がこぼれて一人(枇杷)
・はなれて遠いふるさとの香を味ふ
                (松茸)
・その香のしたしくて少年の日も
 家を持たない秋ふかうなつた
 ほのぼの明けてくる土に咲けるもの(十薬)
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 一月廿日[#「一月廿日」に二重傍線] 大寒入。

のび/\と寝たから私は明朗、天候はまた雪もよひ、これでは行乞にも出かけられないし、期待する手紙は来ないし、さてと私もすこし悲観する、それは何でもない事なのだが。
一茶会から「一茶」、酒壺洞君から仙崖の拓字が来た。
△すべてを自然的[#「自然的」に白三角傍点]に、こだはりなく、すなほに、――考へ方も動き方も、くはしくいへば、話し方も飲み方も歩き方も、――すべてをなだらかに、気取らずに、誇張せずに、ありのまゝに、――水の流れるやうに[#「水の流れるやうに」に傍点]、やつてゆきたいと痛感したことである。
鼠もゐない家[#「鼠もゐない家」に傍点]――と昨夜、寝床のなかで考へた、じつさい此家には鼠がやつてこない、油虫も寒くなつたので姿をかくした、時々その死骸を見つけるだけだ。
△苦茗をすゝる朝の気持は何ともいへないすが/\しさである、私は思ふ、茶は頭脳を明快にする、酒は感興を喚ぶ、煙草は気を紛らす、茶は澄み酒は踊り煙草は漂ふ、だから、考へるには茶をすゝり、作るには酒を飲み、忘れるには煙草を喫ふがよい。
住めば住むほど、此家が此場所が気に入つてくる、うれしくなる、落ちついてくる、樹明君ありがたい。
酒が悪いのぢやない、飲み方が悪いのだ、酒を飲んで乱れるのは人間が出来てゐないからだ、人間修行をしつかりやれ。
今日は大寒入、朝餉としては昨日の豆腐の残りを食べた、それで沢山、うまくもまづくもなかつたが、さて昼餉は!
けふも、いやな手紙を一通かいてだした、ゴツデム!
ぢつとしてはゐられないから、そして午後はすこしあたゝかくなつたから、嘉川まで出かけて行乞三時間、いろ/\の意味で出かけてよかつた、行乞相も(主観的には)わるくなかつた。
四日ぶりの御飯である(仏様も御同様に)、それはうまいよりもうれしい、うれしいよりもありがたいものだつた(仏様、すみませんでした)。
御飯をたべたらがつかりした、米の魅力か、私の執着か、そのどちらでもあらう。
△醤油も味噌もないので、生の大根に塩をつけて食べた、何といふうまさだらう、フレツシユで、あまくて、何ともいへない味だつた、飯とても同じこと、おいしいお菜を副へて食べると、飯のうまさがほんとうに解らない、飯だけを噛みしめてみよ、飯のうまさが身にしみるであらう、物そのものの味はひ[#「物そのものの味はひ」に傍点]、それを味はなければならない。
大根の浅漬に柚子を刻んでまぜた、そのかをりはまことに気品の高いものであつた、貴族的平民味[#「貴族的平民味」に傍点]ともいふべきであつた。
△私は考へる、食べることの真実、くはしくいへば、食べる物を味ふことの真実[#「真実」に白三角傍点]を知らなければならない。
昨夜、樹明君から貰つた干魚はうまかつた、もうほとんどみんな食べてしまつたほど――天ヶ下にうまくないものはない!
△今日の行乞は、ほんとうに久しぶり――半年ぶりだつた、声が出ないのには閉口した、からだがくづれるのに閉口した、必ずしも虚勢を張るのではない、表面を飾るのではないけれど、行乞相は正しくなければならない、身正しうして心正し(心が正しいから身が正しくなるのであるが、それと同様に)、我正しうして他正し、それは技巧ではない、表現である。
△心を白紙にせよ[#「心を白紙にせよ」に傍点]、そこに書かれた文字をすつかり消してしまつて、そして新らしい筆で――古い筆でもよろしい――新らしい文字を――古い文字でもよろしい――はつきりと書け。
私の行乞姿を見ても、そこらの犬が吠えなくなつた、尾をふつては来ないけれど、いぶかしさうに眺めてゐる。
△貧乏は時々よい事を教へてくれる、貧しうしてまづいものなし、きたないものなし。
あいかはらず、楢の葉が鳴る、早寝の熟睡。
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・まとも木枯のローラーがころげてくる
・によき[#「によき」に傍点]と出てきた竹の子ちよん[#「ちよん」に傍点]ぎる(改作)
  今日の行乞所得
一、米一升七合
一、金十四銭
  今日の買物
一金三銭    切手一枚
一金四銭    なでしこ小袋
一金三銭五厘  醤油一合
一金五銭五厘  焼酎五勺
  〆金十六銭
   これで嚢中は文字通り無一文!
・けふの御仏飯のひかりをいたゞく
・何やらきて冬夜の音をさせてゐる
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一茶の次の二句はおもしろいと思ふ。
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節穴や我が初空もうつくしき
うつくしや障子の穴の天の川
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うつくしいといふ言葉がおもしろい、穴から見るのが一茶の俳人的眼孔だ。

 一月廿一日[#「一月廿一日」に二重傍線]

雪もよひ、だん/\晴れる、そんなに冷たくはない。
朝のお茶はうまい、こんな調子だと、あんぐあい転換が出来るかも知れない、転換したいものだ。
急に眼の工合が悪くなつた、栄養不良のためか、老眼と近眼とのこんがらがりのためか、とにかくこれでは困る、といつたところで詮方もないけれど。
此頃の私は、とりわけて、よく食べよく寝る、それではどうぞ、よく働らきなさい。
△山にしたしむことは木の葉にしたしむことであり、小鳥にしたしむことであり、石にしたしむことでもある。
山村庵居は空と土とにしたしむことである。
鴉よ、あんまり啼いてくれるな。
来庵者について考へる、――郵便屋さん、新聞屋さん、それから、眼白頬白みそさゞい、そして鴉、犬、――それだけ、時々樹明君が人間として!
焚火といふものは意味ふかい、その原始的情趣[#「原始的情趣」に傍点]を味ふ。
身辺整理、遺書も書き換へて置く。
水仙を切るために指を切つた、赤い血が流れるのは不可思議のやうな気がした、水仙は全身を切られた、指を傷づけるぐらゐは何でもない。
夕方、樹明来、久しぶりに一杯やる、別れてからIさんを訪ねてまた一杯、それからHへ、ずゐぶん酔うて戻つたのはおそかつたが、そのあたりは前後不覚だつたが、悪い事はしなかつた、善哉々々。
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・つめたさの歯にしみる歯をいたはらう
・冬山へつきあたり焚火してある[#「ある」に傍点]
・寒い水からいもりいつぴきくみあげた
 寒い寒い指を傷づけた
・たま/\逢へて火を焚いて
 火を焚いて来るべきものを待つ
 鴉ないて待つものが来ない
 けさは郵便がおそい寒ぐもり
・新聞つめたし近眼と老眼がこんがらがつて
・冬草もほどよう生えて住みなれて
・くもりさむい肥をあたへるほうれんさう
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 一月廿二日[#「一月廿二日」に二重傍線]

冷たい、昨夜の酒が残つてゐる、飲まずんばあるべからずぢや、うまいな、何といつても酒はうまいものである、利害を超越して。
昨日のお菜は三度とも菜葉と大根とちしやだつたが、今日は鰯の御馳走があつた、十尾六銭、おばさんから借りて。
新聞屋さんが号外を持つてきてくれた、※[#「飮のへん+稻のつくり」、第4水準2−92−68]餅といつしよに。
二週間ぶりに入浴、帰途、金策の相談が出来た。
魚行商のおばさんはほんとうに感心な女性だ、悪病の夫を看護しつゝ、二人の子供を育てつゝ、朝から晩まで働らきつゞけてゐる、信仰心を持つてゐるからやれるのだ、前身が娼妓だつたと聞いて、私は頭がさがつた、自分が恥づかしかつた。
餅もうまかつた、鰯はさらにうまかつた。
夜、樹明君がバリカンを持つてきて、理髪してくれた、何ともいひやうのない深切だ、餅も貰へた、句集代壱円も受取つた、紙代をとつてをいて、残りで酒を買つてきて、すこし飲んだ、かういふ酒はめつた[#「めつた」に傍点]に飲めるものぢやない。
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・冬ぐもりひさ/″\湯にいり金を借る
・石垣の日向にはビラも貼つてある
・雪空から最後の一つをもぐ
・冴えかえるながれをふんで下る
 墓場の梅はほつ/\咲いて
  今日の買物
一金十八銭  酒二合
一金十七銭  焼酎一合五勺
一金七銭   バツト
一金四銭   なでしこ
  〆金四十六銭也
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 一月廿三日[#「一月廿三日」に二重傍線]

午前は晴れてあたゝかだつたが、午後はくもつて寒かつた、しかしとにかく、好日好事たることを失はない。
朝、紙を買ひにゆく、インフレ景気は私にも影響を及ぼして、紙も二割の値上をするといふ。
三八九印刷終了、揃へる、綴ぢる、なか/\忙しい。
手紙も来なければ人間も来ない、鴉が来て啼くばかり。
夜は餅を焼いて食べた、何とまあ餅のうまいこと。
こゝで私は重大な宣言[#「重大な宣言」に傍点]をする、――今後は絶対に焼酎と絶縁[#「焼酎と絶縁」に傍点]する、日本酒、麦酒以外の酒類は飲まないことにしよう、これも転換の第一歩といへよう。
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・霜にはつきり靴形つけてゆく
 小春日の畦をつたうてやつてきた
・冬夜の瞳ぱつちりうごく
 火の番と火の番とぬくい晩である
・あたたかなればよもぎつむ
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 一月廿四日[#「一月廿四日」に二重傍線]

さむい、つめたい、小雪ちらちら。
あるだけの米を白粥にして置く。
今日の食事は、三度が三度とも、米と水と餅と塩とのちやんぽん[#「ちやんぽん」に傍点]だつた。
餅をやいて食べながら三八九仕事、やうやう終了。
うれしいな、餅はうまいな、好きだから、貧乏だから。
どんと銃声があたりの閑寂をみだす、嫌がるのは小鳥ばかりではござらぬぞ。
暮れてから、待つてゐた樹明君が来た、豚肉を持つて、――そして三八九の仕事を手伝つてくれた、今晩はどうでもかうでも私が一杯おごらなければならないのだが、さて八方塞がりの無一文なので、手も足も出ない、やたらに火を燃やしてゐると、樹明君とう/\こらへかねて酒屋へ手紙を書いた、それを持つて街の酒屋へまで出かける、酒好きは呪はれてあれ、しかし途中で三句拾つた。
うまい酒だつた、枯木までよう燃える、感泣々々。
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  今日の買物
一金八十三銭  切手四十枚と一枚
一金十二銭   ハガキ八枚
一金十八銭   酒二合
一金五銭    醤油二合
一金七銭    バツト一ツ
一金二十三銭  米一升
  〆金壱円四十八銭
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本日敬坊から送金壱円五十銭
差引残金二銭!
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 一月廿五日[#「一月廿五日」に二重傍線]

よい朝、よい朝、このよろこび、うれしいな、とても、とても。
△酒も滓もみんな飲む心。
敬坊から約の如くうれしい手紙(それは同時にかなしい手紙でもあつたが)。
郵便局まで大急ぎ、三八九発送第一回、帰りみち、冬村君を訪ねて、厚司とレーンコートとを押売する、おかげで、インチキカフヱーのマイナスが払へて、めいろ君に申訳が立つといふ訳。
雪となつた藪かげで、椿の花を見つけた。
今日の御馳走はどうだ! 酒がある、飯がある、肉がある、大根、ちしや、ほうれんさう、柚子。……
△右の手の物を失ふまいとして、左の手の物を失ふ、これは考へなければならない問題である。
△酒と貧乏とは質に於て反比例し、量に於て正比例する。
雪の畑にこやしをやつた(肥料も自給自足)、これは昨夜、樹明君に教へられたのだ。
夕方、樹明君がせか/\とやつてきた、生れたといふ、安産とは何より、このさい大によき夫ぶりを発揮して下さいと頼んだ。
子がうまれたから句もうまれるといふ、万歳々々。
吉野さんが三八九会費を樹明君に托して下さつたので、それを持つてまた街へ、三八九第二回発送。
けふはほんとうにうれしい日だつた、涙がでるほどうまい酒を飲んだ、かういふ一日が一生のうちに幾日あらうか。
おだやかな私と焚火だつた。
△年をとると、いやなもの、きたないものがないやうになる、肯定勝になるからか、妥協
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