む、近々また三本ほろ/\ぬけさうだ。
聞くともなしに隣室の高話し[#「隣室の高話し」に傍点]を聞く、在郷の老人連である、耕作について、今の若い者が無智で不熱心で、理屈ばかりいつて実際を知らないことを話しつゞけてゐる、彼等の話題としてはふさはしい。
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・朝の烏賊のうつくしくならべられ(魚売)
・どうやら晴れさうな青柿しづか
・旅もをはりの、歯がみなうごく
 胡瓜こり/\かみしめてゐる
・松へざくろの咲きのこる曇り
 梅雨寒い蚤は音たてゝ死んだ
・くもり憂欝の髯を剃る
    □
  改作一句
・そゝくさ別れて山の青葉へ橋を渡る
    □
 見なほすやぬけた歯をしみ/″\と
 ほつくりぬけた歯で年とつた
 投げた歯の音もしない木下闇
 これが私の歯であつた一片
    □
・釣られて目玉まで食べられちやつた
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例の歯をいぢくつてゐるうちに、ひよいとぬけてしまつた、何となくがつかりとした気持[#「がつかりとした気持」に傍点]である、さみしいといはうか、おかしいといはうか、何ともいへない感じだ。
△物、心、真実、表現、――芸術、句。
二日かゝつてやつと焼酎一合だつた!
もう二本ぬけさうな歯がある!
夕方、五日ぶりに散歩らしい散歩をした、山の花野の花を手折つて戻つた。
今夜初めて蚊帳を吊つた、青々として悪くない(私は蚊帳の中で寝る事をあまり好かないのだが)、それにしてもかうした青蚊帳を持つてゐるのは彼女の賜物だ。
夜おそく湯へゆく、途上即吟一句、――
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・水音に蚊帳のかげ更けてゐる
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 七月三日

晴、これで霖雨もあがつたらしい、めつきり暑くなつた。
朝は女魚売の競争だ、早くまはつてきた方が勝だから、もう六時頃には一人また一人、『けふはようございますか』『何かいらんかのう』。
農家のおぢいさんが楊桃《ヤマモモ》を売りに来た、A伯父を想ひだした、酒好きで善良で、いつも伯母に叱られてばかりゐた伯父、あゝ(同時に、私たちの少年時代には果実といふものがいかに貧弱であつたかを考へた)。
朝の散歩はよいものである、孤独の散歩者ではあるけれど、さみしいとは思はないほど、心ゆたかである。
振衣千仭岡、濯足万里流――といふ語句を読んでルンペンの自由をふりかへつた。
いつしよに伸べてゐた手をふと見て、
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