行乞記
(二)
種田山頭火
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)温泉《ユ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)途中|千々石《チヾイワ》で
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「鬥<亀」、第3水準1−94−30]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)なか/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
〔〕:アクセント分解された欧文をかこむ
(例)相知(〔O_chi〕)も
アクセント分解についての詳細は下記URLを参照してください
http://aozora.gr.jp/accent_separation.html
−−
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死をまへの木の葉そよぐなり
陽を吸ふ
死ぬる夜の雪ふりつもる
生死のなかの雪ふりしきる
[#ここで字下げ終わり]
十二月廿二日[#「十二月廿二日」に二重傍線] 晴、汽車で五里、味取、星子宅。
私はまた旅に出た。――
『私はまた草鞋を穿かなければならなくなりました、旅から旅へ旅しつゞける外ない私でありました』と親しい人々に書いた。
山鹿まで切符を買うたが、途中、味取に下車してHさんGさんを訪ねる、いつもかはらぬ人々のなさけが身にしみた。
Sさんの言葉、Gさんの酒盃、K上座の熱風呂、和尚さんの足袋、……すべてが有難かつた。
積る話に夜を更かして、少し興奮して、観音堂の明けの鐘がなるまで寝つかれなかつた。
十二月廿三日[#「十二月廿三日」に二重傍線] 晴、冬至、汽車で三里、山鹿、柳川屋(三〇・中)
九時の汽車で山鹿まで、二時間ばかり行乞する、一年ぶりの行乞なので、何だか調子が悪い、途上ひよつこりS兄に逢ふ、うどんの御馳走になり、お布施を戴く。
一杯ひつかけて入浴、同宿の女テキヤさんはなか/\面白い人柄だつた、いろ/\話し合つてゐるうちに、私もいよ/\世間師になつたわいと痛感した。
十二月廿四日[#「十二月廿四日」に二重傍線] 晴、徒歩八里、福島、中尾屋(二〇・上)
八時過ぎて出立、途中ところ/″\行乞しつゝ、漸く県界を越した、暫らく歩かなかつたので、さすがに、足が痛い。
山鹿の宿も此宿も悪くない、二十銭か三十銭でこれだけ待遇されては勿体ないやうな気がする。
同宿の坊さん、籠屋のお内儀さん、週[#「週」に「マヽ」の注記]旋屋さん、女の浪速節語りさん、みんなとり/″\に人間味たつぷりだ。
十二月廿五日[#「十二月廿五日」に二重傍線] 曇、雨、徒歩三里、久留米、三池屋(二五・中)
昨夜は雪だつた、山の雪がきら/\光つて旅人を寂しがらせる、思ひだしたやうに霙が降る。
気はすゝまないけれど十一時から一時まで行乞、それから、泥濘の中を久留米へ。
今夜の宿も悪くない、火鉢を囲んで与太話に興じる、痴話喧嘩やら酔つぱらひやら、いやはや賑やかな事だ。
十二月廿六日[#「十二月廿六日」に二重傍線] 晴、徒歩六里、二日市、和多屋(二五・中)
気分も重く足も重い、ぼとり/\歩いて、こゝへ着いたのは夕暮だつた、今更のやうに身心の衰弱を感じる、仏罰人罰、誰を怨むでもない、自分の愚劣に泣け、泣け。
此宿もよい、宿には恵まれてゐるとでもいふのだらうか、一室一燈を一人で占めて、寝ても覚めても自由だ。
途中の行乞は辛かつた、時々憂欝になつた、こんなことでどうすると、自分で自分を叱るけれど、どうしようもない身心となつてしまつた。
禅関策進を読む、読むだけが、そして飲むだけがまだ残つてゐる。
毎日赤字が続いた、もう明日一日の生命だ、乞食して存らへるか、舌を噛んで地獄へ行くか。……
こゝは坊主枕なのがうれしい、茣座枕は呪はれてあれ! こんな一些事がどんなに孤独の旅人を動かすかは、とても第三者には解りつこない。
床をならべた遍路さんから、神戸の事、大阪の事、京都の事、名古屋の事、等、等を教へられる、いゝ人だつた、彼は私の『忘れられない人々』の一人となつた。
十二月廿七日[#「十二月廿七日」に二重傍線] 晴后雨、市街行乞、大宰府参拝、同前。
九時から三時まで行乞、赤字がさうさせたのだ、随つて行乞相のよくないのはやむをえない、職業的[#「職業的」に傍点]だから。……
大宰府天満宮の印象としては樟の老樹ぐらいだらう、さん/″\雨に濡れて参拝して帰宿した。
宿の娘さん、親類の娘さん、若い行商人さん、近所の若衆さんが集つて、歌かるたをやつてゐる、すつかりお正月気分だ、フレーフレー青春、下世話でいへば若い時は二度ない、出来るだけ若さをエンヂヨイしたまへ。
十二月廿八日[#「十二月廿八日」に二重傍線] 晴、汽車で四里、酒壺洞居。
九時の汽車で博多へ、すぐ市役所に酒君を訪ねたが、忙しいので、後刻を約して市街を行乞する。
今夜はよく飲んだ、自分でも呆れるほどだつた、しかし酔つたいきほひで書きまくつた、酒君はよく飲ませてもくれるけれど、よく書かせもする。
市は市のやうにハジキが多い、十軒に一軒、十人に一人ぐらゐしか戴けない、ありがたかつたのは、途上で、中年婦人から五銭白銅貨を一つ、田舎者らしい人から一銭銅貨を三枚喜捨せられた事だつた。
この矛盾をどうしよう、どうしようもないといつてはもう生きてゐられなくなつた、この旅で、私は身心共に一切を清算しなければならない、そして老慈師の垂誨のやうに、正直と横着[#「正直と横着」に傍点]とが自由自在に使へるやうにならなければならない。
あゝ酒、酒、酒、酒ゆえに生きても来たが、こんなにもなつた、酒は悪魔か仏か、毒か薬か。
十二月廿九日[#「十二月廿九日」に二重傍線] 曇、時雨、四里、二日市、和多屋。
十時、電車通で別れる、昨夜飲み過ぎたので、何となく憂欝だ、どうせ行乞は出来さうもないから、電車をやめて歩く、俊和尚上洛中と聞いたので、冷水越えして緑平居へ向ふつもり、時々思ひだしたやうに行乞しては歩く。
武蔵温泉に浸つた、温泉はほんたうにいゝ、私はどうでも温泉所在地に草庵を結びたい。
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十二月卅日[#「十二月卅日」に二重傍線] 晴れたり曇つたり、徒歩七里、長尾駅前の後藤屋に泊る、木賃二十五銭、しづかで、しんせつで、うれしかつた、躊躇なく特上の印をつける。
[#ここで字下げ終わり]
早朝、地下足袋を穿いて急ぎ歩く、山家、内野、長尾といふやうな田舎街を行乞する、冷水峠は長かつた、久しぶりに山路を歩いたので身心がさつぱりした、こゝへ着いたのは四時、さつそく豆田炭坑の湯に入れて貰つた。
山の中はいゝなあ、水の音も、枯草の色も、小鳥の声も何も彼も。――
このあたりはもうさすがに炭坑町らしい。
夫婦で、子供と犬とみんないつしよに車をひつぱつて行商してゐるのを見た、おもしろいなあ。
何といふ酒のうまさ、呪はれてあれ。
持つてゐるだけの端書を書く、今の私には、俳友の中の俳友にしか音信したくない。
十二月卅一日[#「十二月卅一日」に二重傍線] 快晴、飯塚町行乞、往復四里、宿は同前。
昨日は寒かつたが今日は温かい、一寒一温、それが取りも直さず人生そのものだ。
行乞相も行乞果もあまりよくなかつた、恥づべし/\。
昨夜は優遇されたので、つい飲み過ごしたから、今夜は慎しんで、落ちついて読書した。
此宿は本当にいゝ、かういふ宿で新年を迎へることが出来るのは有難い。
『年暮れぬ笠きて草鞋はきながら』まつたくその通りだ、おだやかに沈みゆく太陽を見送りながら、私は自然に合掌した、私の一生は終つたのだ、さうだ来年からは新らしい人間として新らしい生活を初めるのである。
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ここに落ちついて夕顔や
・雨の二階の女の一人は口笛をふく
□
・ふるさとを去るけさの鬚を剃る
・ずんぶり浸るふる郷の温泉《ユ》で
・星へおわかれの息を吐く
・どこやらで鴉なく道は遠い
・旅人は鴉に啼かれ
・旅は寒い生徒がお辞儀してくれる
・旅から旅へ山山の雪
・身にちかく山の鴉の来ては啼く
熊本県界
・こゝからは筑紫路の枯草山
自嘲
・うしろ姿のしぐれてゆくか
大宰府三句
しぐれて反橋二つ渡る
・右近の橘の実のしぐるゝや
・大樟も私も犬もしぐれつゝ
□
・ふるさと恋しいぬかるみをあるく
・街は師走の売りたい鯉を泳がせて
酒壺洞房
・幼い靨で話しかけるよ
□
・師走のゆきゝの知らない顔ばかり
・しぐれて犬はからだ舐めてゐる
□
・越えてゆく山また山は冬の山
・枯草に寝ころぶやからだ一つ
[#ここで字下げ終わり]
× × ×
まづ何よりも酒をつゝしむべし、二合をよしとすれども、三合までは許さるべし、シヨウチユウ、ジンなどはのむべからず、ほろ/\としてねるがよろし。
いつも懺悔文をとなふべし、四弘誓願を忘るべからず。――
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我昔所造諸惑[#「惑」に「マヽ」の注記]業 皆由無始貪慎痴
従身口意之所生 一切我今皆懺悔
衆生無辺誓願度 煩悩無尽誓願断
法門無量誓願学 仏道無上誓願成
[#ここで字下げ終わり]
一切我今皆懺悔――煩悩無尽誓願断――
一月一日[#「一月一日」に二重傍線] 時雨、宿はおなじく豆田の後藤といふ家で。
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・水音の、新年が来た
[#ここで字下げ終わり]
何としづかな、あまりにしづかな元旦だつたらう、それでも一杯ひつかけてお雑煮も食べた。
申の歳、熊本の事を思ひだす、木の葉猿。
宿の子供にお年玉を少しばかりやつた、そして鯉を一尾家の人々におごつた。
嚢中自無銭、五厘銅貨があるばかり。
酒壺洞文庫から借りてきた京洛小品を読む、井師の一面がよく出てゐる、井師に親しく面したやうな気持がした。
飲んで寝て食べて、読んで考へて、そして何にもならない新年だつたが、それでよろしい。
私が欣求してやまないのは、悠々として迫らない心である、渾然として自他を絶した境である、その根源は信念であり、その表現が句である、歩いて、歩いて、そこまで歩かなければならないのである。
一月二日[#「一月二日」に二重傍線] 時雨、行程六里、糸田、緑平居。
今日は逢へる――このよろこびが私の身心を軽くする、天道町(おもしろい地名だ)を行乞し、飯塚を横ぎり、鳥尾峠を越えて、三時にはもう、冬木の坂の上の玄関に草鞋をぬいだ。
この地方は旧暦で正月をする、ところ/″\に注連が張つてあつて国旗がひら/\するぐらゐ、しかし緑平居に於ける私はすつかりお正月気分だ。
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風にめさめて水をさがす(昨夜の句)
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自戒三則――
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一、腹を立てないこと
二、嘘をいはないこと
三、物を無駄にしないこと(酒を粗末にするなかれ!)
[#ここで字下げ終わり]
今日は、午前は冬、午後は春だつた。
一月三日[#「一月三日」に二重傍線] 晴曇さだめなし、緑平居。
終日閑談、酒あり句あり、ラヂオもありて申分なし。
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ボタ山の間から昇る日だ
・ラヂオでつながつて故郷の唄
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香春岳は見飽かぬ山だ、特殊なものを持つてゐる、山容にも山色にも、また伝説にも。
一月四日[#「一月四日」に二重傍線] 晴、行程わづかに一里、金田、橋元屋(二五・上)
朝酒に酔つぱらつて、いちにち土手草に寝そべつてゐた、風があたゝかくて、気がのび/\とした。
夜もぐつすり寝た。
此宿の食事はボクチンにはめづらしいものだつた。
一月五日[#「一月五日」に二重傍線] 晴、行程九里、赤間町、小倉屋(三〇・中)
歩いた、歩いて、歩いて、とう/\こゝまで来た、無論行乞なんかしない、こんなにお天気がよくて、そして親しい人々と別れて来て、どうして行乞なんか出来るものか、少しセンチになる、水をのんでも涙ぐましいやうな
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