を想ふ。
唐津といふところは、今年、飯塚と共に市制をしいたのだが、より多く落ちつきを持つてゐるのは城下町だからだらう。
松原の茶店はいゝね、薬罐からは湯気がふいてゐる、娘さんは裁縫してゐる、松風、波音。……
受けとつてはならない一銭をいたゞいたやうに、受けとらなければならない一銭をいたゞかなかつた。
江[#「江」に「マヽ」の注記]雲流水、雲のゆく如く水の流れるやうであれ。
[#ここから2字下げ]
・初誕生のよいうんこしたとあたゝめてゐる
・松に腰かけて松を観る
・松風のよい家ではじかれた
[#ここで字下げ終わり]
此宿はおちついてよろしい、修行者は泊らないらしい、また泊めないらしい、しかし高い割合にはよくない、今夜は少し酔ふほど飲んだ、焼酎一合、酒二合、それで到彼岸だからめでたし/\。
虹の松原はさすがにうつくしいと思つた、私は笠をぬいで、鉄鉢をしまつて、あちらこちら歩きまはつた、そして松――松は梅が孤立的に味はゝれるものに対して群団的に観るべきものだらう――を満喫した。
げにもアルコール大明神の霊験はいやちこだつた、ぐつすり寝て、先日来の不眠をとりかへした。
一月廿日[#「一月廿日」に二重傍線] 曇、唐津市街行乞、宿は同前。
九時過ぎから三時頃まで行乞、今日の行乞は気分も所得もよかつた、しみ/″\仏陀の慈蔭を思ふ。
こゝの名物の一つとして松露饅頭といふのがある、名物にうまいものなしといふが、うまさうに見える(食べないから)、そしてその本家とか元祖とかいふのが方々にある。
小鰯を買つて一杯やつた、文字通り一杯だけ、昨夜の今夜だから。
[#ここから2字下げ]
・けふのおひるは水ばかり
・山へ空へ摩訶般若波羅密多心経
[#ここで字下げ終わり]
晩食後、同宿の鍋屋さんに誘はれて、唐津座へ行く、最初の市議選挙演説会である、私が政談演説といふものを聴いたのは、これが最初だといつてもよからう、何しろ物好きには違ひない、五銭の下足料を払つて十一時過ぎまで謹聴したのだから。
一月廿一日[#「一月廿一日」に二重傍線] 曇、いよ/\雨が近いことを思はせる。
貯へを持たないルンペンだから、ぢつとしてはゐられない、九時半から三時半まで行乞。
近松寺に参拝した、巣林子に由緒あることはいふまでもない、その墓域がある、記念堂の計画もある、小笠原家の菩提所でもある、また曽呂利新左衛門が築造したといふ舞鶴園がある、こぢんまりとした気持のよいお庭だつた。
今日は市議選挙の日、そして第六十議会解散の日、市街至るところ号外の鈴が響く。
唐津といふ街は狭くて長い街だ。
おいしい夕飯だつた、ヌタがおいしかつた、酒のおいしさは書き添へるまでもあるまい。
この宿はしづかできれいであかるくていゝ、おそくまで読書した、久しぶりにおちついて読んだ訳である。
毎日、彼等から幾度か不快を与へられる、恐らくは私も同時に彼等に不快を与へるのだらう――それは何故か――彼等の生活に矛盾があるやうに、私の生活に矛盾があるからだ、私としては、当面の私としては、供養を受ける資格なくして供養を受ける、――これが第一の矛盾だ!――酒は涙か溜息か、――たしかに溜息だよ。
一月廿二日[#「一月廿二日」に二重傍線] 晴、あたゝかい、行程一里、佐志、浜屋(二五・上)
誰もが予想した雨が青空となつた、とにかくお天気ならば世間師は助かる、同宿のお誓願寺さんと別れて南無観世音菩薩。……
こゝで泊る、唐津市外、松浦潟の一部である、このつぎは唐房――此地名は意味ふかい――それから、湊へ、呼子町へ、可[#「可」に「マヽ」の注記]部町へ、名護屋へ。
唐津行乞のついでに、浄泰寺の安田作兵衛を弔ふ、感じはよろしくない、坊主の堕落だ。
唐津局で留置の郵便物をうけとる、緑平老、酒壺洞君の厚情に感激する、私は――旅の山頭火は――友情によつて、友情のみによつて生きてゐる。
行乞流転してゐるうちに、よく普及してゐるのは、いひかへれば、よく行きわたつてゐるのは、――自転車[#「自転車」に傍点]、ゴム靴[#「ゴム靴」に傍点](地下足袋をふくむ)そして新聞紙[#「新聞紙」に傍点]、新聞紙の努力はすばらしい。
松浦潟の一角で泊つた、そして見て歩いた、悪くはないが、何だかうるさい。
此宿はよい、私が旅人としての第六感もずゐぶん鋭くなつたらしい、行乞六感!
よい宿だと喜んでゐたら、妙な男が飛び込んで来て、折角の気分をメチヤ/\にしてしまつた、あんまりうるさいから奴[#「奴」に「マヽ」の注記]鳴つてやつたら、だいぶおとなしくなつた。
緑平老の肝入、井師の深切、俳友諸君の厚情によつて、山頭火第一句集が出来上るらしい、それによつて山頭火も立願寺あたりに草庵を結ぶことが出来るだらう、そして行乞によつて米代を、三八九によつて酒代を与へられるだらう、山頭火よ、お前は句に生きるより外ない男だ、句を離れてお前は存在しないのだ!
昨夜はわざと飲み過した、焼酎一杯が特にこたへた、そしてぐつすり寝ることが出来た、私のやうな旅人に睡眠不足は命取りだ、アルコールはカルモチンよりも利く。
一月廿三日[#「一月廿三日」に二重傍線] 雨后晴、泥中行乞、呼子町、松浦屋(三〇・中)
波の音と雨の音と、そして同宿のキ印老人の声で眼覚める、昨夜はアル注入のおかげで、ぐつすり寝たので、身心共に爽やかだ。
とう/\雨になつたが、休養するだけの余裕はないので、合羽を着て八時過ぎ出立する、呼子町まで二里半、十一時に着いて二時半まで行乞、行乞相もよかつたが、所得もよかつた。
呼子は松浦十勝の随一だらう、人も景もいゝ感じを与へる、そしてこの宿もいゝ、明日も滞在するつもりで、少しばかり洗濯をする。
晴れて温かくなつた、大寒だといふのに、このうらゝかさだ、麦が伸びて豌豆の花が咲く陽気だ。
私でも――私の行乞でも何かに役立つことを知つた、たとへば、私の姿を見、私の声を聞くと、泣く児が泣くことをやめる!
中流以上の仕舞うた屋で、主婦も御隠居もゐるのに、娘さん――モダン令嬢が横柄にはじいた、そこで、私もわざと観音経読誦、悠然として憐笑してやつた。
例の鍋とり屋さんとまた同宿、徳須恵では女が安い話を聞かされた、一枚も出せば飲んで食つて、そして抱いて寝られるといふ、あなかしこ/\、それにつけても昨夜のキ印老人は罪のない事をいつた、彼は三十八万円の貯金があるといふ、その利子で遊ぶといふ、わはゝゝゝゝ。
今日は郵便局で五厘問答[#「五厘問答」に傍点]をやつた、五厘銅貨をとるとらないの問答である、理に於ては勝つたけれど情に於て敗けた、私はやつぱり弱い、お人好しだ。
唐房といふ浦町が唐津近在にある、そのかみの日支通商を思はせる地名ではないか。
一月廿四日[#「一月廿四日」に二重傍線] 小春、発動汽船であちこち行乞、宿は同前。
早く起きる、何となく楽しい日だ、八時ポツポ船で名護屋へ渡る、すぐ名護城[#「護城」に「マヽ」の注記]趾へ登る、よかつた。
――遊覧地じみてゐないのがよい、石垣ばかり枯草ばかり松ばかり、外に何も残つてゐないのがよい、たゞ見る丘陵の起伏だ、そして一石一瓦こと/″\く太閤秀吉を思はせる、さすがに規模は太閤らしい、茶店――太閤茶屋――たゞ一軒の――老人がいろ/\と説明してくれる、一ノ丸、二ノ丸、三ノ丸、大手搦手、等々々、外濠は海、内濠は埋つてゐる、本丸の記念碑(それは自然石で東郷元帥の筆)がふさはしい、天主台は十五間、その上に立つて、玄海を見遙かして、秀吉の心は波打つたゞらう、その傍にシヤンがつゝましく控へてゐたかも知れない。
後方の山々には日本諸国の諸大名がそれ/″\陣取つて日本魂を発露したゞらう。
私は玄海のかゞやきの中に豊太閤の姿を見た。
桑田変じて北[#「北」に「マヽ」の注記]海となるといふが、城趾が桑畑になつてゐる、松風、小鳥、枯薄。……
茶店の老人があまり深切に説明してくれるので、とう/\絵葉書一組買はないではすまないやうになつた。
大きな松が枯れてゐる、桜が一本、藤が一株。
観月の場所としては随一だらう。
こゝでまた、いつもの癖で水を飲んだ。
[#ここから2字下げ]
城あと、茨の実が赤い
・ゆつくり尿して城あと枯草
[#ここで字下げ終わり]
二時間ばかり漁村行乞、ありがたいこともあり、ありがたくないこともあつた。
十二時近くなつてまた発動機船で片島へ渡る、一時間ほど行乞、蘭竹の海岸づたひに田島神社へ参拝する、こゝに松浦佐用姫の望夫石がある、祠堂を作つて、お初穂をあげなければ見せないと宮司がいふ、それだけの余裕もないし、またその石に回向して、石が姫に立ちかへつても困るので堂の前で心経読誦、そのまゝ渡し場へ急いだ、こゝでも水を飲むことは忘れなかつた。
呼子へ渡されたのは二時、あまり早かつたので、そして今日は出費が多かつたので――渡銭三回で三十銭、外に久し振りにバツト七銭、判をいたゞいてお賽銭五銭など――一時間行乞、宿に帰つて、また洗濯、また一杯、宿のおかみさんが好意を持つてくれて鰯の刺身一皿喜捨してくれた、私も子供に一銭二銭三銭喜捨してやつた。
鰯といへば、名護屋でも片島でもたくさんの収穫があつた、女が七八人並んで網から外しては後へ投げる、どこも鰯、鰯臭かつた。
呼子町の対岸には遊女屋が十余軒、片島にも四五軒あつた、しかし佐用姫の情熱を持つたやうな彼女は見当らなかつた!
石になるより銭になる、石になれ、銭になれ、なりきれ。
名物松浦漬(鯨骨の粕漬)そして佐用姫漬(福神漬)、島へ小鳥を持つて帰る人、島の遊女を買ふ人。
蒲鉾はようござんすか、と少年がいつた、いつぞや、お魚はいりませんか、と女がいつたのと好一対の傑作だ。
[#ここから2字下げ]
・朝凪の島を二つおく(呼子港)
□
・ほろりとぬけた歯ではある(再録)
□
・黒髪の長さを潮風にまかし
[#ここで字下げ終わり]
この宿の娘については一つのロマンスがある、おばあさんが、わざわざ、二階の私に燠を持つてきてくれて話した。――(×印へ)
同宿のテキヤさん、トギヤさん、なか/\の話上手だ、いろ/\話してゐるうちに、猥談やら政治談やら、なか/\面白かつた、殊にオツトセイのエロ話はおかしかつた。
自動車は、乗らないものには外道車、火鉢に火がないならば灰鉢。……
一月廿五日[#「一月廿五日」に二重傍線] 晴、行程三里、佐志、浜屋(二五・上)
一天雲なし、その天をいたゞいて、湊まで、一時間半ばかり行乞、近来にない不所得である、またぶら/\歩いて唐房まで、二時間行乞、近来にない所得だつた、プラスマイナス、世の中はよく出来てゐます。
テキヤさんの話、世の中が不景気になつて、そして人間が賢くなつて、もう昔のやうなボロイ儲けはありません。
見師[#「見師」に傍線]の誰もがいふ、ほんたうに儲け難くなつた!
私自身にい[#「にい」に「マヽ」の注記]て話さう、――二三年前までは、十五六軒も行乞すれば鉄鉢が一杯になつたが(米で七合入)今日では三十軒も歩かなければ満たされない。
女は、農漁村の女はよく稼ぐ、と今朝はしみ/″\思つた、朝早く道で出逢ふ女人の群、それはみんな野菜、薪、花、干魚を荷つた中年の女達だ。
松浦潟――そのよさが今日初めて解つた、七ツ釜、立神岩などの奇勝もあるさうだが、そんな事はどうでもよい、山路では段々畠がよかつた、海岸は波がよかつた、岩がよかつた。
相賀松原もよかつた、そこには病院があつて下宿が多かつた。
島はあたゝかだつたが、このあたりも、南をうけてあたゝかい、梅は盛り、蒲公英が咲いてゐる、もう豌豆も唐豆も花を咲かせてゐる。
今日の行乞相は、湊ではあまりよくなかつたが、唐房、佐志ではわるくなかつた、――たとへば、受けてはならない三銭を返し、受けなければならない五銭をいたゞいた。
鰯、鰯、鰯、見るも鰯、嗅ぐも鰯、食べるも、もちろん、鰯である。
[#ここから2字下げ]
・港は朝月のある風景
・しんじつ玄海の舟が浮いてゐる
[#ここで字下げ終わり]
同宿のおへんろさんは大した鼾掻きだつた、
前へ
次へ
全15ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
種田 山頭火 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング