もなく、起きるでもなく、読むでもなく、考へるでもなく、――生きてゐるでもなく。――
あんまり気がめいりこむから、歩くともなく歩いた、捨てられた物を拾ふともなく拾ひつゝ(それはホントウのウソだ!)。
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・ただ百舌鳥のするどさの柿落葉
・放つよりとんでゆく蜂の青い空
子供も蝗もいそがしい野良の日ざしかたむいて
・秋の野のほがらかさは尾をふつてくる犬
たそがれる家のぐるりをめぐる
・空からもいで柚味噌すつた
・真昼あはたゞしいこうろぎの恋だ
・秋の夜のふかさは油虫の触角
秋の夜ふけてあそぶはあぶらむし
障子たゝくは秋の夜の虫
・秋ふかうなる井戸水涸れてしまつた
こゝろつめたくくみあげた水は濁つて
□
・みんないつしよに柿をもぎつつ柿をたべつつ
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十月廿九日
けふもよいお天気で。
一雨ほしい、畑のものがいら/\してゐる。
憂欝、倦怠、焦燥。――
掃く、拭く、そして身心を清める。
とう/\水までなくなつた、米もおぼつかなくなつた。
待人来るか来らぬか、敬坊は、樹明老は。――
けふから貰ひ水、F家へいつたら誰もゐない、四季咲の牡丹がかゞやいてゐた、無断でバケツチ[#「チ」に「マヽ」の注記]に一杯、よい水を貰うて戻る(倹約すれば一日バケツ一杯の水で事足るのだから幸である)。
待人はなか/\来ない、出たり入つたり、歩いたり佇んだり、さても待遠いことではある、待たれる身にはなつても待つ身にはなるなといふ、ほんに待つ身につらい落葉かなだ!
もう諦めて、コツ/\柚子の皮を刻んでゐたら、さうらうとして樹明老がやつて来た、病気といふものはおそろしい、あれほど元気な君が二三日の間にすつかり憔悴してしまつてゐる、それでも約を履んで来てくれたとは――なぜ敬坊は来ないのか、すこし腹が立つた――ありがたい/\、うれしい/\、しかも、生きの飯鮹をさへ持つてきてくれたのだ、この鮹まさに千両!
御馳走は何もない、橙湯をあげる、そして何かと話して、たそがれの草道で別れた、お互にたつしやでうまい酒をのむやうになりたい、至祷々々。
茶の花――石蕗の花
観音経――修證義
飯鮹は、煮るに酒も醤油もないから茄でゝをく、此地方の地口に、「ようもいひだこ、すみそであがれ」といふのがある、敬坊が来たら、酢味噌で食べさせて、うんと不平をいつてやらう。
今夜はさびしい、樹明君(老の字は遠慮しよう)がおいていつたバツトをふかしながら物思ひにでもふける外ない。
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・お留守しんかんとあふれる水を貰ふ
・待つて待つて葉がちる葉がちる
・あるくほかない草からぴよんと赤蛙
□
・つぎ/\にひらいてはちる壺の茶の花
・秋の夜のどこかで三味線弾いてゐる
・葉がちるばかりの、誰もこない
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十月卅日
けさは早かつた、そしてとてもいゝお天気だつた、文字通りの一天雲なし、澄みきつて凛とした秋だつた。
かうしてゐると、ともすれば漠然として人生を考へる、そしてそれが自分の過去にふりかへつてくると、すべてが過ぎてしまつた、みんな死んでしまつた、何もかも空の空だ、といつたやうな断見に堕在する、そしてまた、血縁のものや、友人や、いろ/\の物事の離合成敗などを考へて、ついほろり[#「ほろり」に傍点]とする、今更、どんなに考へたつて何物にもならないのに――それが山頭火といふ痴人の癖だ。
落葉を掃いてゐるうちに、何となしにうれしくなつた、よいたよりがあるかも知れない、敬坊は今日こそやつてくるだらう、……ところが、悪い手紙が来た(S女から)、予期しないではなかつたけれど、悪い手紙はやつぱり悪い、読むより火に投じた。
しかし、私は、だいぶ長らく私自身から遊離してゐた私は今、完全に私自身をとりもどした、私は私自身の道を歩む外ない、私自身の道――それは絶対だ。
私は知らず識らず自堕落になつてゐた、与へられることになれて与へることを忘れてゐた、自分を甘やかして自分を歎いてゐた、貧乏はよい、しかし貧乏くさくなることはよくない、貧乏を味ふよりも貧乏に媚びてゐた、孤独を見せびらかして孤独をしやぶつてゐた。……
樹明君から胃の名薬(一名白米)が到来した、何といつても米と水と塩とさへあれば、私は当分死なゝいですむ、命の恩人だ、井月の口吻をまねすれば、千両、千両!
殺されて、焼かれて、油虫が香ばしい匂ひを発する、人間は残忍至極の動物なるかな(油虫は人間を害しはしない)。
午後、敬治坊を待合せるべく樹明君来庵、夕方まで話しながら待つてゐたが敬治坊遂に来ない、敬治坊よ、二人まで待ちぼけさせるとはあんまりひどいぞ。
樹明君が畑を中耕してくれた(君は病人であることを忘れてはならない、そして畑作りの私が中耕を御存じなかつたことも忘れてはならない)、中耕、中耕、なるほどさうか!
昨日今日のよい気分が夜になつて少々いら/\してきた、早く寝床にはいる、とても寝つかれはしないけれど。
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・電燈から子蜘蛛がさがりれいろうと明ける
・朝はよいかな落ちた葉も落ちぬ葉も
とほくちかく稲こぐひゞきの牡丹咲いてゐる
・こんなところに茶の花がけさの雰囲気
・掃いてきて何とこれがらつきようの花
わたくしのほうれんさうが四つ葉になつた
あゝしてかうして草のうへで日向ぼこして
蠅が、秋蠅がもつれより
・病人を見送つて落葉する木まで
・恋のこうろぎが大きい腹をひきずつて(改)
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今日の所感二三追記する。――
茹でた章魚《タコ》を切りながら、章魚といふものをよく見て、もう章魚のうまさの半分を無くしてしまつた、それほど章魚は怪物だ、グロのグロだ、章魚を最初に食した人間はよほどの人間(賢愚によらず)であつたに違ひない、海鼠も怪物だが、彼には何処となく愛嬌がある、章魚を食べるに比べては、蚯蚓や蛞蝓や蜘蛛や百足位は何でもないのに、前者は賞美せられて、後者は見向きもされない、なるほど習慣といふものは恐ろしいと思ふ。
坊主の綽名を鮹ともいふ、頭部がつるり[#「つるり」に傍点]としてゐるからだらうが、私ばかりでなく坊主には鮹好きが多い、とにかく私は鮹好きだが、自分で料理すると、あのぬめ[#「ぬめ」に傍点]/\した吸盤が眼について、食慾をそゝられない、総じて日本料理は眼[#「眼」に白三角傍点]で最初に食べ、そして舌[#「舌」に白三角傍点]で味ふ品が多いが、鮹は見ないで、舌、いや歯[#「歯」に白三角傍点]で食べるべきだらう。
畑をいつも飛びまはつてゐるこうろぎも、もう孕んでゐるらしい、手や足が一本位ないのが多い、恋の痛手とはこのことだらう。
粥[#「粥」に白三角傍点]といふものには特殊な情趣がある、今日は樹明君と二人で粥を煮て食べたが、何だかしみ/″\としたものを感じた、庵には誰も来ない二人で二人の夜を――といふ樹明君の近作があるが、あのあつい粥をふき/\すゝりあふところにはしたしさそのものが湯気のやうにたちのぼるやうだつた。
十七日から今日まで十三日間、よく私も辛抱した、十七日の朝、財布をしらべたら二十五銭あつた、そこで十銭が醤油、五銭が撫子、十銭が焼酎となつて、まつたくの一文なしとなつた、そして今日まで一文なしで暮らしてきたのである(米とか味噌とは[#「とは」に「マヽ」の注記]別にして)、酒も暫らく飲まない、飲まうにも飲めない(もつとも、その間に樹明君に三度ほど御馳走になつた)。
夜になつて風が出て、木の葉がしきりに落ちる、落葉は見て[#「見て」に傍点]よりも聞いて[#「聞いて」に傍点]さみしい、また聞くべきものだらう。
十月卅一日
昨日よりもよいお天気で。――
そして私はいら/\して、とてもぢつとしてはゐられないので、十時過ぎ、冷飯を掻きこんで、ぶらりと外へ出た、さて何処へ行かうか、行かなければならないところもなければ(あることはあるけれど行けない)、行きたいところもない、まあ、秋穂方面でも歩かうか。
途中、駅のポストへ出したくない――だから同時に出してはならない手紙を投じた。
椹野川に沿うて一筋に下つてゆく、潮水に泡がういて流れる、秋の泡[#「秋の泡」に傍点]とでもいはうか、堤防には月草、撫子が咲き残つてゐる、野菊(嫁菜ではない)がそここゝに咲いてゐる、砂ほこりが足にざら/\して何だか物淋しい、やたらに歩いて入川の石橋に出た、海は見えないけれど、今日は立干をやつてるさうで、鰡が上つてくる、それを網打つべく二三人の漁夫が橋の上で待つてゐる、見物人が多い、私の[#「の」に「マヽ」の注記]その一人となつて暫らく見物した、そして労れたので、そこからひきかへした、名田島の中央を横ぎつて、駅の南方をまはつて帰庵したのは夕方だつた、それから水を貰ふやら、粥を煮るやら、お菜をこしらへるやらするうちに、すつかり暮れてしまつた。
出来秋の野良仕事はまことにいそがしい、その間をぶらつく私は恥づかしかつた、私はまつたく不生産的人間だ、社会の寄生虫だ!
夜は早寝した、明日は朔日だ、よし、明日からは働かう。
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・水音の秋風の石をみがいてゐる
水はたたへて秋の雲うつりゆく
ざれうた一首
何もかもウソとなりたる世の中に
マコトは酒のうまさなりけり
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十一月一日
曇、早起、御飯を食べて、御経をあげて、さて本でも読まうかといふところへ樹明君が長靴をひきずつてきて、ひよつこり顔をだした、顔色がよろしい、今朝は部落の早起会で(彼は青年団長である)仕事をすましてそのまゝ来たといふ、敬治坊からの手紙を見せる。
果して敬治坊は耽溺沈没したのだつた、関の鴉に笑はれたらしい、私へは、叱られるから手紙を出さないと書いてある、私には彼を叱る資格はないが、彼を叱るだけの熱意を私が持つてゐることを知つてくれてゐるのはうれしい、お互にもう過去をすつかり清算してもよい、いや、さうしなければならない時期になつてゐる。
敬治坊、これからは、うまくない酒、悔をのこすやうな酒は、お互に断然あほらないことを誓約しようぢやないか、そしてそれを断然実行しようぢやないか、敬治坊!
物の声といふものはおもしろいものである、けさも、鶏の鳴声や汽車の音響によつて、もう夜明けにちかいことを知つた、大気の関係で、同一の音がいろ/\に響くものである、そしてけさはまた風の工合で、駅売の触声がよく聞えた、べんとう、べんとう、――だが、ビール、正宗は聞きとれなくて仕合だつた。
私の無一文を気の毒がつて、樹明君が彼も此頃乏しい銭入から風呂銭として、二十銭おいていつた、私はその十銭白銅貨二つを握つて、考へた。――
これは樹明君へ与へる山頭火報告書である。――
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一 金三銭 入浴料一回分 一、四銭 撫子小包
一 金五銭 焼酎五勺 一、五銭 醤油二合
(此誤記は不用意の皮肉だ) 一、三銭 端書弐枚
〆金弐拾銭也 差引残金なし
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この報告書の具体的記述はかうである。――
正午のサイレンをきいてからぶらりと出た、まづ風呂にはいつた、まだ風呂が沸いてゐないので、待つ間におかみさんから針と糸とを借りて、ほころびを縫ふたも一興、それから例のをギユツ、まことにこれは一週間振の一浴であり、一週間振の一杯(正確にいへば半杯)だつたのである、そして今日は椹野川にそうて溯つた、この道にもいろ/\のおもひでがある、身にあまる大金をふところにして山口の税務署へいそいだこともあれば、費ひ果して二分も残らず、ぼう/\ばく/\としてさまよふたこともある、そんな事を考へたり、あちこちの山や野や水を眺めて、とう/\大歳駅まで来てしまつた、そして新国道をひきかへしたが、かへりついたのは薄暗い頃であつた。……
朝も三平汁、昼もおなじ三平汁(三平汁は樹明直伝のもの、朝も三平、昼も三平、そして晩も三平だつたら、合して九平、クヘイ、クヘイ)、晩はにんぢん葉の煮付、何を食べてもうまい、此点に於て、私はほんとうに幸
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