来て下さつた、ありがたい。
大山さんと清水さんとは十二時に山口へ立たれた、お土産を頂戴したゞけで何のお構ひも出来なかつた、まことにすまない。
終日臥床、何年ぶりの服薬だらう、こんなに苦しんだことは近来にないことだ。
ぞんぶんに吐瀉したので、身心清浄[#「身心清浄」に傍点]になつたやうに感じる、そして飲食物に対して恬淡になつたやうにも感じる。
雨がふつた、ふつた、どしやぶりだつた。
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・みんな去んでしまへば水音
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七月四日[#「七月四日」に二重傍線]
午前は曇、午後は晴。
今朝も樹明君が見舞つてくれた。
水音を聴きつゝ臥床、食慾減じて心気安らかなり。
からりと晴れた夕空、はじめてみん/\蝉[#「みん/\蝉」に傍点]が鳴いた。
よろ/\と庵のまはりをあるく、雑草のうつくしさがあたらしく身にしみる。……
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・あんな[#「な」に「マヽ」の注記]が来てくれる大根もふとうなつてゐる(緑平老に)
・腹がいたいみんみん蝉
・夕焼しづかな糸瓜に棚をこしらへる
・死にそこなつた、こうろぎがもうないてゐる
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七月五日[#「七月五日」に二重傍線]
徹夜読書、腹が空[#「空」に「マヽ」の注記]つたので、大山さん持参のうどんを茹でゝ食べる、やさしくてうまかつた。
朝風に病床を払ふ、そして洗濯、掃除、草取、等々。
街へ出かけて買物、それから入浴、どうやらいつもの私になつた。
外へ出ると、ことに田の草取を見ると、炎天[#「炎天」に傍点]だと思ふ。
筍もをはりらしい三本をぬく(うち一本は隣地のを失敬!)ぬいて、すぐむいで、ゆつくり味ふ。
帰宅途上、樹明君来庵、折よく御飯が出来たばかりで、しかも君の最大好物雲丹[#「雲丹」に傍点](これも大山さんのお土産の一つ)があつたので、夕飯をあげる、何とそのうまさうなたべぶり!
夜はおそくまで蚊帳の中で読書、極楽浄土はこゝにあり!
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・明ける水音のする枯木焚きつける
朝の蚊のするどくてあれもこれも
・庵にも赤い花が咲いてゐる日ざかり
・見おくるかげの、雑草の暮れてゆく
・人去れば青葉とつぷり暮れた
・かさりこそりと音させて鳴かぬ虫がきた
・これでをはりのけさの筍をぬく二本
・さつと夜の雨が青葉たゝいていつた
・ぬくよりむぐより筍のお汁が煮えた
・ゆふべはうれて枇杷の実のおちるしめやかさも
・とほく郭公のなき何かこひしい
樹明君に二句
・いつもたづねてくれるころの夕風がでた
・ぬくめしに雲丹をぬり向きあつてゐる
追加三句
・そんなこともあつたやうな夾竹桃の赤さで
・旅は何となく草餅見ればたべたくなつてたべ
・よばれる草餅の香もふるさとにちかく
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七月六日[#「七月六日」に二重傍線]
さすがに昨夜はよく眠られて、今朝はすこし寝すごした、でも五時半頃だつたらう。
手作りの初茄子一つもいできて味噌汁の実にする、とてもうまかつた、珍重々々。
心さわやかに身こゝろよし。
冬村君の仕事場を久しぶりに訪ねる、針金を貰ひ、らつきようの漬け方を習ふ。
私は老いてます/\健やかである、論より証拠、若い時よりも今頃の方が筋肉が肥えてゐる(無論かたぶとりだ[#「かたぶとりだ」に傍点])、それは果して幸か不幸か、喜ぶべきか悲しむべきかを私は知らない、私としては、私は生きられるだけは生きやう、生きてゐるかぎり、その日その日を十分に生きよう、言葉をかへていへば、今日を今日として私の力の全き今日たらしめる外ない[#「今日を今日として私の力の全き今日たらしめる外ない」に傍点]。
先日の吐瀉以来、私の胃は小さくなつたやうだ、食気が薄くなつた、とにかくそれだけ私の身心は安らかになつたのである。
ひとりで、じだらくにして、粗衣粗食してをれば、周囲がしづかで、すゞしくて、のんきでゆつたりしてくる。
[#草木塔の図(fig48251_01.png)入る]
其中一人にしてまた万人なり[#「其中一人にしてまた万人なり」に傍点]。
酒の酔心地、これこそ冷暖自知の境。
△句は武器でなくて玩具だ、まさに持つべき玩具[#「持つべき玩具」に傍点]だ。
活きるとは味ふことなり[#「活きるとは味ふことなり」に傍点]、味ふより外に活きることなし。
△夏はうれしや、プロの楽園、ルンペンの浄土、浴衣があれば蚊帳があればゆつくり暮らせる、ハダカで暮らせ[#「ハダカで暮らせ」に傍点]、身も心も[#「身も心も」に傍点]、君も僕も[#「君も僕も」に傍点]。
夕方あんまり所在ないから、新町まで出かけて焼酎一杯、ついでに酢も一合求める、それから椹野河原へいつて宵待草を一株ひきぬいてきて庵の前に植ゑる、句も二つ拾つた、樹明君から雑草[#「雑草」に傍点]も借りた、いや御苦労々々々。
夜おそくまで蚊帳の中で読んだり考へたり、なか/\寝つかれなかつた。――
△句作道程の段階(感動をうたふこと、それが詩であるとして)
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説く――述べる[#「述べる」に傍点]――写す――描く[#「描く」に傍点]――表現する[#「表現する」に傍点]。
のべる[#「のべる」に傍点](叙景の叙[#「叙」に傍点]であり、抒情の抒[#「抒」に傍点]である、のべる[#「のべる」に傍点]ことがゑがく[#「ゑがく」に傍点]こととなる)、境地、風格、一家を成す、堂奥に入る。――
[#ここで字下げ終わり]
今日は近来にない濫作駄作だつた、これではまるで俳句製造者だ、警戒々々、自重々々、駄作千句よりも佳作一句だ。
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咲いておもたく白さ赤さのもつれてはゆれ
・朝蝉やよいたよりうけとつて出かける
・朝ぐもりの落ちる葉にてふてふ
・炎天へ枯れさうもない草のむしられても
・かぼちやおほきく咲いてひらいておばあさんの顔
(対句――おぢいさんも山ゆきすがたの高声でゆく)
今日の冬村君に一句
・だまつて考へない金網を織りつづける
・畑いつか田になつた稲のそよいでゐる
・まだかきをきをかきをえてゐない腹のいたみをおさへ
梅雨ぐもり、見たことのある顔がくる
花草にしやがんだ女で銭のやりとり
・青田のまんなかを新国道はまつすぐな旗立てて
・ひえ/″\とからだをのばし蛇もうごかない
・庭も畑も草のしげりゆく草
[#ここで字下げ終わり]
七月七日[#「七月七日」に二重傍線]
何だか不安な一夜だつた、そして朝飯の仕度はすつかり出来たのにまだ夜が明けない、また蚊帳にはいつてとろ/\まどろんだ。――
鋳銭司まで出かける、今月最初の行乞であるが、何分にも睡眠不足と※[#「气<慍のつくり」、第3水準1−86−48]気とで苦しくてしようがない、それをこらへて二時間だけやつと行乞、それでも今日一日の生命を保つには十分すぎるほど戴いた。
徃きは涼しかつたが、返りはとても暑かつた、道ばたの木槿が咲いてゐた。
行乞は身心晴朗でなければならない[#「行乞は身心晴朗でなければならない」に傍点]、足もかろく気もかろくなければならない、そしておちつき[#「おちつき」に傍点]がなければならない、すなほさ[#「すなほさ」に傍点]がなければならない。
暑さは植物にもこたえる、山東菜が芽ぶいたことは芽ふいたが、春のやうに成長しない。
雷電、雷鳴、これで梅雨もあがるのだらう、今日から盛夏。
夕立が晴れて、やりきれなくて街へ出かける、わざ/\出かけてやうやく一杯だ、だがその一杯は百杯万杯に値する、ほんにわたしは酒好きで、酒好きは酒飲む外ない!
酒一杯ひつかけて、そして、花と句とをひらうてもどつた。
樹明君から、キヤベツとキユウリとを送つてきた、明日のために、明日は緑平来、そして白船来の日である。
しづかな、ほんとうにしづかなゆふべであつた。
△いのちのよろこびはしづけさ、しめやかさにあると思ふ。
今宵は十五夜である、月がうつくしかつた、昼寝したゝめに、そして多少興奮してゐるために、いつまでもねむれなかつた。
今日も私は俳句屋[#「俳句屋」に傍点]だつた(午前は乞食坊主だつたが)。
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・楊桃《ヤマモモ》は枝ながら実家《サト》のおみやげに
・これで昼飯にしよう青田風
・日ざかりのきりぎりすは鳴きかはし
・橋の日かげへ女ばかりのボートで
うらみちは夏草が通れなくしたまんま
・もどるより水を火を今日の米をたき
・黴だらけの身のまはりをあらうてはあらふ
・田草とるしたしさもわかいめをとで
・まへもうしろも耕やす声の青葉
いなびかり畑うつ音のいそがしく
・かみなりうつりゆく山のふかみどり
夕立たうとして草は木は蝶もとばない
・雨はれた若竹にとんぼが来てゐる
・雨のいろの草から草へてふてふ
・暮れきらない空は蜘蛛のいとなみ
・街へ出かける夕立水のあふれてゐる
・蓮田いつぱいの蓮の葉となつてゐる夕立晴
・夕立晴の花をたづねてあるく
つきあたりはガソリンタンの[#「ンの」に「マヽ」の注記]うつくしいペンキの模様
・夕立が洗つていつた月がまともで
寝て月を観る蚊帳の中から
[#ここで字下げ終わり]
何となく、不安、動揺、焦燥、憂欝――身心の変調を感じる、その徴候の一つとして連夜の不眠がある、また行乞の旅に出る外あるまい。
清閑、自適、任運、孤高――さういふところへ私の心はうごいてきて、そしてその幾分かをあたへられてゐるのであるが、私はさらにうごいてゆかなければならない、うごきつゝある、うごかずにはゐられないのである。……
七月八日[#「七月八日」に二重傍線]
晴、緑平老を迎へる日である、待つ身のつらさを味ふ。
赤いシンパとして獄中にある河上肇博士の告白にうたれた。
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辿りつき振り返り見れば山川を
越えては越えて来つるものかな(博士作)
[#ここで字下げ終わり]
炎天下の青田をいたはりそだてゝゐる農夫を眺めて、お百姓の心[#「お百姓の心」に傍点]の尊さを痛感する。
夕方の汽車で来てくれた緑平老を駅に迎へた、うれしかつた、酒を二本頂戴する。
樹明来、鶏肉を持参。
夜、冬村来、蝮蛇に咬まれたといふので、みんな騷いださうであるが、私はうまいうれしい酒にすつかり酔ひつぶれてちつとも知らなかつた。
ふと眼がさめる、あたりを見まはすと、明けはなつた部屋の蚊帳の中に、緑平老とならんで寝てゐる! ありがたかつた。
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・炎天のましたをアスフアルトしく
・胡瓜の手と手と握りあつた炎天
[#ここで字下げ終わり]
七月九日[#「七月九日」に二重傍線]
晴、晴れるにきまつてゐる、晴れなければならないのだ!
早朝、白船老が来てくれた。
やがて樹明君、つゞいて黎々火君来庵。
清談、閑談、俳談、其中庵空前の――敢て絶後とはいひきらない――賑やかさ喜ばしさであつた。
折角、来庵してくれたのに、何のお愛想もできない、たゞ雑草風景[#「雑草風景」に傍点]を鑑賞してもらつた、雑草の自由美[#「雑草の自由美」に傍点]は庵の特色でもあり自慢でもある。
緑白二老は一時の汽車で、黎々火君は四時の汽車で、そして樹明君は学校へ、――みんながそれ/″\の家庭へ帰つていつた、私はとてもやりきれないので、萩地方行乞の旅へと山口まで出かけたが、宿の都合がわるくて(湯田で三軒、山口で三軒断られた)、ムシヤクシヤしたので、温泉に浸つて、水を飲んで、※[#「飮のへん+稻のつくり」、第4水準2−92−68]パンをかぢりながら帰庵した、まことに遠い散歩[#「遠い散歩」に傍点]ではあつたが、月の一すぢみちはまことによかつた。
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・朝ははだしで、何やら咲いてゐる
・梅雨空うなる機械へ人間があつまつてくる
朝空の夾竹桃は赤いかな
・土運ぶ手が本をひろげて昼やすみ
・ここにも夏花の赤さはある
・螢もいつぴき
水音の三人の朝である
□
・わかれたままの草鞋をはく
・わかれてきた道がまつすぐ
・さびしさはここまできてもきりぎりす
・みんないんでし
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