、こんばんの大根はとりわけうまかつた、こんなにうまい大根をたべることが出来たのはありがたいことだ、しかしこれでいよ/\食べるものがなくなつた、塩と砂糖とが残つてゐるだけだ(いやまだ/\野菜と水とがある)。
夜はしづかに読書した、火鉢に火があり、煙草入に煙草がある、私は幸福だつた。
かうして、私は閑寂枯淡の孤独生活[#「閑寂枯淡の孤独生活」に傍点]にはいることができるやうになつた、私は私自身を祝福する。
悠々淡々閑々寂々。
樹明君も敬治君も、緑平老も井師も喜んで下さるだらう。
自分の性情がはつきりしてきた、随つて自分の仕事もはつきりした、私はかういふ私としてかういふ仕事をすればよいのだ、さうするほかないのだ。――
しめやかなうれしさがからだいつぱいになつた。
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・草のそのまま枯れてゐる
そのまま枯れて草の蔓《ツル》
・楢の葉の枯れてかさかさ鳴つてゐる
・燃えてあたたかな灰となつてゆく
・食べるもの食べつくし何を考へるでもない冬夜
・いたづらに寒うしてよごれた手
・冬日まぶしく飯をたべない顔で
・落葉ひよろ/\あるいてゆく
ひよろ/\あるけばぬかるみとなり落葉する
・落葉して夕空の柚子のありどころ(再録)
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一月十九日[#「一月十九日」に二重傍線]
雪もよひ、手紙は来ない、行乞は気がすゝまないからやめる、といふ訳で、野菜食[#「野菜食」に傍点]がはじまる、菜葉(大根葉をも)をラードでいためて塩で味付けするのだつた。
五厘銅貨を握つて村のデパートへ出かける、きのふ、おばさんの諒解が得てあるので、焼酎一合と豆腐二丁とを買うて戻る(此代金十六銭、まだ二銭あまつてゐる!)、飯をたべないものだから、何となくよろ/\する(酒好きは酒好きですね、間違なく)。
朝は砂糖湯、昼は野菜、それから焼酎と豆腐だつた、これではゼイタクすぎる、まつたくさうだ。
とにかく山籠と思へば何でもない、いや、けつこうすぎる、かういふ機会を活用して、かういふ食事をしなければウソだ。
おちついた、おちついた、おちつきすぎるほどおちついた(すぎる[#「すぎる」に傍点]といふ言葉をつかひすぎる!)。
……焼酎はにがかつた(いかに酒のうまいことよ)、豆腐はからかつた(こゝで味噌醤油の必要なことがわかる)、でも、おかげで、腹がふくれて、ほろ酔気分になつた。
その気分で原稿を書いた、曰く、乞食漫談[#「乞食漫談」に傍点]、曰く、其中庵日記[#「其中庵日記」に傍点]。
さらに書きたいのが、過去帳[#「過去帳」に傍点]――自叙伝(これは長くなる)。
やつぱり御飯がたべたい、米がほしい、私は日本人だから、日本的日本人[#「日本的日本人」に傍点]だから(しかし、この豊葦原の瑞穂の国に生れてきて、酒がのめるとはうれしいな!)。
ゆふべ、枯枝をひろひあるいて、二句作つたが、放哉坊の『枯枝ぽきぽき折るによし』には、とてもとても。
昨日今日の新聞は、第二共産党検挙記事で賑やかな事此上なし、共産党そのものは私の批判以外の事件だが、彼等党人の熱意には動かされざるを得ない、人と生れて、現代に生きてゆくには、あの熱意がなければならない、私は自から省みて恥づかしく、そして羨ましく思つた。
学校からの帰途、樹明君が寄つてくれた、ほんとうに久しぶりだつた(こゝへきてから逢はなかつた時日に於て最長レコード)、かはつた事がなくて、元気な顔を見てうれしかつた(先日、たしか十一日にやつてきた時は色身憔悴だつた)、そしておみやげをいろ/\貰つた、干魚、塩辛、インキ、そしてバツト。
何やかや食べて飲んで、腹がいつぱいになつたけれど、御飯を食べないものだから、何だか力がなくて労[#「労」に「マヽ」の注記]れてゐる、日本人は(今日以後の若い人は、私たちより時代のちがふ若い人は別として)やつぱり、米喰ふ虫[#「米喰ふ虫」に傍点]だ。
早く、寝床にはいつて漫読する、野上八重[#「八重」に「マヽ」の注記]子さんの小説の文章の気のきいてゐるのに感心した。
それでは、けふはこれでさようなら。
書き漏らした事をもう一つ、――今夜はどうしたわけか、やたらに溜息がでる、はてめんような、これは何の溜息でござるか!
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・湯がわいてくる朝日をいれる
・枯木よりそうて燃えるあたゝかさ
・あたゝかく枯枝をひろうてあるく
・ゆふべの枯枝をひろへばみそつちよ
夕風の枯草のうごくは犬だつた
・更けて荷馬車の、人が馬が息づいて寒い星のまたたき
・落葉鳴らして火の番そこからひきかへした
・つめたいたたみをきて虫のぢつとしてゐる
落葉ふかく藪柑子ぽつちり
すこし日向へのぞいて藪柑子
ちぎられて千両の実のうつくしくちらばつて
・日向の梅がならんで満開
・夜どほしで働らく声の冴えかえる空
冴えかえる夜でようほえる犬で
たたずめばどこかで時計鳴る
句賛として四[#「四」に「マヽ」の注記]句
一日花
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