に記念写真をとつたことなども想ひ出されてしようぜんとした。
こゝのおかみさんは口喧しい人だ、女の悪いところをヨリ多く持つてゐる、彼女といつしよに生活してゐる亭主公の忍耐に敬服する、同宿のお遍路さんの妻君は顔も心も十人並だが、境遇上時々ヒステリツクになるらしい、無理もないとは思ふけれど、朝から夫婦喧嘩してるのを見聞してゐる、彼女をさげしむよりも人間のみじめさを感じる。
子供といふものもおもしろい、オコトワリ/\といつてついてくる子供もゐるし、可愛い掌に米をチヨツポリ握つてくれる子供もゐる、彼等に対して、私は時々は腹を立てたり、嬉しがつたりするのだから、私もやつぱり子供だ!
佐賀市はたしかに、食べ物飲み物は安い、酒は八銭、一合五勺買へば十分二合くれる、大バカモリうどんが五銭、カレーライス十銭、小鉢物五銭、それでも食へる。
緑平老の厚意で、昨日今日は余裕があるので、方々へたよりを書く、五枚十枚二十枚、何枚書いても書き足らない、もつと、もつと書かう。
とにかく、たよりほどうれしいものはない。
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 畳古きにも旅情うごく
    □
 樹影雲影猫の死骸が流れてきた
・土手草萌えて鼠も行つたり来たりする
    □
 水鳥の一羽となつて去る
 飾窓の牛肉とシクラメンと
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 三月六日[#「三月六日」に二重傍線] 曇后雨、あとは昨日の通り。

行乞して、たま/\出征兵士を乗せた汽車が通過するのに行き合せた、私も日本人の一人として、人々と共に真実こめて見送つた、旗がうごく、万歳々々々々の声――私は覚えず涙にむせんだ、私にもまだ/\涙があるのだ!
同宿の猿まはし君は愉快な男だ、老いた方は酒好きの、剽軽な苦労人だ、若い方は短気で几帳面で、唄好だ、長州人の、そして水平社的な性質の持主である、後者は昨夜も隣室の夫婦を奴[#「奴」に「マヽ」の注記]鳴りつけてゐた、おぢいさんがおばあさんの蒲団をあげたのがいけないといふのだ、そして今夜はたまたま同宿の若いルンペンをいろ/\世話して、鬚を剃つてやつたり、或る世間師に紹介したりしてやつてゐる。
みんな早くから寝た、寝るより外ないから――鳴りだした、お隣のラヂオが、そして向ひの蓄音機が、そしてみんなそれに聴き入つた、浪花節、流行歌、等、々、――私はだん/\センチになつた、いつぞや緑平老の奥さんにそれを聴かしていたゞいたことなども想ひだしたりして。
同宿のルンペン青年はまづ典型なものだらうが、彼は『酒ものまない、煙草もすはない、女もひつぱらない、バクチもうたない、喧嘩もしない、たゞ働きたくない』怠惰といふことは、極端にいへば、生活意力がないといふことは、たしかに、ルンペンの一要素、――致命的条件だ。
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   座右銘として
おこるな しやべるな むさぼるな
  ゆつくりあるけ しつかりあるけ
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 三月七日[#「三月七日」に二重傍線] 降つたり霽れたり、行程四里、仁井山、麩屋(二五・中)

朝早く出立、歩きだしてほつとした、ほんたうにうるさい宿だつた、ゆう/\と歩く、いいなあ!
今日の行乞相はよかつた、心正しければ相正し、物みな正し。
今日は妙な日だつた、天候も妙だつたが人事も妙だつた、先づ、佐賀を立つて一里ばかり、畦草をしいて一服やつてゐると、刑事らしい背広服の中年男が自転車から下りて来て、何かと訊ねる、素気なく問答してゐたら――振向きもしないで――おとなしくいつてしまつた、それからまた一里、神崎橋を渡つて行乞しはじめたら、前の飲食店から老酔漢が飛びだして、行乞即時停止を命じた、妙な男があるものだわいと感心してゐるうちにドシヤ降りになつた、行乞は否応なしに中止、合羽を着て仁井山観音参拝、晴間々々を二時間ばかり行乞、或る家で、奥様が断つて旦那はお茶をあがれといふ、ずゐぶん妙だ、それからまた歩いていると呼びとめられる、おかみさんが善根宿をあげませうといふ、此場合、頂戴するのがホントウだけれど、ウソをいつて体よく断る。……
久しぶりに山村情調を味はつた、仁井山(第二十番札所地蔵院)はよいところ、といふよりも好きなところだつた、山が山にすりよつて水がさう/\と流れてくる、山にも水にも何の奇もなくて、しかもひきつけるものがある、かういふところではおちつける、地蔵院の坊守さんがつゝましくお茶をよんで下さつた、しづかでいゝところですね、と挨拶したら、しづかすぎまして、と微笑した。
同宿三人、みんな好人物、遠慮のない世間話で思はず夜がふけた。
此宿のおかみさんはもう三年越しの起居不自由だ、老主人が何もかもやつてゐる、それを見るともなく見て、つく/″\女は我まゝだなあと恐れ入らざるをえなかつた。
彼はいつも、食べることばかりいふ、彼をあはれむ。
『聖人に夢なし』『聖人には悔がないから』
自分が与へられるに値しないことを自覚することによつて行乞がほんたうになります。
ルンペンのよいところは自由! 主観的にも客観的にも。――
失職コツクと枯草に寝ころんで語つた!

 三月八日[#「三月八日」に二重傍線] 晴曇、行程三里、川上、藤見屋(投込四〇・下)

神崎町行乞、うれしい事もあり、いやな事もあつた、私はあまり境に即しすぎてゐる。
途中、な[#「な」に「マヽ」の注記]ぐれコツクに話しかけられて、しばらく枯草の上で話す、不景気風はどこまでも吹いてゆく。
川上といふところは佐賀市から三里、電車もかゝつてゐる、川を挾んだ遊覧地である、水も清く土も美しい、好きな場所である、春から秋へかけてはいゝだらうと思ふ。
宿はよくない、たゞ気安いのが何よりだ、アグラをかいて飲んだ、酒はよかつた。
同宿四人、その一人は旅絵師で川合集声といふ老人、居士ともいふべき人物で、私が旅で逢つた人の中で最も話せる人の一人だつた、話が面白かつた。
執行(シユギヨウ)といふ姓、尼寺(ニイジ)といふ地名を覚えてゐる。
句が出来なくなつた、出来てもすぐ忘れてしまふ。

 三月九日[#「三月九日」に二重傍線] 曇、なか/\冷たい、滞在休養。

例の画家に酒と飯とを供養する、私が供養するのぢやない、私の友人の供養するのだから――友人から送つてくれたゲルトだから――お礼がいひたかつたら、友人にいつて下さいといつたりして大笑ひしたことだつた。
今日一日で旅のつかれがすつかりなくなつた。

 三月十日[#「三月十日」に二重傍線] 雨となつた、行程二里、小城町、常盤屋(二五・上)

降りだしたので合羽をきてあるく、宿銭もないので雨中行乞だ、少し憂欝になる、やつぱりアルコールのせいだらう、当分酒をやめようと思ふ。
早くどこかに落ちつきたい、嬉野か、立願寺か、しづかに余生を送りたい。
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酒やめておだやかな雨
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こんな句はつまらないけれど、ウソはない、ウソはないけれど真実味が足りない、感激がない。
夜は文芸春秋を読む、私にはやつぱり読書が第一だ。
ほろりと前歯がぬけた、さみしかつた。
追記――川上といふところは川を挾んだ部落だが、水が清らかで、土も美しい、山もよい、神社仏閣が多い、中国の三次町に似てゐる、いはゞ遊覧地で、夏の楽園らしい、佐賀市からは、そのために、電車が通うてゐる、もう一度来てゆつくり遊びたいと思うた。
宿は高い割合に良くなかつた。
春日墓所(閑叟公の墓所)は水のよいところ、水の音も水の味もうれしかつた。

 三月十一日[#「三月十一日」に二重傍線] 晴、小城町行乞、宿は同前。

ずゐぶん辛抱強く行乞した、飴豆を貰つて食べる、焼芋を貰つて食べる、餅を貰つて食べる、そして酒は。……
三日月といふ地名はおもしろい。
此宿はよい、木賃二十五銭では勿体ない。
同宿五人、みんなお遍路さんだ、彼等には話題がない、宿のよしあし、貰の多少ば[#「ば」に「マヽ」の注記]りを朝から晩まで、くりかへしくりかへし話しつゞけてゐる。

 三月十一日[#「三月十一日」に二重傍線] また雨、ほんに世間師泣かせの雨だ、滞在。

札所清水山へ拝登、山もよく瀧もよかつた(珠簾瀧)、建物と坊主とはよくなかつたが。
終日与太話、うるさくて何も出来ない、私も詮方なしに仲間入して暮らす。
名物小城羊羮、頗る美人のおかみさんのゐる店があつて、羊羮よりもいゝさうな!

 三月十三日[#「三月十三日」に二重傍線] 曇、晴れて風が強くなつた、行程六里、途中行乞、再び武雄町泊、竹屋といふ新宿(三〇・下)

同宿は若い誓願寺さん、感情家らしかつた、法華宗にはふさはしいものがあつた。
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・ここにおちつき草萌ゆる(改作)
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[#ここから1字下げ、折り返して7字下げ]
三月十四日[#「三月十四日」に二重傍線] 曇、時々寒い雨が降つた、行程五里、また好きな嬉野温泉、筑後屋、おちついた宿だ(三〇・上)
[#ここで字下げ終わり]

此宿の主人は顔役だ、話せる人物である。
友に近状を述べて、――
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嬉野はうれしいところです、湯どころ茶どころ、孤独の旅人が草鞋をぬぐによいところです、私も出来ることなら、こんなところに落ちつきたいと思ひます、云々。
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楽湯――遊於湯――何物にも囚へられないで悠々と手足を伸ばした気分。
とにかく、入湯は趣味だ、身心の保養だ。

 三月十五日[#「三月十五日」に二重傍線] 十六日 十七日 十八日 滞在、よい湯よい宿。

朝湯朝酒勿体ないなあ。
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 駐在所の花も真ッ盛り(追加)
    □
・さみしい湯があふれる
・鐘が鳴る温泉橋を渡る
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余寒のきびしいのには閉口した、湯に入つては床に潜りこんで暮らした。
雪が降つた、忘れ雪[#「忘れ雪」に傍点]といふのださうな。
お彼岸が来た、何となく誰もがのんびりしてきた。
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 ざれうた
うれしのうれしやあつい湯のなかで
  またの逢瀬をまつわいな
わたしやうれしの湯の町そだち
  あついなさけぢやまけはせぬ
たぎる湯の中わたしの胸で
  主も菜ツ葉もとけてゆく
[#ここで字下げ終わり]
もつとも温泉は満喫したが、嬉野ガールはまだ鑑賞しない!
方々からのたより――留置郵便――を受取つてうれしくもありはづかしくもあつた、昧々、雅資、元寛、寥平、緑平、俊の諸兄から。
緑平老の手紙はありがたすぎ、俊和尚のそれはさびしすぎる、どれもあたゝかいだけそれだけ一しほさう感じる。
こゝに落ちつくつもりで、緑、俊、元の三君へ手紙をだす、緑平老の返事は私を失望せしめたが、快くその意見に従ふ、俊和尚の返事は私を満足せしめて、そして反省と精進とを投げつけてくれた。

とにもかくにも歩かう、歩かなければならない。
こゝですつかり洗濯した、法衣も身体も、或は心までも。
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春が来た旅の法衣を洗ふ
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小入無間、大絶方所、自由自在なところが雲水の徳だ。
今日は一室一人で一燈を独占して読書した(一鉢までは与へられないけれど)。
先日来同宿の坊主二人、一は常識々々と口癖のやうにいふ非常識な男、他は文盲の好々爺。
こゝの主人公は苦労人といふよりも磨かれた人間だ、角力取、遊人、世話役、親方、等々の境地をくゞつてきて本来の自己を造りあげた人だ、強くて親切だ、大胆であつて、しかも細心を失はない、木賃宿は妻君の内職で、彼は興行に関係してゐる、話す事も行ふ事も平々凡々の要領を得てゐる。
彼からいろ/\の事を聞いた、相撲協会内部の事、茶の事、女の事。……
嬉野茶の声価は日本的(宇治に次ぐ)、玉露は百年以上の茶園からでないと出来ないさうである、茶は水による、水は小川の流れがよいとか、茶の甘味は茶そのものから出るのでなくて、茶の樹を蔽ふ藁のしづくがしみこんでゐるからだといふ、上等の茶は、ぱつと開いた葉、それも上から二番目位のがよいさうである。
マヲトコツクル(勇作)の情話も愉快だつた。


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