髪のセンチメンタリスト、あはれむべきかな。
夕方、どうでも雨になりさうだから畑のものに肥料をやる、かうしてをけば、どうやらかうやら野菜だけは自給自足が出来るらしい(いろ/\の意味で自給自足だ、たとへば肥料に於ても)。
虫の声、その声もおとろへたなと思つた。
壺の茶の花が二つ開いた。
燈火したしむべし、孤独よろこぶべし。
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・草もかれゆくこうろぎとびあるく
・山から花をもらつてもどれば草の実も
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 十月廿一日

曇、それから晴、いよ/\秋がふかい。
朝、厠にしやがんでゐると、ぽと/\ぽと/\といふ音、しぐれだ、草屋根をしたゝるしぐれの音だ。
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・おとはしぐれか
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といふ一句が突発した、此君楼君の句(草は月夜)に似てゐるけれど、それは形式で内容は違つてゐるから、私の一句として捨てがたいものがある。
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   追加三句  (帰郷 やつぱりうまい水があつたよ、の句と共に句賛の三句とする)
・露のしたゝるしたしさにひたる
・別れて遠い秋となつた
 朝から百舌鳥のなきしきる枝は枯れてゐる
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けさはほどよい起床だつた、すべてがおだやかに運ばれた、何かうれしい事でもないかな。
敬治坊からの返信は私を微苦笑させた、いづくもおなじ秋の夕暮、お互に借金の風にふきまくられてゐる。
どれ散歩でもせうか、それはまことに露のそゞろあるきでござりまする、はい、はい。――
こゝに庵居してからもう一ヶ月になる、落ちついたことは落ちついたが、まだほんとうに落ちついてはゐないらしい。
其中庵風景――その台所風景の傑作は酒徳利の林立[#「酒徳利の林立」に傍点]であらう、いつでも五六本並んでゐないことはない。
I老人、竹伐りにきて、縁側でしばらく話しあふ、しづかでうらやましいといふ、誰でもがさういふ、そして感にたへたやうにあたりを見まはす、まあひとりで、かうしてやつてごらんなさいと私の疳の虫が腹の中でつぶやく、かうした私の生活は私みづから掘つた私の墓穴[#「私の墓穴」に傍点]なのだ。……
竹を伐る――伐られる竹――葉のそよぎ――倒されて枝をおろされて、明るみに持ちだされて。――
寝て起きて、粥を煮て食べる、――今日も暮れた。
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・もう、暮れる百舌鳥は啼きやめない
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暮れてから(あまり暗いので、それは勘で歩いたのである)学校へ樹明君を訪ねる(彼は今晩宿直だから来るやうにといつてきたのである)、例によつて一杯よばれる、風呂にもよばれる、そして雑誌にもよばれたといつてよからう、ひきとめられるまゝに泊る、帰つたところで仕方もないから、もつとも帰つた時にお茶なりと飲むつもりで、炭をいけ床をのべてきたのだが。
読みつゝ寝た、昆虫の愛情についての記事が面白かつた、かういふ科学記事を読んでゐると、人間執着[#「人間執着」に傍点]がとれてくる、動物としての自己他己観照が出来るやうになる。

 十月廿二日

眼がさめて、あたりを見まはすと変だ、変な筈だ、学校の宿直室に樹明君と枕を並べて寝てゐたのである、そして頭痛がする、胃の工合もよろしくない、昨夜飲みすぎたためか、硝子戸を密閉してをいたためか、そのいづれのためでもあらう、朝食をよばれる、麦飯と味噌汁と沢庵漬、器物が殺風景だつたが、それでもおいしく頂戴した、新菊と本とを貰つて戻る、金木犀の香がうれしかつた。
戻つてすぐ掃除、読経、それから炊事。
今日は郵便が来ない、新菊のおひたしはおいしかつた。
昼寝の夢を鮮人の屑買が破つた(売るものなんかあるもんかい、買ひたいものばつかりだ)。
読書、読むうちに日が暮れて夜が更けた。
たしかに私は飲みすぎる、食べすぎる、そして饒舌りすぎる。
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窓いつぱいの日かげのてふてふ
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 十月廿三日

晴、朝月があつた、よかつた。
鶏の声、お寺の鐘の音、百舌鳥が啼く、虫も鳴いてゐる、朝の音楽もなか/\よろしい。
蝶が身のまはりをバタ/\とびまはつてゐたが、読んでゐる雑誌のページに卵を産みつけた、何といふ忙しさ、しかし無理もない、こんなに秋も深うなつたのだから。
午後、湯にはいつてくる、農学校の運動会でみんな行くやうだが、今の私には行くだけの興味が持てない、あたりの秋色を味はひつゝ戻つた、戻つてよかつた、樹明君が留守にあがりこんで寝ころんでゐる、彼はデリケートな部分をいためて、痛い/\と苦しんでゐる、それは罰といへば罰だが、私としては一刻も早く樹明君が健康と幸福との持主となることを願はずにはゐられない。
学校まで引きかへして、そしてまた樹明君がやつてきた、一人では気がまぎれないので、ぢつとしてゐられないといふ、病む人に対してゐると私も病む人のやうに感じる、私だつて咳嗽で苦しんでゐるのだ、塩昆布に茶をかけては飲み、飲みして、とう/\薬鑵[#「鑵」に「マヽ」の注記]に二杯も飲んだ。
樹明君がお土産――といふより外ない――として塩鱒を二尾持つてきてくれた、早速台所につりさげる、そこらあたりが急ににぎやかになつた、うれしいなあと子供のやうによろこぶ、樹明大明神様々だ。
十時頃まで話す、話し倦くる塩[#「る塩」に「マヽ」の注記]昆布湯を飲んで。
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暗夜送つて出て長い尿する
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 十月廿四日

時雨模様、だん/\晴れて秋日和となる。
昨夜、樹明君が手をとつて教へてくれた三平汁[#「三平汁」に傍点](?)はめづらしくもあり、うまくもあつた。
今日から節食(節酒は書くまでもなし)。
時雨を聴く[#「時雨を聴く」に傍点](音の世界、いや声の世界[#「声の世界」に傍点])、私の境涯[#「私の境涯」に傍点]。
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・しぐれ空のしらみつつしぐれだした
・しぐれては百舌鳥のなくことよ
・朝からしぐれて柿の葉のうつくしさは
 しぐれてきた裏藪に戸をしめる
 しぐれる落葉はそのまゝでよし
・もぎのこされて柿の三つ四つしぐれてゐる
 もうはれてしぐれの露が干竿に
[#ここで字下げ終わり]
虫があはたゞしくとぶ、こほろぎの恋、かまきりの恋、いなごの恋、今は恋のシーズン、やがて凋落の季節だ。
左の親指を火傷したので、右手ばかりでいろ/\やつてみる、やつてやれないことはないけれど、不自由千万である、指一本の力、その恩恵といつたやうなことを考へさせられる、そして片手の生活といふやうなことも。――
菜を間引く、雑草がはびこるには閉口する(神仏の前には菜も雑草もおなじものだらう)。
昼飯をすましてから学校へゆく、樹明君が宿直だからである、コヽアをよばれる、コヽアそのものよりもミルクがおいしかつた。
風呂をもらふ、夕飯をよばれる(樹明君は病気で飲めないのに私ひとり飲むのはすまなかつたが)、夜になつて戻つた、菜葉をたくさんさげて。
友はよいかな、ありがたいかな。
手探りで井戸の水をくんだ、何となく思ひが深かつた。
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ふるればおちる葉となつてゐた
[#ここで字下げ終わり]
あつい茶をのんで、ぢつとしてゐる、身心が水のやうにおちついてきた、生死事大、無常迅速。……

 十月廿五日

まつたく朝寝だつた、床の中でサイレンを聞いたのだから。
寒い、寒い、冬物がほしいなあ、ことに今日はどんより曇つてゐるので、何だか陰気くさくて仕方がなかつた。
井戸端で菜葉を洗ふ。
落ちたるを拾ふ、のぢやない、捨てたのを拾ふ[#「捨てたのを拾ふ」に傍点]のぢや!
さみしいよりもわびしかつた。
風、――林の風に耳を澄ました。
樹明君から来信、すまない、すまない、ほんとうにすまない。
味噌を頂戴した、田舎味噌のおいしさは。
夜は読書、露伴道人の洗心録はなか/\面白かつた。
寝苦しかつた。

 十月廿六日

すべてがもう冬の近いことを思はせる、とりわけ風の音が。
夜来の風のために、けさは落葉がいつもより多かつた。
郵便を待つても待つても来なかつた、頭が痛い。
よくない手紙――書きたくない手紙を書いた、ウソとマコトとをとりまぜて、泣言と愚痴と嘆願とを述べ立てた、あゝ嫌だ。
樹明居を往訪する、病気見舞でもあるし、お詑びでもある(私のワヤの余沫が同君へまで飛んだのである)、対坐してゐるのも気の毒だから、水を腹いつぱいよばれて戻つた(こゝの井戸はもう水が涸れて濁つて、とても生水は飲めない)。
[#ここから2字下げ]
・暮れてなほ柿もいでゐる
・明けるより柿をもぐ
・柿をもぐ長い長い竿の空
 あるけば寒い木の葉ちりくる
・秋のすがたのふりかつ[#「つ」に「マヽ」の注記]てはゆく
・ひとりの火がよう燃えます(改作)
・法衣ぬげば木の実ころころ(〃)
・更けてあたゝかい粥がふきだした
 夜をこめて落ちる葉は音たてゝ
[#ここで字下げ終わり]
あぶら虫にはとても好感は持てないけれど、あぶら虫の恋を考へるとき、いぢらしいやうな、おかしいやうな気分になつて殺したいところを逃がしてやることもある。
夜は読書、一茶を読んだ、私は趣味的に彼をあまり好かないけれど、彼の作品にはあたまがさがる(さげるのぢやない)。
また風邪をひきそへたらしい、ひきそへ、ひきそへ、ひきそへて、さて、その風邪はどうなる?

 十月廿七日

もう足袋がほしい、つめたさを感じつゝ、明星のまたゝき、片われ月の寒いかげを眺めた。
しかし、日中はよいお天気で、日向ぼつこがうれしい。
防府まで出かけるつもりだつたが(いふまでもなく金策のために)、頭痛悪寒がするので、床をとつて寝た、読むに層雲(今月は早くて来月号が今日来た)があるのはありがたい。
いよ/\閉戸子となつた、そして時々自分をあさましいと思ふ、あさましい事を考へるから、そして行はないでもないから。
石蕗の花のよさを知つた、野に咲いてゐても、また、床に活けてあつても。
りんだうの花を一つ見つけた、さつそく仏前にそなへた。
柿の木を所有するものは、その実に囚へられて、柿のうつくしさを知らない、あはれむべし。
さみしさは心の底から湧く、環境のためでない、境遇のためでない、性格のためである、センチと笑はれても仕方がない。
ゆふべ、あんまりさみしいから柚子をもいだ、ゆかしい匂ひかな、柚子味噌をこしらへるつもりだつたけれど、めんどうくさくなつたのでやめた、それでもすこし慰められた。
苦があつて句はない、苦を観照するだけの余裕を持つて初めて句が出来る。
もう醤油がなくなつた(それを買ふことが出来れば問題はない)、まだ味噌がある、塩がある、菜葉もあれば塩魚もあるぢやないか。
寒いのに冬物がない、ふつと思ひついて、レーンコートを下に着込んだら、めつきりあたゝかくなつた、このコートは関東大震災の時にS君から貰つたそれである、今夜はまた、あの当時の事をおもひ、S君の温情を味はつた。
昼も夜も寝てばかり、それでも食べることは一人前以上だ、驚くべき食慾であり、大きすぎる胃の腑である、もつとも私たちのやうなルンペン乃至ルンペン生活をやつてきた人間が、食慾を失ひ、そして食べるものを食べなくなれば、もうお陀仏である、彼等(私たちとはいひきれないから)は食べることが即ち生きることだから[#「食べることが即ち生きることだから」に傍点]。――

 十月廿八日

六時のサイレンが鳴つてから起きた、飯を炊き汁を煮る、そして食べてまた寝る、今日も動けさうにない。
孤独よろこぶべし――が、孤独あはれむべし[#「孤独あはれむべし」に傍点]――になつてしまつた。
井戸がいよ/\涸れてきた、濁つた水を澄まして使ふ、水を大切にせよ、水のありがたさを忘れるな、水のうまさを知つて[#「水のうまさを知つて」に傍点]、はじめて水の尊さが解る[#「はじめて水の尊さが解る」に傍点]。
秋日和、それはつめたさとぬくさとが飽和して、しんみりとおちつかせる、しづかで、おだやかで、すべてがしみ/″\として。
ぐずり/\して存らへてゐる、寝るで
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