其中日記
(一)
種田山頭火

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)竈《クド》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)ニコ/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
−−

 九月廿一日

庵居第一日(昨日から今日へかけて)。
朝夕、山村の閑静満喫。
虫、虫、月、月、柿、柿、曼珠沙華、々々々々。
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・移つてきてお彼岸花の花ざかり
    □
・蠅も移つてきてゐる
[#ここで字下げ終わり]
近隣の井本老人来庵、四方山話一時間あまり、ついで神保夫妻来庵、子供を連れて(此家此地の持主)。
――矢足の矢[#「矢」に白三角傍点]は八[#「八」に白三角傍点]が真 大タブ樹 大垂松 松月庵跡――
樹明兄も来庵、藁灰をこしらへて下さつた、胡瓜を持つてきて下さつた(この胡瓜は何ともいへないうまさだつた、私は単に胡瓜のうまさといふよりも、草の実[#「草の実」に傍点]のほんとうのうまさに触れたやうな気がした)。
酒なしではすまないので、ちよんびりシヨウチユウを買ふ、同時にハガキを買ふことも忘れなかつた。
今夜もよう寝た、三時半には起床したけれど。
[#ここから2字下げ]
・さみしい食卓の辛子からいこと
・柿が落ちるまた落ちるしづかにも
[#ここで字下げ終わり]

 九月廿二日

秋雨しめやかである、おちつかせる雨である。
其中一人[#「其中一人」に傍点]とおさまつてゐると、身心が自然になごんでくる。
駅の売声がようきこえる。
跣足でポストまで、帰途、蓼を折つてきて活ける、野趣横溢、そして秋気床間に満つ。
百舌鳥が啼く、だいぶ鋭くなつた、秋の深さと百舌鳥の声の鋭さとは正比例する、いや、秋が深うなれば百舌鳥は鋭く啼かざるを得ないのだ。
[#ここから2字下げ]
  改作二句
・伸びて伸びきつて草の露
・柿は落ちたまゝ落ちるまゝにしてをく
[#ここで字下げ終わり]
『後記』昨日の誤写を補足して置かう、――いはゞ引越祝をやつた記事の追加だ。――
今夜はどうしても飲まなければならないのだつた、引越祝と軽視すべきぢやない、結庵入庵の記念祝宴[#「結庵入庵の記念祝宴」に傍点]なのだ、しかも私は例によつて文なしだ、恥を忍んで、といふよりも鉄面皮になつて、樹明兄から五十銭銀貨三枚を借りる(返さなければ掠奪だ!)、街へ出て、鮹、蒲鉾、酒、煙草、葉書を買うて来る、二人でやつてゐるうちに、冬村君もやつてきて、三人で大に愉快にやつた、めでたしめでたし、万歳万歳。――
[#ここから2字下げ]
・身にちかくあまりにちかくつくつくぼうし
 昼虫のしづけさを雨が落ちだした
[#ここで字下げ終わり]
夕方、樹明、敬治二兄同道来庵、酒、魚、鮨、すべて持参だから恐入る、飲む、話す、笑ふ、酔ふ、そして三人いつしよに街へ出た、ちよんびり飲み直して宿屋に泊つた、三人ともいづれ劣らぬ脱線常習者なのだ、三人いつしよにぶらついて脱線しなかつたのだから、まことに不思議な愉快だつた。

 九月廿三日

彼岸の中日、其中庵の開庵祝日でもある。
朝早く帰庵して拭いたり掃いたりする、御飯を炊きお菜を拵らへて、待つてゐる。……
間もなく二兄がニコ/\してやつてくる、すぐまた酒にする(此酒は私が買つた、敬治坊から頂戴したお祝儀で!)、そして三人で近隣の四五軒を挨拶して廻る、手土産として樹明兄がカルピスをあげる。
これで、私も変則ながら、矢足の住人となつた訳だ。
何といつても、樹明兄の知人が多く、敬治坊の親戚が多いのだから、私も肩身広く落ちつけるといふものだ。
夕方、三人で散歩する、後の山はよかつた、庵の跡、宮の跡、萩が咲きみだれてゐる、夕日がおだやかにしんみりと照らす、物と物、心と心とが融け合ふやうだ。
夜は、さらに水哉、冬村二君も来庵、かしわでうんと飲んだ、酔ふた酔ふた、みんなが去つてゆくのが癪に障るほど酔ふた(私は時々、親しい人々に対しては駄々児気分を発散するらしい)。
今日の忘れられない事は、米を頂戴した事、無花果を食べた事、酒のよかつた事(昨日から今日へかけてよく飲んでよく食べたものだ、酒五升、鶏肉五百目、その他沢山である)。
[#ここから2字下げ]
・つく/\ぼうしつく/\ぼうしと鳴いて去る
・咲いてこぼれて萩である
・秋ふかう水音がきこえてくる
  農学校即事
 鵞鳥よ首のべて何を考へてる
[#ここで字下げ終わり]

 九月廿四日

晴れて独りだ。
咳で苦しむ、時々苦しむのが本当だ。
昨日のかしわの骨でスープをつくる。
山村庵居のしづけさやすらかさは何ともいへない。
柿が落ちる、蜂がくる、閑寂を楽しむ[#「閑寂を楽しむ」に傍点]。

 九月廿五日

こづいて苦しくて寝てゐられないので、三時に起きて働らく、秋らしくない気分だつた。
樹明兄来庵、種子を貰ふ、早く畠をこしらへて、播かなければならない。
暮れてから、樹明兄再度来庵、藤本さんと同伴、夜間撮影をやつて下さる。
藤本さんは大商店の息子さんだ、オートバイでやつてきてゐる、それに便乗して街へ出る、そして樹明、山頭火の酒宴がはじまつた、うまい酒だつた、こゝろよく酔うて戻つて、ぐつすり寝た。
[#ここから2字下げ]
・灯ればしたしく隣があつた
[#ここで字下げ終わり]

 九月廿六日

よく寝られたので、よい気持で読んだり耕したりするうちに、もう正午近くなつた、そこへ樹明兄突然顔を見せる、昨夜あれからひとりで飲みすぎて少し脱線したのでまたやつてきたといふ、飲みすぎ脱線には理解あまりある私だ、さつそく酒と豆腐とを買つてくる、いはゆる迎酒の苦さ旨さを味ふ、ほろ酔になつて出かける、途中で別れて、樹明兄は自宅へ、私は湯屋へ。
それがいけなかつた、こんどは私の飲みすぎ脱線だ、酔つぱらつて路傍に寝てしまつた(後から聞けば、私の寝姿を見た者が二三あるらしい)、とう/\帰庵かなはずしてK婆さんの家で夜を明かした、そして未明、ふら/\歩いてゐたら、非常線にひつかゝつた、しかしそこは海千河千の私だ、うまくいひぬけた、『ずゐぶん早い散歩ですねえ』と刑事先生びつくりしてゐた!
よい酒とわるい酒とがあるやうに、よい酔とわるい酔とがあるとすれば、昨夜の酒は、いや今夜の酒はたしかにわるい酒であり、わるい酔だつた。
インバイに戯れ、ハダシで散歩するなんてことは悪趣味ぢやない、悪行そのものだ、ことに禅宗坊主に於てをやである。……

 九月廿七日

曇、雨、晴れでないので助かつた。
風呂へはいつて一切を洗ひ落して戻ると、樹明さんと武波さんとがにや/\して待つてゐられた、悪行露見、罪業深重、いさぎよく白状して呵々大笑したことである、さうする外ないではないか!
[#ここから3字下げ]
草の日向の蛇がかくれる穴はあつた
秋の蚊のないてきてはたゝかれる
[#ここで字下げ終わり]

 九月廿八日

大連の青葉君から、熊本の元寛君から、どちらもうれしいたよりがあつた。
咳が出て困る、喘息になりはすまいかと自他共に心配しないでもないが、不死身にちかい私のからだか[#「か」に「マヽ」の注記]らと放任して安心してゐる、また、このぐらゐの苦しみはあつてよろしい、近来どうも安易に流れ自堕落になつてゐるから!
夜は樹明兄に招かれて、学校の宿直室で夕飯を御馳走になつた、一杯やつたことは書くまでもあるまい、咳嗽薬まで戴いてきた。
今夜の酒は何とよい酒だつた、そしてよい酔だつた。
今日の特種は、竈《クド》をこしらへたことである、なか/\よく出来た、自分ながら感心する(樹明兄も感心してくれた)、これで炭代がういてくる、それだけ酒代が。

 九月廿八日[#「九月廿八日」はママ]

好晴、伐木の音がこゝろよくきこえる。
樹明さんが吉野さんを連れてきて庵を描いて下さつた、三八九[#「三八九」に傍点]復活号の裏表紙に刷るのである、私は文字で庵を写さう。
夜、国森令弟わざ/\海の幸――小鯛一籠――を持つてきて下さつた、魚に添へてある青紫蘇の香が何ともいへないフレツシユだつた、早速焼いて酢に漬けた、あゝ、この好下物あつて酒なしとは……、うらめしや。
[#ここから2字下げ]
・しづけさはこほろぎのとぶ
 夜の奥から虫があつまつてくる
[#ここで字下げ終わり]

 九月三十日

憂欝な一日だつた。
土を耕やして大根を播いた、土のなつかしさ、したしさ、あたゝかさ、やはらかさ、やすけさ、しづけさ。……
ぼつ/\稲刈がはじまつた、豊年満作だ。
門外不出、もちろん酒なし。
暮れてから樹明兄来庵、野菜をたくさんいたゞいた、これだけあれば当分は安心してゐられる、野菜ばかりぢやない、別にまた一升寄贈だ、涙の出るほどうれしかつた。

 十月一日

寝苦しくて三時にはもう起きてゐた、御飯炊も朝の勤行も、何もかもすんだのにまだ明けない。
天地高朗、日月清明の気候だ。
今日も畠いぢり、二畝耕やした、石ころ、草の根を除くのはかなり骨が折れるけれど愉快だ、ひともじ[#「ひともじ」に傍点]を植ゑつけた。
昨夜のお布施で買物をする、私がどんなにつゝましく買物をしたか、左の通りだ。――
[#ここから1字下げ]
一、十銭 醤油二合  一、九銭 ハガキ六枚
一、七銭 味噌百目  一、十八銭 焼酎一合五勺
一、二銭 蠅取紙一枚 一、三銭 湯銭
一、八銭 上草履一足 一、十銭 玉葱代
一、五銭 辛子粉   一、五銭 豆腐二丁
   合計金 七十七銭也(残存金二十三銭)
[#ここで字下げ終わり]
菜葉を漬けた、重石をたづねてあるいたが。
一杯やつてゐるところへ、樹明兄が一升さげて来た、山村の饗宴がはじまる、おしまひには街へまで延長する、そしてとう/\わや[#「わや」に傍点]になつてしまつた。
かういふ風では罰があたる――と考へてゐたが、果して罰があたつた、一切我今皆懺悔、しつかりしろ。

 十月二日

近頃にない熟睡だつた。
晴、昨夜の残酒を傾ける。
省みて愧ぢない生活[#「省みて愧ぢない生活」に傍点]。
郵便配達夫が柿を御馳走してくれといふ、私の柿ではないけれど、さあさあ好きなだけ食べなさい、食べろといはれる私の代りに、うまいかね。
萩が咲きこぼれてゐる、煙がうす/\のぼつてゐる。
終日籠居、孤独と沈黙と、そして閑寂と沈潜との一日だつた。
家の周囲の雑草が刈られた、萩も薄もみんな。
こうろぎを聴いてゐると、ずゐぶん上手下手がある、濁つたのがだん/\澄んでくるのが解る、虫の声もなか/\複雑だ。
咳嗽がひどくて苦しんだ、しかしそれが同時に私を自堕落から救ふのも事実である。

 十月三日

晴、時々曇る、私の身心のやうに。
百舌鳥が啼く、その声もだいぶ鋭くなつたやうだ。
火吹竹[#「火吹竹」に傍点]をこしらへる、何といふ時代後れ!
後の山路を歩く、萩が多い。
大根の芽生はうれしい、自分で耕して自分で播いた、それが芽を吹いた、ありがたいやうな、すまないやうな気持。
[#ここから2字下げ]
・ゆふべのさみしさはまた畑を打つ
[#ここで字下げ終わり]

 十月四日

咳入つて覚める、声が嗄れて胸の奥が鳴る、罰は甘んじて受けなければならない。
出勤前の樹明兄、私の安否を心配して一寸来庵、その温情かたじけなし。
今日は殺生デー[#「殺生デー」に傍点]ともいひたい日だつた、早朝、座敷で百足を殺した、掃除の時に蝶々を殺した、井戸からイモリをくみあげた、また、蛙をとびこませた、庭で蜂を殺した、カマキリを殺した、畠では蚯蚓、※[#「虫+車」、第3水準1−91−55]、ケラ、を殺した。……
殺さないまでも、彼等の夢を驚かして気の毒だつた、人間が土を耕やすのは、ケラにとつては安眠妨害、蚯蚓にとつては家宅侵入だらう、人間は時として虫にも劣つてゐる。
帰宅前の樹明兄、先夜写していたゞいた写真を持つて来
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