て一考察。
御飯のうまいのは釜底が焦げつくまで炊きあげた場合だ、いひかへればその一部が犠牲になつた時に全体が生きるのである、こゝにも浮世哲学の一節を読む。
樹明君、私のために小遣銭を捻出して持つてきてくれた、そして一升飲んだ、地主家主のJさんもいつしよに。
それからがいけなかつた、――ワヤになつてしまつた、カフヱーからカフヱーへと泳ぎまはつた――それでも帰ることは帰つた、こけつまろびつ、向脛をすりむいだり、被布を裂いたり、鼻緒を切らしたりして。――

 十月十三日

秋晴、昨夜のたゝりでぼんやりしてゐる。
珍客来、川棚温泉のKさんが訪ねてきた、彼は好きな男だ、姿も心持も(彼は子供のやうに熟柿をよろこんだ)。
いつしよに街へ出た、別れてから、買物、入浴、一杯ひつかける、そしてそれからがまたいけなかつた、Kさんをひつぱりだして飲み歩いた、M屋からS軒へ。
さうらうとして戻つたら、樹明君がちやんと座つてゐる、午後一度来たといふ、そして夜中また来たのだといふ、話したり、食べたり、飲んだり(ちようど焼酎があつた)笑つたり、悔んだり、寝たり、起きたり、もう十二時だらうか。
ぐつすり寝る、夢まどかで
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