気持になつた。

 一月六日[#「一月六日」に二重傍線] 晴、行程三里、神湊、隣船寺。

赤間町一時間、東郷町一時間行乞、それから水にそうて宗像神社へ参拝、こんなところにこんな官幣大社があることを知らない人が多い。
神木楢、石牌無量寿仏、木彫石彫の狛犬はよかつた。
水といつしよに歩いてゐさへすれば、おのづから神湊へ出た、俊和尚を訪ねる、不在、奥さんもお留守、それでもあがりこんで女中さん相手に話してゐるうちに奥さんだけは帰つて来られた、遠慮なく泊る。
[#ここから2字下げ]
・蘭竹もかれ/″\に住んでゐる
 咲き残つたバラの赤さである
・つきあたつて墓場をぬけ
[#ここで字下げ終わり]

 一月七日[#「一月七日」に二重傍線] 時雨、休養、潜龍窟に蛇が泊つたのだ。

雨は降るし、足は痛いし(どうも脚気らしい)、勧められるまゝに休養する、遊んでゐて、食べさせていたゞいて、しかも酒まで飲んでは、ほんたうに勿躰ないことだ。
[#ここから2字下げ]
・松のお寺のしぐれとなつて
・遠く近く波音のしぐれてくる
[#ここで字下げ終わり]

 一月八日[#「一月八日」に二重傍線] 雪、行程六里、芦屋町 [#「 」に「マヽ」の注記]  (三〇・下)

ぢつとしてゐられなくて、俊和尚帰山まで行乞するつもりで出かける、さすがにこのあたりの松原はうつくしい、最も日本的な風景だ。
今日はだいぶ寒かつた、一昨六日が小寒の入、寒くなければ嘘だが、雪と波しぶきとをまともにうけて歩くのは、行脚らしすぎる。
[#ここから2字下げ]
・木の葉に笠に音たてゝ霰
・鉄鉢の中へも霰
[#ここで字下げ終わり]
こゝの湯銭三銭は高い、神湊の弐銭があたりまへだらう、しかし何といつても、入浴ほど安くて嬉しいものはない、私はいつも温泉地に隠遁したいと念じてゐる、そしてそれが実現しさうである、万歳!
この宿もよくない、ボクチンには驚ろくほどのちがひがある、すまないと思ふほど優遇してくれるところもあれば、木石かと思ふほど冷遇するところもある、ボクチンのいゝところは、独善主義でやりぬけるところだらう。
同宿の二人の朝鮮人のうち、老鮮人は風采も態度もすべて朝鮮人的で好きだつた、どうぞ彼の筆が売れるやうに。
もう一人の同宿者もおもしろかつた、善良な世間師だつた、相当に物事を知つてる人だつた、早くから床を並べて話し続けた。
途上で、連歌俳句研究所、何々庵何々、入門随意といふ看板を見た、現代には珍らしいものだ。

 一月九日 曇、小雪、冷たい、四里、鐘ヶ崎、石橋屋(中)

とにかく右脚の関節が痛い、神経痛らしい、嫌々で行乞、雪、風、不景気、それでも食べて泊るだけはいたゞきました。
今日の行乞相はよかつたけれど、それでも/\時々よくなかつた、随流去[#「随流去」に傍点]! それの体現まで行かなければ駄目だ。
此宿はわるくない、同宿三人、めい/\勝手な事を話しつゞける、政変についても話すのだから愉快だ。
[#ここから2字下げ]
・暮れて松風の宿に草鞋ぬぐ
[#ここで字下げ終わり]
同宿のとぎやさんから長講一席を聞かされる、政治について経済について、そして政友民政両党の是非について、――彼は又、発明狂らしかつた、携帯煽風器を作るのだといつて、妙なゼンマイをいぢくつたり図面を取りちらしたりしてゐた、専売特許を得て成金になるのだといつて逆上気味だつた、彼に反して同宿の薬屋さんはムツツリヤだつた、彼は世間師同志の挨拶さへしなかつた。
昨夜はちゞこまつて寝たが、今夜はのび/\と手足を伸ばすことが出来た、『蒲団短かく夜は長し』。
此頃また朝魔羅が立つやうになつた、『朝、チンポの立たないやうなものに金を貸すな』、これも名言だ。
人生五十年、その五十年の回顧、長いやうで短かく、短かいやうで長かつた、死にたくても死ねなかつた、アルコールの奴隷でもあり、悔恨の連続でもあつた、そして今は!

 一月十日[#「一月十日」に二重傍線] 晴、二里、散策、神湊、隣船寺。

 一月十一日 晴、歩いたり乗つたりして十里、志免、富好庵。

 一月十二日 雨后晴、足と車とで十余里、姪ノ浜、熊本屋。

此三日間の記事は別に書く。

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・朝から泣く児に霰がふつてきた
・寒い空のボタ山よさようなら(志免)
 福寿草を陽にあてゝ縫うてゐられた(千鶴女居)
[#ここで字下げ終わり]

 一月十三日[#「一月十三日」に二重傍線] 曇つて寒かつた、霙、姪ノ浜、熊本屋(二五・中)

東油山観世音寺(九州西国第三十番)拝登。
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・けふは霰にたたかれて
[#ここで字下げ終わり]
今日は行乞は殆んど出来なかつた、近道を教へられて、それがために却つて遠道をしたりして一層労れた。
お山の水はほんたうにおいしかつた、岩の上から、そして樋をあふれる水、それにそのまゝ口づけて腹いつぱいに二度も三度も頂戴した。
野芥(ノケと読む)といふ部落があつた、珍しい地名。
同宿は女の油売、老いた研屋、共に熊本県人、そして宿は屋号が示すやうに熊本県人だ、お互に熊本の事を話し合つて興じた。

 一月十四日[#「一月十四日」に二重傍線] 曇、風が寒い、二里歩く、今宿、油屋(中・二五)

もう財布には一銭銅貨が二つしか残つてゐない(もつとも外に五厘銅貨十銭ばかりないこともないが)、今日からは嫌でも応でも本気で一生懸命に行乞しなければならないのである。
午前は姪ノ浜行乞(此地名も珍らしい)午後は生きの松原、青木松原を歩いて今宿まで、そして三時過ぎまで行乞する、このあたりには元寇防塁の趾跡がある、白波が押し寄せて松風が吹くばかり。
途中、長垂寺といふ景勝の立札があつたけれど、拝登しなかつた、山からの酒造用水を飲ませて貰つたがうまかつた、たゞしちつとも酔はなかつた!
俳友に別れ、歓待から去つて、何となく淋しいので、少々焼酎を飲み過ぎたやうだ、酒は三合、焼酎ならば一合以下の掟を守るべきである。
同宿の老遍路さん、しんせつで、ていねいで、昔を思はせるものがあつた。
若い支那行商人、元気がよい、そして始末屋だ、きつと金を貯めるだらう(朝鮮人は日本人に似てゐて、酒を飲んだり喧嘩をしたりするが、支那人は決して無駄費ひしない、時に集つて団子を拵らへて食べ合ふ位だ)。
いかけやさん、とぎやさんと遅くまで話す、無駄話は悪くない(いかけやさん、とぎやさんで飲まないものはない)。
長崎では、家屋敷よりも墓の方が入質価値があるといふ、墓を流したものはないさうな、それだけ長崎人の信心を現はしてゐる。

 一月十五日[#「一月十五日」に二重傍線] 曇、上り下り七里、赤坂、末松屋(二五・中)

雷山千如寺拝登、九州西国二十九番の霊場。
[#ここから2字下げ]
・山寺の山柿のうれたまゝ
[#ここで字下げ終わり]
今日は近頃になく労れた、お山でお通夜を阻まれ、前原で宿を断はられ、とう/\こゝまで重い足を曳きずつて来た、来た甲斐はあつた、よい宿だつた、同宿者も好人物だつた、たとへ桶風呂でも湯もあつたし、賄も悪くなかつた、火鉢を囲んで雑談がはづんだ、モンキの話(猿)長虫の話(蛇)等、等の縁起話は面白かつた。
雷山の水もよかつたが、油山には及ばなかつた、この宿の水はよい、岩の中から湧いてくるのださうな。
先日来、御馳走責で腹工合が悪かつたが、アルコールをつゝしみ水を飲み、歩いたので、殆んどよくなつた、健康――肉体の丈夫なのが私には第一だ、まことに『からだ一つ』である、その一つを時々持て余すが。

 一月十六日[#「一月十六日」に二重傍線] 雨后晴、寒風、宿は同前(二五・中)

雨だ、風だ、といつてぢつとしてゐるほどの余裕はない、十時頃から前原町まで出かけて三時頃まで専念に行乞する、一風呂浴びて一杯ひつかける。
句稿を整理して井師へ送る、一年振の俳句ともいへる、送句ともいへる、とにかく井師の言のやうに、私は旅に出てゐなければ句は出来ないのかも知れない。
前原も田舎町だ、本通の新道は広々としてゐるけれど、自動車々庫がヤタラに多い、しかし今日の行乞相は上出来だつた、所得も悪くなかつた。
朝も夜も、面白い話ばかりだ、――女になつて子を生んだ夢の話、をとこ女の話、今は昔、米が四銭で酒が八銭の話。……
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・いつまで旅する爪をきる
[#ここで字下げ終わり]

 一月十七日[#「一月十七日」に二重傍線] また雨、行程二里、深江、久保屋(二五・上)

世間師は晩飯を極楽飯、朝飯を地獄飯といふ、私も朝飯を食べた以上、安閑としてゐることは出来ない、合羽を着て笠を傾けて雨の中へ飛び出す、加布里、片山といふやうな部落を行乞して宿に着いたのは三時過ぎだつた、深江といふ浦町はさびしいけれど気に入つたところである、傾いた家並も、しんみりとしてゐる松原もよかつた、酒一合、燗をしてくれて九銭、大根漬の一片も添へてくれた。
此宿は新らしくて掃除も行き届いてゐる、気持よく滞在出来るのだが、憾むらくはゲルトがない(殊に同宿の煩はしさがないのがうれしい)。
私たちは『一日不作一日不食』でなくて『食べたら働かなければならない』である、今日の雨中行乞などは、まさにそれだ(働かなければ食へないのはホントウだ、働らいても食へないのはウソだ)。
よく降る雨だ、世間師泣かせの雨だ、しかし、雨の音はわるくない、ぢつと雨を聴いてゐると、しぜんに落ちついてくる、自他の長短が解りすぎるほど解る。
此宿はほんたうによい、部屋もよく夜具もよく賄もよい、これだけの待遇をして二十五銭とは、ほんたうによすぎる。
途中、浜窪といふ遊覧地を通つた、海と山とが程よく調和して、別荘や料理屋を建てさせてゐる、規模が小さいだけ、ちんまりと纒まつてゐる。
一坊寺といふ姓があつた、加布里《カムリ》といふ地名と共に珍らしいものである。
また不眠症にかゝつた、一時が鳴つても寝つかれない、しようことなしに、まとまらないで忘れかけてゐた句をまとめる。――
[#ここから2字下げ]
・道が分れて梅が咲いてゐる
・沿うて下る枯葦の濁り江となり
   古風一句
 たゞにしぐれて柑子おちたるまゝならん(追想)
[#ここで字下げ終わり]

 一月十八日[#「一月十八日」に二重傍線] 晴、行程四里(佐賀県)浜崎町、栄屋(二五・中)

霜、あたゝかい日だつた、九時から十一時まで深江行乞、それから、ところ/″\行乞しつゝ、ぶら/\歩く、やうやく肥前に入つた、宿についたのは五時前。
福岡佐賀の県界を越えた時は多少の感慨があつた、そこには波が寄せてゐた、山から水が流れ落ちてゐた、自然そのものに変りはないが、人心には思ひめぐらすものがある。
筑前の海岸は松原つゞきだ、今日も松原のうつくしさを味はつた、文字通りの白砂青松だ。
左は山、右は海、その一筋道を旅人は行く、動き易い心を恥ぢる。
松の切株に腰をかけて一服やつてゐると、女のボテフリがきて『お魚はいりませんか』深切か皮肉か、とにかく旅中の一興だ。
在国寺といふ姓、大入《ダイニウ》といふ地名、そして村の共同風呂もおもしろい。
此宿は悪くないけれど、うるさいところがある、新宿だけにフトンが軽くて軟かで暖かだつた(一枚しかくれないが)。
いつぞや途上で話し合つた若い大黒さんと同宿になつた、世の中は広いやうでも狭い、またどこかで出くわすことだらう、彼には愛すべきものが残つてゐる、彼は浪花節屋《フシヤ》なのだ、同宿者の需めに応じて一席どなつた、芸題はジゴマのお清!
一年ぶりに頭を剃つてさつぱりした、坊主にはやつぱり坊主頭がよい、床屋のおかみさんが、ほんたうに久しぶりに頭を剃りました、あなたの頭は剃りよいといつてくれた。
[#ここから2字下げ]
・波音の県界を跨ぐ
[#ここで字下げ終わり]
落つればおなじ谷川の水、水の流れるまゝに流れたまへ、かしこ。

 一月十九日[#「一月十九日」に二重傍線] 曇、行程二里、唐津市、梅屋(三〇・中)

午前中は浜崎町行乞、午後は虹の松原を散歩した、領巾振山は見たゞけで沢山らしかつた、情熱の彼女
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