行乞記
伊佐行乞
種田山頭火

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)爪《ツメ》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「气<慍のつくり」、第3水準1−86−48]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)いよ/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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 六月廿日[#「六月廿日」に二重傍線] (伊佐行乞)

朝あけの道は山の青葉のあざやかさだ、昇る日と共に歩いた。
いつのまにやら道をまちがへてゐたが、――それがかへつてよかつた――山また山、青葉に青葉、分け入る[#「分け入る」に傍点]といつた感じだつた、蛙声、水声、虫声、鳥声、そして栗の花、萱の花、茨の花、十薬の花、うつぎの花、――しづかな、しめやかな道だつた。
途中行乞しつゝ、伊佐町へ着いたのは一時過ぎだつた、こゝでまた三時間ばかり行乞して、どうやか[#「やか」に「マヽ」の注記]うやら、野宿しないで一杯ひつかけることができた、ありがたいやら情ないやらの心理を味つた。
今日の行程七里、そして所得は、――
[#ここから2字下げ]
銭四十三銭に米八合。
[#ここで字下げ終わり]
伊佐で、春田禅海といふ真言宗の行乞相[#「相」に「マヽ」の注記]と話し合ふ機会を得た、彼は地方の行乞僧としては珍らしく教養もあり品格もある人間だ、しきりにいつしよに在家宿泊を勧めるのを断つて、私は安宿におちついた、宿は豊後屋といふ、田舎町に於ける木賃宿の代表的なものだつた、家の中が取り散らしてあるところ、おかみさんが妻権母権を発揮してゐるところ、彼女はまさに山の神[#「山の神」に傍点]だ、しかし悪い宿ではなかつた、食事も寝具も相当だつた。
同宿は四国生れの老遍路さん、彼もまた何か複雑な事情を持つてゐるらしい、ルンペンは単純にして複雑な人間である。
その人のしんせつ、ふしんせつ、頭脳のよさわるさ、――道をたづねるとき、あまりによくわかる。
今日の支出は、――
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木賃二十五銭、飯米五合、たばこ四銭、端書六銭、酒代十銭、……
[#ここで字下げ終わり]
伊佐は風流な町だ、山あり田あり、鶯が鳴き不如帰が鳴く、狼が出るかも知れない、沙漠のやうに石灰工場の粉が吹き流れてゐる。
まだ蚊帳なしで寝られたのはよかつた、蚤の多いのには閉口した、古いキングを読んだり隣家のレコードの唄を聞いたり、――これもボクチン情調だ。
[#ここから2字下げ]
 朝風すゞしく馬糞を拾ふ人と犬
・山里をのぼりきて捨猫二匹
 捨てられて仔猫が白いの黒いの
・夏草の、いつ道をまちがへた
・虫なくほとりころがつてゐる壺
・道がなくなればたたへてゐる水
・これからまた峠路となるほとゝぎす
・ほとゝぎすあすはあの山こえてゆかう
[#ここで字下げ終わり]

 六月廿一日[#「六月廿一日」に二重傍線]

習慣で早く眼が覚めたが起きずにゐた、梅雨空らしく曇つて、霧雨がふつてゐた。
七時出立、すぐ行乞をはじめる、憂欝と疲労とをチヤンポンにしたやうな気分である。
時々乞食根性、といふよりも酒飲根性が出て困つた、乞ふことは嫌だが飲むことは好きだ。
ひさ/″\で、飯ばかりの飯[#「飯ばかりの飯」に傍点]をかみしめた、そのうまさは水のうまさだ、味はひつくせぬ味[#「味はひつくせぬ味」に傍点]はひだ。
本降りとなつたが、わざと濡れて歩きつゞけた、厚東駅まで八里、六時の汽車に乗つた。
山頭火には其中庵がある、そこは彼にとつて唯一の安楽郷だ!
[#ここから2字下げ]
  今日の行乞所得
米一升六合 銭四十一銭
[#ここで字下げ終わり]
途上一杯の酒、それこそまさに甘露!
汽車は便利以外の何物でもない、自動車は外道車だ!
足で歩くにまさるものなし、からだで歩け[#「からだで歩け」に傍点]。
今日の汽車賃三十銭は惜しかつた。
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・寝ころべば筍も生えてゐる
・山鶯も山頭火も年がよりました
・梅雨空をキヤルメラふいてきたのは鮮人
・水の音、飯ばかりの飯をかむ
・おばあさんが自慢する水があふれる
・いつかここでべんたうたべた萱の穂よ
・笠きて簑きて早乙女に唄なく
・笠をぬぎしつとりと濡れ
・ふるもぬれるも旅から旅で
・禿山しみじみ雨がふるよ
・合羽きるほどはふらない旅の雨ふる
・青葉に雨ふりまあるい顔
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]

 六月廿一日[#「六月廿一日」に二重傍線]

暮れきるまへに帰庵した、さつそく御飯を炊く、筍をひきぬいてきて煮る、掃く、拭く。……
安心満腹、前後不覚、よい雨の夜のよい眠だつた。

 六月廿二日[#「六月廿二日」に二重傍線] 夏至。

熟睡した快さ、雨の音のうれしさ。――
[#ここから2字下げ]
・よい雨の窓をあけはなつ
[#ここで字下げ終わり]
塩はある[#「塩はある」に傍点](何と塩の尊くて、そして安いことよ)、その塩で御飯をいたゞきませう。
いよ/\本格的梅雨となつた。
どこも田植で、純日本的風景[#「純日本的風景」に傍点]が展開されてゐる。
樹明君から来信、私が酒を買ひ、君が下物を持つてくることになつた(酒代は、ありがたや、句集代を樹明君が保管してゐてくれたので、十分、十分、十分である)。
合羽を着て酒買ひに。
約をふんで、樹明君がやつてきた、鮹と胡瓜とを持つて。
うまい酒だつた、酔うて倒れた、眼が覚めたらもう朝が来てゐた。
[#ここから2字下げ]
・さみだるゝや真赤な花の
・濡れて尾をたれて野良犬のさみだれ
・はたらく空腹へさみだれがそゝぐ
・梅雨空のしたしい足音がやつてくるよ(改作)
・あめのはれまの枇杷をもいではたべ
・梅雨あかり私があるく蝶がとぶ
・びつしより濡れてシロ掻く馬は叱られてばかり
   追悼
・夏木立、そのなかで首をくゝつてゐた
[#ここで字下げ終わり]

 六月廿三日[#「六月廿三日」に二重傍線]

曇、后晴、やつぱり空梅雨か。
早起、好日、さてもほがらかな今朝なるかな。
糸瓜を植ゑる、五本生えたが三本は虫に喰はれた。
道ばたの青梅を十個ばかり盗んできて(捨てゝあるのだから、むしろ拾うてきて)漬ける、果して焼酎漬が出来るか知ら。
可愛い赤蛙がぴよんと飛ぶ、そして考へてゐる、まだ子供、いや青年だ。
樹明君が陰惨な顔で来た、私の杞憂が杞憂でなかつたことを証拠立てゝゐる、昨夜のよい酒が今朝のわるい酒となつたのか、いたましい事実である、私は君を責めずにはゐられない、亡弟の忌中であり、学校職員であり、夫であり父である君としては、あまりに不謹慎である、君よ、自ら苦と罪とを求めたまふな、しばらく寝たまへと私がいふ、どうしても寝られないと君はいふ、さびしい問答のかなしい真実である、……飯が出来るのも待たないでJさんといつしよに帰つていつた。……
午後、ハガキを投凾すべく、石油を買ふべく街へ出かける、小郡にもガソリンガールが出現した、その軽快愛すべしであつた。
地虫が鳴きだした、地上は夏でも地中は秋だらう。
[#ここから2字下げ]
・草しづかにして蝶がもつれたりはなれたり
 糸瓜植ゑた日また逢うてさびしい話
・糸瓜植ゑる、そこへ哀しい人間がきた
・考へつつ出来た御飯が生煮で
・梅雨晴ごし/\トラツクを洗ふ
 親も子も田を植ゑる孫も泥をふむ
・まづしいけれどもよい雨の糸瓜を植ゑる
・とんぼつるめばてふてふもつれるま昼のひかり
・煮る蕗のほろにがさにもおばあさんのおもかげ
・障子をたたくは夏の虫
・蠅もおちつかない二人のあいだ
・みんないんでしまうより虫が鳴きだした
・雑草のなか蛙のなかや明け暮れて
 昼も蚊がくるうつくしい蚊
[#ここで字下げ終わり]

 六月廿四日[#「六月廿四日」に二重傍線]

晴、時々曇、晴れても曇つても日々好日である。
今日は山口を行乞しよう、六時出立、九時着、行乞三時間、三時帰庵、行乞相はよかつた、所得もわるくなかつた。
[#ここから2字下げ]
  今日の所得
銭 四十五銭    米 一升三合
  今日の買物
煙草 四銭    焼酎 十一銭
端書 六銭    味噌 八銭
[#ここで字下げ終わり]
途上で拾ひあげた句七つ。――
[#ここから2字下げ]
・ふりかへる柿の葉のひらり
・アスフアルトもをんなくさい朝の風
・叱られる馬で痩せこけた馬で梅雨ふる
・はれたりふつたり青田となつた
 梅の実も落ちたまゝお客がない
・梅雨晴の大きい家が建つ
    □
・山頭火は其中庵にふくろうがうたふ
[#ここで字下げ終わり]
△秘密[#「秘密」に傍点]を持たないやすらかさ、身心かくすところなくして光あまねし、浮世夢の如く塵に似たり、その夢を諦らめその塵を究めるのが人生である。
△食ふや食はずでも(正確にいへば、飲むや飲まずでも)山頭火にはやつぱり其中庵がいちばんよろしいことを今日もしみ/″\痛感した。
△捨てる事と拾ふ事[#「捨てる事と拾ふ事」に傍点]とは、その心構へに於て同一事である。
△しづかに燃えるもの[#「しづかに燃えるもの」に傍点]――その生命――その感動がなければ芸術は(宗教も科学も哲学も)、光らない、俳人よ、先づ自己を省みよ。
△日が暮れたら寝る、夜が明けたら起きる、食べたくなつたら食べる、歩きたくなつたら歩く、――さういふ生活へ私は入りつゝある、それは無理のない、余裕のある、任運自在の生活である。
[#ここから2字下げ]
・この花を見つけた蝶の白い風
・陽が落ちるそよ風の青い葉が落ちる
・ゆふ風いそがしい蜘蛛のいとなみがはじまる
[#ここで字下げ終わり]

 六月廿五日[#「六月廿五日」に二重傍線]

明けゆく空、朝風はよいかな。
郵便――うれしいたより、私は郵便によつて唯一の社会的交渉を保つてゐる。
蔬菜の手入れ、トマトと茄子とは上出来、胡瓜と大根とは不出来、しかし、楽在其中で、趣味第一、実用第二である。
△「嘘をいはない」ではまだ浅い、「嘘がいへない」まで深くならなければならない。
△梅干の味[#「梅干の味」に傍点]、それは飯の味、水の味につぐものだ、日本人としてそれが味へなければ、日本人の情緒は解らない。
△無一物底無尽蔵は観念[#「観念」に傍点]として解つてゐるだけだが、無一物中無関心[#「無一物中無関心」に傍点]は体験として解つてゐる。
△人情的なもの[#「人情的なもの」に傍点]を私からとりのぞかなければならない。
久しぶりに入浴、湯はよいかな。
此頃の私はおちついて[#「おちついて」に傍点]ゐるよりも、むしろしづんで[#「しづんで」に傍点]ゐるらしい。
飯のうまさ、眠りのよろしさ、――これだけでも私は幸福だ。
[#ここから2字下げ]
・南天の花へは蜂がきてこぼす
・前田も植ゑて涼しい風
 炎天の鶏を売りあるく
・田植べんとうはみんないつしよに草の上で
 カフヱーもクローバーもさびれた蓄音器の唄
・雑草しづかにしててふてふくればそよぐ
・ちぎられてもやたらに伸びる草の穂となつた
   改作附加
笠きて簑きてさびしや田植唄はなく
[#ここで字下げ終わり]

 六月廿六日[#「六月廿六日」に二重傍線]

いつからとなく、早く寝て早く起きるやうになつた、此頃は十時就寝、四時起床、昼寝一時間ばかり、そして純菜食[#「純菜食」に傍点](仕方なしでもあるが)、だから、身心ます/\壮健、ことに頭脳の清澄を覚える、こんな風ならば、いつまで生きるか解らない、長生すれば恥多しといふ、といつて自殺はしたくない、まあ、生きられるだけは生きよう、すべてが業だ、因果因縁だ、どうすることもできないし、どうなるものでもない、日々随波逐波、時々随縁赴感、それでよろしい、よろしい。
今朝は碧巌の雲門日々好日[#「雲門日々好日」に傍点]を味読した。
新聞屋さんが新聞を持つてきて、今月分だけは進呈しますといふ、タダより安いものはない、よからう。
掟三章[#「掟三章」に傍点](其中庵来訪者の)を書いて貼つて置いた
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