ほとけのかげわたしのかげ(晩課諷経)
[#ここで字下げ終わり]
十一月廿六日
徹夜、ほんとうの自分をとりもどす。
澄むなら澄みきれ、濁るなら濁りきれ、しかし、或は澄み或は濁り、いや、澄んだらしく、濁つたらしく、矛盾と中途半端とを繰り返すのが、私の性情らしい。
いくら考へても仕方がないから歩いた、私はやつぱり歩かなければならないのだ、歩きつゝ考へ、考へつゝ歩くのだ、そして歩くことがそのまゝ考へることになるかも知れない[#「歩くことがそのまゝ考へることになるかも知れない」に傍点](此場合の『歩くこと』は必ずしも行乞流転を意味しない)。
櫨を活ける、燃えあがる情熱だ、同時に情熱の沈潜だ、赤の沈黙だ、自然の説法だ。
久しぶりに掃いた、柿の葉はすつかり散つてしまつて、枇杷の花がほろ/\こぼれる、森の栗の葉がちらほらとんでくる。
落ちついて身辺整理、机の上が塵だらけだつた。
人生は『何を』でなく『如何に』ではないかとも思ふ、内容は無論大切だが、それはそれを取扱ふ態度によつてきまるのではあるまいか。
樹明君が来て、私の姿は山男のやうだとひやかす、ひやかしぢやない、じつさいなのだらう、山から来た
前へ
次へ
全92ページ中72ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
種田 山頭火 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング