ね)。
夕ぐれ、ばら/\と降つた、初時雨だらうか、まだ時雨が本質的でなかつた。
晩課諷経の最中に誰だか来たけはいを感じたが、そのまゝ続ける、すんでから出てみると、農学校の給仕君が、樹明君からの贈物だといつて、木炭一俵を持参してゐる、かたじけなく頂戴、時雨のなかを帰つてゆく彼に頭をさげた。
夜は十日会の月次例会、集まつたものは樹明、冬村二君に過ぎつ[#「ぎつ」に「マヽ」の注記]たが、しんみりとした、よい会合だつた、ことに折からの時雨がよかつた、時雨らしい音だつた、樹明君の即吟に、
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三人《ミタリ》のしぐれとなつた晩で
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といふ一句があつた、まことにみたり[#「みたり」に傍点]のすべてであつた、別れる前にあまり腹が空いたので(といつて食べるものを売るやうな店は近くにないので)白粥[#「白粥」に傍点]を煮て、みんなで食べた、おいしかつた、とろ/\するやうな味はひだつた、散会したのは十二時近く、もうその時は十一日の月がくわう/\とかゞやいてゐた。
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・落ちついてどちら眺めても柿ばかり
・ゆふべうごくは自分の影か
 月夜のわが庵をまはつてあるく
・月からこぼれて草の葉の雨
 夕雨小雨そよぐはコスモス
・ぬれてかゞやく月の茶の木は
 わが庵は月夜の柿のたわわなる
 壺のコスモスもひらきました
    □
 しぐれてぬれて待つ人がきた
 しぐれて冴える月に見おくる
 月は林にあんたは去んだ
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 十月十一日

労[#「労」に「マヽ」の注記]れて朝寝、もう東の空が白んでゐた、どうも咳が出て困る、幸にして音声はとりもどしたが、咽喉が痛い。
寒うなつた、米を磨ぐ水のつめたさが指先からしみこんでくる、今朝は何だかしようぢようたるもの[#「しようぢようたるもの」に傍点]を感じた。
待つてゐる音信が来ない。
しかし、よいお天気で、よい気分で。
塩で食べてゐたが、辛子漬も菜漬もおしたじ[#「おしたじ」に傍点]がないとうまくないので(といふのも私にはゼイタクだが)、財布をはたいてみたら、一銭銅貨が四つあつた、そこで小さい罎[#「罎」に「マヽ」の注記]を探しだして醤油買に出かける、途中でその売子さんに逢ふ、ついでだから彼の手数を煩はさないですむので、一杯詰めて貰ふ、一升二十銭といふから、まさに一銭五厘位の支払だ、支払ふとしたら、いらないといふ、あげますといふ、彼は私の風采(破被布に利久帽だ)を見て、おせつたい[#「おせつたい」に傍点]するつもりらしい、そこで妥協してお賽銭一銭あげて、ありがたく万事解決した、彼は若い鮮人だつた、鮮人から報謝をうけたのはこれが二度目だ、一度は行乞流転中にどこかで鮮人の若いおかみさんから一皿の米をいたゞいたのである。
昨夜の事を考へる、草庵――時雨――白粥――はあまり即きすぎて句にもならないが、それは涙ぐましいほどの情愛だつた、うれしかつた。
駅の物売の声がよくきこえる、風向のよい夜などはハツキリきこえる、だが何といふ言葉だかはあまりよく解らない、よく解つては困ります、べんたう、すし、ビール、まさむね、サイダーなどとやられては、食べたくなつたり、飲みたくならうではないか、風よ、向うへ吹け。
山東菜を漬けてをいたのがちようど食べ頃となつた、うまい、うまい、これからは自分で作つて自分で漬けて食べられます。
三八九の原稿整理。
私の事を私よりも周囲の人々がヨリ心配して下さる、私はあんまりノンキかも知れない、ノンキなルンペン!
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 郵便やさん、手紙と熟柿と代へていつた
 垣のそとへ紫苑コスモスそして柿の実
 秋風、鮮人が鮮人から買うてゐる
・ふるさとはからたちの実となつてゐる
・わが井戸は木の実草の葉くみあげる
・あの柿の木が庵らしくする実のたわわ
・そこらいつぱい嫁入のうつくしさ干しならべてある
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これで午前の分をはり、めでたし/\。
どうも腹が空つてくると飲みたくなる、空腹へギユツとひつかける気持は酒好きの貧乏しか知らない、そこでまだ早いけれど夕飯にして、また出かける、どこへでも行きあたりばつたりに行くのである、いはゞ漫談に対する漫歩[#「漫歩」に傍点]だ。
一時間ばかり歩きまはつて戻つてくると、誰やら庵の前で動いてゐる、樹明君だ、忙しい中を新菊を播いて、苣《チサ》を植ゑてくれてるのである、ありがたし/\。
飲む酒も食べる飯もないから、辛子漬でお茶をいれてあげる、辛子漬の辛いのも一興でないことはあるまい。
ばら/\としぐれた、今夜もしぐれるらしい、かうしてしぐれもだん/\本格的になつてゆく。
貧すりや鈍するといふ、まつたくだ、金がないと、とかく卑しい心が出てくる、自家の醜劣には堪へがたい。
毎日待つてゐるのは――そしてそれが楽しみのすべてといつていゝが――朝は郵便、それから新聞、それから友人だ、今日はその三つがめぐまれた。
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・人がゐてしぐれる柿をもいでゐた
・庵のぐるりの曼珠沙華すつかり枯れた
・つゆくさ実をもち落ちつかうとする
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夜はまた粥を煮て食べた、私には粥がふさはしいらしい、その粥腹で、たまつた仕事をだいぶ片付けた。
これでまづ今日いちにちのをはり、あなかしこ/\。
横になると咳が出る、絶え入るばかりに咳き入るといふが、じつさいさうである、咳き入つてゐると、万象こんとんとして咳ばかりになる、しばらくして小康、外へ出て歩く、何とよい月だらう。

 十月十二日

好晴、まことに秋空一碧だ。
急に右の胸がいたくなつた、風邪をひきそへて、あんまり咳をしたためらしい、だるいからすこし散策する(この程度の病気を持つてゐることは、私のためには却つて可いかも知れない)。
製材所の仕事を観る、よく切れる鋸だな。
或る友への消息に、――
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……私もだん/\落ちついてきました、そして此頃は句作よりも畑作に身心をうちこんでをります、自分で耕した土へ自分で播いて、それがもう芽生えて、間引菜などはお汁の実としていたゞけるやうになりました、土に親しむ[#「土に親しむ」に傍点]、この言葉は古いけれど、古くして力ある意義を持つてゐると痛切に感じました。……
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柚子のかをり(にほひ[#「にほひ」に傍点]でなくてかをり[#「かをり」に傍点]である)、そのかをりはほんとうによろし。
今日の御飯はよく出来た、これもほんとうにおいしい。
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 蓮を掘る泥まみれ泥をかいては
・秋のひかりの大鋸のようきれる
・近眼と老眼とこんがらがつて秋寒く
・芋の葉、それをちぎつてつゝんでくれる
・ゆふ空から柚子の一つをもぎとる
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百舌鳥がしきり啼く、あの声に聴き入つて、死身の捨身になつたこともあつたが、今はどうだ! あゝ。
散歩してゐて、コスモスのうつくしさがハツキリ解つた、あの花は農家にふさはしい、或はこぢんまりとした借家にふさはしい、はかないけれどもしたしみのある花だ(茎もまた)。
昼寝した、ぐつすり寝たが、覚めて何物もなかつた。
アルコールについて、そしてニコチンについて一考察。
御飯のうまいのは釜底が焦げつくまで炊きあげた場合だ、いひかへればその一部が犠牲になつた時に全体が生きるのである、こゝにも浮世哲学の一節を読む。
樹明君、私のために小遣銭を捻出して持つてきてくれた、そして一升飲んだ、地主家主のJさんもいつしよに。
それからがいけなかつた、――ワヤになつてしまつた、カフヱーからカフヱーへと泳ぎまはつた――それでも帰ることは帰つた、こけつまろびつ、向脛をすりむいだり、被布を裂いたり、鼻緒を切らしたりして。――

 十月十三日

秋晴、昨夜のたゝりでぼんやりしてゐる。
珍客来、川棚温泉のKさんが訪ねてきた、彼は好きな男だ、姿も心持も(彼は子供のやうに熟柿をよろこんだ)。
いつしよに街へ出た、別れてから、買物、入浴、一杯ひつかける、そしてそれからがまたいけなかつた、Kさんをひつぱりだして飲み歩いた、M屋からS軒へ。
さうらうとして戻つたら、樹明君がちやんと座つてゐる、午後一度来たといふ、そして夜中また来たのだといふ、話したり、食べたり、飲んだり(ちようど焼酎があつた)笑つたり、悔んだり、寝たり、起きたり、もう十二時だらうか。
ぐつすり寝る、夢まどかではないが、のんびりした一夜だつたよ。
どうもいけない、回光返照すべし、退いてもう一度、自分を、自分の周囲を見直すべし。
せつかくの浄財を不浄化しては罰があたるぢやないか、恥づべし、恥づべし。
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・何もない熟柿もいであげる
・壺のコスモスみんなひらいた
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今日の買物を附け添へて置かう、こんなにつゝましくして、そしてあんなにやりつぱなしだから助からない!
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一、 七銭  赤味噌  百目    一、七銭  はぎ  五匁包
一、 六銭  醤油   二合    一、五銭  大根  三本
一、 二十銭 焼酎   二合    一、九銭  ハガキ 六枚
一、 七銭  バツト  一     一、十銭  並そば 二杯
 〆金 七十一銭也
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 十月十四日

曇、折角の豆名月が台なしになつてしまつた。
終日憂欝、畑の草をとつてごまかす、大根おろしはうまかつた、間引菜の味噌汁も。
ほうれんさうがほつ/\芽をふいてきた。
柿の葉がだいぶ赤らんできた。
J夫人が子供を連れて柿もぎに来た、子供はうるさい、柿の落葉よりも。
呉服屋さんが、戸惑ひしたのだらう、御用はございませんかといふ、見るだけでも見てくれといふ、嫌になつてしまう。
夕時雨、あの音には何ともいへないもの[#「何ともいへないもの」に傍点]がある。
まことにしづかである、今にして思へば、私は川棚温泉で拒まれてよかつた、とてもあそこでは落ちつけなかつたらうし、また、こゝほどしんみりしなかつたらう。
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・ゆふ空の柚子二つ三つ見つけとく
・わたしひとりのけふのをはりのしぐれてきた
・寝覚まさしく秋雨であつた(即興)
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夜中にふと眼がさめたら雨がふつてゐた、それはしよう/\とした秋雨だつた、そこでおのづから此一句がある。――

 十月十五日

けさは早かつた、すべての行事がすんでもまだ明けなかつた、おちついて読書した。
時々鉄砲の音が聞える、今日から狩猟解禁、鳥や獣の受難時季が来たのである。
朝の鐘声はよいな、鶏の声よりも。
出勤前の樹明来庵、わざ/\胃の妙薬を持つてきて下さつたのである(白米ですよ!)。
どうも咳が出て切ないから昼寝、そしたら嫌な夢。
茶の花がいちりん、ほんとうにいちりん咲いてゐた、さつそく一輪※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]のコスモスと代へる、まことに茶の花は床しい花である。
蛇が蛙に喰ひついてゐた、あんなに小さい蛇があの蛙を犠牲にしてゐることは、いかに彼の闘争心が強いかを如実に示してゐる、しかし彼に難はない、彼は生きなければならないから、生きずにはゐられないのだから、ことに冬眠の前である、できるだけ栄養分を摂取しなければなるまい、彼は生存の純一な慾望[#「生存の純一な慾望」に傍点]のためにのみ蛙を殺したのである、人間ほど卑劣でない強慾でない。
松の会の同人(平野多賀治)君から、浜松名産『浜納豆』を贈つて下さつた、さつそく頂戴する、これで一杯も二杯も三杯も飲めるといふものだ、私一人には多すぎるから、樹明、冬村、両君にお裾分する(関西にはあまり納豆が喜ばれない)。
Jさんがよい菜葉を持つてきて下さつた、半分は惣菜に、半分は漬物にする、今日はいろ/\のものを頂戴する日だ。
午後は文字通りの一浴一杯。
夜食は菜葉粥、近来の御馳走であつた。
いざよひ月がおもむろに昇る、それを眺めてゐると、何となく人恋しくなる。……
ずゐぶん長く遊んだ、三
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