。――
(未定稿)[#「(未定稿)」は底本では、掟の文章の上に横書き]
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一、辛いもの好きは辛いものを、甘いもの好きは甘いものを持参すべし。
一、うたふもをどるも自由なれども春風秋水のすなほさあるべし。
一、威張るべからず気取るべからず欝ぐべからず其中一人の心を持すべし。
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蠅はほとんどゐない、誰かゞ連れてきたか、私についてきたか、時々二三匹ゐることもあるが、すぐ捕りつくせる、蚊は多い、昼も藪蚊が出て刺す、朝夕は無数の蚊軍が私一人をめがけて押し寄せる、蚊遣線香が買へないから、私はさつそく蚊帳の中へ退却する、そしてその小天地を悠々逍遙する。……
午後は畑を中耕施肥した、トマトよ、茄子よ、胡瓜よ、伸びよ、ふとれよ、実れよ(人間はヱゴイストですね!)。
なごやかな一日だつた。
樹明君はどんな様子か、敬坊の来庵はいつだらうか、逢ひたいな。
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・朝風すゞしく爪《ツメ》でもきらう
・なにかさみしい茅花が穂に出て
・草しげるそこは死人を焼くところ
 蜘蛛が蠅をとらへたよろこびの晴れ
 からつゆやうやく芽ぶいたしようが
 たま/\人が来てほゝづき草を持つていつた
 ま昼青い葉が落ちる柿の葉
・ぢつとしてをればかなぶん[#「かなぶん」に傍点]がきてさわぐ
・けふもいちにち誰も来なかつた螢
[#ここで字下げ終わり]

 六月廿七日[#「六月廿七日」に二重傍線]

梅雨模様で降りだしたが、すぐまた晴れて暑かつた。
墓地に咲いてゐた夾竹桃を切つて活ける、赤い夾竹桃はまことに南国の夏の花である、美しい情熱が籠つてゐる。
何もかも生きてゐる[#「何もかも生きてゐる」に傍点]、……とつく/″\思ふ、畑を手入れしてゐる時に殊にこの感が深い(胡瓜の蔓など実に不可思議である)。
昼寝はよいかな[#「昼寝はよいかな」に傍点]、まさに一刻千金に値する(二刻は百金!)。
遠く西方の山で郭公がしきりに啼いてゐた。
△漬物は日本人にはなくてはならぬ食物である、私は今日、大根を間引いて漬けた、明日は食べられる、おいしからうぞ。
何かにつけて、彼及彼女を思ひだす、見頓思漸、理先事後、詮方もない事実である。
晩にはお菜がないので、小さい筍を抜いて煮て食べた、一皿に盛るだけしかなかつたが、ダシもなかつたが、それでも十分うまかつた。
△晴耕雨読、そして不足なく剰余もない生活、さういふ生活を私は欣求する、さういふ生活がほんとうではあるまいか。
△自浄吾意[#「自浄吾意」に傍点]、これが人間生活の基調でなければならない、念々不停流[#「念々不停流」に傍点]、これが生活態度でなければならない、朝々日は東より出で[#「朝々日は東より出で」に傍点]出で[#「出で」に「マヽ」の注記]夜々月は西に沈む[#「夜々月は西に沈む」に傍点]、――私たちの生活はこゝから出発してこゝに到着しなければならない。
樹明来信、これで私も安心した、どうやら因縁が熟して時節到来したらしい、お互にしつかりやりませうよ。
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 よい朝のよい御飯が出来た
 草ふかくおどりあがつたよ赤蛙
 晴れさうなきりぎりすのないてはとぶ
・ちぎられてまた伸びてもう咲いてゐる
・いつもかはらぬお地蔵さんで青田風
・水音をふんで下ればほととぎす
・しづむ陽をまへにして待つてゐる
・すつぱだかへとんぼとまらうとするか
・ふりかへるうしろすがたが年よつた
 雑草にうづもれてゐるてふてふとわたくし
・とんできたかよ螢いつぴき
[#ここで字下げ終わり]

 六月廿八日[#「六月廿八日」に二重傍線]

早すぎるけれど、寝床でぐづ/\してゐるのは嫌だから跳ね起きる、そしてあるだけの米を飯にする。
雨、雨の音はいいな、その音に聴き入る、身心なごやかになる。
昼の蚊は憎いな。
敬坊から来信、明日来庵といふ、うれしいな。
敬坊は人道的[#「人道的」に傍点]、樹明君は人情的[#「人情的」に傍点]、私はそのどちらでもあり、そのどちらでもない、むしろ非人道的、非人情的でありたいと考へてゐる(感傷的であるのは恥づかしい)。
梅雨らしく降つたり晴れたりする、やむなく行乞は見合せる、明日の米がないけれど、明日は明日の事だ、明日の事は明日に任しておけ!
午後は草取、取らずにはゐられない草だけ取る、雑草、雑草、雑草風景[#「雑草風景」に傍点]は悪くない、其中庵にふさはしい。
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・あんなに高く蜘蛛が網張る朝焼
 朝焼しめやかな雨がふる
・朝焼の大きい葉が落ちた
・雨が地べたをたたく音の中
・昼も蚊が喰ふ肉体をいたはる
・赤い花のしぼめば白い花のひらく
・伸びあがつて蔓草のとりつくものなし
 雑草みんないつしんに雨を浴びて
・竹の子も竹となつた窓の明け暮れ
・竹の子竹になる明るい雨ふる
 晴れると開く花で
・梅雨空へ伸びたいだけ伸びてゐる筍
・降つたり照つたり何事もなくて暮れ
   追加一句
・日が長い家から家へ留守ばかり(行乞)
 窓へ竹の子竹となつて(追加)
[#ここで字下げ終わり]

 六月廿九日[#「六月廿九日」に二重傍線]

今朝は一粒の米もないから、そして味噌は残つてゐたから、それだけ味噌汁にして吸ふ、実は裏から筍二本!
夜明けの蛙の唄はよろしい。
黴には閉口、もつとも梅雨と黴とは離れられないが。
断食――たゞしくは絶食、私の今日の場合では――それもよからう、よからうよ。
葉が落ちる、柿の葉はばさり[#「ばさり」に傍点]――昔の人は婆娑[#「婆娑」に傍点]と書いたがその通り。
虻には困る、蚋にも。
日が照れば、何とうつくしいトカゲの色ごろも!
虫の声はいゝ、コウロギはまだをさなく、キリギリスはいゝ。
曇、行乞は今日も駄目。
適意――自適――この言葉にふくむニユアンスが、すなはち、私のニユアンスだ、――かういふ生活もないことはない。
娘さんがうたふ、梅をもいでゐる、その梅の実を一升買ふ。
昼飯は五厘銅貨を豆腐に代へて、それですます。
△豆腐の味は水のそれとおなじ、冷暖自知、いひがたし。
野の花はどれもうつくしい、をどりこ草を活ける、露草がもう咲いてゐた。
敬治君、約束の如く来庵、予感の如く樹明君も来庵、よい酒をのんだ、うまい、うまい。
樹明君早く帰る、敬治君と私とは街へ出て、米を買ひ、ビールを飲んで戻つて寝た、めでたし、めでたし、ほんにめでたやなあ!
夜ふけて飯を炊いて食べる。――
螢がとぶ、とばない螢がこゝそこ。
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・てふてふひらひらおなかがすいた
・けふは水ばかりのむ風のふく
 わたしの胡瓜の花へもてふてふ
 花にもあいたかてふてふもつれつつ
・障子ひらけば竹に雀の前景がある
・むしあつく蟻は獲物をだいてゐる
・ひとりでたべるとうがらしがからい
・萱の穂も風が畳をふきぬける
・どなた元[#「た元」に「マヽ」の注記]気で夏畑の人や虫や
・ひらくより蝶が花のうへ
 ……………(これは酔線なり、今日の)
[#ここで字下げ終わり]

 六月三十日[#「六月三十日」に二重傍線]

ほとんど徹夜した、敬治君はよく眠つてゐる。
曇、すこし朝焼、多少の風。
昨夜はやつぱり飲みすぎだつた、私は女難を知らないけれど酒難[#「酒難」に傍点]は知りぬいてゐる。
今朝、それこそほろりと歯がぬけた、ぬけさうでぬけなかつた歯が。
敬治君が睡眠の足つた上機嫌で県庁へ出張する、私はひとりしづかに読書、『唯物辨證本[#「本」に「マヽ」の注記]読本』
裏山で自殺者が見つかつたといふ、もう腐つて骨になつてゐたさうだが、情死[#「情死」に傍点]だといふ、どこの男か、どんな女か、――それは話題でなくて問題だ[#「話題でなくて問題だ」に傍点]。
たま/\人がきた、それは掛取だつた! 皮肉といへば皮肉である。
蟷螂《カマキリ》の子は可愛い、油虫の子には好感が持てない。
客車便で小さい荷物が来た、森さんからの贈物、桑名の名物、時雨蛤[#「時雨蛤」に傍点]である、ありがたい、うれしい、敬治君と共に味ふ、一杯やりたいな、桑名の殿さん[#「桑名の殿さん」に傍点]でもうたひたいな。
敬治君といつしよに入浴、帰途、米を買うて貰つた、焼酎を飲ませて貰つた、ほろ/\ほろ/\、ぐつすりと寝た。
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・草苺ほのかに朝の水がたゝへ(改作)
・青葉のむかういちはやくカフヱーの灯
 咲いてゐる花を見つけてきてゐるてふてふ
・草の葉の晴れててふてふ三つとなつて
・こゝまで機械がうなつてゐる梅雨空
・うらから仔蟹もはうてくる
   山の情死者を悼む四句
・青葉につゝまれてふたりで死んでゐる
 骨だけとなり梅雨晴るゝ山
 夏木立ふたりで死んで腐つてゐた
・夏山ひそかにも死んでいつたか南無阿弥陀仏
[#ここで字下げ終わり]
必然に、そして自然に、私は私の弟の死態を思ひうかべた。……

 七月一日[#「七月一日」に二重傍線]

今朝はまたずゐぶん早かつた、御飯ができお汁ができてもまだ夜が明けなかつた。
もう七月である、時間といふものは不可思議なものである。
敬治君に教へられて、大根の芽を噛み切る夜盗虫[#「夜盗虫」に傍点]なるものを退治してやつた。
夾竹桃は情熱の女だ、枇杷は野人だ(赤い夾竹桃と小粒の枇杷)、敬坊、うれしいなあ、しづかだなあ。
晴、曇、雨。
昨日、裏山で発見された死人は抱合心中だつたさうな、男が八十、女が四十、夫婦だか親子だか解らないさうだ、先月、小郡の木賃宿に泊つて、それから行方不明だつたさうである、とにかく八十の高齢にしてなほかつ縊死しなければならなかつた事情の深さを考へずにはゐられない、老の涙[#「老の涙」に傍点]! その涙は辛かつたらう!
蕗を煮る、いい香気だ、青紫蘇のにほひもいい。
樹明君を学校に訪ねて、胡瓜と玉葱とを貰うて戻る。
先日、伊佐町で知り合ひになつた禅海坊がひよつこりと訪ねてきた、此度は泊らないで対談二時間ばかりで帰つていつた、行乞米一升ばかりくれた、私は財布の底をはたいて五銭あげた。
夕の白い風を身心に感じた[#「夕の白い風を身心に感じた」に傍点]。
敬治君が戻つてくる、樹明君が酒と下物とを持参した、やつぱり酒はうまい、二君がそれ/″\帰つた後で、自分で自分の酔態を笑つたことである。
近来、酒に弱くなつた、酔ひやすくなつた、それがホントウだらう。
[#ここから2字下げ]
・雑草に風がある夜明けの水をくむ
・蛙が鳴きつつ蛇に呑まれてしまつた
・日照雨、ぴよんぴよん赤蛙
・あすは来るといふ雨の蕗を煮てをく(澄太さんに)
・てふてふなかよく花がなんぼでも
・てふてふとんで筍みつけた
・晴れわたり蓮の葉のあたらしい色
 青葉へ錫杖の音を見送る(禅海坊に)
・あるきまはつてふたゝびこゝへ桐の花(改作再録)
[#ここで字下げ終わり]

 七月二日[#「七月二日」に二重傍線]

眼がさめたら夜明けらしいのですぐ起きる、酔うてそのまま寝てゐたのでさん/″\蚊にくはれてゐる。
裏山をあるく、青草に寝ころんで雲をながめる。
伊東さんがやつてくる、飯を炊いていつしよに食べる、まもなく国森さんがやつてくる、大村さんもやつてくる、とう/\焼酎を買うてみんなでちび/\と飲む、とかくするうちに日も傾いたので、伊東さんを送つて駅まで行く、同時に大山さんを迎へるつもり。
大山さんと清水さんとはちやんと庵にきてすはつてゐられた。
焼酎と油揚餅と梅酢との中毒で私は七顛八倒しなければならなかつた、大村さんが医者へ走る、樹明君が介抱する、お客さんが自分で賄をする、主客も何もあつたものぢやなくなつてしまつた。
私は腹の痛みで呻きつゞけた、しかし皆さんのおかげで、悪運強くして死なゝかつた。
とにかく意味ふかい一夜ではあつた。
[#ここから2字下げ]
・朝焼あほげばぶらさがつてきた簑虫
・草の青さに青い蛙がひつそり
[#ここで字下げ終わり]
庵にも赤い花が咲いてゐる――と誰かゞいつた。

 七月三日[#「七月三日」に二重傍線]

昨夜おそくまで看病してくれた大村君と樹明君とが朝から見舞に
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