自分の手が恥づかしかつた、何と無力な、やはらかな、あはれな手だらう。
私は貧乏を礼讃するものではない、しかし私は私の貧乏に感謝しなければなるまい、私は貧乏のおかげで、食物の好き嫌ひがなくなつた、何でもおいしくいたゞくことができるやうになつた、そして貧乏のおかげで今日まで生き存らへることが出来たのである、若し私が貧乏にならなかつたならば、私は酒を飲みたいだけ飲んで、飲みすぎつゞけて、そのために死んでしまつたであらうから。
隣室の話[#「隣室の話」に傍点]はなか/\興ふかく聞かれる、――農家の爺さん婆さんが大きな声で、ねち/\と話しあつてゐる、――働けるだけ働いて、働いても働いても借金がふえるばかり、息子がいふ事をきかないで(世の中に孫ほど可愛いものはないさうな)目先の流行ばかり追うてゐる、あの家の主人が嫁をまた貰ふさうな、四度目の結婚と三度目の結婚で、子供が男に二人、女に三人、それがいつしよになつたら、さぞや面倒だらう、――といつたやうな話。
今日は日曜日のお天気で浴客が多かつた、大多数は近郷近在のお百姓連中である、夫婦連れ、親子連れ、握飯を持つて来て、魚を食べたり、湯にいつたり、話したり寝たり、そして夕方、うれしげに帰つてゆく、田園風景のほがらかな一面[#「田園風景のほがらかな一面」に傍点]をこゝに見た。
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・いつしよに伸べた手白い手恥づかしい手
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・温泉《イデユ》掘る音の蔦の実
みんな売れた野菜籠ぶら/\戻る
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・なぐさまないこゝろを山のみどりへはなつ
・家のまはり身のまはり蛙蛙
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七月四日
晴、一片の雲もない日本晴。
発熱、頭痛、加之歯痛、怏々として楽しまず、といふのが午前中の私の気分だつた。
裏山から早咲の萩二枝を盗んで来て活ける、水揚げ法がうまくないので、しほれたのは惜しかつた。
萩は好きな花である、日本的だ、ひなびてゐてみやびやかである、さみしいけれどみすぼらしくはない、何となく惹きつける物を持つてゐる。
訪ねてゆくところも訪ねてくる人もない、山を家とし草を友とする外ない私の身の上だ。
身許保證(土地借入、草庵建立について)には悩まされた、独身の風来坊[#「独身の風来坊」に傍点]には誰もが警戒の眼を離さない、死病にかゝつた場合、死亡した後始末の事まで心配してくれるのだ!
当家の老主人
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